- 本 ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152099785
作品紹介・あらすじ
1960年代アメリカ。アフリカ系アメリカ人の真面目な少年エルウッドは、無実の罪により少年院ニッケル校に送られる。しかし校内には信じがたい暴力や虐待が蔓延していた――。実在した少年院をモデルに描かれた長篇小説。ニューヨークタイムズ・ベストセラー。
感想・レビュー・書評
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著者の代表作『地下鉄道』は歴史改変小説という特殊なジャンルだった。そのためかなかなか世界観に馴染めず、先に実話を基にした本書から取り掛かることに。
読むだけの充実感がある反面、重い…。目に見えない重しがのしかかってきているようで、読み終えた瞬間に思わず息を吐き出した。
史実(それもつい最近明るみになった)とフィクション・過去と現在が巧妙に入り混じり、特に第三部からのストーリーの進め方には度肝を抜かれる。恐らく読後、一部の章を読み直さずにはいられなくなるだろう。
『地下鉄道』よりこちらの方が自分の肌に合っているかも。
「侮辱されるたびに野垂れ死にしそうな気分になっていたら、日々を生きていくことはできない」
舞台は1960年代前半のフロリダ州。アフリカ系アメリカ人の聡明な学生エルウッドは祖母との2人暮らし。ある時大学進学に向けてのチャンスに恵まれるがそれも束の間、無実の罪でニッケル少年院に送られてしまう。
少年院を出るには院内にて善行を積み、ポイントを稼いでいかねばならない。加えて、院内で横行する暴力や虐待に耐えてゆかねばならない。地獄のような日々の中、エルウッドはターナーという少年と出会い次第に友情が芽生えていくが…。
「少年たちは、あの学校に潰されさえしなければ、いろいろな未来に進むことができた。[中略]彼らには平凡であるという単純な喜びすら与えられなかった」
第一印象としては『ショーシャンクの空に』の少年院ver.っぽいと思ったが、精神が未成熟であるが故に彼らの恐怖がより身に染みて伝わってきた。(男同士の固い絆と収監された場所が「名ばかり更生施設」であることは共通していると思う) 用務員による壮絶な虐待により最悪の場合命を落とすことも少なくなかった。
これは何と近年閉鎖したアメリカの男子学校がモデルで、本書に登場する独房や拷問部屋も実在していたという。
本書では日常の一コマであるかのように描写されており、憤りよりもまず不気味さを覚えた。
「みんなが目を背けているということは、みんなグルだということだ」
学校の閉鎖に伴いようやく暴力・虐待の告発がされたというが、近年のヘイト事件を見る限りこうした問題は解決の兆しすら見えていない。差別意識はアメリカ国民の中にDNAとして刻まれている。更に差別された側には恐怖も刻まれる。
エルウッドは元々公民権運動に関心のある学生で、序盤では黒人デモにも参加していた。しかしニッケルでの体験を経て、後半では白人に助けを求めるようになる。「究極の良識」が人々の心に刻まれていると信じ、望みを賭けたのだ。
今思えば「外に味方がいるエルウッドだから踏み出せた」とも言える。
でも人種を問わず世間の誰かが「おかしい」と共感してくれるだけで、その人の「究極の良識」を信じてみようと思えるのかもしれない。「自分には味方がいる」と思えれば、行動する勇気が湧いてくるのかもしれない。
つまりは、まだまだ綺麗事を諦める時ではない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
有色人種差別の風潮が色濃く残る1960年代のフロリダ州で、アフリカ人の血を引く高校生のエルウッドは、大学進学の日に無実の罪で少年院ニッケル校に入れられてしまう。
ニッケル校では看守たちによる不正と虐待が横行しており、エルウッドは早くも不条理な暴力にさらされるが、それでも尊厳を失わずに非暴力で人種差別のない世界が来ることを信じ続けていた。
本書は、ある少年院の跡地から多数の少年の死体が発見されたという実際の出来事から発想を得たという。絶対的な権力に屈するあきらめ感や暗黙のルール、絶望的な状況で生まれる復讐心とかすかな友情など、どこまでがフィクションなのかわからないほどリアルに校内の虐待とそれに耐える少年たちの姿を描いている。
ただ、実際に起きた出来事にとらわれすぎたのか、少年院に入れられてからのストーリーはリアルな描写のわりには予想通りというかやや平板で、ラスト近くで明かされる真相も取ってつけたような感じだった。
主人公のエルウッドが地元のホテルで働いていた頃の百科事典のエピソードや、祖母と暮らしていた頃の世間の空気感に引き込まれたのと、前作の『地下鉄道』のような波瀾万丈さを期待してしまったので、よけいそう感じたのかもしれない。
前作に続くピュリッツァー賞受賞も、本書の出来というよりも、事件に対する白人側からの贖罪の意味が込められているのではないかと、なにかモヤモヤしたものを感じる。 -
小説だけれど、事実を基にしている。2011年まで運営されていた少年院が舞台。主人公は何の罪も犯していない。ただ運が悪かっただけ。世界は変わると信じている。彼が、アフリカ系アメリカ人が、理不尽のただ中で生きていくことの苦さで、胃の腑が捻り上げられるよう。それでも、言葉の力が本を閉じさせない。
物語の仕掛けが明かされたとき、それまで主人公エルウッドに絞られていた焦点が、一気に、理不尽に傷つき生きてきた人たち皆に合っていくような気持ちになる。
人間はいつでも醜悪になれる。忘れてはいけない。 -
ラストも大体予想通りやったし、目新しくはなかったかな。
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『地下鉄道』でピューリッツァー賞フィクション部門含め様々な文学賞を総嘗めしたコルソン・ホワイトヘッドが、再びピューリッツァー賞フィクション部門を受賞した作品。
『地下鉄道』が強烈な作品だったため、さすがに前作は超えられないんじゃ、と勝手に訝って発売から大分経ってから読んでしまったが、これも力強い傑作だった。
黒人の差別の歴史はずっと続いているが、BLM運動が起きていた発売当時に読んでいたら、もっと印象深い読書体験になっただろうな、と少し後悔した。
本書は実際に起きたドジアー校という更正施設での虐待事件をモチーフにしている。
ニッケル校という少年の更生施設近くの土地から遺体が次々と発見される。
かつてニッケル校に在籍したことのある主人公のエルウッドがニッケル校に送られるまで、送られてからの生活、そこから出るまでが描かれていく。のだが、後半のある部分で仕掛けが施されてる。その仕掛けがあまりにも辛くなるものだった。
文学的に、こういう仕掛けは決して新しいものではないのだが、これが黒人の差別、その差別には黒人が自由になった時期よりも長い奴隷としての歴史、迫害、差別の歴史があるのだとわかっていると、この仕掛けにどういう意図があったのかが見えてくる。
自分は、これは決して忘れないというバトンであるという気がした。 -
新たに大学で夢に向かって行こうとするエルウッドに差別という冤罪がおこる
5セント(ニッケル)ぐらいの価値しかないと暴力により肯定され、人生を否定されてきたエルウッド
キング牧師の言葉を胸に暴力でどん底な人生から自分を欺くのをやめてもう一度自分の人生を取り戻すために戦う
エルウッドと共にニッケル校で親しくなったターナーと一緒に新たな人生に向かって生きていこうとするが…
否定され続けた人がどうすれば人生を歩き直せるのかを知ることが出来る -
いちど徹底的に尊厳を奪われた人間が自分の価値を取り戻すのがどれほど困難か。
鞭の痛みがどれほどの苦痛を与えてその恐怖が思考に組み込まされるか、鞭打たれたことのない私達には絶対に想像できない。だがその想像を超えた痛みを植え付けられたニッケル・ボーイズを動かせたのは紛れもなくエルウッドの魂だった。蟹工船の森本がそうであったように。