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本 ・本 (280ページ) / ISBN・EAN: 9784152100139
作品紹介・あらすじ
オランダ人医師であるエディ・デ・ウィンドは、通過収容所で知り合って結婚した妻フリーデルとともに、アウシュビッツ強制収容所に送られた。アウシュビッツで妻と離ればなれになってしまった彼は、看守に怯えながらも妻に会う機会を模索しようとするが……。
感想・レビュー・書評
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人間の尊厳を喪失させるナチス強制収容所の体験談や証言にふれるたびに底知れぬ狂気と恐怖に戦慄させられてきたが、本書はユダヤ系オランダ人医師とその妻が、アウシュビッツ送還後から収容所解放の直前まで、互いの顔を顔を見て言葉を交わせたことで、過酷な環境に耐え生き延びられた記憶をたどった異色の体験録である。文明国と称する政治家が、一党を支配する独裁者として君臨すれば、党の理論に反する言動を示すものなら、たちまちのうちに粛清されてしまう・・・この不条理な現実は、現代社会に蠢いていることを再認識する警告の書でもある。
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収容所内での人々の生き方、当事者でしか知り得ないものがあって、それは人種や立場関係なく人が生きる人生において唯一経験しなくてよい地獄だと思う。
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オランダ人医師 エディ・デ・ウィンドは妻フリーデルとともにナチスに捕まり、アウシュビッツ強制収容所へと送られる。
離れ離れになりながら、死の恐怖に怯えながら、生きるため、終戦まで耐えて、お互い生きてそこを出て、再び夫婦として暮らすことだけを願って、まさに地獄の収容所生活を送る。
アウシュビッツに関する著作の多くが、生還後、何年か後に書かれたものが多いのに対し、このウィンドの著作は収容所が開放されてすぐ、まだ彼が元の世界に戻る前に、記憶が新鮮なうちに書かれた。
医師の資格を持っていたことが幸いし、彼は時にはビルケナウに移送され、ガス室の危機に晒されることもありながらも、すんでのところで生き延びる。
ただ一方で、戦後になり、アウシュビッツやナチスの犯罪が明らかになるにつれて、医師として有利な立場に立てて「生き延びることができた」後ろめたさに苦しんだともいう。
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むごい。非常で残虐だけれども文章が淡々としている。
それでも人は生きようとする。私はどうだろう。わからなかった。私には勇気がないと思う。 -
収容所の中でオランダ人の評判がよくないことはハンスも気づいていた。ユダヤ人にしろ非ユダヤ人にそろ、オランダ出身者は総じて軟弱で横着だと思われていた。あながち間違いとも言えない。オランダ人は冷静で素っ気ない態度をとりがちだ。方に力を入れて何かをすることや、気まぐれなやり方で仕事をせかされることには慣れていない。オランダ人としては、こんなに単調な骨折り仕事をせっせとこなす意味が理解できないのだ。無駄なことに努力するのはばかばかしい。そしてもしそれで軍需産業の一端を担っていることになるのなら、オランダ人が仕事を怠けるのは当然。そんな理屈だ。だから、何かを融通できいそうな持ち場にオランダ人はまずいなかった。厨房や倉庫にはゼロ。またわずかなものを同胞に譲るという奇特な人もごく少なかった。
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訳者あとがきまできちんと読めば、この本の意図が理解できる。アウシュヴィッツを生き抜いた著者は、偶然、幸運を味方につけていた。
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読みにくい所もあったが、読んでよかったと思う。戦争に、アウシュヴィッツに無関心であってはいけない。収容された人々の思いにもっと寄り添えたなら。
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徹底的に非人間的な状況であっても、人間はどのように支え合い、愛し合い、精神の自由を失わずにいられるのかを示す、普遍的な価値を持った物語。
多くの人を殺害することを目的とされ、日々それを実行しているSSが、目の前の一人の命を蔑ろにしなかったという記述があった。
今まで、SSは根本的に最低な人間性を持った人であると思っていたが、この記述により、SSも1人のごく普通の人間だったのではないかと感じた。
戦争は、人を狂わせてしまうものなのだなと再認識した。