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本 ・本 / ISBN・EAN: 9784152101686
作品紹介・あらすじ
第二次大戦後、ギャルヴィン一家はコロラド州に移住し、12人の子宝に恵まれた。しかし子どものうち6人に異変が起きる。修道士のようにふるまう長男、自分はポール・マッカトニーだと言い張る末っ子……。彼らはなぜ統合失調症を発症したのか。家族の闇に迫る
感想・レビュー・書評
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事実に基づくノンフィクション作品。12人の子供のうち、6人が統合失調症である家族を中心に、その生活の過酷さや統合失調症という症状への世界の理解の進みが書かれています。結論として、何かが解決していることはないようですが、この1つの症状について、とても理解が深まりました。
印象的だったのは、統合失調症がその特性上、創薬においてとても不利であるということ。患者が自信の権利や意見の主張を正確に行えない以上、患者に対する調査や分析が意味をなさないのだと理解しました。
長くて大変でしたが読んでよかったです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【感想】
障害は遺伝によって引き起こされるのか?それとも環境によって発現するのか?
近年の研究によれば、統合失調症の親から生まれた子どもの発症率は、そうでない親から生まれた子どもの10倍に及ぶという。また、統合失調症者親の一卵性双生児が発症する確率が50~80%に対し、二卵性双生児が発症する確率が5~30%という研究結果もある。統合失調症を引き起こすきっかけとなる対象遺伝子が存在し、それが遺伝によって引き継がれる可能性がある、というのは間違いないだろう。
しかし、実際には「遺伝子が全ての元凶」と言い切れるわけではない。発症の原因となる数十の候補遺伝子が今まで報告されているが、それらを持っていたからといって、疾患リスクは1.5倍以下、つまり持ってない人より1.5倍程度しかかかりやすくはならないという。また、虐待やストレスといった環境的要因も病気を引き起こすとされているため、なおさら遺伝のみに原因を求めることは難しい。
環境的要因について、四つ子の姉妹であり、全員が23歳で統合失調症の診断を受けた「ジェネイン姉妹」の研究結果がある。四つ子が一卵性で全員統合失調症なんて、もはや遺伝子が決めているとしか考えられないが、実は親の育て方に原因の一つがあった。ジェネイン姉妹の性格はそれぞれ違ったが、共通して両親から虐待を受けていた。父親は酒飲みで、浮気をし、娘の2人に性的虐待を加えたと言われている。母親のほうは、娘の2人が相互マスターベーションをしているのを見つけると、夜間は体を拘束し、鎮静剤を与え、ついには2人とも強制的に女性器切除手術を受けさせた。あまりに支配的であるため、娘たちは何らかの形でトラウマを負わされていたのは間違いない。普通の家庭の子とは、環境があまりに違っていたのだ。
要するに、「生まれか、育ちか」というのは非常に難しい問題なのだ。同じ家族の兄弟姉妹が揃って統合失調症になる確率は現に低い。とはいえ、身内に患者のいない人の10倍も統合失調症を発症しやすいとなれば、遺伝を全く無視することも馬鹿げている。
そうした中で、統合失調症の「多発家系」のサンプルとして研究に寄与していたのが、本書『統合失調症の一族』に出てくるギャルヴィン一家である。コロラド州に住む彼らは、両親と子どもを合わせて12人の大家族だが、10人の子どものうち6人が、統合失調症を発症している。彼らは一つ屋根の下で、カトリックの両親のもと厳格に躾けられた。だが男ばかりであったため、兄弟間で喧嘩が絶えなかったという。そんな中、一家は一番先に発症してしまった長男・ドナルドの奇行と暴力に巻き込まれるようになる。警察と病院、近隣住民との対応に追われる中、続く次男・ジムにも幻覚症状が見えるようになり、ギャルヴィン家は徐々に崩壊していく。
本書は一家の住人一人ひとりにスポットライトを当てていくのだが、その中で実質的な主人公となっているのが、十一女のマーガレットと十二女で末っ子のメアリー(リンジー)である。彼女たちは、男兄弟の中で暴力にまみれて育った。ジムから性的虐待も受けていた。だが、彼女たちは他2人の兄と同じく、疾患が発現しなかった側の人間だった。
統合失調症が遺伝と環境の相互作用で発症するのなら、彼女たちが助かった理由はなんなのか?発症した兄弟たちと発症しなかった兄弟たちは、どこで明暗が分かれたのか?それを探るべく、一度家との関係を断絶した2人が、再び家族のために集まり研究に協力することになる。
統合失調症の兄弟が見せる異常行動や家族が崩壊していく様子が、本書を際立たせている部分なのだが、この2人の「再起」もまた読みどころの一つである。母親から娘にまで続く性的虐待の連鎖、そしてそれを乗り越えてなお家族に手を貸すリンジーと、家族を恨み続けるマーガレット。彼女たちサバイバーは、この恐ろしい病気に対してどのような想いを向け続けたのか。
何十年にもわたる家族の闘いを描いた、傑作ノンフィクションである。
――リンジーはついに、生まれと育ちが一体となって働いていることを悟る段階に近づいていた。ミミは自分を守ろうとして、統合失調症は遺伝的だ、と常に主張していた。そして、ある意味で彼女は正しかった。生物学的特性は、ある程度まで宿命であり、それは否定のしようがない。だがリンジーは今、私たちがただの自分の遺伝子以上のものであることを理解した。私たちには、周りの人々――私たちが取り囲まれて育つことを余儀なくされた人々や、後に、いっしょにいることを私たちが選んだ人々――の産物であるという面がある。
人間関係は、私たちを破滅させることがありうるが、私たちを変え、回復させることもありうるし、本人がまったく気づきもしないうちに私たちを特徴づけることもありうる。
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【まとめ】
0 まえがき
コロラド州のギャルヴィン一家は、親のドンとミミ、そして12人の子どもからなる大家族だった。しかし、10人の子どものうち6人が、統合失調症を発症した。
兄弟がそれぞれこの疾患をどのように経験したかについては、遺伝的なところはまったくなかった。ドナルド、ジム、ブライアン、ジョセフ、マシュー、ピーターは、一人ひとりの異なる形で患い、異なる治療を必要とし、次から次へと診断が変わり、統合失調症の本質についての、相容れない説の対象とされた。そうした説のうちには、親のドンとミミにとりわけ残酷なものもあり、2人は自分たちがしたことやしなかったことのせいでこの疾患を引き起こしたかのように責められることがしばしばあった。
家族全体の苦闘は、薄皮を一枚剥いでしまえば、じつは、統合失調症の科学の歴史――何十年にもわたって、何がこの疾患を引き起こすのかばかりでなく、この疾患はいったい何なのかをもめぐる、長い論争という形を取ってきた歴史――でもある。
1 統合失調症研究の前夜
当初、まだ誰も精神疾患の研究を科学に変えて精神医学と呼ぶようになる前には、精神に変調を来すのは霊魂の病気であり、投獄や追放や悪魔祓いの対象とするべき異常とみなされていた。
1896年、ドイツの精神科医エミール・クレペリンは「早発性痴呆」という言葉を使い、この異常行動を生物学的なものとしてみなした。
フロイトとユングは妄想性の精神疾患の由来について、真っ向から対立した議論をおこなっている。統合失調症は生まれつきのもので、脳の物理的な病気なのか?それとも行きていくうちに、何らかの形で傷つけられてかかるものなのか?つまり、生まれが原因か、育ちが原因か?
それから1世紀後、世界中で、推定では100人に1人が統合失調症にかかっており、アメリカではその数は300万人を超え、全世界では8200万人に達する。統合失調症の成人のうち約4割がまったく治療を受けておらず、患者の20人に1人が自殺する。
しかし、長年の研究にもかかわらず、統合失調症の起源と本質について、厳密にはどのようなものなのかは不明なままだった。学究の世界には何百もの論文が溢れており、今も生まれか育ちかという問題は中心的な議論であり続けている。
そんな中、ギャルヴィン家の兄弟は、生まれか育ちかを検証するための格好のサンプル集団だった。
2 ドンとミミ――父親、母親
ギャルヴィン家は厳格な一家だった。父親のドンは空軍に所属する軍人で、母親のミミは父と同じく、規律を重んじるカトリックだった。
ミミは子どもたちの生活のあらゆる面における支配者であり、何一つ成り行きに任せることはなかった。子どもたちは「人は見た目よりも行動」「告げ口をすれば舌を引き裂かれる」といった一連の格言に基づいて育てられた。食卓の準備をする、昼食を作る、トーストを焼く、掃除機をかける、埃を払う、キッチンの床にモップをかける、食卓を片づける、食器を洗って布巾で拭くというように、毎朝全員に仕事が割り当てられた。「あの人は誰にでも完璧を求めるのでした」と、家族の古くからの友人の一人は回想している。
ミミはその気性のせいでやがてどれほど痛い目に遭うことになるのか、知る由もなかった。1950年代には、精神医学の専門家たちは、彼女のような母親に狙いを定めるようになっていた。アメリカの精神医学界でもとりわけ有力な思想家たち――フロム=ライヒマンなどの、統合失調症を権威的な母親による悪質なしつけのせいと考えていた人々――は全員、そのような女性を「統合失調症誘発性」のある母親と呼んだ。
一方で父親のドンは、息子たちがタカの飼育や訓練を手伝っているときにしか彼らと顔を合わせなかった。ドンは、海軍士官学校の鷹狩の監督としての任を離れることはせず、かつ政治学の博士号取得のためにコロラド大学の夜の講座を取るようになっていたため、家を不在にしがちだった。その間12人もの家庭を切り盛りしていたのはミミであり、権威的なカトリック教会とギャルヴィン家の規則に則り、子どもたちを厳しく躾けていた。
ミミは長男のドナルドが異常行動を繰り返すようになってからも、家にいる子どもたちを言う通りにさせ、少なくとも表向きはどこにもおかしなところはないように見せかけようとしていた。
ドンは1975年に脳卒中で倒れると、仕事を引退した。両親の仲は急速に隔たり、母親はもう、父親の介護者で、それ以上の何者でもなくなったかのようだった。ドンは2003年に78歳で亡くなった。
晩年のミミは、息子たちとの生活についてこう語っている。
「どれほどきまりが悪かったことか。とりわけ、責任を負わされたせいで、本当に傷つけられて、友達にだろうと誰にだろうと、絶対に打ち明けられないと思うほどでした。全部自分の胸の内に押し込めておいて、そのつらいことといったらありませんでした。それで教会が支えになって、多少救われたんだと思います。私は事態を自分の運命として受け入れることにしました。そんな具合に、私は打ちのめされたんです」
ミミは2017年7月17日に息を引き取った。
3 ドナルド――長男
長男のドナルドは1945年に、次男のジムは1947年に生まれた。2人はお互いに、そして弟たちとも喧嘩し続けた。彼らが20歳近くになると、クリスマス、復活祭、感謝祭と、家に戻って来るたびに、みんな痣を作るのだった。
1964年、コロラド州立大学に在学していたドナルドは何度も不自然な怪我を負って、キャンパスの保健センターを訪れていた。軽い傷、腰椎捻挫、やけど。次第にキャンパスライフもうまくいかなくなり、家賃が払えなくなって、数カ月間にわたってホームレス生活を送った。
医師たちは彼を精神科医に回した。受理面接の記録は、ドナルドが行なったと申告した、さらなる「突飛な自己破壊的行為」に触れている。「焚き火を走り抜けた、コードを首に巻いた、ガス栓を開いた、棺の値段を調べに葬儀場に行きさえした、と言うが、そのどれ一つをとっても、適切な動機を挙げられなかった」。ドナルドは、死や、自分の命を終えることに執着していた。
観察下に置かれている間も、ドナルドの歯止めのない落下は続いた。彼は、自分が教授を1人殺害したと思う、と医師の一人に語った。数日後、別の空想を打ち明けた。今度は、フットボールの試合で別の人を殺したという話だった。家に戻ったあとはキッチンでパニックを起こして叫んだ。「伏せろ!奴らはこっちに向かって撃っている!」
当時は、統合失調症の治療方法が確立されておらず、公立病院では患者をおとなしくさせるために強力な抗精神病薬や拘束器具が使われていた。一般の人々が精神病患者の治療に抱くイメージは、「残虐性」に満ちたものだった。
予防については何も語られていなかった。治療に関する議論もほとんどなかった。だが、一つだけ間違いないように思えることがあった。もしドナルドを精神科病院か、少しでもそれに類する施設に入れたら、恥辱と不名誉は絶対避けられず、ドナルドの大学教育には終止符が打たれ、ドンのキャリアに傷がつき、地域社会における一家の地位に汚点を残し、しかも、残る11人の子どもたちが、まっとうな通常の人生を送る可能性が失われてしまう。そういうわけで、ミミとドンにとって最も分別のある――あるいは、少なくとも最も現実的な――解決策は、物事が自ずと良い方向に向かうのを期待することだった。
ドナルドは1970年6月20日の晩、青酸塩のタブレットを使って、妻のジーンを道連れに自殺を図った。彼は市の拘置所に留置された後プエプロの病院に移送され、「強迫性の特徴を伴う不安神経症」と診断された。トフラニールとメラリルを処方され、7月15日に退院した。妻とは別居した。その後、ドナルドは二度と戻らないジーンを見つけるために徘徊を繰り返すようになる。
ドナルドは時折実家に帰っていたが、妄言や異常行動は止まらなかった。ミミや兄弟達との諍いは絶えず、ギャルヴィン家全員の人生を破綻させようとしているはみ出し者だった。
1972年以降、ドナルドはプエブロの精神病院と家を往復するようになっていた。入院し、薬を投与され若干回復すると退院し、また問題行動を起こして入院する。この繰り返しだった。
4 ジム――次男
ジムは20歳のときに妻のキャシーと出会い結婚した。
結婚してから少し経つと、妻への暴力が目立つようになる。ジムには、よく声が聞こえて来た。「また、奴らが話し掛けてくる」と、ジムは言う。そして、いつも動揺して強張った声で説明する。みんなが彼を見張っている、追い回している、職場の人が彼に対して悪巧みをしている、と。
ジムは眠らなくなった。夜はコンロの前で過ごし、火をつけては細め、消し、また点火する。こういう状態のときには、衝動的に乱暴に振る舞った。キャシーや息子に対してではなく、自分自身に対して。
精神病の症状の発現でジムが初めて入院したのは、1969年のハロウィンの晩だった。ドンとミミは、彼が精神病に陥っていることを認めようとはしなかった。
ジムはときどきカッとなって、キャシーを叩いた。一度、警察が来たが、キャシーは告訴の手続きをすることを拒んだ。別の折には、近所の人が警察を呼び、ジムは警官に連れ出された。だが、結局戻って来た。
その後ジムはキャシーと離婚し、一人暮らしを始めた。プロリキシンのおかげでなんとかやっていた。長年の抗精神病薬の服用で骨抜きになり、太って体が弱っていた。心臓も衰え、息をするたびに胸が痛み、それでもパラノイアと妄想が完全に消えてなくなることはなかった。
ジムは2001年3月2日、コロラドスプリングズの自宅のアパートで独りで亡くなった。抗精神病薬の副作用で亡くなったものと推定された。
5 ブライアン――四男
バンドマンである四男のブライアンはギャルヴィン家のスターだった。
ブライアンは家を出てカリフォルニア州に行く前、ヒッピーじみた哲学的思索にふけるようになっていた。LSDもやっていた。彼自身の性質もそうだが、サイケデリックな時代であったことも彼を後押しした要因の一つだった。
1973年9月7日、ブライアンはガールフレンドのノニを撃ち殺し、それから自分にライフルの銃口を向けて自殺した。ブライアンは死の数か月前、抗精神病薬のナヴァンを処方されていた。その処方が必要となるような診断躁病、うつ病、トラウマが原因の精神病、あるいは幻覚剤の常用が引き起こす精神崩壊といったもの――の記録は、知られているかぎり存在していない。
息子がまた1人、精神に異常を来した。しかも、それがほかならぬ一家のアイドルのブライアンだったのはあまりに衝撃的だったので、両親はその処方のことは何十年も秘密にしておいた。
6 ジョー――七男
1982年、兄弟4人のホッケー選手のうち最年長であり、温厚な思慮深い七男のジョーが、精神に異常を来した。10年前、ピーターを見舞ったジョーに会った医師たちは、彼がどこかおかしいことに薄々気づいていた。だが、家族には大丈夫のように見えた。少なくとも、働きながら独り暮らしをするのに問題はないように見えた。
ジョーは高校卒業後、デンヴァーの空港で仕事を見つけ、ときどきリンジーをスキーに連れて行ってくれた。家から連れ出し、束の間、正常な人生を送っていると感じられるようにしてくれた。やがてジョーは、シカゴで荷物係としてユナイテッド航空に就職し、引っ越して医師の娘と恋に落ちた。結婚も間近に見えたときに、ジョーは職場で昇進がかなわなかった。ジョーにとってこれは、それまでそこで働く間に耐えてきた多くの苦難のうちでも最悪のものに思えた。彼は上司たちに脅迫状を送り始めた。ユナイテッド航空に解雇されると、ジョーはさらに脅迫状を送った。今度はホワイトハウス宛だった。
まもなくジョーはすべてを失った――車も、アパートも、婚約者も。それから幻視が始まった。
ジョーはしばらくマットと暮らした後、公的な住宅補助手当のあるアパートで暮らしていた。彼は中国史について延々と語り、前世では中国に住んでいた、と言い張るのだが、それがどれほど常軌を逸しているかは自分でも気づいていた。あるときには興奮して空を指差し、雲はピンクで、中国の皇帝がいて、自分の過去の人生から自分に話しかけている、とリンジーに語った。「これは幻覚なんだ」と言いつつも、その幻覚を半分は信じていた。「お前には見えないか?」
ジョーはコロラドスプリングズのアパートで独り暮らしできる程度には状態が良かったが、自力で生きてはいけなかった。医療補助だけでは出費が賄い切れなくなると、自分では返済できないほどクレジットカードの負債を抱え込んだ。そして、マイケルの助けを借りて破産を申請した。
ジョーは2009年12月7日、アパートで独りで亡くなった。53歳だった。抗精神病薬のクロザピン中毒による心不全だった。
7 マット――九男
ロレット・ハイツ大学で陶芸を学んでいたマットが最初にプエブロの病院に入ったのは、1978年12月7日だった。マーガレットが身を寄せるゲイリー夫妻の家で精神の錯乱を見せた後、ピーターと喧嘩をして警察に連行されたのだ。
マットはプエブロの病院を出たり入ったりしていたが、1986年に医師たちが薬をクロザピンに切り替えた。すると彼は、事実上最初の服用後から違いを感じた。精神医療の予約日に必ず行くようになった。家族には、悪夢から覚めたような感じだ、と語った。もう、自分がポール・マッカートニ―だと考えることはなくなった。
しかしよく効く薬を服用していてもなお、マットは長く自己憐憫に浸ることがあり、家族全員と政府に対する不満をぶちまけるのだった。世界全体が彼に対して陰謀を企てており、家族には見捨てられたと確信してのことだった。彼は怒りが頂点に達したときにだけ、現実についての認識が少し怪しくなった。そんなとき彼は、自分が受けている治療は、不必要であるばかりでなく、世の中の多くの出来事の原因でもあると思い込んだ。
8 ピーター――十男
9人の兄を持つ末息子で14歳のピーターは、ミミにあまりに多くの権威を振りかざされたらしく、そのいっさいを無視することにし、ことあるごとに相手に食ってかかり、命令に逆らった。ミミは彼のことを「パンク」と呼ぶようになり、彼が規範から外れた行動を取るたびに咎めた。それが少しばかり無慈悲に見えたとしても、ミミはやむをえないと感じた。一家にとって、状況がこれ以上難しくなりようがないように見えるまさにそのときに、ピーターはわざわざ事態を悪化させているようなのだった。
ある日の午前中、第9学年の代数の授業のとき、周りの生徒たちに向かってわけのわからないことを話し始めた。教師がやめさせようとすると、ピーターはふらふらと彼女に歩み寄り、教卓の端に座って話し続けた。彼女がピーターを席に戻らせた後、校長と生徒指導主任が教室にやって来た。ピーターが暴れた場合に備えて、体育の教師も一人連れてきた。
ピーターはコロラドスプリングズのペンローズ病院に収容されたが、それは束の間で、医師たちは彼を落ち着かせただけだった。それから自宅に戻ったものの、夫の入院で手一杯だったミミは、予定どおりピーターをホッケーのキャンプに送り出すことにした。そのキャンプで、ピーターはすっかり正気を失い、寝小便をし、床に唾を吐き散らし、他の参加者たちを殴りつけた。彼はコロラドスプリングズのブレイディ病院という民間の精神科クリニックに送られた。
その後ピーターはコロラド大学病院に入院した。そのときの診療記録は、ミミにとって異常なまでに厳しいものだった。「芳しくない知らせは聞きたがらなかったり、聞くことができなかったり」した。ミミも同席した治療セッションでは、ピーターは自分の幻覚や懸念を口に出そうとするのだが、ミミはそのような話を続けさせない、と医師は記した。「この役割は、母親によって他の息子たちに対しても演じられてきたのは明らかに見えた」と、その医師は書いている。
ピーターは、短気や軽度の多動性、他者を操作しようとする性質があるため、実際には統合失調症ではなく双極性障害だったのかもしれない。しかし、その後数年にわたって、統合失調症の治療薬を処方されることになった。
ピーターは1986年時点で、プエブロの病院に9回の入院をしていた。2004年にはそれが25回になった。ピーターは患者たちが電話をしていると、受話器を横取りして電話器に戻してしまったり、他の人がテレビを観ていると、スイッチを切ってしまったり、トイレの床を水浸しにしてしまったりした。そして、周りの人に誰かれかまわず説教を始めた。「俺はモーセだ。お前たちは地獄で焼かれるだろう。服を脱げ。お前たちは癩病だ。お前たちは死んでいる。頭をバットで殴りつけてやる。黙れ。さもないとぶっ殺してやる」。彼は、当時の究極の懲戒処分である隔離と拘束を一度ならず受けた。電気ショックによるショック療法も受けた。
9 マーガレット、リンジー(メアリー)――十一女、十二女
マーガレットはギャルヴィン家の十一女として生まれた。
マーガレットは繊細だったため、兄たちの間で盛んに行なわれる取っ組み合いや殴り合いや口喧嘩に心を乱されずにはいられなかった。自分とは無関係の場合にも、そうだった。だが、ほどなく彼女も巻き込まれるようになった。大きくなるにつれ、マーガレットはマスコットというよりも、標的、良いカモにされた。学校からの帰り道で、兄たちは丘の上から松ぼっくりや水風船を彼女目がけて投げつけた。家に着くと、お尻を叩かれた。だが今度は明らかに性的な含みがあった。マークは一度、兄たちにマーガレットを押し倒して「やって」しまえと命じられた。彼女は身体をまさぐられ、変なふうに触られ、散々になぶられたが、兄たちの何人かは、悪気のない面白いことのように思っていたかもしれない。
ドナルドが精神に異常を来すようになると、ジムは彼の狂乱からマーガレットとメアリーを守るようになった。しかしジムは、夜になると2人の身体を触り始めた。ジムはマーガレットに指を挿入し、そしてペニスも挿入しようとするが、どうしても果たせない。彼女はあまりに幼かったので、自分の身に起こっていることが暴力行為だとはわからなかった。12歳の初潮を迎える前に全てを理解し、マーガレットはジムを拒むようになった。
ドナルドの精神が錯乱してから、ミミは家のことについてますます完璧主義を徹底させるようになった。娘たちは最も信頼できる部下になった。2人とも、母親を助けようとし、ゴミ出しをしたり、床にモップをかけたり、食器を洗ったり、テーブルの準備をしたり、掃除機をかけたり、バスルームを掃除したりした。そして、庭を歩き回ったり、床で身悶えしたりしている25歳の兄などいないかのように振る舞った。
その後マーガレットは、ミミが所属していた連盟の友達であるナンシー・ゲイリーに引き取られ、家を離れた。ケント校に通う富豪の仲間入りをした彼女は、罪悪感を覚えながらも、兄たちの秘密をひた隠しにして日々を生き延びた。
対して末っ子のメアリーは、マーガレットと違ってゲイリー夫妻に引き取ってもらうことができなかった。彼女は病気の兄たちが暮らす家で孤独に闘い続けた。1979年、メアリーが13歳のとき、ジムにレイプされ、膣内に射精された。
彼女は中等教育を終えると、全寮制のホチキス高校へ進学した。メアリーという名前を捨て「リンジー」と名乗るようになり、すべての過去を消し去って生きた。
その後大学に進学したリンジーは、セラピストに初めて自分の身に起こったすべてを打ち明けた。ジムにレイプされたこと、第8学年のとき男の子たちにレイプされたこと。問題を解決したかった。誰かに、誰でもかまわないから、心配を追い払ってほしかった。だが、兄たちのため、そして自分自身のために、精神疾患の本質について、その原因について、答えを得たくもあった。トラウマあるいは虐待は、精神異常を引き起こしうるのか?ピーターやジョーやマットがプエブロの病院にいるのは、彼らに対するジムの仕打ちのせいであるということが、ありうるのか?
そしてリンジーは母親にもレイプを打ち明けた。ミミはこう言った。「自分も子どもの頃に同じ目に遭った」
母の話を聞いた後、母親にかつてないほどの近しさを感じた。だが同時に、満たされない思いもあった。自分自身の不幸が、別の人の不幸によってまたしても取って代わられてしまったのだ。母は自分の経験について語っており、リンジーがジムについて言っていることの詳細を素通りしていた。リンジーは母に、自分の側についてもらう必要があった。ジムがリンジーにしたことは間違っている、と言ってほしかった。
だが、ミミはそうしなかった。彼女は病気の子どもに対して健康な子どもの肩を持ったためしがなかった。そして、今さらそれを始めるつもりもなかった。代わりにミミは、ジムがどれほどひどく精神を患っているかについて話しだした。リンジーは怒りで顔を赤くした。彼女にしてみれば、統合失調症はジムが自分にしたことの言い訳にはならなかった。
マーガレットは兄弟に批判的であり、同時に母親にも批判的だった。娘たちや精神疾患でない他の子どもたちとの関係を犠牲にして、病人を第一に考えていたからだ。
マーガレットが家族との関わりを拒絶し続けた一方で、リンジーは姉とは正反対のことをすると決め、兄たちの面倒を見たり、母親に会いに行ったりし続け、万事をこなした。リンジーは、母と兄たちが直面したお役所仕事の壁に一つ残らず対応した。社会保障給付金を受け取れるようにし、最適な居住施設を探し、各自が受ける医療を監督し、使っている薬の効き目が薄れているようだと、違う薬を求める、という具合だ。彼女は兄たちとミミの後見人になった。
恨み続けたマーガレットと、手を差し伸べたリンジー。やがて2人の間には大きな溝が生まれていった。
10 生まれか、育ちか
1978年、ガーションは統合失調症における遺伝的特質の研究のため、同じ精神疾患を抱えた人が複数いる家族を調べる必要がある、と論文で発表した。ガーションはそうした家族を「多発家系」と呼んだ。
ロバート・フリードマンは、統合失調症を「感覚ゲーティング」の問題、つまり入ってくる情報を正しく処理する能力の問題だと考えた。
1984年、分子生物学の進歩によってDNA研究が盛んになり、ある疾患を引き起こす遺伝子の特定が始まっていた。知的障害の原因となるフェニルケトン尿症などである。しかし、統合失調症は単一の遺伝子の異常ではなく多くの遺伝子の異常の結果に違いないということで、全貌はつかめていなかった。
1984年、研究者のリン・デリシは多発家系が答えを握っていると確信し、ギャルヴィン家にアプローチする。その後すぐフリードマンもギャルヴィン家に訪れ、家族の脳波を記録し、採血し、アンケートを実施した。フリードマンは1980年代前半を通して、情報をフィルターする脳の能力を計測するためのダブルクリック検査に没頭した。感覚ゲーティングは脳内のメカニズムであり、それは何か遺伝的なもので、そのせいで一部の人が統合失調症になりやすくなると彼は信じ続けていた。
デリシは1986年2月に、ギャルヴィン一家から集めたデータを使い、統合失調症が大きな脳室と相関しているという、国立精神保健研究所のリチャード・ワイアットのチームの発見を裏づけた。しかし、依然として生まれか育ちかについてははっきりとした収穫がないフェイズが続いた。
ワインバーガーは1987年に、統合失調症が現れる時期を、従来の思春期後という定説から、人生のずっと早い時期に起こる、つまり誕生時あるいは子宮内で抱えていた異常がその後の年月に脳を徐々に脱線させる、という新説を提唱した。統合失調症の概念を「発達障害」として捉え直したのだ。
1990年代を通して、ギャルヴィン家の人々はフリードマンの研究室で検査のために長い1日を送った。フリードマンは1997年に、統合失調症と間違いなく結びついている遺伝子の第一号としてCHRNA7を特定した。ギャルヴィン一家を含め、彼が調べていた家族の脳には、典型的な脳の半分ほどの数しかα7受容体がなかった。それでも、彼らが持っているα7受容体はきちんと働いていた。問題は、アセチルコリンが不足しているせいで、スイッチをオンにしてもっとα7受容体を作ることができない点にあった。このα7受容体を活発に働かせる方法を開発できれば、統合失調症治療の鍵となる。
デリシとマクドノーは、ギャルヴィン一家のサンプルによって、「SHANK2」と呼ばれる遺伝子に変異が起こっていることを突き止めた。SHANK2は脳細胞にとって、コミュニケーション・アシスタントの役割を果たす。SHANK2遺伝子は、脳のシナプスがシグナルを送ったり、ニューロンが素早く反応したりするのを助けるタンパク質をコードする。ギャルヴィン兄弟の変異は、SHANK2が生成するタンパク質を大幅に変化させる。「その変異は、SHANK2の機能中枢としてすでに知られていた箇所の、まさに一つに見つかりました」とマクドノーは言った。
SHANK2の変異がギャルヴィン家の統合失調症を引き起こしたかどうかについては、確実なことは言えない。しかし、デリシはこの一家を悩ませてきた「なぜ」という疑問の答えに見えるものに行き着いたのだった。
その答えの1つは、自閉症や統合失調症などの精神疾患の少なくとも幾種類かは、単一のスペクトル上に存在していることである。特定のSHANK遺伝子の変異がある人には、自閉症の人がいる一方で、双極性障害の人も、さらには統合失調症の人もいるのだ。
つまり、疾患はスペクトルである。たとえば、ピーターは統合失調症から双極性障害まで、診断が揺れ動いた。ドナルドも当初は躁病と診断されてリチウムを処方されたが、医師たちはその後、通常の抗精神病薬の取り合わせに移った。ジョーのさまざまな症状はジムのものとは異なり、ジムのものはマシューのものとは違った。そして、ブライアンのもののような症状は、けっして誰も見せなかった。それでも兄弟のうちの7人(診断未確定の数人も含め、デリシにサンプルを提供した7人)全員が、他の精神疾患にも深くかかわっている遺伝子の中に、この変異を持っていた。
多発家系では、同一の遺伝的決定因子が微妙に異なる疾患を引き起こしうる、という証拠だった。
精神保健研究所所長だった精神科医のトーマス・インセルは、研究者たちに統合失調症を単一の疾患ではなく「一群の神経発達障害」と再定義するように呼び掛けた。一枚岩の診断としての統合失調症の終わりは、この疾患を取り巻いている汚名の終わりの始まりを意味しえた。もし統合失調症がまったく疾患などではなく、風邪における熱のように、ただの症状だとしたら?
フリードマンは、統合失調症を未然に防ぐ可能性を模索し、「子どもが生まれないうちに芽を摘み取る」アイデアに行き着いた。アセチルコリンが胎児の段階で本当に必要としていたのは、野菜や肉、卵などの食品に含まれるコリンである。そこで、妊婦にコリンのサプリメントを大量に与える実験をしたところ、生まれた赤ん坊の76パーセントが、聴覚ゲーティングが正常であった。3歳4か月になった時点でフリードマンのチームが調べると、コリンを大量に与えた実験群では、対照群と比べて、注意力に問題があったり、自分の殻に閉じこもったりする子どもが少なかった。
現代においても、統合失調症の新薬の市場は不活発なままだ。そして、この病気の起源をめぐる、生まれか育ちかという昔からの言い争いが、以前よりも細かいレベルにおいてではあっても、今も続いている。かつてはフロイトが論争の話題だったが、今ではエピジェネティックス(後成的遺伝学)が焦点で、環境誘因(トリガー)によって活性化する潜在遺伝子が取り上げられる。今や研究者たちは、何がトリガーの役割を果たしている可能性があるかを議論している。頭部の外傷、自己免疫疾患、脳炎症障害、寄生病原体などで、そのどれにも支持者と批判者がいる。
重大な変化があったとすれば、それはより多くの人が、統合失調症という診断の本質の捉えにくさを認め、すべてに当てはまるような定義などないという認識に至ったことだろう。毎年、精神病がスペクトル上に存在する証拠が現れ、新しい遺伝研究が、統合失調症と双極性障害の重なりや双極性障害と自閉症の重なりを示す。
抗精神病薬にまつわる深刻なジレンマは、悲しいことに、今なお変わっていない。薬はきちんと服用すれば、さらに精神の錯乱を起こすのを防ぐ可能性がある(ただし、長期的な副作用の危険がある)が、投薬計画に従い続けている患者は、そうでない患者と同じぐらい頻繁に病気が再発する。生き残っているギャルヴィン兄弟は相変わらず抗精神病薬に依存しているが、彼らよりも後の時代の患者にとっての最大の変化は、薬物治療とセラピーが二者択一ではなくなったことかもしれない。 -
統合失調症は、遺伝か環境が?はたまたストレス脆弱説か。はたまた母親か
結局、遺伝子の変異とやはり家庭環境、本人のストレス耐性。
発症した人は、やはり周りから見ると大変そう。そして家族も。
兄弟姉妹も、家族システムの中で苦しむ。
そのストレスの中で発症してしまう人もいる。
家族は、同じ遺伝子をもっており発症しやすい。ストレスに打ち勝ち発症しない人もいる。発症しないだけで、統合失調症にかかりやすい人は、かなりたくさんいるように思う。
そして治療の辛さは、半端ないなと思った。
いまでもそうなのかな…。
統合失調症という病気のことを、少し勉強できました。
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統合失調症、聞いたことはあったけれど、どんな病気なのか知らなかったが、この本を読んで、「怖い病気なんだな…」と思いました。
統合失調症とは、100人に1人弱がなる病気。
また、この本はノンフィクションなので、尚更統合失調症の実態について、身近に感じた。
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精神病多発一家ギャルヴィン家について書かれたノンフィクション。
12人の子ども(男10人、女2人)のうち男6人が精神に異常を来す(長男は1945年生、末娘は1965年生)。
幼少期から彼らが精神病に苦しむ描写が延々と続く。
原因が明確にならず、当時の医療の現場と同様、読者である私も混乱したまま話は進む。
1人、また1人と精神を病む。幻視、妄想、無秩序、暴力、性虐待、薬物。
逮捕と繰り返される入退院の無限ループ。
43章(全45章)に至り、ようやく現時点での医学的回答と、ささやかながらも家族の前向きな未来が示されたように思えるが….。 -
まさに衝撃の一冊だった。1970年代のアメリカ、ギャルヴィン家では、厳格な父母のもと、12人の兄妹が暮らしていた。空軍に務める父親、それを献身的に支える母親、そして容姿端麗でスポーツに秀でた子どもたち。一見、理想的な家族に思われたギャルヴィン家だったが、子どもたちの半数が次々に統合失調症を発症していく。
意味不明な宗教体験を口にして修道士のように振る舞う者、幻聴に苦しむ者、己をポール・マッカートニーだと思い込んでいる者…。当初、父母はそうした子どもたちの異変を見て見ぬ振りをしていたが、そのつけは健常だった幼い2人の妹が払っていた。発症した者たちは薬漬けとなり、未発症の者はいずれは自分も…と恐怖の日々を過ごす。そして、悲劇が訪れる。
はたして統合失調症は、トラウマなど生育環境に要因があるのか、それとも遺伝的な要因なのか。本書はギャルヴィン家の物語を中心に据え、統合失調症の真実に迫るルポルタージュである。基礎研究に励む医師と市場原理で動く製薬会社のやり取りなどが生々しい。発症せずに済んだ末の2人の姉妹の行く末には、ケアの視点からも思わせられるところがある。一人は家族から距離を置き、一人は献身的に介護する道を選んだ。
統合失調症は幼い頃に発症するのかと思っていたが、ギャルヴィン家の兄弟はみな成人後に発症しており、そうではないことを知った。一家族の中で多くの統合失調症者を出したギャルヴィン家のケースは、この分野の遺伝子研究を大きく推し進めたという。地道な基礎研究の大切さとそれを支援する体制の不可欠さがよくわかった。 -
ギャルヴィン家の12人の子供たち。
そのうちの6人が統合失調症という驚き。
遺伝か環境かとても興味深かった。
病気になった子供、そうでない子供、親にとっても非常に苦しい人生だったろう。
読んでいても途中から苦痛になり、早く読み終えたいと思った。
最後は少し希望が持てたのが救い。 -
この100年の統合失調症研究の歴史を交えながら、12人子供の子供の半数が統合失調症になってしまった家族の半世紀をたどったノンフィクション。だれも病気になっていなくたって、親が外面ばかり気にして精神的なケアをしなかったら子供たちの暮らしは相当過酷だ。それなのに、12人の子供のうち6人ぞくぞくと統合失調症になってしまうのだ。そして戦前生まれの親は頼り先の知識がなく自力で解決/なかったことにしようとして大変な苦労をし、そのとばっちりが子供たちに降りかかる。密室化した家庭内の権力闘争。家族という集団が怖い。
そもそも特段に富裕なわけでもない夫婦がしまいには医師に止められても12人も子供を持ってしまうのがホラーじみているのだが、その謎に強固な意志で子供たちを封じ込めかつ世話し続ける母親がひときわ怖かった。自分だったら逃げ出す一択な道行きなのだが、末娘が最後に怒涛の頑張りを見せて両親を見送り病んだ兄たちを支え続ける。末娘あんたのパワーは母親譲りだよ。血がつながっているだけでそこまでできるのか、家族ってすごいな、とうっすら感動しながらも、そういう謎のダイナミクスを生む集団はやっぱり怖い。
そしてさすがアメリカと思ったのが、親は子供の病状が限界を超えるとあっさり病院送りにするし、妹のサポートを受けながらも統合失調症の兄たちは福祉サービスを使って一人暮らしができている。日本でもそれはできるのかな? そうであってほしい。 -
統合失調症の研究が主と思って借りましたが、12人の子供のうち6人が発症してしまう不運な一家の長い長いノンフィクションがメインボディでした。
冒頭から暗雲立ち込める雰囲気で、85パーセントくらいまで絶望的な展開が続く。
最後の15パーセントは急に明度や彩度が変わるというか。それまでの文章が持つ、目に見えない小さな小さな鉛を含んだような空気が軽くなる。末娘が一度は決別した病気の家族や故郷に救いの手を差し伸べるからなのか?いや、それもあるだろうが、障害を持つ古い(前)世代が亡くなり、両親はその気苦労とともに亡くなり、新しく生まれ育った次世代が障害なく生まれ育ったからだろう。
この一家の不運は前世代で終わったと確信できるからだ。(とはいえ統合失調症を患った個人の人生に救いはないし、家族の不必要な苦労も大きな傷のまま。殺された犠牲者や関わった人達もそのまま。)地獄はそのままだけど、時が流れてプレイヤーが新しくなったから空気が変わっただけか。まぁでもそれの繰り返しなんですよね。残念ながらら。
前半85パーセントは「これって本当なの?」と疑いたくなるほどの不運続きのノンフィクション。
そこについては感想は書きようがない。
ただただ不運。
ここでは主に後半15パーセントについての思ったことを。
母親(ミミ)の描写
「知的で博識で恐ろしい悲劇を数えきれないほど耐え抜くほどに強靭でありながら内省を極端に嫌う」
うちの母親のことを書いてるのかと思った。
兄弟の1人が母親の臨終後、介護について
「あんなふうに世話が出来るのは特権だ。やらなきゃいけないならそりゃそうだが、俺たちには金があんだからやらなくてもいいんだし」(意訳)
金で他人を雇うことも出来たのに自分ら子供が母親の世話をしたことについて「特権」と表現。
なるほどね。今回は母親の世話をした兄弟の発言だったが、これが世話も一切しない貧乏な年長者だった場合、意味も変わる。でも同じかも?
「あいつがああやって時間も労力も金もかけられるのは余裕があるから。俺だって(私だって)あいつの立場ならあれくらいやってる。あいつにとっての〇〇円は俺にとっての◯円だ」みたいな?
やってる方は「なんで全く手伝わないでいられるの?バカなの?倫理観ないの?貧乏なの?全部なの?」とか思ってるけど、やらない方は「なぜ自分がやらないのか」もしくは「あいつはなぜやるのか」と理由をつけて自己防衛するものかもね。
てか親の支援とか介護やらない奴は今年中に爆発しますように。(迷惑かからないようにどっかの空き地で爆発してくれ)
統合失調症の発症率
100人に1人。高い。喘息と同じくらい?
片親のどちらかが発症していた場合その子供の発症率は10人に1人で、兄弟姉妹に患者がいる場合でも本人が発症していない場合その子供の発症率は他の人達とほぼ一緒。
なるほどー。
一生涯のうち妄想を一度でも経験した人は意外と多く5-7%
「あれは妄想だった」と本人もしくは他人が認められるものがそれくらいってことですかね。とすると本人が妄想だと自覚してないものを含めるともっと高いか。まぁそりゃそう。そうでなければこんなに宗教が幅きかせる世の中になってないですよね。30-40パーくらいかな?実際。
最後は末娘1人が奮闘して親や発症した兄達の面倒をみている。
その彼女曰く「両親は私達が必要としていたものを与えてはくれなかったが、彼らはそれが分からなかった」
そう。親ガチャ子ガチャなんて言葉があります。それ自体はその通りなんだけど(人生全て運だから)彼女は両親がわざとやってた(もしくはやってなかった)訳ではなく、知識や想像力が無かったり、知らないこと分からないこと考えなかったこと想像しなかったこと他人に聞かなかったことが間違いだった、自身はもっとよりよく対処出来たという感覚がまるっきりなかったということを病気の兄達を通して深く体感しているのだろう。
そう思えるようになると、親や役立たずの兄弟に対する恨みも少しマシになりますね。
(これも本人が賢く生まれつかないと得られない境地なんだけど)
要は運。全て運。何もかも運。 -
すごい労作。ドンとミミ夫妻の間に生まれた12人の子供達。15年に渡りほぼ連続して出産していることも衝撃だけど、兄達が弟妹達に性的暴行をしていた事実に言葉を失う。半数が統合失調症を発症し、それが遺伝なのか環境なのかと議論されているけど、どちらにしろ生育環境がいかに成長過程で精神の形成に影響を与えるか。こんなにいたらそりゃあ一人一人に目を配って教育なんて不可能。表紙のインパクトがすごい。