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本 ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784152102942
作品紹介・あらすじ
技術革新は往々にして支配層を富ませるだけで、労働者の待遇を引き上げることはなかった。こうした構造は変革しうるか? 水車の発明から産業革命、ChatGPTまで千年にわたる文明史を分析し論じる。マイケル・サンデル、ジャレド・ダイヤモンドら絶賛!
感想・レビュー・書評
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我々が普段、当たり前のように享受している文明生活は、どうも奇跡…と言うには耳障りが良すぎる、血の滲むような戦いの末に成り立ったようだ、というコトを知らせてくれる1冊。
しかもこれが、ノーベル賞に最も近い経済学者たちによって著され、サンデルやジャレド・ダイアモンドにも激賞される。日本語版のパンチがイマイチ弱いのは題名が英語版のサブタイから取ってるからでしょうか。。
(しかし英語版タイトルを直訳しても『権力と進歩』とか?悩ましいですね)
本著、レセップスによる、スエズ運河での成功例とパナマ運河での致命的な失敗例を分析するところから始まり、ヨーロッパ中世では数々の技術革新がなされたものの農民の生活水準は全く改善されなかったというテンションが上がらない展開(笑
そして産業革命に至る訳ですが、「産業革命で自動的に生活が改善された」訳じゃなく、生まれたのは流動性がある社会。ただ、そこから小魚が大きな群れを作るように、集まって声を上げ、弾圧を受けながら戦うようになった…というのが上巻が終わるくらいまでの歴史の振り返り。
読了して感じたのは、「みんなで幸せになろう」ってのは、そんなにオトギバナシなんだろうか…と。
中世・近世の地主は、働き手に譲歩したら死ぬの?というレベルに彼らを締め付け、むしろ生産性を低下させてたのでは?という感じでしたが、そう見えてしまうのは、私が現代の教育を受けて育ったからなんでしょうか。
(同時に、仮に、現代における超オカネモチの皆様が、一般市民を税金を浪費する存在と見てるんだとすると、それは恐ろしいコトだなと。。)
あと、レセップスのくだりで、「説得する力の二つの源泉」として「アイデアの力とアジェンダ設定」だと述べられていたのはなるほどなと感じました。
ひとまずは下巻まで通読したいと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
現代を代表する経済学者であるダロン・アセモグル氏の日本語の最新刊。AIなゲノミクスなどの技術革新がもたらす影響についての楽観的な議論に一石を投じる名著だった。
技術革新を推進し、それを経済活動に広めることによって広く社会全体が恩恵を受けるという「生産性バンドワゴン」いう概念がある。だが、技術革新の恩恵を受けるのは、発明者や投資家などごく1部であり、一般の労働者はむしろ失業や給与の取り分が減るなどの負の影響は大きかったことを、歴史的なデータも踏まえて論じている。世界史で習ったラッダイト運動は守旧的な労働者なのだろうと評価していたが、この見方が一面的であることを知る。
またレセップスがスエズ運河では成功したのにパナマ運河で大失敗をしてしまうというくだりは、技術、金融、国家との向き合い方など当該人物の置かれた環境次第で結果は変わることを思い知るよい題材だった。
イノベーションには収奪的、包摂的の2種類があり、収奪的なイノベーションでは経済成長できないということがわかる。いわゆるカリフォルニアシンドロームの信奉者に対する有効な反論材料になり得る。下巻に期待。 -
仕事関係者に「面白い、お勧め」と言われて読んだ。
テクノロジーが進化すると、生産性が上がり人は豊かで幸せになるというのは歴史を紐解くと誤りである。得をするのは権力者や富裕層で、一般の労働者は逆に苦境に陥る。新しいテクノロジーの恩恵に平等に与る社会を作るには、経済や政治による仕組みづくりの努力が必要である、ということを言いたいようだ。明らかにAIの発展とビッグテックが背景にある。それはわかったから、1冊にまとめて事例を少なくしてくれてもいいんじゃない?と思いつつ流し読み。上巻ではAIどころかパソコンにも行きつかない。 -
技術の発展は我々の生産性を向上させ、経済の発展を通じて人々の暮らしや福祉を改善すると考えられている。しかし、本書は歴史の検証を通じて、そのような効果は技術の選択や社会制度の作られ方次第であり、必然的なものではないということを主張している。
技術の進歩が人々に利益をもたらす過程には、技術により生産性が向上することで企業が増産と雇用拡大を通じて利益を拡大しようとし、その結果労働者への需要が高まるという仕組みが背景にある。労働者への需要が高まると失業率の低下や賃金の上昇につながり、労働者の生活も改善する。この一連のプロセスを本書では「生産性バンドワゴン」と呼んでいる。
しかし、技術が進歩してもこのプロセスが常に起動したわけではない。技術の発展が人々の生活の改善につながるか否かは、技術と社会制度の選択次第である。本書の上巻ではそれらがどのような要因によって決定されるのかということと、技術革新が生産性バンドワゴンの起動に繋がらなかった代表的な事例である産業革命初期の事例を分析する。
技術の進歩の方向性は、純粋に科学的な要因だけに左右されるのではない。筆者らは、科学の発展に加えて、技術を使って何にどのように取り組むかという方向性を指し示すビジョンと、そのビジョンを他の人たちに説得する力の作用が重要な役割を果たすと述べている。
このことを本書では、パナマ運河の建設に取り組んだフランスとアメリカの事例を紹介しながら説明している。フランスとアメリカの両国の間でテクノロジーや投下された機材に決定的な違いがあったわけではない。しかし、フランスが選んだビジョンが先例に囚われて現地の状況を無視したものであったのに対して、アメリカは現場の環境に合わせてより柔軟な計画と技術を選び、結果的にこのプロジェクトを成功に導いた。
技術の選択の結果にこのような差が生まれるのは、社会的に大きな影響を及ぼすような規模の事業や制度を進めるにあたっては、その方向性を多くの人に納得させる「説得する力」が必要だからである。フランスが結果的には誤ったビジョンであってもそれを遂行することができたのは、強い説得の力を持った人物が存在していたからである。具体的にはこの事業を推進したフェルディナン・ド・レセップスはスエズ運河の建設を成功させ、政治的にも社会的にも強いコネクションを持っていた。説得の力は、政治力、経済力といった力が背景になることが多いが、その他にも強力なアイデアやアジェンダに関する提案が影響力を持つこともある。
しかし、ビジョンが必ずしも良い結果を生む方向に向けられているとは限らない。同様に、歴史上の各時代において選択された技術の発展の方向性が、公正な社会や人々の生活の改善につながるものになるとは限らない。本書では、テクノロジーの歴史と経済の発展の関係性を、各時代に提唱されたビジョンと照らし合わせながら分析をしていく。
ビジョンの選択が人々の生活の改善に繋がらなかった時代として、本書では中世の農業革命と近代の産業革命初期の事例を取り上げている。
中世は農耕期の革新や肥料などに関する知識の増大によって、農業の生産性が堅調に改善していった時代である。一方で、一般的に停滞の時代とイメージされるように、農民の生活水準は低いままであった。
筆者らはこのような結果は、宗教界における教会組織や修道院、そして世俗の封建領主といった層に権力が集中し、技術の活用についても権力者が自らの地位を保護するために規制や手数料の調整によって制約をかけていたことが背景にあるとしている。同様の社会の偏りと停滞は、ロシア帝国の農村部やソ連の集団農場でも見られた。
産業革命の時代にも、職人階級から生まれた技術の革新の恩恵は、大多数の労働者にまでは行き渡らなかった。筆者らはその要因を、この時代の機械化が労働者の限界生産性を高めるためではなく、機械化を通じて労働者を代替する方向性に向かったことであると分析している。その結果、機械化によって新たな労働者の需要は生まれず、労働者がまだ機械化が進んでいない産業に追いやられ、そこでより低い賃金を受け入れざるを得なくなるという結果に終わった。
社会制度も産業革命の初期には労働者の声を掬い上げるものにはなっていなかった。当時はジェレミー・ベンサムが唱えた功利主義が主流の時代であり、機械化により国全体の生産量や国富が増大することで、社会は全体的に良くなると信じられていた。そのため、労働者の貧窮や格差について本質的な対策が取られることはなかった。
このような社会制度に変化が生まれるのは、19世紀後半からである。イギリスでは19世紀中ごろに影響力を拡大したチャーティズムの運動により人民憲章が制定され、労働運動が合法化された。またアメリカでは産業の発展に対して熟練工が圧倒的に不足していたため、熟練工ではなくても生産性を高められるよう、テクノロジーが労働者の能力を拡大するために使われるという選択が行われた。
これらの動きにより、19世紀後半から20世紀にかけてテクノロジーの発展と人々の生活の向上の間に徐々に正の関係性が生まれるようになった。この働きが最も効果的に表れたのは第二次世界大戦後のアメリカの産業においてである。アメリカで技術の革新がどのようにして労働者の生活の改善につながったのかについては、下巻で詳しく触れられる。 -
進歩のバンドワゴン
テクノロジーの進歩は共有利益をもたらすという楽観主義の根底には、「生産性バンドワゴン」というシンプルで強力な一つの考え方がある。これは、生産性を高める新しい機械や生産方法は賃金をも上昇させるという主張だ。テクノロジーの進歩につれて、バンドワゴン〔パレードの先頭を進む楽隊車)が、起業家や資本家だけでなくあらゆる人を引っ張っていくというのである。
説得する力は絶対に堕落する
たとえ、われわれが権力者のビジョンに行き着く可能性があるとしても、彼らのビジョンが十分に包摂的で開放的となることを、少なくとも希望することはできるだろうか?というのも、彼らが自分たちの構想を正当化する際に、とりわけ公益に訴えることが多いからだ。もしかすると、彼らは責任を持って行動するかもしれない。そうなれば、熱心に押し付けられる自己中心的なビジョンがほかの多くの人びとにコストを課すとしても、われわれはその帰結に苦しむ必要はない。これは希望的観測になりそうだ。イギリスの歴史家にして政治家だったアクトン卿が一八八七年に述べた有名な言葉がある。
権力は腐敗しやすく、絶対的権力は絶対に腐敗する。偉大な人物は、権威ではなく影響力を行使する場合であっても、ほとんどの場合悪人である。権威による腐敗の傾向や確実性を考慮に入れれば、なおさらだ。権威ある地位がその座にある者を神聖化することほど、悪質な異端はない。
アクトン卿はカンタベリー大主教を相手に王や教皇について議論していたのだが、絶対的権力を持つ支配者が絶対的に不正な振る舞いに及ぶ例は、歴史的にも現代においても枚挙にいとまがない。
だが、彼の格言は説得する力にもよく当てはまるし、自分自身を説得する力もそこに含まれる。簡単に言えば、社会的権力者は往々にして、重要なのは自分のアイデア(また、しばしば自分の利益) であると自分自身を納得させ、ほかの人びとをないがしろにすることを正当化する方法を見つける。
研究室における実験では、ケルトナーらの研究チームは、富裕層や社会的地位の高い人ほど、なにかを不当に奪ったり要求したりして、不正を働く傾向が強いことも発見した。また、金持ちほど貪欲な態度を示す傾向も強かった。これは、彼らの自己申告によって確かめられただけではなかった。被験者が不正を働いたり、その他の非倫理的行動に走ったりするかどうかを追跡できる実験を設計した場合も、結果は同じだったのだ。
われわれは、対抗勢力を作り出すことによって、とりわけ、支配的なビジョンを相殺するものとして、多様な声、関心、視点を確実に生み出すことによって、未来を再構築する必要がある。より広範な人びとへのアクセスを保証し、多様なアイデアがアジェンダに影響を与える経路を生み出す制度を築くことによって、さもなくば一部の人びとが享受することになるアジェンダ設定の独占を打ち破ることができる。
ビジョナリーそれは、同様に(社会的) 規範――社会がなにを許容できると見なし、なにを考慮に値せずとして反発するか――の問題でもある。それは、普通の人びとが、エリートや先見者にかける圧力の問題でもあるし、支配的なビジョンに囚われず、自分自身の意見を持とうとする意欲の問題でもある。
われわれはまた、利己的で自信過剰なビジョンを抑制する方法を見つけなければならない。傲慢さは、交渉のテーブルで唯一の声でなくなると、その力を弱める。無視できない有効な反論に直面すると、勢いを失う。傲慢さが認識され、嘲笑されることで、傲慢さは(うまくいけば)消えていくのだ。
民主主義の成功にはもう一つ理由がある。耳障りな声こそ、民主主義の最大の強みかもしれないのだ。政治的・社会的選択を唯一の視点から支配することが難しい場合、対抗する勢力や見解が現れ、 人びとがそれを望んでいるか、そこから利益を得ているかとは無関係に押し付けられる利己的なビジョンを弱める可能性が高い。
進歩というものは、その方向性がより包摂的に計画されない限り、多くの人びとを置き去りにしてしまいやすい。この方向性によって、誰が勝ち、誰が負けるかが規定されるため、それをめぐってしばしば争いが起こり、社会的権力によって、誰にとって好ましい方向性が優先されるかが決まる。
本章では、現代社会においてこうした決定に重要な役割を果たすのは、経済力、政治力、強制力にも増して、説得の力なのだと論じてきた。レセップスの社会的権力は、戦車や大砲によってもたらされたわけではなかった。また、彼はとりたてて裕福でもなければ、官職に就いていたわけでもなかった。そうではなく、レセップスは説得する力を持っていたのだ。
テクノロジーの選択ということになれば、説得がとりわけ重要である。他人を説得できる人のテクノロジーのビジョンが優位に立つ可能性が高いのだ。
われわれは、説得する力がどこから来るのかについても検討した。アイデアやカリスマ性はもちろん重要だ。しかし、組織的な力もまた、説得する力を形成する。アジェンダを設定する能力のある人、 つまり、典型的には社会的地位が高く、権力の回廊にアクセスできる人は、 権力の回廊にアクセスできる人は、説得する力を手にする可能性が高い。社会的地位や権力の回廊へのアクセスは、社会の制度や規範によって形成される。最も重要な決定がなされる際、こうした制度や規範によって、交渉のテーブルに多様な声や利害が反映される余地があるかどうかが決まる。
われわれの議論が強調するのは、次の点だ。つまり、こうした多様性は、対抗勢力を築き、思い上がった利己的ビジョンを封じ込める最も確実な方法だからこそ、きわめて重要な意味を持っているのである。これらの考察はすべて一般論ではあるが、ここでもまた、テクノロジーという観点でとりわけ重要になる。
さらに、説得する力がいかにして、強力な自己強化の力学を生み出すかを検討した。人びとがあなたの話に耳を傾ければ傾けるほど、あなたはますます高い社会的地位に就き、ますます大きな政治的 ・経済的成功を手にする。こうして、あなたは自分のアイデアをいっそう強力に広め、説得する力を増幅させ、政治的・経済的資源をさらに増強できる。
テクノロジーの選択に関して言えば、こうしたフィードバックはさらに重要である。テクノロジーをめぐる状況は、誰が繁栄し、誰が低迷するかを決めるだけでなく、誰が社会的権力を握るかにも決定的に影響する。新たなテクノロジーによって富を築いた者、あるいは名声や発言力が高まった者は、 より大きな力を持つようになる。テクノロジーに関する選択は、それ自体が支配的なビジョンによって規定され、テクノロジーの軌道を決めるビジョンの持ち主の権力と社会的地位を強化する傾向がある。
こうした自己強化の力学は、一種の悪循環だ。歴史や政治経済学の研究者たちはこの種の力学を強調し、富裕層が政治的な影響力を増す経路と、この追加された政治的権力によって彼らがさらに裕福になる過程を記録してきた。同じことが、新たなビジョン寡頭制にも当てはまる。それは、現代のテクノロジーの未来を支配するようになっているのだ。
抑圧する力と比べれば、説得する力に支配されるほうがはるかにましだと思うかもしれない。多くの点で、それは正しい。しかし、現代の状況においては、二つの意味で、説得する力は同じく有害なものとなりかねない。まず、説得する力を持つ者は、自分自身をもこう説得する。つまり、こうした選択とそこから生じる付随的被害に苦しむ人びとなど無視するように、と(なぜなら、説得する者は歴史の正しい側にいるのであり、公益のために働いているからだ)。さらに、説得する力によって広められる偏った選択は、暴力に支えられた選択ほど明白ではないため、無視されやすく、修正されにくい可能性がある。
これが、ビジョンの罠だ。ひとたびビジョンが支配的になると、人びとはその教えを信じてしまう傾向があるため、その束縛を脱することは難しい。そしてもちろん、ビジョンが制御不能に陥り、過信が助長されて誰もがそのコストに目を向けなくなると、事態はさらに悪化する。 うちがい
テクノロジー・セクターの埒外にいて、現代の権力の回廊とは縁遠い人びとがフラストレーションを感じるのは理解できる。だが、実を言えば、彼らはこうしたビジョンの罠に対して無力なわけではない。人びとは代わりとなる物語を支持し、より包摂的な制度を構築し、この罠を弱める社会的権力の別の源泉を強化することができる。
テクノロジーは順応性に富んでいるため、それが進むべき別の道を支持する魅力的な物語には事欠かない。テクノロジーに関する選択肢はつねに数多く存在し、その帰結も実にさまざまだ。われわれが一つのアイデアや偏狭なビジョンから抜け出せないとしたら、たいていの場合、それは選択肢が足りないからではない。そうではなく、アジェンダを設定し、社会的権力を振るう人びとがそれを押し付けているからなのだ。こうした状況を正す鍵の一つは、物語を変えることにある。影響力のあるビジョンを分析し、現在の進路のコストを明らかにし、ほかにありうるテクノロジーの未来に時間を割いて思いをめぐらし、注意を向けるのだ。
普通の人びともまた、アジェンダ設定の能力を拡大すべく、民主的な制度の構築へ向かって努力することができる。さまざまな集団が交渉のテーブルにつく資格を持っているとき、経済的不平等や社会的地位の格差が限られているとき、多様性や包摂性が法律や規則に明記されているとき、少数の人びとの視点がテクノロジーの未来を乗っ取ることは難しくなる。
実際、制度や社会の圧力が、少なくともときとして、ビジョンや進歩の方向性をより包摂的なレベルへ推し進めてきたことは、のちの章で述べる通りだ。われわれが提案していることは、これまでも行なわれてきたことであり、これからもできることなのである。
これらの考え方を現在の状況に当てはめる前に、以下の三章では、テクノロジーの変化の複雑で、 ときには貧困を招く役割について論じる。まずは産業革命以前の農業を、次に産業化の初期段階を取り上げる。いずれの場合も、公益の名の下に、偏狭なビジョンがイノヴェーションと新たな技術の応用を推進したことがわかるだろう。テクノロジーを支配する者が利益を手にする一方、多くの場合、 人口の大半は恩恵に浴するどころか、むしろ損害を被った。強力な対抗勢力が発展して初めて、繁栄を共有するのにより好ましい、異なる進歩の方向性が現れはじめるのである。 -
【2025年度「新入生に読んでほしい一冊」による紹介】
鈴木幸司先生からの推薦図書です。
<推薦理由>
技術革新が労働者を豊にするには技術を用いる方向性が重要であるとする。方向性によっては貧困を生む原因となる。
特にAIに関する部分は推奨する。
図書館の所蔵状況はこちらから確認できます!
https://mcatalog.lib.muroran-it.ac.jp/webopac/TW00371372 -
イノベーションは労働者の平均賃金を上げる、労働者の生活水準も上げる、などが起こるには条件があるという話。言われるまでもない気がするが、どんな条件かが気になる。結局は資本家が力を増すようなものは労働者を貧しくするということのよう。しかし、1800年代後半になるまで労働者はずっと搾取されてきたのがわかり、かわいそうになる。人は時間をかけて道徳的になったのだな。下巻は現代また搾取が始まっている話らしい。気になる。
著者プロフィール
ダロン・アセモグルの作品





