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本 ・本 (160ページ) / ISBN・EAN: 9784152103666
作品紹介・あらすじ
1985年、アイルランドの小さな町。寒さが厳しくなり石炭の販売に忙しいビル・ファーロングは、町が見て見ぬふりをしていた女子修道院の〝秘密″を目撃し――優しく静謐な文体で多くの読者に愛される現代アイルランド文学の旗手が贈る、史実に基づいた傑作中篇
感想・レビュー・書評
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アイルランドの女性作家による中篇。アイルランドの小さな町。裕福な未亡人の庇護の元、母子家庭で育ち、今は良心的な石炭屋を営み、妻と5人の娘と暮らす男が主人公。ある時、町の女子修道院の暗い一面を知ってしまう。感動のラスト。ブッカー賞最終候補(2022)。
クリスマスの時季、極寒の小さな町での生活を背景に静かに物語が進んでいきます。著者による「読者のみなさんへ」、訳者による「あとがき」も良かったです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
世界の中に、このようなものの感じ方をする人間がいて、それを小説として世に出してくれて、極東の国で翻訳され、噛み締めることができる、という奇跡。
さらに映画化もされ、来年公開されるという。
昨年見た映画「コット、はじまりの夏」の原作者だと知って、膝を打った。いい映画だった。親からの愛を感じられない少女が過ごす一夏の叔母夫婦での思い出。机のビスケットが繋ぐ叔父との心の交流。
あの静謐な作品と確かにテイストは似ている。
予告編を見たけど、映画を見るのが今から楽しみだ。
こういう小説を読むと世界は繋がっているなと思う。アイルランドの「マグダレン洗濯所」の歴史を知ることもでき、クレア・キーガンの見つめる世界を、自分も見ることができたことに、小さな感動。
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「知ること」の大切さ。
こんな話を聞いたことがある。
関心のない国や土地については、地名は知っていても、地図で書いたり場所を指し示したりすることができない。つまり、自分の世界ではその土地がなかったことになっている。
これは見事に自分に当てはまっていて、知っているつもりでいたこと恥ずかしく、また恐ろしくも感じた。関心がないということは、無視しているのと同じことなのだと。
この本は、訳者・鴻巣友季子さんのX投稿で知った。
1985年のアイルランド話。それは1996年まで続いていた。中世の出来事でない。
だからこそ驚いた。
この知らなかったことを知る驚きは、
韓国の映画「タクシー運転手」でも体験した。
隣の国でこんなことが起きていたなんて。
知ることには偶然といものがある。
たまたま手に取った本との出会いで知ることは、今後も大切にしていきたい。
そして、知ったらもう無視などできない。 -
『ウェクスフォード県のニューロスの町では、煙突が煙を吐きだし、それが薄く流れてもわもわと長くたなびき、埠頭のあたりで霧消する時季になると、じきに雨が降り、バロー川はスタウトビールほど黒く濁って水嵩を増した。町の人びとの大半はため息をつきながらこの悪天に耐えた』―『第一章』
ふわふわと思考は漂ってゆく。初めての長期の英国出張。滞在先近くのコンビニで買うギネスのロング缶。パブで飲む泡の細かい常温の黒ビール。冷たい雨。鼻の長い二階建てバス。『汽車に乗って、あいるらんどのような田舎へ行こう』という詩の断片。牧歌的と言ってもよい雰囲気でこの一冊は始まる。
そんな風に連想に誘われる文章は、一読すると熱量の低い淡々とした言葉が並ぶだけのようにも見える。読むものの感情を意図的に揺さぶるようなところはない。そんな筆致で、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」のような物語が紡がれていくのだろうかと思わせる文章。しかし、クレア・キーガンの描こうとしているものはそんな生半可なものではないことが徐々に明らかとなる。
本当は複数の本を同時並行で読むのは好きではないのだけれど、ポール・オースターの最後の一冊が余りに大部なものだから、そして随分順番待ちをした本が届いてしまったから、オースターを一旦脇に置いて読み始めた。行間もポイントも大きい薄手の一冊を読み切るのに時間は掛からない。小さなポイントで二段組みかつ800頁弱のオースターとの対比。しかし、読みかけの本のことを忘れてしまうくらいの衝撃が詰まっている。
それは、どんな社会にもあり、大っぴらに明かされていないだけの闇。日本の事例で例えてみれば、ハンセン病患者の隔離、優生保護法、あるいは女工哀史。幾つかの物語の流れの中、その不穏なものの存在は噂程度の話として先ず語られ、ある男の日常の営みの中じわじわと核心に近づいていく。紆余曲折がある訳では無いが、日常の中にある善と悪は単純に割り切れない程人々の生活に根を張り合って縺れている。そしてその後に続く修羅の道のことを思えば、決して予定調和でも大団円でもないが、ぐっと歯を喰いしばりながら最後の一文を読み終わる。胸の中にふつふつと沸き上がる感情の正体を自分でも図りかねなから。
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1985年、アイルランド、ニューロスの町。クリスマスも近くなり石炭や泥炭を商っているファーロングは女子修道院に配達に行くと、礼拝堂で床を磨いていた少女たちの一人から「おじさん、あたしらを助けてくれない?」と声をかけられる。少女の髪はもじゃもじゃ、靴もはいていず靴下だけだった。
読み進めるうち、クリスマスの時期が舞台であり、主人公は苦労人の商売人。なにかディケンズのクリスマス・キャロルと重ねてしまった。ファーロングはこれまでの自分の人生を振り返り、いろいろな考えにふけり・・・ ある決断に・・
また、ジュディ・デンチ主演で似たような設定の映画をみたなあ、と思い出した。「あなたを抱きしめる日まで」2013製作。BSでみたのだが、ジュディ・デンチ演じるフィロミナは今はイギリスで暮らしているが、アイルランド生まれで、実は50年前に10代で妊娠し、施設で出産し子供は3歳でアメリカに養子に出された。その子を探す、という話だった。これは実話だった。
https://booklog.jp/item/1/B011IRKLN4
この実話の映画をふまえると、この小説はまさに現代版「クリスマス・キャロル」。こうあったらという理想形が描かれている。
小説の主人公ファーロングは1946年、母親がお屋敷に奉公中、16歳で父が誰だか分からない子、として生んだ子だった。母は12歳の時死んだが、引き続きお屋敷の女主人が面倒を見てくれ、専門学校まで出してもらい、苦労して薪炭店を築き上げ、妻と5人の娘がいる身なのだ。
その女子修道院では洗濯所をやっておりその仕上がりは評判がよかった。一方そこにいる少女たちはこき使われている、未婚で身籠ったからいるんだ、という噂もあった。アイルランドでは実際1925年から1996年まで、未婚の妊娠女性などを送り込む施設が実在した、と括弧つきで説明が入る。
冒頭に、アイルランドの母子収容施設と、<マグダレン選択所>での苦難の時を過ごした、女性と子どもたち、そしてメアリ・マッケイ先生にこの物語を捧げる。とある。
最後の「読者のみなさんへ」とした、著者の弁で、アイルランドの女子収容施設にふれている。文中にもあったように、1996年まで未婚で妊娠した女性を収容し出産させ養子に出す、というような施設があった、そういう事を描くため、ファーロングを配し物語を作ったのだろう。
キリスト教ではないので、信仰の心境というのはわからないのだが、この小説では設定をクリスマスの時期にして、カトリック教徒のクリスマス行事を絡ませている。生活の中にカトリックの信仰があるような描き方。でも施設で養子縁組するのにそれで修道院はお金を得ていて、そして堕胎は罪だとし、・・なにかキリスト教ではない者には理解できない状況。
原題:Small Things Like These
映画化され2025年に公開予定。
著者:クレア・キーガン(女性):1968年アイルランド共和国ウィックロー県生まれ。17歳と時アメリカに渡りロヨラ大学で英文学と政治学を学ぶ。1992年アイルランドに帰国し、1999年「南極大陸」(短編集)でデビュー。
2021発表
2024.10.25初版 図書館
ジュディ・デンチの映画「あなたを抱きしめる日まで」
は子供を探す過程で、主人公の娘がジャーナリストと出会い、そのジャーナリスト、マーティン・シックススミスが『The Lost Child of Philomena Lee』を書き、それをもとに映画化された。
・デンチが演じた女性:フィロメナ・リー(ウィキ)
https://en.wikipedia.org/wiki/Philomena_Lee -
著者はアイルランドの代表的な現代作家さんらしい。
舞台はアイルランドのとある都市、1985年のクリスマス。
ファーロングは父を知らぬ私生児として育ったものの、今は燃料店を切り盛りし、
妻と五人の娘に恵まれている。
ところが、クリスマスの直前、女子修道会に付属する施設で
その実態を目の当たりにしてしまい・・・
自らの生い立ちと重ねつつ、葛藤する・・・
アイルランドには、1996年まで各地に「マグダレン洗濯所」という
施設があった。
母子収容所を併設し、政府の財政援助を受けながら運営されていたものの
実態は女性への虐待と労働力の搾取・・・名ばかりの職業訓練所だったとか。
ファーロングは、その実態を垣間見てしまったのだ。
読んでいて、ずっとわけのわからない不安につきまとわれ、
先に進めなかった。
この先、きっと良くないことが起きる、平凡な日々が喪われる・・・と。
ムダがない文章なのに五感を刺激されるような文章。
惹かれるのに、この不安は何なんだろう・・・?
ラストを読んだ瞬間、ああ、自分が年をとったからなんだと、納得する。
平凡な穏やかさを私は絶対に手放したくないんだな、と。
いつの間にか、小説の中で保身に走ろうとする自分に愕然とした。 -
アイルランドのある町で、石炭商を営んでいるファーロング。ファーロングの母は未婚の母なのだが、雇い主のウィルソン夫人のはからいで、そのまま夫人の家で暮らすことができ、苦労もあったが結婚し5人の娘に恵まれて暮らしている。ある年のクリスマス、町の女子修道院に石炭を納めに行くと、小屋に閉じ込められていた娘からここから出してほしいと頼まれる。
未婚の母への偏見、修道女たちへの疑惑。この時代に、とまどいながらもとったファーロングの行動は、心があたたまる。 -
1985年、アイルランドのクリスマスを舞台にした優れた中編。主人公ビルと周囲の人の関わりや会話が自然かつ示唆に満ちている。作家の洞察の深さに気付かされる。
修道院の施設とは、マグダレン洗濯所であり、映画「マグダレンの祈り」の舞台だったのか。そして閉業は1996年、自分からすると「最近」である。未婚や婚姻外で妊娠した女性を送り込み洗濯の重労働で働かせる、非人道な仕組み。洗濯物の仕上がりが評判が良かったことは本書にも書いてある。映画を見た時は何の話か理解もしておらず、やっと頭の中で繋がった。小説は終始、穏やかで心地の良い文章で綴られ、クリスマスの様子も読んでいて楽しいが、その裏にある問題は大きかった。