倫理資本主義の時代 (ハヤカワ新書 028)

  • 早川書房 (2024年6月19日発売)
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  • 本 ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784153400283

作品紹介・あらすじ

資本主義は環境破壊や貧困など様々な問題を引き起こしているが、改善のために必要なのはその放棄ではなく「倫理」の組み込みだ――史上最年少でボン大学の哲学科正教授に就任し、いま最も世界の注目を集める哲学者が語る「倫理資本主義」の理論と具体策の全て

感想・レビュー・書評

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  •  とても興味深いテーマなのですが、マルクス・ガブリエルの言っていることが難しいのか、あるいは訳者が稚拙でわかりやすい文章に変換できていないのか、私の頭が悪すぎるのか、うまく理解できていない。
     現在の資本主義社会(このような制度そのものは存在しないのだが)における「利益」はいわゆる「帳簿上の利益」であり、それは深刻な環境破壊を伴う利益であるとすれば本当の利益とはいえない。よく「脱成長」などと語られるが、人間はより良い状態を望むのであるから脱成長という発想は根本的に魅力に欠ける。「倫理資本主義」の実現のためには欲望そのものを再構築する必要があるという意見には大賛成だ。
     もう我々は新幹線より早い鉄道は必要だとは思わないし、ジェット飛行機ではなくて飛行船で旅行できるとすればその方が贅沢だと感じる。社会的な幸福の増大を経済的に測定できるとすれば、利益概念の中に織り込んで統制すればよい。いずれにしても、現在の強欲資本主義はとても持続可能とは思えないし、この本の著者の言っていることをもっと多くの人に知ってもらいたい。
     この人は頭が良すぎるので、言っていることをそのまま理解することが難しいのだ。どうして哲学者って当たり前のことを難しくいうのだろうか?「バカでもわかる倫理資本主義の時代」を書いてください。

  • 手元に1週間ほど置いた後、勢いをつけて一気に読んだ。マルクス・ガブリエルは人間の善性に期待し、かつ資本主義の頑強さ、柔軟さへの信頼、信念?をベースに、自由を守るためにも倫理をより重視した社会に企業に変わることが重要と理解した。

    いつものように彼の表現は難しいが、言わんとしていることは意外とシンプルなのかと。例えが難解なので、毎回つまづくのは難点…

    最後に出てくる企業に最高哲学責任者(CPO)をおくべし、子供に選挙権を与えるべし、というのは資本主義の今の在り方からパラダイムを変える象徴になるだろう。

    彼は最初に日本向けに書いたとのこと。引っかかるのが日本にCPO人材がどれほどいるのだろう?という点。哲学を中心とした人文知はフランスなど西欧では基礎教育にも組み込まれているし、経営層になれば教養として会話に出てくる。日本でも人文知を評価する動きは出ているがこの点は心許ないなあ。仏教も哲学的であり、お坊さんがCPOに就くというのはあるかも。

  • 日本向けに書かれたという本書は「倫理資本主義」というコンセプトについてガブリエル氏が安易な言葉で解説しています。倫理資本主義とは、一言でいえば経済的価値と道徳的価値のリカップリング、ということです。まず「リ(再)」とついていることからわかるように、近代になってデカップリングされていた2つの価値を再びつなげよう、というメッセージがあります。また経済学的に言えば、公害などの外部不経済と呼ばれるものをいかに減らすか、またプラスの外部経済(例:教育や研究開発など社会全体に染み出る効果)をいかに増やすか、も倫理資本主義のエッセンスと理解しました。

    また生活の質と経済学をリカップリングすることも可能だ、という話をジョン・スチュアート・ミルの言葉を引用して説明しています。なるほどそのためにはGDPを超える指標が必要になるでしょう(さもなければ相変わらず政府はGDPの最大化だけを追い求める)。そして、イマヌエル・カントの「最高善(highest good)」とは、経済価値と道徳価値が均衡している点だと言います。これは概念的には理解できなくはないですが、はたして何をもって均衡しているのか、となるとその判断自体が極めて難しい気もしました。

    応用編ではいくつかの具体的な提言が含まれています。たとえば企業がチーフ倫理オフィサー(CPO)を設け、企業の意思決定に道徳的価値からの意見を述べること、また子供に投票権を与えること、AIによって人間がよりインテリジェンスになるような制度設計があります。チーフ倫理オフィサーに関しては、果たしてそのような役職を設けないと企業は変わらないのか、疑問に感じましたが、彼の提言を受け入れる企業も一定数いそうな印象は持ちました。

    全体的に主張内容は理解できるものの、日本企業を主語にして考えた場合、果たして日本企業は「自主的に」倫理資本主義に移行するのか、あるいはやらなければならない(表面的であればそうやらねばならない)から移行するのか、という移行プロセスについてはよくわからず、もやもやした気持ちは残りました。

  • 「哲学界のロックスター」と言われ、来日講演したりEテレの番組にも出演したりしたことのある新進気鋭の天才哲学者である著者が、初の日本書き下ろしを出版したということで2024年の夏休み図書として購入。

    本書は3部構成となっており、第1部ではまず、「倫理」「資本主義」「社会」について、あえて経済的側面から定義するところから論考が展開される。そしてそれらの定義や概念に基づき、資本主義のインフラを使って道徳的に正しい行動から経済的利益を生み出し、社会を大きく改善することができる、またはそうすべきだと冒頭で筆者は述べている。
    かつてミルトン・フリードマンが主張した「企業の目的は利益追求である」から、「企業の目的は善行(DOING GOOD)である」に今こそギアチェンジしすべきだというのが本書を貫く思想である。

    とかく近年では、地球環境破壊とはじめとする諸々の社会問題の元凶として”行き過ぎた資本主義”が槍玉に挙げられるが、そもそも「資本主義」とは複雑化する現代社会の一側面にすぎず、「資本主義社会」などという単一の社会システムは存在しないと筆者は強調する。
    つまり、行き過ぎた資本主義が原因とされる社会問題は、資本主義の運用の仕方が誤っているのであって、資本主義(生産手段の私有、自由契約、自由市場)そのものではないとする。

    本書の核である第2部では、著者が提唱する倫理と資本主義を”リカップリング”した「倫理資本主義(Ethical Capitalism)」について解説される。そこでのキーワードは「道徳的事実」である。これは主観的意見や文化、社会的アイデンティティに左右されない普遍的な事実を指す。この道徳的事実を発見したり拡張したり拡大させたりすることなどを「道徳的進化」と呼び、これからの時代は資本主義のインフラを道徳的進化のエンジンとして活用することで、誰もが道徳的に正しいと認めることを推進させながら利益を得ていくことが肝要であると著者は説いている。

    第3部では、倫理資本主義を包含する倫理的・政治的価値の枠組みとして著者が提唱している「エコ・ソーシャル・リベラリズム」について、それを実現するためのいくつかの思考実験に基づいた具体的提案(企業への倫理部門と最高哲学責任者(CPO)の設置の義務付けと、子どもへの選挙権付与)が述べられる。
    最後に次世代のAI倫理について言及されているが、筆者はAIに対して経済を一段と加速させることによって未来を形づくる、真に未来志向の技術だと楽観的立場を取っている。そのためには、AIはそれ自体いかなる意味においてもインテリジェントではないという「ソシオテクノロジー(社会的技術)」であるということを前提に利用すべきであると主張する。つまり、AIはあくまでも人間(社会)が使ってこそインテリジェントになるとする。
    AIが普及した未来社会については、AIによって多くの仕事が失われるといったようなネガティブな予想が多い中で、著者のような国際的に影響力のある哲学者がポジティブな思想を有しているのは、AI社会に対するひとつの希望であると感じる。

    本書全体を通じて、著者が単に専門分野の哲学・倫理学的見地ではなく、経済学、生物学、IT(AI・SNS等)などの多様な観点から新たな主義・主張を述べており、広い視野と深い洞察力に感嘆を禁じ得ない。
    第2部でも述べられているように、著者が提唱する「エコ・ソーシャル・リベラリズム」の枠組みで近年すっかりブームとなったSDGsを再考すると、この開発目標も単に「地球を守れ」とか「自然を保護せよ」といった中身のないメッセージではなく、あらゆる生物の中で唯一自由意志を持った人類の社会経済的生活形態にかかわるものであることが理解できる。そうして考えてみると、持続可能性(Sustainable)という言葉の深みと重みを再認識する。

    本書は未来予測本というより啓蒙書に近い内容であるが、新書ではあるものの280ページほどのボリュームであり、これまでの著者の集大成ともいえる熱量を感じた。と同時に、金融・株主資本主義が根付いた現代社会に倫理資本主義を浸透させることの困難さも感じた次第である。
    また個人的には、倫理資本主義のネガティブな側面の片鱗が、岡田斗司夫氏が提唱する「ホワイト社会」という形でもう世の中に立ち現れてきているのではないかとも感じた。ホワイト社会は善行を積み重ねた道徳的進化を志向した社会ではなく、行動や発言が清く美しく、汚れなき漂白された「見た目がきれいな社会」を指すが、この社会を目指すことが道徳的事実とされ、倫理資本主義が曲解されてしまうのではないかと危惧してしまう自分に気付いた。これが杞憂に終わってほしいと願うばかりである。

    いずれにせよ、価値観の多様化は止められない社会で、どのようにブレない倫理観を持って生きていくのかが今後の最大の課題のひとつであると考えさせられる一冊であった。
    日本を含めて先進国のトップが代わっていった何年後かに、また本書を読み直してみることで、その時の社会で倫理資本主義がどのように受け入れられているかを考えてみたい。

    ちなみに、哲学者独特の言い回しが少々読みにくいということもあり、評価は星3とした。

  • 経済活動は、他者に不利益を押し付けるのではなく、他者の問題の解決策を生み出すことで利益を得るべきだというのが道徳律。マイナス面ももちろんあったが、コロナ禍でワクチンを開発した製薬会社が巨大な利益を得たのは確かに好例だ。問題解決という資本主義の機能は、その道徳的正当性に依拠している。
    私たちが協力するのは、なんらかのアイデンティティを共有しているためではなく、それぞれが異なるから、という考え方はつい見過ごしがちだけれど、今一度確認しておきたいことだ。

    持続可能性は経済活動の制約要因ではなく、地球上で生存と繁栄を続ける唯一の方法が経済成長という概念を放棄することだと考えるのは誤りだ、という記述は、個人的に目からウロコだった。
    著者が他の著書でも繰り返し主張してきている倫理資本主義とエコ・ソーシャル・リベラリズム。理想的だが、そこにベクトルを向けるにはどうしたらいいかは難問だ。

  • 一般読者向けに出来るだけ平易に書いたと断りを入れているが、やはり哲学者の書いたもの、かなり難解である。ビジネスに倫理が必須であるとは年来の小生の主張であるが、それを敷衍してくれる論文と言える。ただ、世の中は善人ばかりで成り立っているわけではなく、古典派経済学が陥っているのと同じ論法ではないかと思われて、その実現性に懸念を覚える。斉藤幸平氏の主張と同様に、社会に一石を投ずるものに育つことを期待したい。

  • 我々が目指すべきは道徳できます価値と経済的価値の再統合、すなわち倫理資本主義である。

  • 第1章 「倫理」「資本主義」「社会」を定義する。
    P.43 倫理資本主義とは、倫理と資本主義を融合されられると言う考え方の。道徳的に正しい行動から利益を得ることは可能であり、またそうあるべきである。

    第2章 入れ子構造の危機
    p.60 自由という価値は個人にかかわるものであり、また個人を形成する。しかし個人は、自らが属する社会的形式が選択の余地を提供しないかぎり自由にはなれない。私たちが近代の自由社会を評価するなは、常に社会的形成の一部にある個人により多くの選択肢を生み出すからだ。

    第3章 経済学の危機
    p.92 何らかの方法で資本主義と自由民主主義を排除し、環境社会主義その他の柔道の低いガバナンスの仕組みを導入しても、私たちが直面する複雑な危機は解決できない。

    第4章 道徳的価値と経済的価値をカップリングさせる
    確かになぜ富の不平等が法律としてみとめられていらのかは謎である。
    p.110 法律はまさに規範的秩序をつくるための社会システムであり、それゆえに社会的なものだ。つまり私たちは私有財産の存在自体を許容することで、法を通じて集団として私有財産を所有するのだ。
    …経済的および社会的病理を深刻化されるあらゆるかたちの有害な格差は違法であるべきだ。なぜなら貧困は社会的な病理の主要な原因だからだ、

    第5章 ヒトという動物
    p.153 最も重要な主張は、私たちは人間の主体性のなかに道徳的善を観察できると言うことだ。

    第6章 道徳的進歩と持続可能性
    質や解釈を与えるのが、人文学の役割でもある。
    p.165 人文科学、人文主義的社会科学、経済学がどのように連携をするのかを示す例の一つが、生活の質という概念とその実態の探求だ。質は量と同じように増えも減りもするが、質には量に還元できない側面があるという点において両者は異なる。私が同じ種類のチョコレートを食べれば食べるほど消費者は増えていくが、そのチョコレートを食べるという経験の2つは落ちていく。一般的に人間の成長と発達とは、態度の変容、すなわちの幸福の認知や経験の差にある。このため私たちがどのように花開き、成長するかは、一般的な経済的繁栄を予測するあめのツールで測ることができない。

    第7章 CPOの倫理部門
    p.215 倫理部門は現実世界のデータから得た知見に基づいて、会社が直面してる具体的な問題に対する真に倫理的な解決策のポートフォリオを作成する役割と全面的な責任を負う。

    第8章 子どもたちに選挙権を!
    p.234 世の中にはみんな好きなものがある。だから誰も望まない仕事に一定時間費やした人だけが、そう言うものを買えるようにしたらどうか?つまりある月にピザを買いたければ、 、それまでに公共トイレを何ヶ所か掃除したり、社会奉仕をしたりする必要があるという制度だ。

    第9章 形而上学的パンデミック
    p.245 私が訴える「形而上学的パンデミック」とは、私たちに人間は自らの欲望に新たな家を作る必要がある、ということだ。私にはもっと知恵が必要だ。知恵とは自らの欲望に対処することだ。

    あとがき
    p.274. 新自由主義の問題は、人間の自由は本質的に「社会で自由」でえふこと、すなわち他者が存在しなければ実現しない自由であることを見落としてしている点にあるとガブリエル氏は指摘する。利己的追求によって誰かの自由を奪うと、結局自分の自由を制限することになる。

  • ナンシー・フレイザーの資本主義に対するヒステリックなディスりと比べ、大人な感じ。けど、結局、難しいは難しい。

    ナンシー・フレイザー → 白井聡 → 斎藤幸平 → マルクス・ガブリエル → 柄谷行人 → ナンシーへ戻るw

    「子どもをマイノリティにするな」は激しく同意。

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著者プロフィール

【著者】マルクス・ガブリエル
Markus Gabriel/1980年生まれ。後期シェリングの研究によりハイデルベルク大学から博士号を取得。現在、ボン大学教授。日本語訳に、『神話・狂気・哄笑:ドイツ観念論における主体性』(ジジェクとの共著、大河内泰樹/斎藤幸平監訳、堀之内出版、2015年)、『なぜ世界は存在しないのか』(清水一浩訳、講談社選書メチエ、2018年)、『「私」は脳ではない:21世紀のための精神の哲学』(姫田多佳子訳、講談社選書メチエ、2019年)、『新実存主義』(廣瀬覚訳、岩波新書、2020年)、『アートの力』(大池惣太郎訳、堀之内出版、2023年)など。

「2023年 『超越論的存在論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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