スマートシティはなぜ失敗するのか 都市の人類学 (ハヤカワ新書)
- 早川書房 (2024年10月23日発売)
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感想 : 9件
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784153400344
作品紹介・あらすじ
都市はコンピュータではない。AIやIoT、データ分析による効率化からこぼれ落ちるものにこそ、人が交わる公共空間としての都市の本質があるのだ。アメリカの人類学者が示す、まちづくり、そして図書館などのコモンズ(共有空間)をめぐる新たなビジョン。
感想・レビュー・書評
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スマートシティやコンパクトシティという言葉を耳にすることが増えた。特に地方都市では、交通環境やアクセスの改善を課題にしていることが多いと思う。
本書はスマートシティを、木の接ぎ木といった例えを多用しながら論が展開していく。都市論やメディア論にも触れ、多くの視座を与えてくれる。
ただ、内容は非常に難解であるように思う。例えが何を示しているのかが分かりにくく、パッと頭の中で情報を整理して読み進める類いの本ではない。(言い回しや解説が、ある程度実務に触れている方、あるいは周辺分野を既習している方向けのように感じられた。)
情報量が多いため、都市に関する学問郡の知識を再度身に付けた上で改めて読み返したい一冊である。【図書館】詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
都市をツリー型の情報モデルで捉え、データの解析を通じた最適化によって計画していくという発想に対して、都市はツリーではなく、様々な営みが接ぎ木のように足し合わされているものであるという認識から都市の作り方を考えていくことを主張している本。
本書では2000年代のIoTやビッグデータを扱う技術の進展とともに登場した様々なスマートシティ構想を分析している。それらの多くは、都市の様々な情報を集約するダッシュボードを作ることをその特徴としている。
ダッシュボードに表示されるのは、都市の中の人や車などの動き、犯罪の発生状況、インフラの稼働状況やメンテナンスに関するデータ、さらには商業の売上などの経済的なデータもある。
これらのデータを基に都市の効率化や治安、防災などの高度化をはかるというのがスマートシティの発想である。
しかし、筆者は都市はこれらの情報だけに還元されるものではないと考えている。どのような情報をダッシュボードに採り上げるかという選択の中にすでに政治的、倫理的な判断が含まれており、ここからこぼれ落ちる情報の中にも、その都市に暮らす人々にとって重要なものが含まれている。
たとえば、自然の生態系や環境に関する情報、街の中で行われる近隣づきあいや共助のようなケアの活動などは、スマートシティが得意とするセンサーデータや計量的なデータ解析ではあまり取り扱われることがない。
このような活動はまた、行政による総合計画やマスタープランのようなツリー型の計画には盛り込まれることが少なく、逆に自然発生的かつ属人的な関係性に依存しながら構築されていく。
筆者はこのような取り組みは「接ぎ木」のようなものであると考えている。接ぎ木は基になる「台木」の力を活かしながら、新しい魅力や活力をそこに繋いでいくことによって成り立つ。このような取り組みは、現在そこにあるコミュニティの力をよく知ることと、そこに新たな活動をうまく調和させていく能力が求められる。
多くのスマートシティにおけるダッシュボードにはこのような分析の視点がなく、既存の文脈に依存せず都市をゼロから計画する発想に立脚していると筆者は警鐘を鳴らしている。
本書の後半で筆者は、スマートシティに対する代替的な取り組みとして「公共図書館」と「メンテナンス」という2つの要素を、重要なものとして提示している。
公共図書館は、知の拠点であるが、中でも多様な知を保存、提供し、またそれらを基にした活動の場となることが期待されている。スマートシティがその設計者によって選択された情報を元に都市を最適化していくのに対して、公共図書館による知の集積はそのような集約分析された形ではなく、利用者が自由な文脈でその情報を利用し新たな知を生み出すことができる。
このような取り組みが足元から生まれてくることが、都市に新たな「接ぎ木」を生み出し、都市が持続可能に成長していく力になると考えている。
また、メンテナンスという取り組みも、行政が行うインフラのメンテナンスとは異なり、市民が都市空間を自分自身でより住みやすい場所へと変えていく営みが想定されている。
このような取り組みとして、都市インフラのレベルから建築のレベル、そして住戸の中や街角といった小さなレベルまで様々なスケールのものが紹介されている。また、これらのハードウェアだけではなく、公共図書館の情報のメンテナンスといった、ソフト面での取り組みも重要であるという。
このような取り組みは、都市をいったんクリアランスして再設計するという発想ではなく、既存の都市の存在を前提としたうえでその中を徐々に改善していくという発想に立脚しており、都市に暮らす人々の生存権を守り、それらの人々との連携によって都市を維持していくことができる。
筆者は、このような視点で都市を守っていくことの重要性を強調する一方で、これらの役割を担うコミュニティの人々が往々にして条件の悪い労働環境を強いられることがあるという点も指摘している。そして、このようなメンテナンスの営みを誰が担い、その担い手を誰がケアしていくのかということをきちんと考える必要があるとしている。
スマートシティの取組みは、都市を包括的に計画しようとするものからインフラのメンテナンスや交通システムを部分的に最適化しようとするものまでさまざまなタイプがあり、本書で紹介されているような取り組みがすべてではないと思われる。
しかし、スマートシティの取り組みのベースにデジタル化された情報の活用があり、一方で本書でとり上げられた公共図書館で生まれる新たな知や、コミュニティで行われる都市のメンテナンスの活動などは、そのようなデジタル化された情報からはこぼれ落ちることが多いと思われる。
都市は、そのようなデジタル化された情報の外側にある多くの営みが「接ぎ木」のようにつなぎ合わされて成立している。そのような点に注意を促すという意味で、大切な論点を提示している本であると思った。 -
データ駆動のスマートシティがうまく行かない理由を人類学的に解説してくれることを期待がそのような類の本ではなかった。
なぜスマートシティは失敗するのか、に対する十分な回答は得られない。
ただ、データ化(本文ではダッシュボード化)は、意図して選んだKPIしか反映されない。そのため、意図されなかった都市の中のできごとは、ないものとして扱われる可能性は意識しないといけないのかもしれない。
移動(MaaS)には、移動という目的が存在する。コストと速さとのトレードオフになるだろう。kPIも投資対効果で測れるはず。
都市は、そうではない、ということなのかもしれない。
しかし、よく考えると、都市は複数機能の集合ととらえれば、個々の機能をまずは最適化する、全体バランスは都市ごとに優先度をつけることになるのではないだろうか。そうすれば、データ駆動による都市運営はできるのではないか。
都市はゼロから設計するものではなく、過去からの接木により変化するものである、との主張はその通り。でも、それは企業もまったく同じなのではないだろうか。過去は活かしながらも変革すべきことはやる。 -
端的に、邦題が内容とかけ離れているので、邦題に期待して読むとなんだこれ?となる。著者が気の毒だ。
原題を直訳すると『都市はコンピュータではない そのほかの都市の知性』で、読めばまさにそういう本だ。あたりまえだけど。
原題のもとにもなっている、「都市はツリーではない」というアレグザンダーの有名なテーゼからはじまり、接木のメタファー、ダッシュボード論、広義の情報とアーバニズム、図書館の役割、メンテナンスとケア、プラットホーム論、それぞれにおもしろい。解説でアナ・チンの『マツタケ』とエスコバルの『多元世界に向けたデザイン』との関係が示される。これはそういう文脈の本だ。
多くの事例が参照されているが、原注はオンラインで提供されている。それは大変ありがたく素晴らしい見識だ。が、PDF内のリンクが生きてないのは残念。 -
『#スマートシティはなぜ失敗するのか』
ほぼ日書評 Day856
タイトルに「なぜ」と付く本は、大概ハズレ…という経験則(評者の持論だ)を補強するものだった。
「解説」にある通り、"本書は(作者が2021年に著した…)『都市はコンピュータではない その他の都市の知性』の翻訳" である。
邦題に示される "スマートシティが失敗する理由" は、そもそも本書のテーマではないわけで、それを期待して読むならばハズレであるのは当然だ(その意味で、売らんかなの邦題の罪は重い)。
本書の内容としては、第1章「都市のコンソール」で、都市にまつわる様々な変数を "ダッシュボード" で一元的に把握・管理しようとした試みが数々紹介されるところから始まり、自動化され自律的管理下におかれた都市をデザインするための各種アプローチが紹介される。
しかしながら、原題にある通り、"都市はコンピュータではな" く、物理的にも比喩的にも様々な多くの知性の集合体である。これを、単純化されたコンセプトのもとコンピュータプログラムを設計するようには行かないということになる。
ここで非常に多くの開発事例やコンセプト例が示されるのだが、アメリカを中心とした海外の都市と日本のそれとでは、異なるところが多い。
また微に入り細に入り紹介される事例もほとんど馴染みのないものばかりなので、ややもすると文字を追いかけるのみになってしまうきらいがある。
そう言った意味で読者を選ぶ本である。
加えて個人的には、フォントを大きくし過ぎて、行間を詰め過ぎているのも、非常に読みづらく感じた。
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