永久保存版「知の巨人」立花隆のすべて (文春MOOK)

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  • Amazon.co.jp ・雑誌 (207ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784160070356

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  • 「知の巨人」立花隆のすべて 2021
    文藝春秋特別編集 永久保存版「知の巨人」立花隆のすべて 文春ムック
    2021年8月20日発行
    編集人 前島篤志

    2021年6月中旬に2021年4月30日に立花隆氏が亡くなっていた事が世間に大きく報道された。文藝春秋での著名人との対話や立花隆氏の日常の写真などが多く納められている。
    また多くの人が立花隆氏の作品や本人への思いを綴っている。
    他の作家が亡くなってもここまで大きく取り上げられる事はまず無いのでその面だけを見ても尋常ならざる人物だった。
    私個人としては立花隆氏の文章に触れたのは受験勉強での現代文などの問題に出てきてそれで読んだのが最初だったと記憶している。
    MyNewsJapanの渡邉正裕氏が立花隆氏の「知のソフトウェア」を推薦していたのでそれを読んだのが2017年くらいだったか・・・NHKの番組でもたまに見かけていたのを思い出す。もう少ししっかり意識して集中して視聴していればと悔やまれる。
    今年で言うと立花隆氏の「日本共産党の研究」を読み、その参考文献の数量に驚いた。
    理系分野も含め多方面の分野への関心、発信が多かった。
    それだけ知的好奇心が旺盛、異常であったからと言ってよいだろう。
    猫ビルの書籍保管量もすごい。
    どれもこれも一般人には真似ができない。
    そのままのマネはできないけれども、取り入れる事のできることは今からでも吸収したいものだ。
    本ムックからもそれが各人、少しでもあるのではないだろうか。
    故司馬遼太郎氏との対談や山中伸弥氏との対談なども大変貴重なものだ。
    冒頭には田中角栄研究の衝撃と題して池上彰氏が当時の衝撃と立花隆氏が示したジャーナリズムのあり方への感謝を述べている。


    印象に残った点
    「知の巨人」とは知識を蓄えた量ではなく(それも尋常ではないのですが)
    謎へのアンテナが超敏感であること、好奇心=知りたいという欲望の強さと、
    それを愉しむことなのだ

    立花さんは読書家として知られる。多くの人は立花さんに対して、膨大な本に囲まれてひたすら本ばかり読んでいる人というイメージをお持ちではないかと思う。しかし実際のところ立花さんはネコビルや近辺の書庫部屋で過ごすよりも外で散歩したり、美術館や博物館などを見学に出かけたりしていた時間の方がずっと長かったと思う。こちらが早く来て原稿を書いてもらわないと〆切に間に合わないと焦っている時でもなかなかネコビルに現れず、やっと来たと思ったら「散歩していた」「(映画の)試写会に行って来た」などと悪びれずに答えたものだ。(緑慎也)

    マイペースで、疑問に感じたら何事もゆるがせにせず、取材相手であろうと、居酒屋の店主であろうと質問攻めにする場面を私もたびたび目の当たりにした

    朝の5時までかかって原稿を仕上げた後、就寝。午後2時起床。必ず、7、8時間の睡眠をとる。髭もそらずに猫ビルを出て、近所のドトールコーヒーを目指す。ここで簡単な食事をとるのが立花さんの日課だ。
    (中略)
    猫ビルのすぐ近くの自宅に帰る。こちらには本物の猫が4匹いるが、「僕はあんまり猫と親しくないからなあ。猫とも人間ともあまりベタベタした付き合いは好きじゃない」とかで、猫のほうも近寄ってこない。エサをやっておびきよせ、一緒に写真におさまろうとしたら、中学3年の娘さんが「お父さんがエサをやるなんてヤラセだ!」と鋭い指摘。
    知の巨人、答えて曰く、「お前たちが旅行しているときはお父さんがエサをあげているんだ。年に5回、いや、もっと少なかったかな」

    私は東大の寮生活が殆どで、驚異的な読書量の学生を沢山見ていたが、その中でも彼(立花隆)の読書量はひときわ郡を抜いていたと思っている。その一方で、大学の授業には全くと言っていいほど出席しない学生だった。(青木克守)

    彼(立花隆)と出会って驚いたのは、その読書量の多さだった。彼のアパートの部屋を訪ねると、八畳ほどの広さの部屋はりんご箱で構築した要塞だった。ぎっしりと文学書の詰まった箱が並んでいて、迷路のような僅かのスペースを辿って行くと、蛍光灯を点けた机の前に彼が座っていた。りんご箱で50箱もの蔵書を狭い部屋に入れるのだから、本のトンネルの中に生活するようになるのは当然だった。駒場近くの下宿、三鷹のアパート、常磐線の北小金、根津のアパートと彼は1、2年ごとに引っ越しをしていたが、その度にりんご箱の数は増殖していった。(青木克守)

    立花さんは怖そうに見える。変なこというと怒鳴られると恐れる人もいるだろう。いやなことを取材される人が喋らされてしまうのは、この外見も関係ある。
    実際には、怒鳴るようなことはない。大きな声が出るような人ではない。何しろ、歌を強要されるのがいやで文春をやめたような人だ。原稿が書けなくなるとパチンコにもいく、普通のおじさんの面を持っている。(蜷川真夫)

    当時のヤングレディ編集部は鎌田慧さん小中陽太郎さんをはじめ、相当な猛者ぞろいでしたが、立花さんだけは一人違った雰囲気を持っていました。どちらかといえば目立たない、周りの冗談話にもあまり乗って来ない「我、この世界」というか、学者のような印象を受けました。(梨元勝)

    立花氏は現代の日本では珍しく色々な領域に強い好奇心をもつ。そしてその好奇心の持ち方も並大抵ではない。そのために文献を余すところなく読み、そのことについて知っている多くの人に問いただす。こういう立花氏のすさまじい好奇心は現代の日本のジャーナリストや学者の水準をはるかに超えている。氏はソクラテス的意味における哲学者といってよい。
    (梅原猛)

    私は物書き、ジャーナリストといわれる人たちをずいぶんたくさん見て来たし、知っている人も多いが、その中にごく稀れにしか存在しない種族がいる。それは通常の才能では、脈絡もなく、複雑に散在しているように見える事象が、その人の手にかかると、あたかも強力な磁石が砂の中から砂鉄を吸い寄せて磁石の下に”整列”させるように、はっきりと姿を見せてしまう、そういう能力の持ち主である。この種族の中でも最たる人物が立花隆であると私は思っている。(筑紫哲也)

    どの分野においても、専門家となり、そのほとんどはうぬぼれたが、偉ぶったとたん、隣接する、すぐ近くの、より世間的に尊敬される立場においてすら、天下国家を論じ、関わりをもちたがる。傲慢さが滲み出る、あるいは韜晦趣味に逃げ、隠士を気取る、両者、根は同じなのだが、立花さんにその片鱗もなく、この類いとてんから無縁、即ち、自由な個人であり、日本の風土にあって冷たい。言論を世に問う余多の先人、立花の後生に、現在、例をみない。戦後は、決して無駄な歳月ではなかった、立花隆を、ぼくたちは持ち得た。本来その著作を論じ、人格をうんぬんするのはふさわしくないが、読んでいると、つい彼の風貌、口調が浮かぶ、ぼくは二度しかあっていない、にもかかわらずこれだけ刻み込まれてしまった例は、吉永小百合だけだ。(野坂昭如)

    —立花さんがインターネットを始めたときには、もうインターネット・ブームが起きていたわけでしょう。新しもん好きの立花さんがすぐインターネットに飛びつかなかったのは、どうしてなんですか。
    立花 おカネがなかった(笑)。
    —そんなことないでしょう。
    立花 僕は他人に思われているほどカネないんですよね。「臨死体験」(文藝春秋)で一息つくまでは、けっこう赤字の年があって。物書きで食うって、ほんと大変なんですよ。だから、自前でハードウェアから買うことになると、迷いが生じるんだよね。いま買うべきなのか、もうちょって待てば、もっといいものが安い値段で出てくるんじゃないだろうかとか、そういうことをいつも考えていた。やっぱり、いいのになると何十万でしょう。ちょっと考えますよね。
    —立花さんにそう言われると、なんか安心しますね(笑)(野村進)

    それがどうして日本では、自然科学系のジャーナリズムというと特殊な分野になってしまうのか。そのあたりが僕には不満なんです。(中野不二雄)
    立花 ひとつはマーケットの問題でしょう。その国のジャーナリズムが、ある程度大きな底辺を獲得していないと、僕のようなタイプの科学ジャーナリズムを支える力がない。つまり食えないわけです。では、その底辺を規定するのは何かというと、結局、その国の高等教育なんですよ。たとえばアメリカのように大学進学が大衆化していて、大量の人間が大学に行き、本を読むという社会になって初めて成立するところがある。つまり専門家ではない層、それもかなり広い層に、一応の知識と潜在的な関心がある、というのが前提なんです。
    一部の少数者が非常に高度の教育を受けるというヨーロッパ型知的社会の構造では支えきれないでしょうね。日本でさえ、まだ大学進学者は40%までいっていない。僕らが大学を出た当時には20%に満たないくらいだったんじゃないかな。

    —いま思い返してみて、自分が小説を書くのに向いていたか、資質があったか、そのへんどう思いますか。
    立花 あんまり向いてなかったと思うね。ひとつは、浮気性なところがもともと僕にはあるんですよ。ひとつの小説を書き出して、それを完結までもっていけないんです。途中まで書くと、違うものを書きたくなっちゃって、だから未完のものがいっぱいあるんですよ。それともうひとつは、小説家はやっぱりつぎつぎと書いていける人じゃないとダメだと思う。
    僕はそれができない。わりと完全癖みたいなところがあって、しつこくいじっている。
    やっぱりできる人っていうのは、結局、生産力旺盛だね。大江さんなんか見ても、振り返ってみるとすごく書いている。
    僕はいま書いているようなものだと、けっこうなんでもなく書けるんですよ。書けないと悩むようなことはない。でも思い出してみると、小説を書いているときは、やっぱり書けない悩みってあったよね。まあ結局、自分が読んでいる作品から受ける感動を、そのまま人に与えられるような水準では書けなかった。

    野球とかの球技はぜんぜんダメで、走るほうは三番手か四番手。ジャンプだと誰にも負けなかったんだね、幅跳びでも高跳びでも。それで2年から3年にかけて、もう陸上ばっかりやっていた。

    読書ゼロを憂う言葉を全く発すること無く、ネットのすごさを語ったかと思うと、一転、読書によってもたらされる学びや体験の素晴らしさを伝え、そして最後は、書くという新たな視点を持ち出す。立花さんが積み重ねてきた体験が生放送の中で見事に展開した。
    彼が放送中に真剣に怒ったことも思い出す。ブームとなっていた「捨てる技術」をテーマにした放送で立花さんは、捨ててしまうというのは自分の個性を切り落とすことだと、いつになく感情的に語気を強めた。「その人が持っているもの、頭の中にあるガラクタな記憶すべてを含めて、その人の個性です。人類史はなぜここまで進化したのか。それはいろんなものをとっておくことで文化、人類はここまで来たんです」(国谷裕子)

    少なくとも100冊以上本を読んだ人でないと、平凡な内容の本でも、1冊の本を書ける域には達しないということです。

    平凡でないある程度以上の水準のものを出そうと思ったら、(中略)
    つまり1000冊以上の本を読んで一冊の本を書いたときにはじめて、まあまあの、読むに耐える出来の本になるということです。

    70歳の誕生日、60代に別れを告げて70代に入ったまさにその日、とうとう最後の一山を越えたんだなという思いがしました。そして今、目の前には70代という地平が広がっていますが、その向こう側に、自分の80代、90代という未来平面が広がっているかといったら、いません。70代の向こう側は、いつ来るか分からない不定型の死が広がっているだけという感じなのです。(立花隆)

    (略)そうであるなら、全てのがん患者はどこかでがんという病気と人生の残り時間の過ごし方について折り合いをつけねばなりません。(略)人間は皆死ぬ力を持っているということです。死ぬ力という言い過ぎかもしれません。死ぬまで生きる力といった方が良いかもしれません。単純な事実ですが、人間みな死ぬまで生きるんです。その単純な事実を発見して、死ぬまでちゃんと生きることこそ、がんを克服するということではないでしょうか。(立花隆)

    考えてみれば、戦争中の日本はオウム的な面が多分にあったといえるんじゃないですか。
    (立花隆)

    本との関係は、女との関係のようなものだ。いかに美女や才媛のほまれが高かろうとも、自分は好きになれない女というものがある。そういう女と無理して付き合うことはない。
    好き嫌いというのは、ものごとを学ぶ上で、何よりも大切である。好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、人は好きでないものに熟達することはできない。
    先に、勉強で何より大切なのは、集中力だといったが、集中力に不可欠なのが、その対象を好きになるということである。

    私は〆切が迫ると、突然、料理をはじめたりする。〆切が近いことを知っている家人から
    「そんなことをしていていいの?」ときかれるが、いいわけはないのである。よくないと知りつつわざとそういうことをして、状況を悪化させ、心の中で焦りまくることで自分にプレッシャーをかけているのである。(立花隆)

  • 改めて知の巨人ということを思い知らされた。
    彼のスタイルは古いと思ったこともあったが、現代にも通じるものであることを再認識した。
    また彼の作品を読んでいきたいと思った。

  •  いつも利用している図書館の新着書リストで見つけた本です。
     立花隆さんの著作は今までも何冊か読んでいるのですが、こういった体裁のムックでその偉大な足跡を辿っておくのも大いに意味があるだろうと思った次第です。そして、予想どおり、とても興味深いエピソードが満載の本でした。
     とはいえ、私の場合、立花氏の代表作「田中角栄研究―その金脈と人脈」を本書で初めて読んだというのですから、なんとも恥ずかしく情けないの一言ですね。

  • p.2021/8/17

  • 立花隆さんの幅広い興味分野(のほんの一部)に触れることができる。ファンにはたまらない一冊となるだろう。「本を最後まで読まなければならないという考えはバカげている」という言葉には勇気づけられる。本の内容には関係ないけれど、どうにもこのムック本という形態は苦手。1ページの文字数が多すぎて頭に入ってこない。

  • 立花隆氏の非常に幅広い活動領域を、一冊のMookで横断的に触れることができ、とても読み応えがあった。

    基本的には過去に文藝春秋等に掲載された記事の再録が多いが、それでも政治から宗教、科学技術、芸術まで、幅いろい領域での立花氏の調査報道やインタビューなどを触れることができるというのはうれしい。

    特に立花氏の科学技術に関するインタビューを呼んでいると、彼が大まかに概念を理解するだけでなく、その理論や技術が成立するディテールのところまで徹底的に理解しようとしてたということが感じられた。

    本当は理科系に進みたかったという立花氏の科学に対する思いの深さも、そういったところに現れているのだろう。

    このようなジャーナリストはなかなか現れないのではないかと思うが、取材対象の驚異的な幅の広さを脇に置けば、一つひとつのテーマをどこまで深く掘り下げることができるかという彼の姿勢自体は、ジャーナリストだけではなくわれわれが仕事をしていくなかでも参考にするべきものであるように感じた。

  • 充実の一冊。田中金脈レポは初めて読んだけど、このレベルは今では当たり前のような気がする。時代の流れとインターネットの凄さを感じたのが率直な感想。

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