クリスマスの思い出

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (79ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163122106

作品紹介・あらすじ

「イノセント・ストーリー」シリーズ決定版。最も愛された名作。

感想・レビュー・書評

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  • ずっと前に読んだ事があった。カポーティの作品というより山本蓉子の銅版画に惹かれて読んだと思う。
    7歳と60歳過ぎのいとこ同志。二人は気の合う親友で愛犬のクイーニーとともに過ごしている。毎年11月になるとフルーツケーキを30個も焼いて、友人や自分の好きな人に送る。そのために涙ぐましい努力で一年かけてお金をため、材料を買うのだ。クリスマスツリーのために森の奥に出かけて行き、大きなモミの木を切って運んで飾りつける。お互いのためにプレゼントの凧を作りクリスマスの日に凧揚げをする。それはそれは楽しい日々だった。
    しかし、それが最後になってしまう。僕は寄宿学校に入れられてしまい、数年後には彼女は亡くなってしまった。
    カポーティの一番有名なイノセントストーリー。
    素敵な二人の楽しい日々をそっと分けてもらった感じの語り。引き離されて寂しかったけど、きっと心はずっと繋がっていたな、と感じる。

    カポーティがアラバマ物語の作者のハーパー・リーと幼馴染という事で、アラバマ物語の中に出てくるディルのモデルがカポーティらしいという事で読んだけど、アラバマ物語に出てくるディルは夏休みになるとやってくる少年で、ちょうど、7歳からアラバマにやってくるのよね。このクリスマスの思い出のあとくらいかな?

  •  季節はずれではあるが、初カポーティ。
     清らかで、眩しいが、その周りの闇も見える。
     (悪徳弁護士が暗躍する短編集のあとだったので、一瞬、読み方がわからなくてクラクラしてまった。)

  • 一見、貧しくて外の世界と遮断された暮らしであっても、大自然の中から人生の機微を見いだし、外の世界とも繋がっているという心の豊かさに魅力を感じた。豪華な食事を前に、大人数で騒ぐクリスマスも良いけれど、静かな環境に身を置いて、人生に感謝しながら、自分を見つめ直す時間を与えてくれる一冊。クリスマスの前に、「物欲と多忙」な日常から離れて「自省と静寂」を日々の生活に取り入れたい。夜中、もしくは張り詰めたような寒い朝に、静かな部屋で読むと良い。

    クライマックスで発せられた「私たちが普段目にしている物体・光景が神様そのものである」という言葉は、自然と共生する素朴だけれども心の豊かな暮らしを象徴している。そして、この場面の直後には現実的で寂しい結末が描かれ、切なさと同時に「思い出」の美しさを強烈に突きつけられた。
    カポーティはこの短編がお気に入りで、何度も朗読していたという。何度も口に出すことで、年の離れた友人との美しい思い出を、創作力の根っことして持ち続けていたのだろうか。
    「私は年を取りすぎていろんなことを知りすぎた。目を無駄に使いたくない。」という、無邪気ながらも人生を精一杯生きた老女の言葉も、ずっしりと身に染みた。

  • ▼これ、カポーティさんもご自分で大のお気に入りだそう。<イノセンス・ストーリー>、まあつまり、素朴で子供向きのような平易さの人情噺…とのことで、きっと、「ええ話でグッとくるんだろうなあ」と思って読みました。
     その通りでした。

    ▼自伝的なのか自伝風なのか分かりませんが、恐らくは1940年代くらい?1920年台くらい?の、アメリカの片田舎の、恐らく貧しい村の、貧しい大家族の、厄介者扱いされている老女と少年の、交流と別れの物語です。短くて読みやすくて面白くて、痛くて泣けます。恐らく1時間くらいで読めます。

    ▼こういうのは、「クリスマス・ストーリー」ということで、出版文化華やかなりしころには、主に雑誌(特集号?)に書かれたんでしょうね。
     「新春スペシャルドラマ」みたいなことですね。

    ▼銅版画?なのか、挿絵も味わい深かった。素敵な作りの本でした。

  • いい。何度読んでもいい。読むごとの良さがある。
    一読目は現在形の物語として、二人と一匹のささやかな暮らしが少しでも長く続くよう願いながら、二読目からは回顧による過去の物語として、そう遠くない未来にそれぞれの離別が到来する予兆の痛みとともに読んだ。

    衰えを指摘されている訳者(村上春樹)の解説もさすがにいい。
    敬虔で善良な「子ども大人」のスック,クリスマスツリーに吊られた骨を「感に堪えかねて」見上げる愛らしいクイーニー,そして幼いようで大人の腹の内が見える聡明な坊やカポーティ。
    すべてが優しい世界,失われた世界。

  • 「フルーツケーキの季節が来たよ!」(P7)
    親戚の家に住んでいる7歳の僕は60歳を超えたいとこの老女、犬のクイーニーとずっと一緒に過ごしている。11月、二人は毎年フルーツケーキを作るためにピーカンの実を探し、少しずつ稼いだお金で買い出しをして、友人のために31個のフルーツケーキを作る。

    大変な準備をして穏やかな時間を過ごすささやかなクリスマス。神様のいるところを教えてくれる。

    12月、子供のテストに追われ終業式のすぐ後にクリスマス、年賀状の準備に大掃除にお正月の食事の準備…と用事をこなしているうちに新年が目の前にやってくる、ということをここ数年は繰り返している(汗)こんなにゆっくりとしたクリスマスを過ごしてみたいなぁ。クリスマスが年末年始の通過点になっちゃってます( ノД`)

  • 60歳を超えた老婆を「わが友」と呼ぶ7歳の「僕」。この2人は「それこそ思い出せないくらい昔からずっと一緒に暮らしている。」
    この不思議な関係は、だけど、裏にはこういうことが隠されている。
    -僕が両親とはいっしょに暮らせていないこと。
    -僕にとって友だちと呼べるのは同じ年代などには全くいなくて、この老婆だけなのだということ。

    日々の喧騒のなかで暮らしている(暮らさざるを得ない)自分たちにとって、この作品のように、自分たちの生活からかけ離れたような物語を読むのは、無意味なのだろうか?

    答はNO。確かにこの作品は「コロナの時代を予知していた」とかのあおり広告が付けられるような今風の内容ではないかもしれない。しかし例年のばか騒ぎのようなクリスマスでなかったこの時代こそ、静かに読めるこの作品を薦めたい。

    この本は本編が75ページの短いストーリー。そして69ページで現れる、老婆が僕に語り継ごうとするかのような場面がとてもいい。とにかくそこまでは読み進めてほしい。

    -彼女は長い人生が燃え尽きようとする直前まで、神様の姿を見るためには、死ななければならないと思っていた。
    でもそれは間違いだった。
    人は人生の最後の最後に、ぱっと悟るのだ。神様は前々から私たちの前にそのお姿を現していらっしゃったのだということを。
    物ごとのあるがままの姿、それは私たちがいつも目にしていたもの、それがまさに神様のお姿だったのだと。
    それがわかった今では、ここでぽっくりと死んでもかまわないと思う-

    振り返って今の私たちはどうか?目の前の不幸に悪態をつき、呪い、誰も見たことのない来世ばかりを気にしている。
    たしかに人間にとって本当の生きる喜びは目の前にある、ということを実感するのが難しいのは重々承知。
    だけどこんな時だからこそ、この作品を読んで、ほんの一瞬だけでも“明かり”を目にしたような気になれたらいいのではないか。

  • カポーティーのクリスマスストーリーを村上春樹の翻訳で。クリスマスストーリーといえど、華やかでキラキラしているわけではないけど、心温まるストーリー。

  • カポーティのとっても暖かい小品
    こんなにほのぼのとしたお話を書いてたなんてビックリ
    挿絵は山本容子さんの銅版画、これがまたとてもステキ!

    訳者の村上春樹さんのあとがきによると、
    カポーティには「イノセント・ストーリー」と呼ばれる
    いくつかの作品があって、これはその代表作だそうだ。

    「カポーティの文章的才気を余すところなく発揮した淀みのない、美しい、歌うがごとき文体である。例によってキレはいい。しかしそれは読者に傷を残していくような種類の鋭さではない。」と彼は書いている。
    そのとおりだ! 

    もう少し引用したい。
    「ここに描かれているのは完璧なイノセンスの姿である。・・彼ら三人(二人と一匹)は誰もが弱者であり、貧しく、孤立している。しかし彼らには世界の美しさや、人の抱く自然な情愛や、生の本来の輝きを理解することができる。そしてそのような美しさや暖かさや輝きが頂点に達して、なんの曇りもなく結晶するのが、このクリスマスの季節なのだ。」

    本当に、このとおりなのです。
    こんなチャーミングな短編(これも村上氏の言葉)をクリスマスの読めて、とてもしあわせ!

  • 美しいリボンを飾って贈り物にしたいようなお話です。

    先に「ヌレエフの犬」という本を読みました。オブローモフと名づけられた犬は、ニューヨークのトルーマン・カポーティのパーティに紛れ込んで、床で酔いつぶれたカーポーティと同じ皿でウイスキーを舐めていたのです。そしてヌレエフが気に入って彼の犬になったというお話でした。

    トルーマンカポーティとヌレエフが交差した時があったということを知ったのですが、トルーマンカポーティは昔「冷血」というとても刺激的な本を読んで、彼は何か偏った嗜好のものを書く人かと勝手に思い込んでいました。
    調べてみると、有名な「ティファニーで朝食を」の著者で、他にも美しい短編を残しているとのことでした。
    中でも名作と言われているこの本を読んでみました。前おきが長いですが、あとがきで村上春樹さんが言い尽くされているように、とても暖かい、善意に溢れたとても感動的な物語でした。

    親戚から疎まれ貧しい小屋で、老いた遠縁のいとこと犬のクイーニーと暮らしている7歳のバディーのお話(すでに思い出になっています)です。

    毎年11月が来ると「フルーツケーキの季節が来たよ!」とわが友(いとこ)が高らかに叫んで、クリスマスの用意が始まるのです。貧しい貧しい中から節約して溜めた、中味は殆どコインの財布を持ってケーキの材料を買いに町に繰り出します。ペカンは農場の木の下で拾ってきます。必需品の高価ウイスキーは瓶に一本分けてもらいます。そして出来た31個のフルーツケーキは、毎年知り合ったひとたちや子供に送ります。大統領からもお礼の便りが届きます。

    そして、クリスマス用のモミの木は背丈の三倍の高さと決まっています、それを切り出して2人で雪の上を曳いてきます。紙で作った飾りと古くなった電球で飾ります。交換するプレゼントは凧です。2人は草原に寝転んで高く舞う凧を眺めます。クイーニーには骨付き肉をプレゼントすると、いつも草原の土に埋めています。

    こんなクリスマスの風景は、彼が大きくなって寄宿舎に入るまで続きます。無邪気な汚れを知らないような二人の日々が、クリスマスの出来事の中から伝わってきます。
    カポーティの少年時代と重なっているそうですが、大人になった後もいつまでの心の隅にあった風景なのでしょう。まさに平凡な言葉ですが珠玉のような思い出、カポーティは荒れた晩年を過ごしたそうですが彼の心の中にいつもこんな幸せな思い出が灯っていたのかもしれません。

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