- Amazon.co.jp ・本 (125ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163136202
作品紹介・あらすじ
どこへ行くのだろう?黙って、いつも、ゾマーさんは歩いている。
感想・レビュー・書評
-
読み終わった後も、ゾマーさんの事が頭から離れません。とても印象深い作品です。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『香水』とはまた雰囲気が違うけれど、これはこれでいい味出してる。もぐもぐ。
子供ながらに好きな子とのデートプランを念入りに考えるところとかは可愛らしくて綻んだ。
孤独さや本当の気持ちなんて本人にしかわからないけれどそれをあえてほっとく優しさもあるのかもしれない。
37/100 -
情報に振舞わされない一昔前のお話。
僕の心や身体の未熟さに対して、背伸びをしている「ガリレオの法則」やら、自転車を「機械的回転衝動保持の法則」なんて、頭でっかちの言葉とのアンバランスさが、ユーモアをさそう。
ドイツ文学ならでは、という思いこみがあるけど、ピアノの先生に叱られたその果てが、自分の家族、周囲の環境、されには世の中の意味まで、その憤りが展開していくところが、さすがです。
時折出てくるゾマーさんの私利私欲のなさ。日本ならば穏やかな人物に描いていたでしょうに。
ゾマーさんのただただ歩き続けることの意味のなさ、でもこの僕が、16歳を前に、その姿に意味を見出したのではないかと、想像してしまいます。
子供たちを震え上がらせる怖い先生が、懐かしい。
絵は娘に指摘されました。「プチニコラ」のサンぺ先生ですね。 -
とても痛々しい読後感が。ドイツでは発売直後、子供に贈るのがブームになったそうだけど、どちらかと言うと大人になってから読んだ方がショックを受ける小説だと思う。
思春期の少年がどんどん成長して上に伸びていくのを縦軸とするなら、何の変化も成長もなく黙々と歩き続けていくゾマーさんが横軸なんだろうか。そうやって大人になったかつての少年が、〈そういえばあのゾマーさんとは何だったんだろう〉と振り返るとき、戦争とか従軍体験とかの一言では言い切れないような、孤独なゾマーさんの病理のようなものをとらえる瞬間がいくつも小説内にある気がする。とても印象的な本。-
「子供に贈るのがブーム」ふ~ん、ブームになった元は何だったんでしょうね?
サンペの名前が先に目に入ったので「プチ・ニコラ」かぁと勝手に思って...「子供に贈るのがブーム」ふ~ん、ブームになった元は何だったんでしょうね?
サンペの名前が先に目に入ったので「プチ・ニコラ」かぁと勝手に思ってましたが、映画「パフューム ある人殺しの物語」の原作者だったんですね。2012/03/23 -
ですです。ニコラみたいなコメディ要素はまったくないです(笑)
『香水』とはガラッと空気変わりますけど、どちらもおもしろい本ですねえ♪ですです。ニコラみたいなコメディ要素はまったくないです(笑)
『香水』とはガラッと空気変わりますけど、どちらもおもしろい本ですねえ♪2012/03/23 -
吉野朔実の本に「ゾマーさんのこと」と「香水」がセットで載っていたのに、全く失念していました。吉野朔実の本に「ゾマーさんのこと」と「香水」がセットで載っていたのに、全く失念していました。2012/03/29
-
-
主人公の成長、次男としての不満だとかヒステリックなピアノ教師や蘊蓄な父親を冷静に描写しているところに、時々、全く関係ないはずの町の不思議な人ゾマーさんの描写が挟まれる。無関係な人だけど小さい町だからこそ否応なくそれぞれの人生が交差したり、戦争の経験だったり人生の生きにくさだったり、ゾマーさんのひたむきな歩行から漏れ出る苦しさをどこかでみんなわかっているのかもしれない。あれでよかったのかなあと心のどこかで引っかかる出来事を、子どもの心を持ちながら後から冷静に俯瞰する大人として描写できる、静かだけど力強い本だった。
-
イラストとタイトルに魅かれて読んだけど読まなくても別によかったかな・・・。2時間弱くらいで読めてしまうので寝る前にベッドの上で読んだ。あとがきも微妙。
-
2022.12.27
香水を読んでジュースキントが気になり読んでみた。
香水とは全く系統が違うけど、これはこれですごく好きだ。
児童書なんだろうけど、大人の方が刺さる作品。
ゾマーさんは一種のホラー -
佐野洋子さんのエッセイで紹介されていたので読んでみました…。
著者の実体験かな? と思えるほどにゾマーさんの存在感が大きいですねぇ…社畜死ね!!
ヽ(・ω・)/ズコー
どうして日夜問わずひたすら歩き続けているのか? その明確な理由はついに本文を読み終えても分からず、すべては有耶無耶に…
けれども、不思議と印象に残る、そんなお話でしたね! 手元に一冊置いておきたいのですけれども、Amazonでも中古しか取り扱われていないし、すでに絶版なんでしょうか?? 残念ですねぇ…。
さようなら…。
ヽ(・ω・)/ズコー -
ぼくがまだ木のぼりをしていたころ、
草むらも森も坂道も湖もぼくのそばにあり、
木の上は静かで、葉ずれの音だけを聞きながら、沈む夕日を見ていた。
ぼくは気になる人がいた。ぼくだけじゃなくぼくの村の人や隣の村の人もその人のことを気になっていたのかもしれない。
その人の名前はゾマーさんという。
ゾマーさんがどこからきたのか、ゾマーさんが一体どういう人なのか知ってる人はいなかった。
しかし、ゾマーさんがどのひとなのかということはみんな知っていた。
なぜなら、ゾマーさんは朝早くから夜遅くまでずっと辺り一帯を早足で脇目もふらず歩き回っていたから。
誰かがどんなに早起きをしてもゾマーさんはすでに歩いていたし、夜遅く月が空にかかるころ、やっとゾマーさんは奧さんと住む家に帰ってくるらしいが、また朝にならないうちから同じ恰好をして同じリュックサックを背負ってひたすら歩きまわっているのだった。
ぼくのおかあさんは、ゾマーさんは、クラウストロフォビア(閉所恐怖症)だから部屋にじっとしていられない病気だからずっと歩いているのだという。
そのはなしを聞いてぼくはゾマーさんの病気を<のべつ外を歩いていなくてはならない病>と名づけた。
ぼくは、木登りのほかに同じクラスの女の子をちょっぴり好きになったり、おこりんぼのピアノの先生を遅刻でますます怒らせてしまったりと、ふりかえるとちっぽけな、(当時のぼくとしては大事件を)経験しながら成長した。
ぼくが落ち込んだり、呆然としていたり、とにかくぼくが気がつくとゾマーさんがどこからともなく歩いてきて脇目もふらずに行ってしまうのだった。
そのうち、ゾマーさんの奧さんが亡くなったと聞いた。
ある日、ぼくはゾマーさんの最後の姿を見る。
ゾマーさんがゆっくりと湖の中に消えていくのをぼくはそっと見送った。
そしてそのことを誰にも語らなかった。
猟奇殺人を起こしつつ、香水を作っていった『香水』とはまったく異質の『ゾマーさんのこと』は、『香水』と同じく池内紀さんの翻訳で出版されている。
少年時代の囘想に交じる消すことのできないゾマーさんのこと。
パトリック・ジュースキントは、一九四九年、ミュンヘンのシュタルンベルク湖畔の生まれ。
読者が著者の少年時代に思いを馳せるのも当然である。
パトリック・ジュースキントの文章に絵を入れているのは、フランスで有名なジャン=ジャック・サンペ。
サンペが描き出すゾマーさん ゾマーさんは今日も歩いている。