細川重男「北条氏と鎌倉幕府」を読んで、平頼綱を主人公にした「異形の寵児」を再読したくて手に取る。普段は弱々しく地味に見える頼綱が、その才を安達泰盛にだけは見抜かれ、引き立てられ、その監察制度のすぐれた再建案により北条時宗にも一目置かれ、内管領にまで上り詰める。時宗死後は、泰盛すら打倒し、自分が乳母人として育てた得宗貞時を差し置いて権勢をふるうが、最後は、自分に似すぎた息子宗綱を信じきれなかったばかりに、貞時の策動をふせぐことができずに斃れる。「鎌倉は狭い所じゃ。みなが額を寄せ合うように暮らしておる。昨日起こったことは京には誰ひとりとして知らぬ者はない。用心を失くした者に死は免れ得ぬものぞ」「名分などその気になればいくらでも作れる」(頼綱)、「悪は強、善は弱に繋がり申す。悪は善より潔いものでござろう」(資綱)、「そなたの命運は宗綱を見捨てた時に極まったのじゃ」(貞時)/他に、鎌倉幕府二代将軍、源頼家の親政の開始、北条氏との攻防と敗北、悲惨な最期が描かれる「悲鳴に斃る」。”この鎌倉は道理など少しも通らぬ所じゃ。ここでは小さな傷ひとつが忽ち命取りになる”(頼家)/「御所、この鎌倉は強い者しか生きてゆけぬ所じゃ。その事しかと肝に銘じられよ」(景時)。自負と英気はあるものの、政治や謀略に弱く、みすみす一番の忠臣だった景時を討たせてしまったと後で気づくも既に遅し。そして病に伏せる間に己の与党をことごとく討ち果たされ、奇跡的な回復もより苦い思いを噛み締めるだけだった…という皮肉。/権勢をふるう内管領長崎父子に立ち向かおうとして果たせず、かえて、寄合衆一同に辞任をちらつかされうろたえ、言うがままになり、恐怖のあまり酒、女、田楽三昧に逃げこむうちに、足利高氏、新田義貞らに滅ぼされた「北条高時の最期」。気に入った田楽師に、殿の舞には天賦の才をかんじるがいかんせん、いまから磨き上げるのは手遅れ、と断じられた高時。政治でも軍事でもなく、ひとえに田楽の天才であったのに、気づかされたときにはもう何者にもなれないという絶望が苦く。