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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784163166506
感想・レビュー・書評
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こういう恋愛について書かれた小説を読むたびに、読書とは何かを考えてしまう。
傷ついた主人公の立場に入り込んでしまうと、読後にぐったりと疲れを感じる。
恋愛小説は単なる娯楽なのだろうが、重たい気分のまま本を閉じて、私はすばやく現実世界に戻れない。
図書館で借りた本に閉架シールが貼られていた。
どうしてすぐに書庫に入れてしまうのか。
1986年だから直ぐでもないか…。
目に浮かぶ情景は美しいのに、内容はテレビの2時間ドラマのよう。
大人の恋愛は醜いからか。
小川洋子さんもいろいろな作品を書いていたのだ、と思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトルはラモーのクラブサン組曲「やさしい訴え」。
ただいま、ラモーブームなので、何かゆかりの本を読みたいなと
探していて出会った一冊。
クラブサンはラモーの母国フランス語で、
ドイツ語ならチェンバロ、英語ならハープシコード、
どれも同じ、ピアノのような楽器ながら
音の出し方は違うバロックの頃、流行している。
夫の不貞、DVに耐えかね、幼い日を過した別荘に逃げ込んだ瑠璃子。
そこで出会ったのは林の中に住むチェンバロ製作者・新田と女性の弟子・薫だった。
「やさしい訴え」は薫がチェンバロで奏でる曲。
小説の重要な場面で折々登場する。
小説は、まさにその静かだで切ない、どこか激しい一面を持っていて・・・
小川洋子らしくないような・・・
けっこう欲望に忠実で、人間らしいと言えばそうなのだけれど。
あれだけ書いても品性があるところが、身上か。
どこかヨーロッパの世界のような、そんな静かな小説。
最後まで切ないおとなの三角関係。 -
小川洋子さんには珍しい、激しめの主人公だった。描写の美しさは変わらない。
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静かなチェンバロの音が聞こえてきそう。
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ジャン=フィリップ・ラモー やさしい訴え
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図書館で借りた本。
生々しいけど、幻想的なお話。雰囲気が好き。 -
生活を逃れた林の中、チェンバロ作りの男女とそれを見つめる女の不思議な関係。硬質の文体が抉りとる愛と孤独、聖域と日常の迫間。
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西洋カリグラフィーに興味があるなら、とすすめてもらったので読んでみた。とても静かに時が流れて、冷静と情熱の間に、という感じ。
いつもの生活から逃れ、小さい頃から来ていた別荘に数ヶ月。そこで出会った人や感情や情景。たまに仕事で東京に戻るとまるで街全体が自分を拒否しているよう... 人と関わりはあってもふと孤独と思う時があるのには共感。みんなそれぞれ暗い過去もある。 -
主人公を通して新田氏と薫譲の絆を見せつけられたというか。主人公の不足しているモノが浮かび上がっても、じゃあそれが直ったのかと思えば決してそうじゃなくて、精神的な繋がりの強さに納得しようとしつつも新田氏の前妻の存在もちらついて、いまひとつ消化不良な感じでした。他の方の目うろこな感想で、そこんところ埋めたい感じ。
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小川洋子の小説の中では好きな部類。まだ実はあんまり読んでいないんだけれど。静かに進む激情の物語、というのがすきなんだろーなー、と江國についても同じことを思う。ハードカバーの装丁がすてき。
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小川洋子らしい、静謐で優しく切ない。居場所を探して、ようやく見つけて、でもそれじゃ満足できなくて、失う。。また、文体はすごく優しくて穏やかだけど、登場人物の情感はとても生の人間らしい。嫉妬も後悔もやりきれなさも孤独感も全て出ている。そこが小川洋子らしくてすごく好き。
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チェンバロの音色を聴いたことがないのに、演奏シーンではちゃんと音色が聴こえた気がした。感情移入がしにくく、少しずつ読み終えたけれどなぜか清清しい気持ち。
「僕は、君をちゃんとかくまうことができただろうか?」この台詞にしびれてしまいましたん。 -
2008年8月読了。 今年38冊目。
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カリグラフィーの仕事を持つ瑠璃子。眼科医である夫とは冷えた関係。ちょっとした諍いのあと、実家の別荘へ。そこにはペンション・グラスホッパーのおばさんとチェンバロを作る新田氏と薫さん、犬のドナが居て…。作者の著書に出てくる男性は、今で言う「メガネ男子」のイメージ。指の描写に注目。「狂気」はやや控えめか。「涙は言葉より、残酷ではないだろうと思った。」
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2007.08. 今まで読んだ小川さん作品の中で、その登場人物たちの中で、瑠璃子さんは一番醜い部分を曝け出してくれた。誰よりも不安定なようで、最後には現実にしがみつく力も見せる。意外としたたかなのかもしれない。チェンバロの音色でそっと響く「やさしい訴え」を聴きたい。もちろん、新田さんの演奏で。新田さんへの感情、薫さんの存在、夫と不倫相手の女。。。どの人も、みんないびつな形を描きながら生きているらしい。ちらっとのぞく狂気に、もっともっと迫って欲しいような気もした。少し、怖かった。
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小説。夫に浮気される女性が、満を持して別荘に家出して、そこで出合う人たちと交流を持つ話。離婚へ向けて動き出す軸と、別荘のご近所さんでチェンバロ作りをする男女との三角関係の軸がアンバランスに絡み合う様が、主人公の言い表せない気持ちに似ている。時の流れと気持ちの納まりが同じ速さで進行しないのを、別荘近辺の風景や自然のみずみずしい描写が癒してくれている感じで、何かがしんみり伝わってくる。この人はこういう選択をした、というお話で、可もなく不可もなく。気持ちを優先した行動が家出だけでも、最後まで読ませるから不思議。
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<font color="blue">泣くことだけが、自分を支えていた。 </font><br>
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小川作品って二つの系統があるように思う。 <br>
「まぶた」「薬指の標本」系の作品と、「博士の愛した数式」系統と。<br>
本書をどちらかに分類するなら、間違いなく後者だろう。 <br>
だけど、どちらの系統にも含まれる「狂気」が確かに本書にも存在する。
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愛し合うことは、認め合うこと。
ただ抱き合うだけが愛じゃないんだ。 -
涙は言葉より、残酷ではないだろうと思った。
(P.203) -
720
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夫の浮気によって居場所を失った瑠璃子は母の持ち物である別荘へ家出をする。
そして、近所に住みチェンバロを作っている新田氏と出会い、静かに緩やかに(あるいは一瞬の内に激しく)惹かれてゆくのだが、彼にはともにチェンバロを作る共同作業者としての薫さんという大事な存在がいて、深くしっかりと結びついている。
ストーリーの骨組み自体はどうということもない珍しくもないものなのだが、小川洋子さんによって丁寧につけられた肉は、繊細で狂おしくもどかしく崇高で、時に神聖とも言えるものである。
人の一生に勝ち負けなど決められないが、敢えて言うならば、瑠璃子は恋では負けたのだろう。しかしこの別荘への家出が彼女が生きる上でなくてはならないことだったことを考えると、瑠璃子は自分には勝ったのかもしれない。
風景描写がとてもすばらしい。
時間が流れるのを感じなくなるくらい何も動かないところで何かを考えたり、何も考えなかったりしてみたいものだ。
著者プロフィール
小川洋子の作品
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