沖縄事前読書週間の一環で、「沖縄を知るための10冊」で紹介されていた、97年の芥川賞受賞作品を小説部門として読む。この作品を選んだのはあらすじの「ある日、右足が腫れて水が噴き出した。夜ごとにそれを飲みにくる男達の正体は?」というのが普通に面白そうと思ったからであるが、読み出して、この男たちって沖縄戦で亡くなった兵士たち、水を求めて死んでいった主人公の旧友含めた兵士たちというのがわかった瞬間、あの「面白そう〜」という軽いノリは一体どこからきたのかと自分の意味不明なテンションを反省する。
3作品収録。どれも面白かったのが、最後の作品が特に私は刺さってしまった。。
「水滴」表題作
選者の一人であった日野啓三によると(このお方も芥川賞や泉鏡花賞受賞者、、読みたい)、…主人公の罪意識は戦時中のエゴイズムだけでなく、戦後「戦場の哀れ事語てぃ銭儲けしよっ」ったことにある。つまり問題は一九四五年だけでなく戦後五十余年に及ぶこと、被害者としてだけ戦争と自分を装ってきたこと(沖縄だけであるまい)――戦後の自己欺瞞を作者は問い直している。第二は、その無意識の長い罪を意識化し悔い改め救われるメデタイ話ではない。主人公の不安は奇病が全快しても治らず、再び泥酔とバクチで門の前に転がっている。そしてそんな主人公のすべてを、そのエゴイズム、弱さ愚かさを、作者は〝大肯定〟している。…倫理的、宗教的にではなく、沖縄という不思議な場の力で。…すぐれて沖縄的で現代的な小説である。
という評選評に書かれていること、以上という感じではある。
頭を下げて水を飲んでいく、首が切れていたり、腹から臓物が出ている兵士たちの幽霊たち、、沖縄戦・その戦後を見つめるのに良い一作品と思ったのも束の間、後続の二作品もそうなのである。
「風音」
純粋な小説(?)という意味で水滴と風音のどちらが好きかと言われたら、本作に軍配が上がるかも知れない。長さもこちらの方が長い。
戦時中に特攻隊員の遺体を村の風葬場に運んだ父と子。子は欲しかった万年筆を持ち帰ったことを戦後ずっと誰にも話せず自責の念に囚われている。その子が父となり、その子は村の子供達と近づいてはならないと言われている風葬場で肝試しをしてしまい、自分のせいで泣くと言われていた頭蓋骨から音がしなくなったと後悔する。一方東京から取材に来た藤井は、村人や同行している後輩からは戦争を食い物にするメディアの一人としか思われていないが、特攻隊員であり、加納という同輩の行動により出撃を免れた過去をもち、その加納の痕跡を探し続けている…という幾重にも重なった話が一つずつ紐解かれていく。が、その答え合わせは読者にだけなされ、物語上で邂逅することはない。村の風葬場に葬られた特攻隊員が持っていた万年筆にはKというイニシャルが彫られていたが、加納の遺体だったのか、それはついぞわからないのだ。そこがまたいい。その加減含めて本作が好きだった。
…戦後、収容所の中で再会した時に、清吉はもうこの幼馴染も何も話すことがないのを感じた。それは何も徳一に限ったことではなかった。父や母に対してさえ、あの強烈な事実だけがるいるいと重ねられた日々を過ごしてからは、いくら言葉を費やしても本当のことは伝わらないと感じられた。(p.70)
…「つまらなくはないか」崖の縁に腰かけていた加納が、いきなり体をよじって言った。藤井は返事を返すことができずに加納の言葉を自分の中で反芻した。それは最も恐れていた問いだった。
この一週間、自分の死にあらゆる意味づけを行おうとして、結局はその空虚さに気づくだけだった。誰もがその空虚さを見つめるのを恐れるように、一心に遺書や手紙を書いていた。藤井は「大君のために」と口にする奴の喉笛を引き裂いてやりたい衝動を何度もこらえた。ぶつける対象のないまま癌細胞のように増殖し続ける憎しみ。それが藤井の内部を喰い荒らした。
つまらなくないか、か。何をいまさら。…
加納は煙草を咥えて顔を近づけた。火の中に浮かんだ顔は驚くほど幼かった。藤井は痛々しい思いに駆られておもわず目をそらした。火照った耳にやわらかな息がかかり、かすれた低い声が何かをささやいた。「えっ、何?」振り向いた唇にやわらかいものが触れた。と思った瞬間、襟首をわしづかみにされた藤井は、闇の底へ放り出された。…(p.103-4)
か、かのーーーー!!!!おまえーーー!!!という感じでした。まさかのそういう展開に、そういうこともあったろうと思った。好きだったから生きていて欲しかったんだろうか、好きとかお前は生きろとかそういう言葉を最後に残したのだろうか。
「オキナワン・ブック・レビュー」
最初は普通にブックレビューかと思いましたが、レムの『完全な真空』と同じ発想の、架空の書評集です。
皇太子に沖縄から妃を出すという沖縄婿派の書いた本と、新星のユタとなった男が天王星と交流しながら自らの宗教を広げていく新興宗教本のレビューが交互な形で現れるのだけれど、途中で天王星人が沖縄の基地にアメリカから移送されたという話になり、その天王星人を取り戻そうと基地突入が起こり、逮捕・解散させられる一方、皇太子は結婚してしまい沖縄婿派も消沈という話で、書評は書評で超面白かった。超面白かったんですけど、天王星って天皇制とかけてるんじゃん…とわかった時の戦慄よ…そういうことか…っていう。結局これは沖縄の時流や様相という体を取りながら、一番のメッセージは天皇制と沖縄、なのかもしれない。
書評で面白かったのは大山鳴動こと沖縄婿派の急進派にしてその愛弟子である小橋川氏の文章かな笑。毎回お決まりの定型な流れがあって、師匠のことを「アッパラパーと唱える其奴らこそアッパラパーで有ることが一目瞭然紺碧の空を渡る一羽のサシバの如くご理解頂けるかと思います」と師匠の陰口のバリエーションと、それが違うことがわかる例えの動物のバリエーションが毎回笑えるのである。それから末尾に絶対枚数超過のお詫びがあるのもなんかウケるのだ。絶対やらないって言いながら次からは許してくれてありがとうになったのも面白かったw