- 本 ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163203201
感想・レビュー・書評
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神を見出すのは人間にはできない。仮にいるとすればそこに狂気があるのみだ。
神父の犯した殺人が明るみに出ていく様に震えたし、この結末がどうなるのか。夢中で頁をめくった。
センセーショナルなスキャンダルよりも、静かにゆったりとしたテンポで、一人の人間の運命が狂っていく様を見るのが好きだ。ここに描かれているのがまさにそれである。静かなる狂気と殺意が無言で交錯する様と、展開の妙技、匠の技がここにある。控えめに言って最高である。 -
このところ、貫井作品を読んでいるが、これはあまり評価出来ない。
なんとなく、分かるような気もするが、表題通り、(神のふたつの貌)なのだろう。整合性のないところが。。。。
途中から、誰のことやら、分からなくなってしまった。私の理解不足? -
怖い話だ。
宗教をテーマにした話。
重い。
最後の最後に文脈上のトリックが明らかになるのですが、かなり頭が混乱した。流れがよく分からなくなる。 -
クリスチャンが読むとどう思うのかな…
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信仰とは、というテーマに弱い私は、ついつい★4を付けてしまいます。
主人公がただひたすらに、神の愛について考えているという、終始一貫した内容に、
じれったく、もどかしく、イライラする人も多いかと思いますが、私にはそれが良かったんです。
限定されてしまう例えですが、『ジョジョの奇妙な冒険』の6部に出てくるプッチ神父は、自らの行いこそが正義と信じている所が、歴代ラスボスの中で“最もドス黒い邪悪”と言われていますが、この主人公にも同じ匂いを感じました。
ちょっとしたミステリ要素もありますが、ミステリ好きならあっさりと気が付くと思うので、
よほど信仰とは、神とは、宗教とは、といった話題に興味がある人でないと、読後感がよろしくないと思われます。
でも、個人的には面白かったです。好きです。 -
「神」について考えずにはいられないように、「神」を主題に掲げた物語を読まずにはいられない。
そしてその結末は、「神」という対象を生まれながらに擦り込まれながら生きる人にとっては、必然だったのかもしれないと。
それは「神」について考えると言いながらもその不在を前提にしている私には、おそらく本能的に到達できないところなのだろう。その絶対的な未熟さが悔しくもあり。
もう一度、時間をおいて読みたい気も、する。 -
貫井さんらしい相変わらずの後味ですが面白かった。
けっこうな厚さでも先が気になり一気にすらすら読めた。
読んでる途中で色々と考えさせられた。死を救いにすることはやはり許されないことなのか。
この作者の書く少年像が好き。
自己把握が的確な感じが堪らない。 -
●あらすじ●
(第一部)早乙女は田舎町の教会の牧師の息子である。厳格な父は小さいながらも由緒ある教会を模範的な宗教者として運営していたが、牧師の妻になりきれない母には鬱屈が溜まっていた。無痛覚症で痛みというものを知らない早乙女は小学生には似合わない態度で父と母を見つめていた。そんなときヤクザに追われているという青年が礼拝のさなかに現れ、教会の居候として居ついてしまう。決して悪い人物ではなかったが青年の存在は牧師一家に辛うじて保たれていたバランスを崩していく。
(第二部)大学生となった早乙女はクラスメートの女性と付き合うようになった。彼女もクリスチャンで片足に障害があった。素直に神を信じる彼女を早乙女は羨ましがる。足の障害という苦行が彼女に神を近しいものにさせたのではないか。交際が深まり、彼女の妊娠を打ち明けられ動揺する早乙女。一方、早乙女のアルバイト先のコンビニで突然帰って来た経営者の息子によりトラブルが引き起こされようとしていた。
(第三部)郁代は結婚に失敗して心を病んでその町に帰って来たが実母との折り合いが悪く、彼女の居場所は早乙女が牧師を勤める教会だけだった。早乙女は郁代が自分に惹かれていることがわかるが、妻を亡くした身であってもどうしてやることもできなかった。そんなとき郁代の前に余所者の男が現れる。さらに早乙女は、息子の創が何かに悩んでいるのに気づく。
著者プロフィール
貫井徳郎の作品





