生きる

著者 :
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 102
感想 : 18
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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163206806

作品紹介・あらすじ

苦境に人の心を支えるもの。山本周五郎賞受賞作家が描く感動の時代小説三篇。

感想・レビュー・書評

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  • 山や谷のあまり無い静かに穏やかに ただ朴訥な武士の暮らしぶりが淡々と物語られていく。直木賞の「生きる」も良いけど「安穏河原」は余韻が残り「早梅記」は白梅のように元家政婦が凛としている。取り立てて凄い技も腕も才覚もない男たちだけど、ひたすらに無骨に生きることしか出来ない彼らにも ささやかな幸せらしきものがもたらされる みたい。物悲しくて哀れな男たちだけど不器用に生きることにも何かしら意味があるのだと感じさせてくれる三つの物語です。

  • 実践心理学科 1年

    メディアにはほとんど出ない
    時代小説家・乙川優三郎先生が
    書かれた直木賞受賞作品!!

    読んでみても損はしません!
    是非読んでみてください!


    資料ID: W0118267
    分類記号: 913.6||O 86
    配架場所: 本館1F電動書架C

  • <江戸小紋的「いぶし銀」時代小説>

    「生きる」「安穏河原」「早梅記」の中編3編からなる時代小説集である。
    「生きる」は殿の後を追って腹を切るつもりが、追腹を禁じられ、悶々と悩む老武士の話。「安穏河原」は、浪々の身となり、娘を遊郭に売った父と、売られながらも凛と生きていく娘、そしてそれを見守る無頼の若者の話。「早梅記」は、隠居となって徒然に散歩する日々を送りながら、自分の人生を振り返る元家老の話。

    一読した感想は、まずはひとこと、「渋い」。
    ストーリーに派手さはない。いずれも、波瀾万丈・血湧き肉躍るといったタイプの小説ではない。
    しかし、地味なだけではない。職人的だと思う。時代小説はさほど読んでいないので、この著者が特別なのか、それとも平均的にこうしたものなのかはよくわからないのだが、相当な調べ物と知識の上に成り立っている世界だろう。
    色で言えば銀鼠、着物の種類で言えば江戸小紋。さりげなく見せて実はものすごく手が込んでいる、粋な芸を思わせる。
    それぞれの作には象徴的な小道具がある。「生きる」には菖蒲、「安穏河原」には河原と紅葉、「早梅記」には香り高い白梅。物語の要所要所に配されていて心憎い。
    当時の殉死とはどのように捉えられていたか、浪人の暮らしとはどうなっていたのか、市井の暮らしはどうしたものだったのか。そんなさまが見てきたように描き出される。トリビアを織り交ぜながらもくどくどと説明はしない。それをやっちゃあ野暮なのだ。
    実際、細かいところがわからなくてもストーリーは流れていくのだ。そして人情にほろりとしたりするのである。

    各作品の内容を好きな順に並べれば、個人的には「安穏河原」、「生きる」「早梅記」、だろうか。
    「早梅記」は男の身勝手さが感じられ、「いやいやいやいや、どうよそれ」と思う。しょうぶの袂を引っ張って物陰に連れて行き、「ほんとのところどうなのさ?」と聞いてみたいところである。
    表題作「生きる」は、「うぅむ、それはそれは・・・。ご苦労なさいましたね」と思うけれども、老齢の男の感慨が今の年齢の自分には少々重い。もう少し年を取って読むと、しみじみするような気がする。
    「安穏河原」は好きだ。本当のところがはっきりしない部分が残り、想像が脹らむ余地があるところもよい。何より、幕切れを締めくくる2人がまだ若く、「ここから本当のことがはじまる」余韻がよい。


    *とあるネット上読書会の課題本です。はて、ちゃんと読めているのかいな(^^;)。

    *蛇足と知りつつ、本作で知った/興味を持った用語集~。自分は粋じゃなく、野暮だよな、と思いつつ(^^;)。
    ・重五:端午の節句。九月九日が「重陽」というのは知っていたが、五月五日を重五というのは知らなかった。
    ・金打:金属同士を打ち合わせて誓いを立てること。武士ならば刀の刃や鍔を使う。
    ・座頭金:江戸時代の盲人が幕府の監督をうけて貸し付けた庶民金融。障害者保護政策として、高利で貸し付けることを幕府が許していたようである。「真景累ヶ淵」の按摩の宗悦が金貸しをしているのも、こうした流れか。
    ・裾継:深川の遊郭の1つ。
    ・警動:岡場所の私娼の取り締まり。幕府が認めた遊郭は吉原のみで、それ以外は表向きは禁じられていた。吉原以外の遊郭は岡場所と呼ばれ、ときどきそこには手が入る。捕えられた娼婦たちは後述の奴刑(やっこ)を受ける。
    ・奴刑:女性のみに科される刑。3年間の年季(享保以降。それ以前は無季であったようだ)で、吉原の遊女奉公をさせられる。

  • 2月中旬頃読了。とあることから読後感想を求められた推薦本。江戸中期以降の 武士という身分の男。想定は三編三様な状況のなかで 表題の 「生きる」 を描いている。
    男のみならず人なら誰しも、この三つの苦悩はだれしも持ちうることだからこそ、乙川氏は描いたのだろうか?職務職責のそれ、連れ合いとのそれ、そしてわが子とのそれ。
    自分であれば、と置き換えて読み進めるなら、かなり難しい判断を迫られる状況想定である。・・・・・・・答えは見つからない命題かも。

  • 三部の短編からなる時代小説。短い文章の中に”生きる”事の意義や本質を見事なまでに描き切っている。武士の矜持という一言では言い表す事ができない。共通のテーマは家庭を省みず役目に没頭する役人の末路を描いている。物悲しい終わり方ではなくすがすがしい気持ちになれる。文中に出てくる死期を迎える妻の一言。「何を幸せに思うかは人それぞれ。例え病で寝たきりでも日差しが濃くなると心も明るくなるし、風が花の香りを運んでくればもうそういう季節かと思う。起き上がりその花を見ることが出来たらそれだけでも病人は幸せ。」。一流の時代小説作家の表現は心にぐさりと響く!

  • 平成14年度下半期(第127回)の直木賞を受賞した乙川優三郎の「生きる」を読了。
    表題作と「安穏河原」、「早梅記」という三篇の時代小説が収められた作品集である。

    「生きる」は主君の死に際して追腹(おいばら)を秘かに禁じられた侍が、不忠者、恥知らずといった非難を浴びながらも生き続けなければならないという、苦しみの歳月を描いた作品。
    周囲の冷たい視線、嫁いだ娘からの義絶、妻の病死、そして父親の身代わりのような息子の死、とつぎつぎに襲ってくる苦難の中で、孤独な闘いを強いられる武士の悲哀が切なく胸に迫ってくる。
    「安穏河原」は武士としての誇りから、浪人となって零落してしまった親子の物語。
    貧窮のなかで、娘を身売りせざるをえなくなるが、そのことを後悔した父親は知り合った若い浪人者に頼んで娘の様子をそれとなく見てもらう。
    そして何とか娘を苦界から救い出そうと算段するが・・・。
    若い浪人者に託された後半が感動的。
    「早梅記」は軽輩から出世して筆頭家老にまでになった武士が、隠居の身となった日常のなかで、失ったものの大きさを思い返すという話。

    三篇とも人が生きていくなかで味わうさまざまな苦渋を切々と描いているが、その先にはいずれも一筋の光が射して終わっている。
    そしてどの主人公も苦難の中で最後まで武士としての矜持や潔さを失わずにいる。
    そのことで、暗鬱な気持ちに陥りそうなこちらの気持ちが、ぎりぎりのところで救われる。
    またどの話も、女性が重要な存在として描かれており、主人公の武士に劣らない覚悟と矜持の持ち主というところも大きな魅力である。
    読み応えのある小説集だった。

  • 渋い!武士として、人として生きる上での本音と建前を鋭く突いた物語3編。どれも味わい深い。

  • このような人生があって、幾度かの戦争があって日本の男たちは、生きることを選んだ。

  • まだ途中。ブログにレビュー書きました。
    http://mariko0202.hatenadiary.jp/archive/category/%E6%9C%AC2019

  • 中編3編
    追腹をテーマにした「生きる」,娘を女郎に売った父と娘の矜持を描いた「安穏河原」,「早梅記」.武士というもののつまらない誇りのありようを,それぞれ形を変えて見せているようだ.それにしても女性たちの潔さ,清々しさは哀しくもある..

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著者プロフィール

1953年 東京都生れ。96年「藪燕」でオール讀物新人賞を受賞。97年「霧の橋」で時代小説大賞、2001年「五年の梅」で山本周五郎賞、02年「生きる」で直木三十五賞、04年「武家用心集」で中山義秀文学賞、13年「脊梁山脈」で大佛次郎賞、16年「太陽は気を失う」で芸術選奨文部科学大臣賞、17年「ロゴスの市」で島清恋愛文学賞を受賞。

「2022年 『地先』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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