対岸の彼女

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163235103

作品紹介・あらすじ

女の人を区別するのは女の人だ。既婚と未婚、働く女と家事をする女、子のいる女といない女。立場が違うということは、ときに女同士を決裂させる。

感想・レビュー・書評

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  • 激しく心を揺さぶられる……。
    対岸の彼女
    2006.04(株)大活字発行。字の大きさは…大活字本。2022.02.03~08音読で読了。★★★★☆

    音読で大活字本を3冊、今までにないスピードで読み終りました。角田光代さんの本を読むのは始めてです。読んでいる時に、なにか自分の知らない世界がそこに有る。そして、そこに生き生きと、力強く生きて行く人たちがいるのを感じました。
    そして感想を書こうと考えると、ふと思いがまとまらず、もう一度見直していたら。強く心が揺れ、不安定になっていくのにビックリします。よほど影響されています。そして自分の高校生時代を振り返り考えているのに驚きます。

    【心に残った言葉】
    他人と関わり合うことが煩わしいからだ。起きるかもしれないトラブルや煩雑さに、うしろ向きになっていたせいだった。
    なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また会うためだ。出合うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。

    【音読】
    2022年2月3日から8日まで、大活字本を音読で読みました。この大活字本の底本は、2004年11月発行の文藝春秋から発行された「対岸の彼女」です。本の登録は、文藝春秋で行います。株式会社大活字発行の大活字本は、第1巻~第3巻までの3冊からなっています。

  • 自分の子どもの様子を見て、自分が子どもの時と重なる。
    これは実際に経験したことはないけれど、だけれど容易に想像することができた。

    結婚して出産した小夜子。
    結婚も出産もしなかった葵。
    ふたりの関係と、子ども時代が交互に描かれる。

    自分とは違う人生を送った「対岸」の相手は、自分とは違うものを持っていて「隣の芝は青い」状態で引き合う…のかと思っていたら、やはり他人の人生は「対岸」でしかないのだ。
    周りの噂話やそのときの気分で勝手に相手の人生を想像する。妄想して決めつけて自分の中で完結する。
    わかりあえそうなのに、なかなかわかりあえない。

    それぞれ家庭に対して抱くそれぞれのモヤモヤがなんだか現実的だった。
    それぞれ、いろいろあるものだ。
    だけれど、人は人に出会って生きていく。

    希望の光が差し始めた終わり方だったけれど、もうちょっと明るい気持ちになれる作品を読みたい気分だったのだと読後に感じた。

  • 学生時代も社会に出てからも女って面倒くさい。運良く私は学生時代にトラブルはなかったし、中学からの友達と今でも一番付き合いがある。そして、この人は信頼できるという前職の友人も何人かいる。
    でも、歳を重ねただけ友人だった人の裏切りにも合ったし、かつてあんなに一緒にいたのに今では名前も忘れるくらいな友人(?)もいたり…今でも職場では表でいい顔して、上司にあることないこと告げ口しまくっている年上女に悩まされたり…そんな面倒くさい関係がリアルに綴られていた。
    女って何でこんなに面倒くさいんだろうと何度も思いながらも自分も他人から見たら面倒くさい時があったりして、未だに抜け出せなくてもがく自分がいる。女って一生そうかもね。

  • 始めて読んだ、角田光代さんの本。
    女子の、いくつになっても変わらない複雑さがヒシヒシと伝わる。
    アラフィフ世代の多くの女子が、ウンウンと唸りながら読んだに違いない。

  • 子供の頃対人関係がどうにも上手くいかなくて、大人になっても何も変わっていないような自己嫌悪に陥る。分かる、とてもとてもよく分かります。なんで自分は友達が出来ないのか、出来ても上手く立ち回れなくて何故か孤立してしまう。こだわりなく話しかけたり出来ればいいのに、声が掛かるまで待ってうじうじしてしまう。
    大人になって、少しは器用に生きられるようになったけれど、根本は何も変わっていない自分を感じている。
    そんな2人の女性が、社長と従業員という立場で出会い分かり合い、そして少しづつすれ違っていく。
    学生時代の意味不明な人間関係の軋轢。大人になれば解放されると思っていたけれど、自分で選ぶことが出来ない人間関係からのプレッシャーに苛まれる日々。
    どうしようもないと思っていたのに、働き始めたことによって、周りを見、自分の生活を省みる事によって次第に自分を解放していく小夜子。
    女社長として奮闘しながらも、新事業も思うように進まず従業員からの不満で突き上げられる葵。
    高校時代の葵と、現在の小夜子を交互に描き、そのたびに頭がカチカチとスイッチ切り替わるのですが、その切り替わりが妙に心地よいです。
    青臭く、刹那に生きていた少女も、結局は時間を経て生活者となった姿をさらして生きるしかない。そんな当たり前な事が妙に染みる本でした、

  • 高校時代の話はとても瑞々しくて繊細でもろい感情がすごく上手に描かれていて夢中になって読み進めた。
    大人になったら、ドラマチックなことはおきないけど。

    学生時代の友人に連絡がとりたくなった。

  • 直木賞受賞作。

    高校生の時に読んでいたならきっと、惹かれたのは「大切なものは1個か2個で、あとはどうでもよくって、こわくもないし、つらくもないの」というナナコの言葉だったと思います。

    高校生の頃は、とても世界が狭かったと思います。
    その分密度が濃くて、人間関係にも過敏になっていた時期。
    それだけあって、クラスの空気を読む力を持たない女性は少ないんじゃないでしょうか。1人でいるのはまったく平気だけど、集団の中で孤立するのはとても居心地が悪くて、つい守りに入っていた自分がいた気がします。

    今一番共感できたのは、修二とのくだりかもしれません。
    たとえば、小夜子が感じた
    「家の中は整頓され、手作りの料理が並び、引き出しにはアイロン済みの衣類が入っているその状態が、修二にとっては当然の、ゼロ地点なのだ。何かひとつでもおかしなことがあればそれはただちにマイナスになる」
    というくだり。

    やって当たり前のことかもしれないけど、認められたい気持ち。
    家事は、まじめにやると結構大変なんだけどな。


    働く母と専業主婦、集団に所属する高校生と自由奔放な高校生、子持ち既婚者と独身女社長。
    まったく違う立場でいながら、通ずるもののある存在。
    赤毛のアンがランプで合図をしていたように、対岸にいてもわかりあえる。
    違うことにも価値があるんですよね。

  • 女の思春期から大人になった頃合いの生き辛さを描いた小説。
    集団でつるむの私も嫌いだったけど、1人になるのはもっと嫌だったな。でも1人で行動してみたらそれはそれはとても開放感に溢れていた。そう気付くまでに女の子って時間がかかるものだよね…。

  • いわゆる普通の主婦・小夜子と、小さな会社の女社長・葵の物語。同い年で大学が一緒だという過去の偶然がきっかけで、小夜子は葵の会社で働きはじめる。とても気が合いずっと仲良くやっていけるような気がしていたが、立場の違う二人はだんだんとすれ違っていき…。

    久々に本読んでて、何かがせり上がってくるのを感じた。感動して泣く、というのともまた違うんだけど。

    ひとつ、印象に残った言葉。
    「ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」

    なんか、学生の頃のこと思い出した。
    私も集団生活が苦手で学校生活もかなり苦戦したし、正直ひとりで居たほうが楽だと思ってたけど、でもやっぱり完全に孤立するのは怖かった。必死に頑張れる“何か”も見つけられてなかったから尚更。
    たまに人とつるむことにうんざりしてひとりで行動することはあったけど、それでも完全に孤立することはないようにって注意深く行動してた気がする。ひとりきりでもなんにも怖くない、とは言えなかった。

    大人になっても似たような繰り返しなんだって絶望して、その煩わしさを避けるように、ひとりでも出来る今の仕事を選んだ。
    社会に出ても学校の中の構図とほとんど変わらなかったから。仲間外れとか陰口とか、それらを避けるためにはうまく処世しなくちゃいけないこととか。ただ年齢が上がってるだけで、なんにも変わらなかった。その事実にぞっとしたんだと思う。

    結局は大人になってからも同じで、自分にとって大事なものが信念みたいな形で明確にわかっていれば、余計な横の繋がりなんてなくても大丈夫って思えるんだよね。
    今は無理に誰かと仲良くしなきゃとか全然思わないし、そういう中で違和感なく一緒にいられる人たちと出逢っていくんだってこともわかった。
    そういう感覚を学生のときに知ってたらずっとずっと楽だったんだろうけど、毎日続く学校生活ではなかなかそんな風には思えないよね。一段一段上ってきたから思えることであって、一気に全部飛び越えて強くなるなんて無理だから。

    そんなことを思った、思わされた小説。
    角田光代の小説にはしばしば打ちのめされます。こういうことあるあるって思う。特に女性はそう感じると思う。

    途中は葵に感情移入して辛くなったけれど、ラストは光を感じられるような終わり方でよかった。
    女同士って実際こういうすれ違い方をする。そういうことをリアルに感じられる作品でした。

  • 現在と過去の高校時代の場面の切り替えがとても巧い。
    混乱することなく、スムーズに読み進められる。

    ナナコは、『何もこわくなんかない。こんなところにあたしの大事なものはない。いやなら関わらなければいい。』と強い女の子の印象だが、実際は帰りたくないと泣き出し、葵と逃避行してしまう女の子。
    悲惨な境遇ゆえ学校では、どこにも属さないピエロを演じていたようだ。
    そんな不思議系ナナコには、好感を抱いた。

    葵の父親のグッドジョブな計らいで、再び渡良瀬川での再会のシーンは、嬉しいはずなのにどことなく永遠の別れを予感させる。

    高校時代、 夏休みの伊豆でのアルバイトと、現在の掃除の仕事、そして小夜子と葵との関係は重なり合うものがある。

    一人の人生ってそんなふうに、繰り返し繰り返し似たような相対関係が在るものなのかなと感じた。

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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