- 本 ・本 (568ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163246406
感想・レビュー・書評
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矢作俊彦がこういうのも書くんだということがマジ驚き。堀口大学が実名なんだということも驚き。もっとも、堀口大学なんて知らないというのが、今や普通で、矢作俊彦だって???という時代。トコトンうんちくとも読めるし、腰の据わった、しかし、どこか風太郎的奇想の匂いもする快作。
もっとも、読むのには、少々根性もいるかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
20140808立秋翌日
悲劇週間 矢作俊彦 文藝春秋
西題SEMATA TRAGICA
図書館返却棚で偶然の邂逅。外交官の息子「大學」の墨国(Mexico)での恋。
維新の頃の日本、米国と対峙していた墨国という地理と、与謝野晶子、鉄幹
石川啄木など日本の俳壇、フランスに行く途中で美貌のフエセラとの出会いと
冒険と別れ。時代的には、海から来たサムライの頃(米国のHawaii併合)。
そして、フエセラの訃報が昭和3年のバニティフェアに載ったと。
町田の高原書店の倉庫が戸塚にあり、そこでデミムーアの妊婦ヌードが表紙の
バニティフェ(虚栄の市)を古本でみつけた記憶が蘇り。 -
「ジャケ買い」した書物。革命時のメキシコを、堀口大學の眼を通して活写した時代小説。体言止めを効果的に使った、抒情的だがどこか乾いた文体が印象的。舞台が荒野のメキシコのせいか、白っぽい風景が広がる感じ。メキシコ娘とのロマンスも鮮烈。再読もありか。
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2010/8/30購入
2013/12/8読了 -
ひさしぶりに小説を読みました。1910年代をとおして継続したメヒコ革命の一場面を,20歳の日本人青年のナレーションをとおして描いた大作です。
この小説は,同じ作者による『海から来たサムライ』に似ていなくもありません。『海から来たサムライ』は,「明治30年代に,日本に居場所のなくなったサムライと,アメリカ合衆国に居場所のなくなった西部のガンマンとが,ハワイで決闘する」というバカバカしい粗筋以外,ほとんど史実に沿って書かれています。とりわけ,アメリカ合衆国によるハワイ併合を逃れようとして,ハワイ王室が日本の皇室と縁組を持とうとした,という史実が鍵になっています。ほかに,孫文による中華民国樹立,アメリカ合衆国による真珠湾の軍事基地化などが絡んできます。
同じように,『悲劇週間』も,ほとんど史実に沿って書かれています。たわむれにユニヴェルシテ(Universite)と呼ばれる奇妙な名の主人公は,実在の詩人堀口大學の足跡を正確に辿っていきます。メヒコ革命に登場する人物名も史実どおりです。ひとりのアメリカ人ジャーナリストがスペイン語風に「ファン・リード」と表記されていますが,作者も人間が丸くなったようで,小説の末尾で,このジャーナリストがのちに『世界を揺るがした十日間』の著者ジョン・リードとなることが示唆されています。この小説の登場人物たちは,目前で起こっているメヒコ革命のほかに,自分たちが体験したさまざまな戦争や政変について口にします。日本人の登場人物には,戊辰戦争, 西南戦争,乙未事変を体験した者がいます。箱館で榎本軍に加わったというフランス人元将校は,パリ・コミューンを回想し,上述の「ファン・リード」氏は来るべきロシヤ革命について語ります。この小説では一度として言及されていないとはいえ,メキシコ・シティーがのちにトロツキー暗殺の舞台となることすら,作者は視野に入れているにちがいありません。
では,『悲劇週間』は,20年前に書かれた『海から来たサムライ』のメキシコ版かというと,けっしてそうではないとわたしは思います。そのことは,500ページを越えるこの長編小説を最後まで読まないと感じられません。メヒコ革命についてのオクタビオ・パスの総括を正確に引用して扉に掲げ,第二次世界大戦で戦死したはずのポール・ニザンの言葉を明治45年の堀口青年に不正確に引用させるアナクロニズムでもって,この小説は始まります。それならば,若き南方熊楠の奔放な活躍を描いた『海から来たサムライ』とさしたるちがいはありません。しかし,『悲劇週間』は,いつしか失われた時を描きはじめます。失われた時とは,いくら手紙を書いても返事をくれないかつての恋人のようなもの。いったん心に棲みついたら,全身が侵されます。作者がそんな小説を書いたことはわたしの予想外でしたし,わたしがそんな小説に感じいったことも予想外でした。 -
堀口大學さんの生い立ちと幕末、明治当時の日本の状況に触れながら
その時期のメキシコの革命について描いていた。
大きく語られることのない
歴史の一ページに触れられたような気がした。
「地球をゆっくり回して頂戴。もうちょっとでいいから」 -
なんと、矢作俊彦が堀口大學を主人公&語り手に据えて、メキシコでの「恋と詩と革命の超大作ロマン」小説を書いた。
メキシコのあらゆる矛盾、スペインに滅ぼされた遺跡の上に建てられたメキシコ・シティ、「外交は言葉でやる戦争だ」という外交官の父、クーデタに地方の反乱、政変渦巻く政界とアメリカの陰謀が絡み合い、静かにクライマックスに向かうなか、堀口大學は熱烈な大統領の姪であるフエセラに魅せられていく。
「生ける屍であることをたえず思い出させてくれるから、メキシコの人は骸骨が好き」だとフエセラは語る。クライマックスでは、メキシコの政治、社会、そしてフエセラも含めて、今まで確かだったと思っていたものすべてが脆く崩れていく。そして死と破壊の中で、堀口大學は詩人としての生を受けるのだ。
優れた小説というのは、心に刻みつけられるシーンの多さで判断できると思う。この小説も忘れられないシーンが多い。フエセラとの会話、父との会話、いずれも強い印象を残す。
そして、何よりも文体。語り手が矢作俊彦だと感じられないくらい、堀口大學が乗り移っているとしかいいようがない。ロマンティックたっぷりに語る文体を味わうのがこの小説の楽しみ方。
しかし、あのヴァネヴァー・ブッシュらしき学者が登場してメキシコ大統領の前で「思考する機械」(コンピュータの原型となった発想)を披露するというエピソードはどこから見つけてきたのか。こういう小ネタも面白かった。 -
ここんところ妙に活動が活発な矢作、どうも胡散臭くて1年以上積読にしてたけど、賞味期限が切れてもなんなので、そろそろと。
前半はいまいちピンと来ない。なんとも冗漫でぼやけているんだけど、スタイルに押されてついページが進んでしまう、そんな感じ。それが、後半、メキシコの内戦が始まると、不謹慎だけど俄然面白くなる。不謹慎な訳ないか、なにしろ「悲劇週間」なんだから。
それにしてもページ多すぎ。これだけ厚いと通勤読書に向かないし、やっぱり前半はもっと削ぐべきだろうな。それと、途中に明らかな校正漏れがあって、一瞬、興が醒めちゃいました(頼むよ、文藝春秋さま)。
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