巨船ベラス・レトラス

  • 文藝春秋 (2007年3月16日発売)
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本 ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784163256900

感想・レビュー・書評

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  • 「大いなる助走」よりもしっかりと文学論であった。
    いろいろあって最後の最後に「オイディプス王」の文士劇から始まるシーンは読み応えがあった。
    初めて聞いた言葉「ミーム」を調べると、Wikipediaに、
    リチャード・ドーキンスという動物行動学者が1976年に著した「利己的な遺伝子」で使った言葉で「脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報」例えば「習慣、技能、物語といった社会的、文化的な情報」ということで、いくらスクロールしてもおわりにならないほど長く長く説明されていた。
    文学も過去のすべての模伝子を引き継いでいるというのだ。自分の読書もその流れの一部をなしていると思えば面白い。

  • 残念ながら私には理解しかねる世界観でした

  • f.2021/12/5
    p.2013/11/12

  • 作者である筒井康隆氏も登場するメタフィクションの小説。文壇界の内幕や現代の文学の状況などが登場人物を通して語られる。虚構の人物の言動より何より面白かったのは、作者筒井康隆氏の著作問題のくだり。やはり現実の方が生々しい。

  •  「小説」がテーマのメタフィクションもの。登場人物、彼らが書く作品の中の登場人物、本作を書く筒井康隆が出てくる重層的な世界観が面白かった。登場人物を通して筒井さんの考え方や最近の文学界に対して思うことが表れていたり、登場人物たちに文学論を戦わせていたりして読みごたえもある。最後の方にある私怨のぶちまけっぷりも潔くて楽しく読めた。全体を通して筒井節を堪能できる一冊。

  • 2007年3月15日 初販、並、カバスレ、帯付
    2014 年6月3日白子BF

  • SFではなかった

  • 怒りのエネルギーが衰えていないのは流石す。
    適度な掘り下げ方で、物足りないといえば確かにそうかも、だけど、それは衰えなのか、狙いなのか。

  • 筒井康隆御大が彼にしか書けないメタ・フィクション小説の体裁で現代文学を断じる、いわば「大いなる助走」に続く“文壇物”作品。かつての実験小説群に比べればごく軽い口当たりでさくさく読み進められる筒井節だが、内容に込められた文学者としての思いはなかなかに重い。

    “一億総カラオケ化”が文学の世界にも及んでいるという現状の提示、文「学」として前衛的革新的であろうとすることに(それを読む者がいなくても)意味はあるのかという問い、文学を読まずに文学を書く現代の書き手たちの中に流れる文化的ミームの不思議、御大自身にとって不快極まりない個人的な著作権侵害事件…テーマは多岐にわたり、ストーリーは作中作という下層から作者である筒井御大自身という上層まで入り乱れるメタ構造の中で展開し、とにかく情報量の多さと密度の濃さ、そして怒涛の文字数の中に込められた怒りと諦めと諦めきれない矜持とに圧倒される。
    好きか嫌いか、良い作品かつまらぬ作品か、そういう判断を素人に過ぎない一読者の私がすべきレベルではない、というか、このブクログのような、あるいはAmazonのレビューのような、“素人”が総評論家化して「学」としてではない評価、好き嫌いという感覚に基づく☆評価というものが広まり、読む本や購入する本の選択を左右する力を持つ勢力として認知されていること自体が、「巨船ベラス・レトラス」の前に立ちはだかる現代そのものなのだと思うと、口をつぐまざるを得ない。…でも☆四つ、という好みに基づく私の評価は厳然としてここに記録される、それが現代の文学を取り巻く現状なんだなぁと、☆にマークしながらしみじみ体感。

    それでも、作家である筒井御大自身を構築する様々な部分を振り分けて生み出されたような作中人物たち、その一人である村雨澄子に「一般読者の啓蒙を口実に、過去の実験や冒険をより楽な作業で繰り返そうと」している、とあたかも書いている自分自身を糾弾するようなセリフを言わせながら、そんな澄子が「やっと自分の前に前人未踏の道が開けた今、あと戻りすることなど、わたしにはとてもできません。誰に読まれずとも書くという人間だって、ひとりくらいはいてもいい筈です」と叫び、巨船ベラス・レトラスの船首像となってしまうというラストには、やはりそんな現代小説を取り巻く荒波を、御大なりに鋭さを失わず切り拓いていってやるという気炎が込められているような。「誰もが書ける」「面白くない文学」が「負のスパイラル現象」を起こしてエンターテイメントも文学も一層面白くなくしている、というのはおそらく事実で、実際私にも現代作家の小説はつまみ食いはしても本気で咀嚼しようとは思えない薄味なファミレス料理のように感じられていて。
    そんな中でも、文「学」を受け止められるほどの素養もない娯楽的な読者でしかない私ですが、御大の作品から受ける(重ねてる年輪を感じさせない)こうした刺激やエッジの効いた論調は大好き。素養はなくても、受け止めきれなくても、とりあえず浴びていたいこの刺激的な言葉の奔流…これからもご活躍を期待しております。

  • 「大いなる助走」を引き継いだ作品といわれる為に
    かなり期待したが、それほど深い掘り下げがなされているとは
    こちらの力量不足で感じ得なかった。
    しかし、題材が題材であるだけに、1冊の著作だけにそれを担わせるのはかなり難しいと思われる。
    他の圧倒的多数の作家に比べて、地位のある作家が、この年齢で著すエネルギーと問題意識には感嘆せざるを得ない。

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著者プロフィール

筒井康隆……作家、俳優。1934(昭和9)年、大阪市生まれ。同志社大学卒。1960年、弟3人とSF同人誌〈NULL〉を創刊。この雑誌が江戸川乱歩に認められ「お助け」が〈宝石〉に転載される。1965年、処女作品集『東海道戦争』を刊行。1981年、『虚人たち』で泉鏡花文学賞、1987年、『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、1989(平成元)年、「ヨッパ谷への降下」で川端康成文学賞、1992年、『朝のガスパール』で日本SF大賞をそれぞれ受賞。1997年、パゾリーニ賞受賞。他に『家族八景』『邪眼鳥』『敵』『銀齢の果て』『ダンシング・ヴァニティ』など著書多数。1996年12月、3年3カ月に及んだ断筆を解除。2000年、『わたしのグランパ』で読売文学賞を受賞。

「2024年 『三丁目が戦争です』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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