うつつ・うつら

著者 : 赤染晶子
  • 文藝春秋 (2007年5月発売)
3.08
  • (5)
  • (11)
  • (24)
  • (9)
  • (4)
  • 111人登録
  • 28レビュー
  • Amazon.co.jp ・本 (153ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163259307

うつつ・うつらの感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • おもしろーい!今までどうして読んでいなかったのか、後悔。こんな感じ、好きだなあ。

    「初子さん」時々挟まれる、大真面目なのかわざとなのかわからないとぼけた感じが何ともいえず、話自体は笑いが止められないような内容ではないのに、何回も吹き出してしまうところがあって、困った。あれ、ここは笑うところではないんじゃない、でも、笑っちゃうよ~と変に自問自答する始末。初子さんの母の心情が語られているところは、特によかった。迫るものがある。

    「うつつ・うつら」変!これ、すごい変!出だしはあんまりおかしくて、くすくす笑いが止まらなかったのに、あれっという間にどんどん話がおかしな、ちょっと怖い方向に進んでいってしまった。最初の方と、うつつの漫談が、下から聞こえてくる映画のセリフのせいで同じ所で止まってしまうところと、最後の部分が好きだった。思いがけない終わり方だったけど、鶴子、生きろ、頑張れ!と読み終わってから応援した。

  • 表題作「うつつ・うつら」ではなく、文學界新人賞受賞作の「初子さん」を読みたくて、図書館から借りてきました。
    京都で暮らす主人公の初子さんは、妙齢の女性ですが、パン屋さんに下宿して、来る日も来る日もミシンの前に座って洋裁の仕事をしています。
    この初子さんが、とにかくとぼけた味があって、私の心を最初から最後まで捉えて離しませんでした。
    初子さんは、たまにパン屋の店番を頼まれる時があります。
    店の籠に小銭が足りないと、初子さんが自分のポケットから小銭を出します。
    ところが、客に手渡したのが、お金でなくボタンの時があるのです。
    「わしゃ、狐に騙されとんのか」
    と口に悪い客は云います。
    町で自分の作った服を着た人に会うと、しげしげと見てしまいます。
    見ているだけならまだしも、声を掛けることさえあります。
    服地屋を通して依頼を受けた客には、初子さんが分かりません。
    それでも、スカートの中心を少し横にずらしたまま穿いている人には
    「ずれてはりますやんか!」
    と駆け寄ってスカートを直す。
    自分の作った洋服を着た子が滑り台を滑っているのを見つけると
    「あかーん! 服が傷むやろー!」
    雨の日に自分の作った服を着て、かまわず大股で歩く人を見ると
    「泥、跳ねてますやん」
    と思わずハンカチを持って駆け寄ります。
    初子さんは、自他ともに認める「あほ」ですが、一途なところがあって、それがまた魅力的なんですね。
    東京弁のような言葉を使う鼻持ちならない婦人が初子さんに仕事を頼みに来ます。
    「私はねえ、華やかなあーのがいいの、ねっ」
    そんなふうに話す婦人を、初子さんは好きになれません。
    「夢だけ追っていてはだめよ」
    という婦人に、初子さんはこう思います。
    「こんな蒸し暑い夜に窓を開けただけの部屋で、体から湯気が出そうになりながら仕事をしている。これが現実以外の何であろうか。」
    こんなふうに感じる初子さんが、私は愛おしくてなりません。
    特にドラマチックな展開があるわけではありませんが、初子さんの一挙一動、心の動きを慈しむような気持ちで見守ってしまいます。
    私は朝倉かすみの「コマドリさんのこと」のコマドリさんや、古くは織田作之助の「六白金星」の楢雄を思い出しました。
    私の「ツボ」のキャラクターです。
    文章も独特の滑稽味があり、油断していると何度も吹き出すこと請け合い。
    場末の劇場で受けない漫談をしている「マドモアゼル鶴子」が主人公の表題作も愉快。
    ほかにもたくさん読んでみたい作家さんですが、寡作なのが不満です。

  • 赤染さん、「乙女の密告」を読んだときも奇妙な世界を作る人だなあと思ったけど(人にクセがありすぎる)、デビュー作の「初子さん」からしてそういう感じだったのね。その奇妙さというのもどこか懐かしいわかりやすい奇妙さで、町に一人はいそうだよねっていう可愛らしさもあったりする。「初子さん」と「うつつ・うつら」の2編入りで、「初子さん」は小さいころから洋裁が好きで、洋裁のことしか考えず、今期を逃そうとしている初子さんをはじめ、初子の母や初子にスカートを頼みに来る客などのそれぞれの女の生活や生き様が描かれている。お母さんしんどすぎ。
    「うつつ・うつら」はマドモワゼル鶴子という漫談をやる芸人が主人公。場末の劇場で客もほとんど入らず、鶴子のファンは一人だけ。鶴子はもう若い芸人からみたら何考えてるのかわからない不気味なばばあ。それでもいつか自分はスカウトされて女優になれるんだみたいなよくわかんない夢を描いている痛い人。こちらは階下でかかっている時代劇映画の音、客が忘れて行った九官鳥、ちょっと足りない小夜子というお茶子(「ほっちっちー」とかしかほとんど言わない)など、それぞれの発する音や言葉について、音の呪詛って恐ろしいなと思わせる作品。ソシュールなんかをちょっと思い出す。

  •  初子さん と 表題作の うつつ・うつらの二つのお話が書かれています。 『初子さん』 縫い子さんの初子さんが住む町は昭和50年代の京都 ゆうるりゆうるりとした人々が暮らす町。 どうしようもない焦燥感のようなものが じんわり伝わってきました。 『うつつ・うつら』  どういえばよいのか・・・言葉にされることによって消され言葉にされることによって生まれそこから世界が構成されてゆくことの不思議・こわさのようなものを感じました。 

  • 赤染先生は京都府宇治市出身の方。
    登場人物の会話は関西弁でテンポ良く読めた。
    内容はシビアと表現するのは違う気もするが、繰り返される日常生活の中で感じる、何かに対する執着心、他人の目、自分の中の葛藤を記していた。
    「初子さん」も「マドモアゼル鶴子」も自分の譲れない物を持っていて、自問自答しながら日常生活を繰り返す。誰もがそうであると思うのに、読んでいて苦しかった。苦しかったけれど、彼女達が次はどう決断するのか気になって読み進めた。

  • 『初子さん』は昭和ののんびりした空気の中、すこしとぼけたように書かれる初子とその周りの人々の様子が書かれていました。生活に追われてきりきりとした母が気持ち的に再生するところは良かったです。
    表題作はそこにしか生きる道が無い主人公とその他の芸人のずぶずぶと沈んで行く姿が読んでいて息苦しくなりました。
    名前が自分から剥がれ落ちる瞬間…想像するだけで恐ろしいです。
    最後の金太郎を抱えて逃げる鶴子に希望が持てましたが彼女の長年の夢は赤子一人の生命力の前では無に等しかったのだろうか、と考えてしまいました。

  • 壊されてはならない。
    大切な言葉を、本当の名前を。
    彼女の名は「マドモアゼル鶴子」、場末の劇場で受けない漫談を演っている。
    外から流れこむ映画のセリフが漫才を損ない、九官鳥がくりかえす言葉は意味を失い、芸人たちは壊れていくが、鶴子は…。
    (アマゾンより引用)

    意味が分からん…

  • 初子さんは星4つ、表題作のうつつ・うつらは星2つというところでしょうか。

    初子さんもうつつ・うつらも、テーマは似ているかなと思う。日常の中で疲れ果てて溺れていく人たちという。

    うつつ・うつらは最初の方があまり楽しくなかった。
    映画の世界がうんぬんというところ、あまりピンと来なかったし。
    名前が奪われる下りも、まぁ分かるんだけど、でもそのあとどうなるの?死ぬの?はっきりとは分からないという印象。

  • 『初子さん』…昭和50年代の京都が舞台。初子さんは今時の若い人には珍しい洋裁職人で、毎日依頼された洋服を作るだけの毎日を繰り返している。
    『うつつ・うつら』…マドモアゼル鶴子は、下の映画館からひっきりなしに女の悲鳴やチャンバラの音が聞こえる演芸場で、来る日も来る日も受けない漫談をやっている。


    以前読んだ『乙女の密告』が面白かったので、本書を読んでみることにしました。

    『初子さん』の生活には、共感するところが多々ありました。
    今の生活で生きていけるはずなのに、漠然と不安になったり、子供の頃持っていた情熱が冷めてしまったり。
    同じことを繰り返す毎日から抜けられない。明確な言葉にできない不安や虚無感を感じました。

    『うつつ・うつら』は、初子さんと同じように、繰り返す毎日から抜けられない話なんだと思います。
    しかし、私には合わなかったです。同じことを何度も繰り返し書く書き方が受け入れられず、うんざりしてしまいました。
    小夜子が怖い。本当に人を追い詰めたのは小夜子なのではないかと思います。小夜子を守らなければと思わせることによって、知らず知らず負担になっていたと思いました。
    最後は、早乙女紅子になる夢よりも、演芸場から抜け出すことを選んで、あれだけ縋っていた夢なのに、後悔はしないのだろうか。

  • 芥川賞受賞作の「乙女の密告」がとても良かったので読んでみたけれども、「乙女の密告」のようなドライブ感はなかった。わたしがあれを好きだとおもったのは、非常に難解な哲学的主題を、外大の乙女たちとアンネ、フェティシズムな教授、という少女小説パロディのような装置に落とし込み、さながらカーニバルのごとく疾走感とドタバタ感溢れる奇妙なストーリーに仕立て上げていてその力量に感服してしまったからでした。その意味で言えば、本書に収められた短編はどちらもごくありふれた装置による小説に過ぎない。けれども、この本を読んだことで赤染晶子という作家の主題がすこし掴めたきがする。この本には短編がふたつ入っていて、どちらも限定的な、閉ざされた、出口のない世界におけるもの。この、出口のなさに対する描写が非常に秀逸。街の雰囲気を水銀に例えた記述、そしてぬるま湯と表現された劇場の記述。的確でリズム感があり、このひとにしかできない言葉の使い方、文章の組み合わせ方で書かれていると感じた。内容としては、最初の短編はとてもわかりやすい。閉塞感溢れる状況にあり、だれもが出口を求めているが得られない倦怠と絶望のなかで、夜逃げというかたちで脱出する人物に可能性が託される。何気無い人との関わりの描写であったり、それをあんぱんに託すかんじとか、すごくすきだ。ただ、表題作は一筋縄にはいかない。非常に難解。というか、場面が設定されて登場人物もそれなりにたくさん出てくるんだけれども、どうも観念的で、この人の独特の文体もなんだか絡みつくようで、閉塞感だけがどんどん増していって、読んでいて辛かったです。閉ざされた壁からの脱出を試みるという点においては共通しているが、名前というメタファーを使ったアイデンティティの問題に加え、言語論的展開の言及だろうか、言語に関する哲学的考察も含まれているようにおもえ、それが「乙女の密告」のような物語という枠に入っているわけでもなくただ突きつけられるので、もうくるしくて。まあデビュー作だから仕方ないのかな。とにかく、赤染晶子はオリジナルな、他ではなかなか出来ない小説的体験をさせてくれる作家だということは確信出来た。今後も読み続けます。

全28件中 1 - 10件を表示

赤染晶子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

ツイートする