- Amazon.co.jp ・本 (138ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163270104
作品紹介・あらすじ
姉とその娘が大阪からやってきた。三十九歳の姉は豊胸手術を目論んでいる。姪は言葉を発しない。そして三人の不可思議な夏の三日間が過ぎてゆく。第138回芥川賞受賞作。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
自分が異性ということもあるのでしょうが、表題作「乳と卵」は面白かったです。
母娘の上京というシチュエーションの中で、母の豊胸手術への高揚感と、初潮前の娘が感じている卵子というものが繰り返す、存在していることへの虚無感がうまくミックスされて、その大阪弁の思考言葉?の語り口表現がよく活きていたのではないかと思います。
母・巻子はどん底に近い生活の中で娘を育てながら豊胸手術に熱中している。娘・緑子は口を利かずノートでの筆談でしか会話をしなくて、日記に自らの不思議な思いを綴るのみ。そして、上京先の母の妹=叔母は、そんな2人を眺めている。
銭湯?での乳房品評のシーンや月経のシーン、そしてジェンダー論もどきなど、これでもかという具合に女性の身体を題材に様々な角度から、時には滑稽に、時には細部にわたるリアリティさで描写する様はとても面白かった。緑子の日記での思考でシーンを区切る趣向も良かったですが、思考が駆け巡る一文の長さや、体言止めの文など作者の文章表現の変幻自在さも魅力的でした。
最後の卵割りの場面で何もかもが融合していく様は、何が何だかわからない一方で(笑)、妙にのめり込ませるシーンでもありました。それまで鬱屈していた女性たちの感情のほとばしりが楽しかったのかな?(笑)
併録は「あなたたちの恋愛は瀕死」で、もてない女性の抑圧された思いが、道でテッシュを配る男性を接点に、行きづりの交際の魅力で解放される物語。化粧をした自らの姿を視るという女性ならでは(?)の心の動きが楽しめた。 -
芥川賞授賞作じゃなかったら出会っていなかった本。
面白い表現方法でした。 -
生々しく、痛々しく、少し血生臭い匂いがしつつも同時に瑞々しい女性性の物語。
巻子の豊胸手術、取り留めのない多弁さ、咳止め薬(ブロン?)依存、ダブルバインデッドなコミュニケーション、母子家庭、大阪。
その巻子の娘である緑子の緘黙、初潮、ナプキン、母親への同一化拒否、空虚感、見捨てられ不安・・・
これら全てが嫌な予感しかしない。
この物語に漂う血の匂いに耐えられない男性も多いかもしれない。
この嫌な予感と漂う血の匂いに臆病な男性である私はなんだか怖いような感じがしてぷるぷる震えてしまう。
思春期特有である(かどうかはわからないけども)どこか身体の成長とこころが足並みを揃えられていない感覚、特に身近な同性である親に同一化を見いだせない場合はより強く、身体という器とこころが別のように感じるのだろう。
それが、この作品の卵だったのかもしれない。
白くて丸みを帯びている様は女性性を現しているようにも見え、そして卵を有していて産めるのもまた女性だけの特権であり枷、呪いなのかもしれない。
終盤、緑子は大きな泣き声とともに、パックのたまごを自分のからだにぶつけつつ巻子を責める。
巻子も同じように卵を自分にぶつけて応える。
このシーンこそ、緑子が自分の方を破って緘黙という身体から解放されたことであって、巻子にとっては緑子をもう一度出産している感覚の追体験だったのではないか。
人は生まれた時、どろどろしている(らしい)し、大きな声で泣く。
思春期を迎えてこの母子は再び生まれて子となり、親になったのかもしれない。
この体験で母子は救われたのかもしれない・・。
こんな事を考えると涙がでそうになり、またぷるぷる震えてしまった。
-
高校生くらいの時に読んだという記憶だけはあるものの、全く内容を覚えていなかったので再読。
「乳と卵」も、その後ろの短い「あなたたちの恋愛は瀕死」も文体がすごく読み辛く、とりとめのない感じもなかなかに苦手な感じだった。芥川賞ってとりとめのないものばかり、、、という勝手な印象。うーむ。 -
テンポの良い、でも冗長な大阪弁で語られ、どこか漫才師による漫談を聞いているよう。滑稽でもあり物悲しくもあり。
もちろん乳は豊胸したい巻子、卵は生理が始まり思春期で殻に閉じこもる緑子を表してるんだろう。
あったかいお話だった。
母と娘のつながりを感じた。
緑子はまだまだ巻子に甘えたい。
自分が吸いあげてしぼんだ胸を大きくしようとする母に、言い知れぬ寂しさをぶつける。それでいて夜の仕事をして痩せゆく母を心配している。
こんな母と娘は助け合いながらこれからを歩んでいくんだろう。 -
独特の文体であるが、手を伸ばせば届きそうな、というか、目の前で繰り広げられているような、生命感がある。内面に迫ってくる。素晴らしい。
-
語り部「私」の姉にあたる巻子は豊胸手術に異常に執着している。巻子の娘である反抗期の緑子は言葉を発さず、コミュニケーションは筆談で行う。豊胸手術をするために、ある日巻子は緑子とともに私の住む東京にやってくる。
句読点を多用したりほぼ改行が無かったり話言葉に「」があったり無かったりといった独特の文体裁が、取りとめのない滞った感情を表しているようで印象的。
緑子が自身の「女」への体の変化や胸を“何か”で膨らませようと躍起になっている母の行動に対し、嫌悪にも似た感情を示す。「母」が「女」に戻ろうとする姿は子供にとっては恐怖だ。母も一人の女性であり一人の人生には違いないのだけど、「母」が「女」になってしまったら、もう「子」では居られない。もっと言えば「子」として誕生させしなければ、「母」は「女」のままでいられたのにとさえ感じる。
母としての役割と反対側に置かれる女としてのアイデンティティ。生きていく以上女はやめられないのだから、女を疎んだとしても煩わしいと感じても、その入れ物で勝負をしていくしかない。 -
芥川賞受賞時の書評を読んで、惹かれる引力があった作品です。でも、妙にセクシャルな印象を受けるタイトルに暫くは遠慮していました。ストーリー、文体、装飾の無い全てドライな作品が唐突に読みたい、と思ったときに、ふとこの作品が思い浮かんで、手に取ることになりました。緑子の言葉は、「これを男性も読むのか」と思うと、何だか気恥ずかしくなってしまう程、女性として理解せずにはいられない箇所が多いです。そして大阪弁の効果が、関西人の読者にはかなり効いています。「厭やなあ」という心の声が、すとん、と響きます。「嫌やなあ」じゃないんだよね、「厭やなあ」なんだよね、とくだらない違いのように思えるところも、何だか愛おしくて、理解出来てしまいます。それから、非常に気に入ったのは、たらたらと続く文体です。一歩間違えたら、作文として崩壊しかねない、感情の垂れ流しのような文章構成のはずが、不思議と読みやすいのです。ケータイ小説の「等身大」等と言われる表現よりもずっと「等身大」で、不思議な風格があります。でも、とにかく緑子の「厭やなあ」がとっても好き。彼女のこの、たった一言に惚れてしまったような気がします。古本ではありますが、単行本で買ってよかった、ずっと手元に置いておきたい作品になりました。
-
面白いと思ったけれど短編なのにとてもつかれた。不安定そうな巻子がとても不気味で限界を感じる。花火のシーンがラストかと思わせてしてなくて次回にという展開とても好き。英語訳はどんなふうに描かれてるんだろう。ぜひ読んでみたい。
著者プロフィール
川上未映子の作品






この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。





