猫を抱いて象と泳ぐ

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163277509

感想・レビュー・書評

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  •  作品には、主人公と他の登場人物の名前が記されていない。
    最初から物語は存在しないということか?唯一記されている人物は、アレクサンドル・アリョーヒンという。
    物語上では、伝説の人物となって「盤上の詩人」という呼称である。

     物語は、少年の生い立ちから始まり、その後の人生を決める出来事に出くわす。七歳になったばかりの少年は、祖母と弟の三人でデパートへ出掛けるのをささやかな喜びとしていた。

     彼は、遊具に何の興味も示さなかった。屋上にベンチがあり、前には立札が立っていて、「本デパート開業記念として、インドからやってきた象のインディラ臨終の地。子象の間だけ借り受け、動物園へ引き渡す約束だったが、あまりの人気に返却期間を逸し、インディラは大きくなり、屋上から降りることが出来なくなった。以来三十七年間、子供たちに愛嬌を振りまきながら一生を終えた」

    ある日少年は、バス会社の独身寮の裏手に迷い込んだ。廃車になった回送バスが停まっているのを見つけ恐る恐る中に入ってみると、男性から声を掛けられた。手作りの菓子とチェスをこよなく愛していた。男に「チェス」をやってみないか、と誘われたことがきっかけでチェスにのめりことになる。しかし、男はただの平凡なチェス指しではなかった。チェスの本質的な真理を心で掴み取っているプレイヤーだった。

     チェスと出会って以来、男を「マスター」と呼ぶようになった。少年の祖父は、家具修理の職人で、自宅寝室の天井にチェス盤の模様を描いてもらった。駒を持たずとも頭の中に盤面が浮かぶようになった。チェステーブルで、マスターとチェスをする少年の足下にはいつもポーンと名付けられた猫がいる。対局中は猫を撫で盤面を見ないでチェスをする習慣がついた。寧ろ、見ないで対局する方がリラックスできるのだ。四年の歳月が過ぎた頃、マスターの盤面に美しい蜘蛛の巣の模様があり、一箇所に綻びを発見することができた。そこから冷たい一筋の風がマスターのキングに吹き付けている。「チェック」少年はクイーンを滑らせ、マスターは、自分の黒いキングの駒を倒し「坊やの勝ちだ」と。

     少年は十一歳になっていた。狭い回送バスの中での出来事、他の人と対局したことがない。だからといって広い場所で対局したいという願望はない。伝記上のプレイヤーで尊敬する人物から“リトル・アリョーヒン”と命名され“盤下の詩人”と呼ばれることになった。

     彼は決して名声が欲しい訳ではなく、ただ駒を動かしたいだけだという。全くチェスを知らない人や国際マスタークラスの人ともチェスを通して、語りあい美しい詩(棋譜)を書きプレゼントした。

     読書は楽しい。

  • 静かで、そして美しいお話しだった。
    最初に見た時のタイトルからのイメージと作品を読み終わってもう一度タイトルを見て想像すると、猫のポーンを抱いて、象のインディラとミイラと一緒にチェスの大きな海を泳ぐ少年がいる素敵な景色が広がる気がした。
    老婆令嬢と家で一戦を交えるシーンは静かながらもぐっとくるものがあった。
    夜にそっと目を開けて、リトル・アリョーヒンがどんな闇の中を過ごしていたんだろう…そんな想いに耽りたくなる作品でした。

    とても心地の良い余韻の残る作品だった。

  • マスターとの出会いによってチェスと出会い、少年の運命が決まる。
    途中少年の心の痛みを思うと辛かったけれど、辛いことばかりでなく幸せを感じる時もあったのが救いだった。
    最後は涙が溢れた。

  • 唇がくっついた状態で産まれてきたからか、無口で空想の象と壁に挟まった少女のミイラだけが友達だったリトル・アリョーヒン。ある日、回送バスに住む巨体のマスターにチェスを教えてもらい、どんどん世界が開けていく。
    無口だけれど、チェスの盤上で広大な表現を繰り広げられる職人的な姿が誠実さと堅実さを醸し出し素敵だった。マスターやミイラや様々な人との絆もまたチェスによって固く結ばれていて、チェスという小さな存在が与える大きな力を感じ、えらく感動してしまった。最後は少し切ないけれど、チェスが人々を幸せにするお話と言って良いと思う。

  • 大好きな本のうちの1冊で、久々に再読。

    リトル・アリョーヒンと呼ばれたチェスプレイヤーの生涯。
    以前読んだ時は「静か」という印象が強かったんだけど、今回はその静けさの中の温かさがじんわり沁みてきた。静かだけど、そこは無色透明ではなく、淡く柔らかな光で包まれた世界だった。マスター、家族、ミイラ、それぞれに愛された記憶が彼の中に確かに息づいている様子がふっと見えてくる。

    チェスは詳しく知らないけれど、真剣に向かい合う二人が描く棋譜の美しさが、なんだか想像できる。何度も美しい対戦をしてきた老婆令嬢との再会のシーンがすごく好き。老婆令嬢の指先を見守るリトル・アリョーヒン、その視線から滲み出る温かさと消えない敬愛の念に胸を打たれた。

  • 再読。
    やっぱり好きだ。小川洋子さん。
    私が好きな10冊、を作るとしたら間違いなく選ぶであろう一冊。
    美しい。
    チェスのことはさっぱりわからないけど、
    チェスの深い世界に引き込まれてゆく。
    「哲学も情緒も教養も品性も欲望も記憶も未来も」
    全てがチェスにあるように、この本にも全てがある

  • 春先に降る雨のように、静かに染み込んでくる作品でした。

    目立たなくても丁寧に。
    自分の信じることをやり抜く。
    富や名声とは無縁だったかもしれないけれど、
    彼を大切に愛してくれる人たちに出会えて、幸せだったと思う。

  • 今まで読んだ本の中で1番好きかもしれない。

    チェスも全くわからないし、これがどこなのかどこの時代なのか全くわからないけれど、読み始めから惹かれた。

    象も猫も好きじゃないけど、タイトルも惹かれる。

    子どもの頃、絵本を読んでいたときの気持ちはこういうものだったのかなー。ページを捲る手が止まらなかったけれど、終わってほしくなかった。

  • 気がつくと、リトル・アリョーヒンとそっと泳いでいた。

    大きくなって
    屋上からおりれなくなった象、
    回送バスからおろせなくなったマスター。
    そして狭い壁の隙間にそっといるミイラ。

    大きくなることを拒んだリトル・アリョーヒンは
    小さな小さなチェス盤の中で
    大きな大きな世界を旅をする。

    話全体自体が泳いでいる時のような、
    淡く優しく包まれたような雰囲気で、
    個性的なキャラクターたちと主人公のチェスを、
    そっと見守る気持ちになる。

    チェスとリトル・アリョーヒンから見える世界の話が
    静かにしっとり流れてゆく。
    こういった世界観が好きな人には非常におすすめな一冊。


    久しぶりにとてもよい世界を感じました。
    切なくなるけれども、何か包み込むようなやさしいおはなし。

  • 盤下の詩人リトル・アリョーヒンの物語。

    バス会社の独身寮の庭にひっそりと置かれた、回送バスに住み込むマスターからチェスを教わった少年は、慎ましやかながらもチェスの奥深い海に包まれた幸福な少年時代を過ごす。
    彼には変わった癖があった。
    チェスの一手を考えるとき、マスターの飼い猫を抱いてチェス盤のテーブルの下にもぐりこむのだ。
    当然、盤上の駒は見えないが、彼にとってはその方がかえってチェスの宇宙的な広がりがよく見えるようだ。
    少年はチェス盤の下で、チェスの一局一局が奏でる旋律と詩に耳をそばだてていた。

    肥満体のマスターがバスの中で病死したとき、彼の幸福な少年時代は終わりを告げる。
    マスターの巨体の亡骸をバスから出すことができず、少年にとって思い出深い場所であるバスは重機により無残にも破壊されることとなる。
    このことから少年はひとつの教訓を得た。
    「大きくなること、それは悲劇である」

    心のよりどころを失った彼は、流されるようにしてチェス倶楽部にたどり着き、自動人形を操って、会員たちの対戦相手となる役目を担うこととなる。
    自動人形を操るためのチェス盤の下のスペースは非常に狭かったが、彼の肉体は11歳の時のまま成長を止め、それ以上大きくなることはなかった。
    自動人形の黒子に徹し、決して表に出ることのなかった彼は「リトル・アリョーヒン」と呼ばれるようになった。
    ホテルの地下で毎晩あやしく繰り広げられる勝負の中で、彼は介添え役の女性と運命の出会いを果たすが、ある対戦の中で取り返しのつかない過ちをおかす。
    失意のうちに少年は自動人形とともにチェス倶楽部を離れる。

    再び流されるようにしてたどり着いたのは、かつてチェス倶楽部の会員だったチェス愛好家たちが集う老人専用マンションだった。
    孤独な夜を過ごす老人たちの対戦相手をつとめるうち、彼はより深くチェスの奏でる調べの美しさを理解することとなる……

    静かで詩的な描写の美しい、珠玉の作品。
    幻想的でありながら透明度が高く、さらりと読めるようで、ひとつひとつの字句が胸に染み入る。
    リトル・アリョーヒンが味わっているのは、言語化することのできない類の美であるはずなのに、それを文章表現により魅せる妙。
    少年と共にチェスの海を漂っている気分になりました。

著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

小川洋子の作品

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