- Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163284408
作品紹介・あらすじ
階段を後ろ向きに上がり、排泄物はすべて保存する-子供の頃、最愛の母の死を目撃してしまった青年エド・ザイン。「時が流れる先には死が待っている。時を巻き戻さなくては、愛する家族は死んでしまう」との強迫観念に囚われたエドは不潔な地下室に篭り、「時を巻き戻す儀式」を繰り返す。タイルの継ぎ目を踏むな。手の指同士をくっつけるな…。強迫性障害という病は、日常生活のすべての行為をがんじがらめに束縛する…エリート医師は、この地獄から彼を救えるのか?強迫性障害からの再生、感動の実話。
感想・レビュー・書評
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フィクション小説かと思いきや実話で驚き。表現が細かく丁寧なので、強迫障害の内容や状況が想像しやすかった。入院中に読破したため、病に対して私も一生懸命のめり込んで読めました。治療というより、人と人との縁や繋がりに感動。
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重度の強迫性障害が立ち直るまでを、それに係った医師も含めて描いたノンフィクション。
この話で良いのは、患者のエド自らが、病気を分析して、行動を工夫して立ち直ったところ。
強迫性障害的要素、例えば鍵をかけたかどうか不安になるのは誰しも少しは持っているものだろう。だがエドのそれは、完全にタガが外れているとしか言いようがない。今でも、衝動は内にあって、コントロールしているだけというから大変だ。 -
心の拠り所であった母が死んだトラウマから強迫性障害という病に陥り、何十年も棒に振るってしまった主人公エドのおはなし。この強迫性障害というのは誰にでも起こりうるものでゲン担ぎのようなものである。しかし、ゲンが担げないと自分の大切の人、親や友人が死ぬとしか考えられなくなる。エドは時間を巻き戻せるような環境や動作でなければ発狂してしまう。階段を上る回数は偶数回、電話は4回かける。ほかの人からすると非常に不可解なものである。
ベッカムも強迫性障害なのだそうだ。
僕はこの本から強迫性障害の恐ろしさも知ったし、それに打ち勝つためには何が必要なのかも学ぶことができた。それはサプライズをして相手を驚かせてあげようという心意気である。エドはエリート医師マイケルと信頼関係を築き徐々に症状について理解をしていくのだが、最後の最後で諦めるような発言をする。マイケルは涙ながらに去るのだが、エドはそのことに傷つく。これが初めての感情でマイケルを驚かそうという思いが強迫性障害を治すモチベーションにつながっていく。 -
[ 内容 ]
階段を後ろ向きに上がり、排泄物はすべて保存する―子供の頃、最愛の母の死を目撃してしまった青年エド・ザイン。
「時が流れる先には死が待っている。
時を巻き戻さなくては、愛する家族は死んでしまう」との強迫観念に囚われたエドは不潔な地下室に篭り、「時を巻き戻す儀式」を繰り返す。
タイルの継ぎ目を踏むな。
手の指同士をくっつけるな…。
強迫性障害という病は、日常生活のすべての行為をがんじがらめに束縛する…エリート医師は、この地獄から彼を救えるのか?強迫性障害からの再生、感動の実話。
[ 目次 ]
時を進めてはならない
人生が停まった日
時が流れる先には「死」が
時間を巻き戻す「儀式」
ベトナム戦争のトラウマ
マイケルの戦争
地下室の牢獄
裏切りの強制入院
精神病は「弱者のたわごと」か
型破りな医者
エドとマイケル、運命の出会い
マイケルの涙
時計の針を進めよう
時がすべてを変えてくれる
マヤダとの結婚
親になる
夢の選択
夢は実現する
勝利の瞬間
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
強迫性障害患者エドの記録。
非論理的だが、儀式めいたことをやらないと気が済まない、不安になるといった症状。強迫性障害の患者と天と地ほどの差はあれど、そういうとこがある人は多いんじゃないかな。その感覚はわかるだけに入り込みやすい。
印象に残ったのは、家族だけでなく、エドに対し無償の親切を注ぐ人がたくさん登場するところ。 -
こういう人をこそ“レジリエントな人”というのだろう。
母親の死の瞬間に、不幸なかたちで立ち会うことになった少年エド。そのトラウマは深刻な強迫性障害となって表面化し、彼は絶望的な強迫観念にとらわれてしまう。名医と呼ばれた医師でさえもなすすべなく無力に立ちつくすが、やがて回復への転機が訪れる。。。
強迫性障害が本人に与える非常に残酷な制約に、圧倒されてしまった。まさに生き地獄。これはきわめて深刻なケースとのことだが、彼のように病院に行くこともできない潜在化している患者も少なからずいると考えてもおかしくないだろう。
瞬間瞬間を“巻き戻し”の強迫に打ち勝とうとした過程でのエドの奮闘に、周囲の人びとも動かされる。それが前向きな変化へ向けた相互作用をもたらして、新たな出会いを作り出した。この事例では、それが専門家ではなく、ごく身近なあるいは、もともと何の縁もなかった人(ダースベイダー商品を扱う社長とか)たちとのあいだで生起したということが興味深い。このことからわかるのは、専門家にできることなど限られていて、だからこそ専門職に従事する者は知識差がもたらす弊害を自覚し、自らの立ち位置を低く置かねばならないということ。
疾病・障害と、人間として尊厳をもって扱われるべき存在としての人格を切り離して考えることがいかに大切かということ(それをとくべつな訓練を受けることなく“自然に”できる人びとがいることは人間社会の希望を示していると思う)、社会復帰において周囲の深いかかわり、あたたかな見守りや具体的なサポートの重要性についてのレポートでもある。対人援助にかかわる人が読むべき名著。 -
幼少の頃のトラウマにより「時を巻き戻す儀式」をしなければ愛する家族が死んでしまうという強迫性障害に囚われていたエド。
家族も、周囲の人も、そんなエドをどうすることもできない。
強迫性障害の治療で目覚しい成果を上げていた医師マイケルは、エドの家族からの依頼で、エドの治療を始める。
(以下ネタバレあります)
どんなにつらい状況にあっても、どんなに酷い行動をとっても、「それは病気のせい」であり「本心は異なる」と、周囲が認められるのが凄い。許容ではなく理解。(エドと話をするゆとりがない場合は、きちんとその旨を言って、断ることが出来る)
強迫性障害という病気は、薬だけでは治らないこと。
医師の力の及ばなくなった時に、エドがマイケルのために治したいと思い、折り合いを付けて病気と向き合っていくこと。
このくだりは凄いなぁ……。
医師が全力を尽くして、無力だと感じて、患者の前で泣いてしまう。
患者はそれを見て「自分が医師のために頑張らないと」と決意する。
患者が考えに考え抜いて、病気を観察し続けて、立ち向かう。
まるで作り事のような展開の作品だが、後半の困難との顛末などを見れば、周囲に居るのもいい人ばかりではなくほっとする。
著者がテレビプロデューサーということもあり、ドキュメンタリーで映像化したら、もっと凄いのだろうと想像させる。
また、著者の子供に対する気持ちも投影されているのだろうと感じた。 -
201002/強迫性障害患者に関する実話