- 本 ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163296807
感想・レビュー・書評
-
勝手に私が大仏再建の話だと思い込んでただけだったみたい。平家に焼き討ちされた東大寺の大仏を再建した重源の波瀾万丈な一生を追う…ってな体裁。クライマックスは恐らく、五条橋なんだろうが、いわゆる《鹿ヶ谷の陰謀》に、重源と西光と鑁阿と空諦の思惑が入り乱れて、わけ分からんくなったー。結局、高倉の退位は阻止できたのか…??
私の認識している《鹿ヶ谷の陰謀》って、「ビフォア俊寛」ってくらいの感覚なんだけどー(涙)
大仏再建に技術的に貢献した陳和卿、《鎌倉殿》でもチラッと映ったねー。宋国の技術者達を招聘した陰の立役者が臨済宗の開祖・栄西だったとは。
あと、大筋とあんまり関係ないけど、後白河のご落胤『猫夜叉』…になりすました、鼻のもげた女盗賊ね。鑁阿の関係が今一つ分かんなかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本書の題名が、内容とあっていない感じがする。重源が悪党という感じは受けず、コーディネーターであり、凄腕のプロデューサーのような感じを受けた。
奈良の東大寺大仏、盧舎那仏の再建に「勧進」をした重源の生い立ちからの物語である。
東大寺大仏は、聖武天皇(701〜 756;第45代天皇在位724~749)が、仏教による鎮護国家を作るために、743年に東大寺の造営およびその本尊として大仏が作ることが計画され、752年に大仏開眼供養が行われた。1181年に平清盛(1118〜1181)の命を受けた平重衡らが、東大寺と興福寺の僧兵集団と戦い、南都を焼きはらい、大仏は焼けてしまった。後白河上皇(1127〜1192)は、重源(1121〜1206)を大勧進に任命し、直ちに東大寺の再建に取りかかった。重源は精力的に全国を勧進にまわり、源頼朝(1147~1199)の協力のもとで、大仏や諸堂の再建にあたたった。1185年に大仏開眼供養を行った。重源は勧進聖や勧進僧となり、土木建築や美術装飾に関わる技術者・職人を集めて組織する。この中に運慶と快慶が仁王像を作ることになる。勧進活動によって再興に必要な資金を集め、それを元手に技術者や職人を集め、実際の再建事業に従事した。民衆を動かし、新たなる産業を起こした。一つの目標を掲げて、実現する力がある。
港の補修事業、農業のため池事業など、土木事業にも通じていた。中国にも、3回渡ったとされる。
本書は、重源が、両目が塞がれた弟子の鑁阿(ぱんな)を連れて、焼け落ちた東大寺を訪れる場面から始まる。
重源の父は、従五位下に上るほどの武者であったが、不慮で亡くなり、家督騒動が起こり、そのため
重源は、六条判官、源為義(頼朝の祖父)の敵となった。そのことが、立場を不安定にした。結局は、出家することしかなく、俊乗坊重源となった。四国の曼荼羅寺の門弟となり、師僧善宝の供を命じられて、銅山に行き、銅の精製技術を学ぶ。それは秘伝の術だった。その時同僚だった阿波ノ君と師僧善宝を殺すことになる。この師匠殺しが、後の場面で「阿波ノ君」とつながることになる。
重源の様々な困難を、乗り越えて行く様が丁寧に描かれていて、強靭でタフな精神を発揮する。また、先を読む力も強い。その人間関係を追っかけて行くだけでも、大変である。ただ、平氏と源氏の戦いの中で、源氏が政権を掌握して行く中で、どうたち振る舞うのかが、重源にとっては重要だった。また、弟子の鑁阿が、成長し、能力を上げて行くことで、重源は恐れる。いつ裏切られたり、殺されたりするのかさえも、読まなくてはいけない。重厚な小説だった。 -
源氏の統制はヤクザと同じルーツか
それが織田信長にも通じていく
重源という時代について
見直す。 -
高橋直樹の著作を初めて読んだ。
副題に「中世を創った男」とあるが、そのように書いてあるとは思えない。
そもそも重源の事績がこの著では掴めない。
習作か? -
奈良の大仏を再建した僧・重源が主人公。
久しぶりに面白かった。
著者プロフィール
高橋直樹の作品





