- 本 ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163298405
感想・レビュー・書評
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この作家さんの時代物は、本当に面白い。一言一言に、思わず頷いてしまう。衒いや見栄もなく、ズバリと本音が出てくるのがとても爽やかで、気持ちがいいです。
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一刀斎とはよく言ったものだ、僕は伊藤一刀斎景久をすぐに思い浮かべたのだが、やはり全く違うものだった。もともと浅田次郎先生が伊藤一刀斎を題材にして書くなんて思っていなかったので、これは何?と手にとってみた
一刀斎夢録(上) 浅田次郎
一刀斎夢録(下) 浅田次郎
斎刀一…逆に読むとこうも読める。一文字置き換えると斎藤一。漫画などでもお馴染みの新選組三番隊長の斎藤一のことである。
浅田先生の時代小説に「輪違屋糸里」と映画化された「壬生義士伝」がある。そんな関係から伊藤一刀斎は考えなかったがまさか逆さに読むとね2011年に創刊されて僕はボロボロになるまで読み上げた折り目を入れたページは10ページ以上で多くのことを学んだ。本来、僕の中で書こうと思っていた作品に近いもの…というよりもエンディングが近いんですよね。かなりがっかりしたのですが、これはこれでかなり勉強になった。
夢録とあるが、どちらかといえば酒語りの中での回想録に感じる。斎藤一が藤田五郎として西南の役の際に抜刀隊に入り、九州に渡った。ここでの浅田先生の斎藤の心情として山口次郎でもなく藤田五郎でもなく、新選組三番隊隊長の斎藤一に戻ったのだとあるが、僕もそんなふうに前々から捉えていた。
市村鉄之助は死に場所を求めていたんだと思う。新選組の旧隊士たちは心の片隅にいつでも死に場所を探していたんじゃないかと思う。
「千年の武士の世は、生き残ったものの方には重すぎる」
女性がこの作品に共感を得るかと言ったら微妙であるが、エンディングは斎藤の話から離れ、梶原と榊という天才剣士二人の天覧試合になるのだが、何とも言いようがない終わりがまたいい。男に生まれてきて…と実感させられるような作品である。
浅田先生の新選組の個人をテーマにした作品は群を抜いているような気がします。 -
「薄桜鬼」というゲームの影響で、斎藤一をメインとした小説を読みたいと思い、手に取りました。時代小説というと昔の言葉などが難しく、読むのが大変ではないかと思っていました。しかし、以前「すずらん本屋堂」で浅田次郎さんがゲストで、どの方にも分かり易く文章を書いているとおっしゃっていたので、その通りすぐ読んでしまいました。読みながら、この場面ゲームでもあったなぁとか、斎藤一の幼少期、家はどんな感じだったかなどの場面があり、面白く読めました。下巻は会津の戦いについて語られると思うので、早く下巻が読みたいです。
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週刊文春で連載してた時から読んでたんですが、単行本を買う機会に恵まれずようやく入手そして一気読み。
時は大正元年、明治天皇崩御と乃木大将自刃に世間が揺れる中、主人公である陸軍中尉はある老人の元を訪れ、問わず語りの昔話に耳を傾ける…それは幕末の戦乱を駆け抜け死に損なった、余りにも有名な侍の半生だった。
浅田次郎は人に語らせる天才だ。その依り代が筆なのか作者自身なのか分からないが、この人イタコじゃないの?と思うほど登場人物が雄弁に語る。私たちは小説を読みながらその語りに耳を傾ける。それは「語る」と「記す」、「聞く」と「読む」が複雑に織り合わさったタペストリーだ。ページを手繰るごとに、自分がこの話を読んでいるのか自らの耳で聞いているのか分からなくなる。果ては語っているのは自分ではないかという幻想にすら囚われる。だが実際、この3つの差異は僅かなものなのだろう。文字の通りの物語、その原初のコミュニケーションの力強さに圧倒されているうちに、ハードカバー上下巻はあっという間に終わる。そして唐突に気付く。自分が対峙していたのは語り手である老武士でも、その話を熱心に聞く年若い軍人でもない、ただ浅田次郎という無類の作家が描いてみせた、この2人のやりとりの記録にすぎないと。
物語が物語を語る二重構造。それはまさに夢録と呼ぶに相応しく、現実と史実と創作の境を曖昧にする。引き込まれるとはこういうことを指すのだろう。それが鬼か夜叉かと恐れられた人斬りの物語であるからこそ、より鬼気迫るものとして心に響くのである。 -
一刀斎夢録を読んだ時のことを、そろそろまとめておきたいと思います。
感想では無くて。読みながら「これは!」ってとこの抜粋をスマフォにガンガン落し込んどいたので、後々の自分のためのメモ(笑)
ちなみに「一刀斎夢録」は浅田次郎著、新選組斎藤一こと藤田五郎翁の昔語りの小説本。
浅田新選組三部作の三作目。
1「壬生義士伝」(斎藤一・吉村貫一郎メイン)
2「輪違屋糸里」(土方メイン)
3「一刀斎夢録」(斎藤一・市村鉄之助メイン)
舞台は大正。
日野出身、天然理心流を学んだ近衛兵梶原中尉に、ひょんなことから――否、出会うべくして出会った一刀斎こと藤田翁が七日の晩を通して語り続けた長い長い昔語り。
新選組として駆け抜けた日々、会津の戦、そして西南戦争、辿り着いた新たな時代。
これらを通して、剣を手に取る者の中でもごく一握りの者しかたどり着けない奥義を伝えていく。
-------以下、心の琴線に触れたポイント抜粋、列挙(笑)
・体にも心にも幾多の傷を負うたが、命さえあれば必ず癒えるのが傷じゃて
・剣というのはしょせん人の命を断つ道具にすぎないが、たまには人の絆を断つ道具にもつかえるのだな
・人を殺すはたやすいが、人を生かすは難しい
・剣とは人の命を奪う道具であり、剣術とはそれを使いこなす技である。
・文明開化は人間を小さくしてしもうたの。はてさて、このように次から次へと文明の機械が世に現れれば、百年
の後にはいったいどれほど人間が小さくなってしまうのか。少なくともそれは進歩ではあるまい。
・わしは、会津の戦をこの手で起こしてやろうと決めた。
・人生あまたの男女とめぐりあうが、男ならばのちに命のやりとりをすることになる者、おなごならばのちに契り
をかわすことになる者との最初の出会いは、ふしぎと必ず記憶しておるものだ。
・鬼にも鬼の心はあろうものを、とな。
・何を語るべくもないわい。おたがい立ち姿を見れば、すべてを思い出す。
・あの小さな体で、よくも斎藤一の代わりを努めてくれたものよ。
・つまるところ、居合は不意打ちの術じゃ。さらにこれを極むれば、不意打ちの機先を制して敵を斃すという、不意の上の不意を体得する。その域に至った達者は、耳目が獣のように鋭くなる。
・居合というより見事な舞をみているようでございましたな――。
・人間の頭というは、あんがい都合よくできている。紛うかたなき事実であっても、生きてゆくために不都合と思えば蓋ができる。しっかりと閂をかけてしまえば、その蓋の開くことはない。
・まこと、縁というはふしぎなものじゃて。よほど気の合うた仲間でも、惚れ合うたおなごでも、縁なくば二度とまみゆることはない。しかしどうという仲でもないのに、縁あらばやたら思いがけずに出会うものじゃ。
・では、許すべからず罪とは何じゃ。斬られて然るべき者を斬るのではなく、斬ってはならぬ者を斬ることじゃな。それをなしたるとたんに、人は人ならぬ鬼に変ずる。
・剣とは技であり、術である。しかるにその技と術を極むれば、その先は道となる。
・しからば剣道とは何じゃ。神仏に通ずる道ではない。人の道の先にあるものでもない。あらゆる情を去って他者の命を奪う道、すなわち鬼の道である。
・戦ではのうて、殺し合いじゃの。
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藤田翁の語りが痛快なので、ぐんぐん読み進められますし、とても深い。
本筋とは全く関係なく、一か所だけ泣いたのは、
「たった四十五年前にはこの同じ濠端の道をチョン髷に二本差しの侍が歩いていたなどとは信じられない。そして赤煉瓦やコンクリのビルヂングのかわりに、黒瓦と白壁の大名屋敷が遥かに建ち並んでいたのである。今に変わらぬのは、宮城の濠と石垣だけであった。では、四十五年後にはいったいどのような世の中になっているのだろう。」というくだり。
本当に目まぐるしい世の中。
斎藤さんは本当に激動の時代を生きたのだなあ…って。
歴史ってせつない。
後の世から俯瞰した過去ってせつない。
だから、せつない話好きの私は歴史が好きなのかもしれない。
それが、後の世を継ぐ私たちの理想や夢を多分に詰め込んだ、たとえファンタジーだとしても。 -
難しいかなぁ・・・と思ったが面白くて上下巻ともすぐ読めました。新撰組三部作だそうだが、他のも読もうと思う。
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新撰組ものは好きだし、剣術ものも好きなので外しようがないのだけれど、期待値の75点くらいのところをいったりきたりかな。エピソードの斬新さ不足?、もしくは斉藤一が脈絡なく語るスタイルが分かりにくいから?うーん。下巻は読まないだろうな。
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