この国のかたち (1(1986~1987))

  • 文藝春秋
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  • 本 ・本
  • / ISBN・EAN: 9784163441306

感想・レビュー・書評

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  • 初版本を買ってすぐに読んだ本であるが、最近、超再読しました。
    1この国のかたちから24苗字と姓まで読破しましたが、改めて、司馬さんの博覧強記ぶりに接することができ、まこと幸せでした。
    4“統帥権”の無限性 6機密の中の“国家”
    では、伊藤博文が苦心惨憺して作った明治憲法をなし崩しし、国家を玩具にした昭和の軍閥の非道ぶりを改めて学習しました。
    8日本の近代では、梅棹忠夫氏の「文明史曲線論」のことを思いました。両巨匠は同じことを提唱されていたのです(今更ながら勉強不足でした)。
    このシリーズ2以下も家にありますので、続けて再読していきます。

  • 参謀本部は当初、陸軍の作戦に関する機関として謙虚に活動したが、日露戦争後の明治41(1908)年に関係条例が改正されて、内閣や陸軍大臣からも独立する機関になり、やがて統帥権という超憲法的な思想を持つにいたった。昭和7年に満州国ができると、日本からの商品が無関税で入り、そこから華北にも無関税で入ったため、上海で芽を出していた民族資本は総倒れになり、抗日に資本家も参加するようになった。翌年、日中戦争がはじまる。

    中世に集落の結束体「惣」が生まれ、大人たちが寄合によって政治を決め、若衆は軍事を受け持った。この惣が日本人の公(共同体)の原型と言ってよく、今なお意識の底に沈んでいる。

    鎌倉末期から鉄が豊富になって安くなり、農業土木がやりやすくなったため、室町時代には農業生産高が史上空前だった。

    中国六朝の世(212〜606年)は、北辺から来た騎馬民族たちに中原と黄河を奪われ、人々は長江流域に逃れたたため、その地に漢民族の文化がしみこんだ。古代日本にまっさきに入ってきた中国文明は六朝の文化であり、百済も海路で六朝の文化を吸収し続けていた。六朝の音は、数詞や暦など日本語の中に豊富に残っている。

  • H9年2月24日以来の再読。やはりいいですね。司馬遼太郎独自の言葉は難しいけど、厚みと深みがあって納得します。

  • 行方がわからないと思ったら、実家で発見。
    ちょろっと読んで、忘れてきた;
    (09.10.11)

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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