ナベプロ帝国の興亡 Star Dust

  • 文藝春秋 (1992年1月1日発売)
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本 ・本 (376ページ) / ISBN・EAN: 9784163460109

感想・レビュー・書評

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  • 「日本の芸能好きです」と言いながらいろんなジャンル(鶯芸者、ロカビリー、GSなど)をおざなりにしてきたワタシ。事務所系もホリプロやサンミュはなんとなく分かるけどナベプロは古過ぎて知識の外だったんですがいつまでもそんなこと言ってられないので借りてきました。

    どの程度本当なのかは不明ですがまぁ50パーだとしても大変に楽しかったです。

    この本が執筆されたのは1991年ですが、当時最強事務所のひとつであったアミューズから始まります。要はナベプロ8期生の新入社員だったアミューズ社長が激しく渡辺晋社長とぶつかった挙句退社し自身の事務所を立ち上げるわけですが、出て行った彼が最もナベプロイズムを継承してるって話を映画「稲村ジェーン」のプロモで説明してくれる。もうこのプロローグだけでワクワクする。

    中身は23章。

    1章「進駐軍ビジネス」
    時代的にも当たり前なんですが物事を思い通りに運ぶには「カネとオンナ」が必要と。これはその後の事務所運営にもずーっとあることですよねきっと。それでもナベプロはまだマシなんでしょう。 宮川泰、中村八大、堀社長、世良譲、みーんな進駐軍バンド仲間なのね。

    2章「曲直瀬美佐」
    九ちゃんのいたマナセプロのお嬢さんでナベプロ渡辺晋の奥さん(副社長)。私の友達に世間的には成功者と言われるのが数名いますが、彼らに共通してるのは奥さんの実家が太いことと女性が優秀なことですね。皆金儲けの才能がある。旦那の金を目当てにせず自分で稼ぎたがる。友達らは結婚以外は見目麗しい芸能関係の若い女性を好みましたが、結婚相手はかなり限定的でした。渡辺晋の結婚を読むと彼らを思い出しました。
    あぁ、あとまだ共通点あった。
    男兄弟がいない娘。
    皆んな資本主義における人生ゲームをよく分かっていらっしゃってねぇ。

    3章「さきがけのウエスタンカーニバル」
    ホリプロ社長との確執というか、堀が「力って質と量なんだな」と悟ったとある。さすがね。

    4章「ザピーナッツ」
    名付け親がナベシンじゃない(日テレP)のが意外。高橋圭三の「3ヶ月後ね」がカッコいい。

    5章「ザヒットパレード」
    ラジオからフジテレビに出向のすぎやまこういちDに所属タレントのスケジュール表を渡して「自由にしていい」と。これは自尊心をくすぐられるやり方。ラジオはテレビの下、そのテレビは所詮電気紙芝居と新聞映画の下に置かれた時代、すぎやまこういちのセンスとガッツが光る。

    かつて自身を捨てた中村八大が詫びを入れてきた時に手厚く対処する。結果「黒い花びら」大ヒット。この辺は芸能というかなんというか。人心掌握のやり方が表方式ではないというか。

    8章「映画への進出」
    東宝、東映、松竹、大映にクレイジーの面々をそれぞれソロで主役映画やらせてる。こりゃ凄い。
    谷啓のギャラ交渉のところもいい。

    9章「ニュービズ原盤制作」
    著作権法改正、小指の思い出だけで100億想定。

    10章「芸能界制圧への野望」
    ここで佐藤栄作と中曽根康弘登場。
    佐藤栄作は公務員時代に元々芸者遊びが大好きで1回20円を月数回で奥さんを金策に走らせたらしい。ナベシンは次期総理として目星をつけた際にこのこともよーく調べた上でのことでしょうね。
    佐藤夫人による中曽根とジュリーの初対面会話を掲載してるのは「何か」を伝えたいんでしょう。
    夫人も筆者も。中曽根君は生粋のノンケ好きといいますから「三船敏郎みたいに髪の毛切れ」というのも頷ける(でもジュリーの短髪はいかんだろ)
    佐藤栄作別荘にクレイジーキャッツに中尾ミエを連れて一緒にGOGOダンス。(中曽根)

    11章「暗部の肩代わり」
    893が嫌いなナベシン。彼らを入れると骨まで食い尽くされるが入れないと妨害される。そこで永田貞雄登場。2代目と盃、つまり3代目田岡組長にとって叔父貴とな。本文では「永田自体は893ではないが」とあるけれど盃交わした兄弟分でそれは通らないよ。ナベシンは893との関わりをアウトソーシングしたことにはなってるけど結局それがないと物事は進まないことを明確に書いている。
    てか永田へのアウトソーシングが出来ない他事務所はいかがされてるのかしら。

    12章「巧みな人心収攬術」
    大卒採用始める。3人枠に350人。
    東大卒のすぎやまこういちに急遽入社試験を作らせる。ロビーで喧嘩のヤラセをして歯向かってきた奴を採用。
    渡辺美佐の取り巻き3種。羽田国際線派、麻雀密告派、重鎮派。離婚問題で悩んでいた反ナベプロの大橋巨泉に救いの手を差し伸べ無形の恩を売る。

    13章「黄金時代」
    先日読んだ沢田研二の内容をナベプロサイドから。昭和41年10月大阪下見、42年2月デビュー。早過ぎ。大卒初任給2万の時代に一着10万の衣装。人気絶頂期に逃げられた藤木孝の轍を踏まないために年1ベースアップのところをタイガースは毎三か月。森進一給料が2ー3万のところをタイガース1人10万スタート。印税の一部も渡した。ナベプロでは初。まさにイチオシだしジュリーの価値に自信があったんだな。まぁ誰も真似出来なかったししようと思わない存在だったしね。

    14章「かげり」
    ベトナム戦争に学生運動と。時代は虚飾のGSからフォーク。野末陳平に雑誌でコケにされるほど。
    GSが短命だったのって亜種の増産を止められなかったことと急速なバブルと思ってたんですが時代の空気が変わったってのも大きいですよね。
    なお森進一の独立騒動がこの頃。
    日建てギャラ120万、月給は8から50万に上がったもののまだ少ない。
    その年の長者番付、森進一は入らないが仕事のないハナ肇やスパーク三人娘が上位に。
    激怒の森進一は勢い余って契約金1000万円と歩合制を条件に別事務所(幸村いづみのマネで日劇のコーヒーショップオーナー、なんやそれ)と契約。ナベプロに嗅ぎつかれておじゃん。
    この章の最高なのはココ。元ナベプロ営業曰く「腹たってマジで森進一殺してやろうと思った。潰す目的で毎日地方のキャバレーの仕事入れてやりました。」とある。これ、天地真理が精神病んだ方式だよね。森進一はキャバレーの仕事終わりにそのまま帰れたかもだけど、天地真理だとそうはいかないだろうし。とんでもない目にあわされたんだろうなぁ。可哀想に。

    15章「新しい流れ」
    伊東ゆかり独立。昭和45年3末。ギャラ月1000万円で月給80万。元進駐軍バンドマン父親からしたらそりゃ自分でやりたがるだろうね。結果伊東ゆかりは干される。父親とも別れる。佐川満男とも別れる。
    まぁでもその後紅白出るしスパーク三人娘もやるし。強いね。やはりあれだけ歌上手いならば。

    16章「日テレとの戦争」
    今では有名な「だったら紅白歌のベストテンの時間をずらせば」発言。詳細に語られている。
    時は1973年春。71年秋から始まったスタ誕は森昌子を生み出した。スタ誕みたいなのを独自でやりたいナベシン。最初はテレ朝木曜20時だったのを「ありがとう(水前寺)」と被ると側近たちに諭され月曜20時に。ここで前述の番組と被るということで。。というのが発端。
    喧嘩の相手は日テレ井高制作次長。彼も進駐軍バンド上がりで堀社長も所属したバンドではリーダー、そしてその堀社長がリーダーの別バンドのドラムが田辺。日テレも73年秋からナベプロ企画の番組が予定されていたが全てキャンセル、ホリプロと田辺エージェンシーの協力で和田アキ子、タモリ、せんだみつおの「うわさのチャンネル」を当てる。協力の見返りはスタ誕での「スター配分」つまり気に入ったタレントを優先的に獲得出来る裏約束。勝ったのは日テレ。井高の「最後は電波を握ってる方が勝つ」が正解。
    本では百恵や淳子の獲得もこの裏約束に沿ってるかの印象を持たせる並びで書いてるような気もするけどさすがにそれは無理。

    1969 10 紅白歌のベストテン
    1971 10 スター誕生
    1973 4 あなたならOK
    1973 10 うわさのチャンネル

    日テレによるナベプロ出入り禁止は73年の春(多分2ー3月)淳子や百恵の決戦大会は72年冬なのでスターの優先配分はその後かな。だとしたら。。あんまり大したことはないかもね。
    井高、堀、田辺(井高からすれば孫弟子)ラインはより強固に。これはその後の番組制作、タレントの売り出しに結びつくよなー。
    てか明菜の時もそうだけどこの「スター配分」は日テレ側に権力(金とオンナ)を生み出したでしょうね。
    「あなOKにスターは生まれなかった」って言い切ってるけど太田裕美が聞いたら怒ると思うよ。

    アミューズ大里洋吉が連続34回ブッチする御前会議。楽曲会議についてはナベシンのフォーク嫌いやセンスの衰えを指摘しているけど襟裳岬は?
    74年のレコ大よ?森進一がナベプロの反対を押し切ってとウィキにはあるけど裏切り者の森進一がそんなことできるなら他もできんじゃね?みたいな。

    17章「病のあとさき」
    なべおさみって何?という子供の頃からの疑問が一気に解決した。靴揃えから藤木孝についてのレポートに始まり「密告」と「ガス抜き」が仕事だったとは。
    S35入社S49退社。S56まで芸能界を干された。
    替え玉受験を考えつく人間なのが納得。
    ずっと小汚いんだ。精神が。(とはいえ私よりマシ

    ガン治療中も続く「歌う会」
    招かれた政財界の人達は猪俣公章、平尾昌晃、宮川泰の生演奏で歌う。そして小柳ルミ子や天地真理がビールをお酌してくれる。なにそれ。
    ブラジル出張中のヤクルト社長には電話口で歌わせ盛り上げる。自尊心のくすぐり方。
    もし私が招かれた側なら。
    大勢の招待客でもこの歓待。
    もし私がスペシャルな1人となったら?
    あの女性タレントは私にだけお酌をしてくれるのか?いや、それ以上の何かが?
    って思うよねぇ。

    18章「キャンデーズ引退」
    S52.4/9 アミューズ大里マネ、キャンに自身の退職を告げる。同時にキャンから解散を告げられる。
    大里はキャンを役者(ラン)、ラジオDJ(ミキ)、演歌(スー)で幅を広げたかったがナベシン却下。
    S49.1のドリフとの日劇でロック。いかりや激怒。
    春一番LPからのシングルカットも「一回買ったものを再度売るなんて、しかもフォーク」と却下。
    ソニーの元ナベプロ3期先輩に相談しファンクラブに電話をかけまくりハガキを書くよう要請。
    元々キャンはピーナやスパークのようなナベ2人の目がかかってない。1人だと無理だから3人にまとめただけ。ステージも一度も見にきたことない。
    25万枚の印税アドバンスを条件にGO
    決済印を反対に押して「これで十分」下品で最高。
    S52.7/17突然の引退宣言。しかし6末に大里は退職している。これドラマ。まじドラマ。

    19章「逃した大物アイドル」
    ソニー若松氏がこのネタを擦り倒してる今、ここに書かれているのは嘘ではないけど順番とイニシアチブがちと違うかな?と。他の箇所も時間軸とか事実と異なったりするんでしょうね。まぁ人の数だけ事実がありますし。
    1980にデビューさせる予定だった銀座の不動産マダム、沢田富美子はモスクワオリンピックボイコットで翌年の81年デビューでしたっけか。「ガニ股」を理由に渡辺音楽学校九州支部の推しを一蹴したとあるけどこの時にソニーの若松氏がバックだと聞いていたら違ったのかな?(ソニーから売り出しの金が引き出せることが確約されてるわけだし)でも沢田富美子もソニーとがっぷり四つ。とするとソニーが連れてきた松田聖子は採れないけ。被るし。ビックプロジェクトが薄くなる。
    んーナベプロに運が無かったんですな。
    81年はさらに3人の女性アイドル、合計4人デビューさせると。聖子、奈保子らが開拓した土地はジューシーに見えたんでしょうな。

    利用してきたつもりが利用されてただけ。ソニー盛田に捨てられるナベシン。ナベシンは一所懸命やったんだけど、彼の社会的バリューはこれ以上ないとスパッと捨てられた。そのあとのソニー盛田がいい「でも返ってこの件からさらに仲良くなって」んなわけあるかよ。笑
    皆んな悪いなぁ。ナチュラルに悪い。そりゃ社会全体がそういうシステムだから仕方ないけど。ほもそも善人が有名になったり金儲け出来るわけない。

    20章「副社長頑張る」
    S52、19社グループ売上313億。
    業界2位のホリプロ30億。
    1977。まだキャンディーズの売上もあるしそりゃ強いわ。

    21章「流出する人材」
    No3の退社。暖簾分けなし株もなしの丸腰で出ることに。確かにこれじゃ大きくならないね。これってオーナー起業で働いてる人は皆そうなんだけど(てかサラリーマンとか公務員とか全員そう)今働いてる人が「何にもならないじゃん」ってなって労働意欲失うし、成長を妨げるね。
    にしても。「表のナベ2人、裏の汚い仕事は全てこのNo3の松本氏」とあるが私としてはその「汚れ仕事」を知りたい。
    中曽根をはじめ誰に何を(誰を)差し出したのか。
    どんなスキャンダルをもみ消してきたのか。
    他のベテランマネが公衆の面前でデビュー2年目のスター小柳ルミ子を殴ってクビになるくらいだから、まぁ暴力と金と性上納だよなぁ。

    22章「機構改革も効なく」
    相変わらずグループ売上は高いものの不動産の賃料収入がほとんどだったり。事務所単体としてはホリプロにボロ負けでしょうね。
    とはいえ。ホリプロが1975からスカウトキャラバンでーとか書いてあるけど75ー80年代でマネタイズ出来たのは榊原郁恵、荒木由美子、堀ちえみ、井森美幸、山瀬まみ、鈴木保奈美くらいじゃない?勿論後々には深キョンとか石原さとみとかユニクロ蓼丸(大好き)とかドル箱に繋がるけど。
    西村まゆ子とか田中陽子とかさぁ。
    どういうこと、みたいな。
    てかいつも思うけどプロの目って株でも為替でも芸能人でもいい加減すぎない?

    23章「最後の賭け」
    ナベシンが亡くなる前に金庫の3億を賭けて売り出した広島の水球ボーイ。知らなかったけどデビュー前1.5年もレッスンさせたんだ。
    S53の3月に高校中退させて上京、渋谷原宿六本木麻布代官山青山に連れまわし、夜はディスコで「東京」を教え込んだとある。17歳だよね?
    ナベシンらしく映画を使ったデビュー。
    5億で成功とされる売上は8億、6億、9億と3作連続で合格。但し同時期のモンスター、チェッカーズの映画は13億ということでナベシンが賭けた10年に1人の逸材はトップスターとは呼べない結果に終わり社内でも「あれが10年に1人かね」と言われる始末と。
    まぁ。。そうね。1984のチェッカーズと比べるのがどうかと思いますよ。ベストテンに3曲入ってたんだから。
    でも九州チンピラと広島チンピラの喧嘩は当時のファンは熱かったでしょうね。結果九州の圧勝だったとはいえ広島は1人ですし、ビジュアル(骨格)では圧勝ですしね。特に年上女性人気はいくら郁弥でもなかなかの勝負だったのでは。
    「サングラス外したら吹き出しちゃうほどあどけない目をしてるアイツに弱いの」と女性作詞家に書かせるほどですしね。(これは五木ひろしに対する山口洋子、ジュリーに対する安井かずみと同じ「関係」をにおわせますよね。強く。)
    あとJからの嫌がらせもあったでしょうし。
    吉川晃司、チェッカーズ、CCBはあのJの圧力があっても埋もれなかったってのは凄いですね。
    ナベプロは70年代後半からのアイドル市場で苦戦したのは事実でしょう。なんとかまぁギリなのは石川ひとみくらい?81年は先ほどのとおり、82年は坂上とし恵と渡辺めぐみ、83年は松本明子ですからね。
    楽曲会議の話がありましたけど、きいてMyLoveもオスメスキッスもナベシンがGoサイン出したの?もしそうならありがとう。
    でもそんな吉川晃司も88年に事務所内に別勘定で独立なのよな。

    ナベシンのスター定義がいい
    「並いるものを蹴散らし、1人階段を駆け上がる者」
    ピーナッツ、加山雄三、4本柱と言われた「森進一、布施明、ジュリー、小柳ルミ子」このあたりはまさにそうね。

    終章「Star Dustに送られて」
    亡くなる。59歳。
    美佐さんはまだご存命。

    さて。
    ナベプロはその後、おニャン子では河合その子を抑えていて(GJ、但し系列のイザワに移籍)他にもゆうゆ、吉田栄作、秀ちゃん、飯島愛、さらにはお笑いにも力を入れたりしてまぁそこそこなのでは。ただスター歌手がいないのは残念ですね。

    全ての章について感想を書くほどに面白かったんですがまぁ真偽のほどは不明。

    執筆者はピーナッツ、スパーク、4本柱、アグネス、キャン、吉川晃司あたりに重点を置いて書いてますが小糠雨降る御堂筋とか、神戸ーとか、やめてーとか、あなた好みのあなた好みのとか、言ってくださいますかとか、涙拭く木綿のぉーとか全部無視?
    あとあいざき進也、アンルイス、テレサテンもいたよね。
    ナベプロは時代にマッチしすぎてちょっと大きくなりすぎたんでしょうね。

  • 渋谷ブックオフで購入する。吉川の部分が興味深いです。僕の時代のヒーローです。映画は成功しました。合格点です。ただし、ナベプロの看板なのだろうか。この認識は僕だけではなかったんですね。業界も同じだったんですね。この見通しは正しかった。それだけです。

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