"「神風でもないし、戒律僧みたいなきびしい人間じゃありません。terra infidelium(不信の地)に勤務するただの国家公務員です」" P.17
"pax mafiosa(マフィア支配による平和)" P.20
" シチリアの顔役はおそらく五千人以上だ。きびしい選択によって選ばれたもので、過酷な規律にしたがう本物の犯罪のプロフェッショナルである。「兵隊」とレッテルは張られても、実際には将軍たちだ。というか、カトリックほど寛大ではない教会の枢機卿といったほうがいい。" p.76
" 改心者のアントニーノ・カルデローネは、一九六〇年にミラノの病院で死亡したカターニアの大物ボスの甥っ子で、ずっとコーサ・ノーストラの空気を吸ってきた。生まれついてのマフィアだった。まだ、「面子を重んじる」顔役になっていないとき、病院へ伯父を見舞いに行った。二人の間には愛情細やかな、親密な関係ができていた。
話も尽きたころ、この伯父は何かメッセージを伝えたがっているように見えた。だが、習い性となって、用心を怠らない。コーサ・ノーストラのメンバーと、そうでないものの間では、絶対に組織の話をしてはならないからだ。伯父はため息をついて、長い沈黙のあと、甥が加盟の候補となっているのを承知していたので、こう告げた。
「窓敷居のバラが見えるな。きれいだ、じつにきれいだ、しかし取ってみろ、刺されるぞ」
さらに沈黙。それから伯父は体力のないのを自覚して、つぶやく。
「いいかな、夜の夜中に叩き起こされる心配なしに、ぐっすり眠れるのはいいことだぞ。それから、背中に一発撃ちこまれるのがこわくて、始終、振り返らなくちゃいかんのだが、そんなことなしに道路を歩けるのはいいんだな」
彼が言わんとするのはこういうことだ。
「甥っ子よ、コーサ・ノーストラに入る前に、よく考えることだ、見たところすばらしいこのバラを。溝を飛びこえる前に考えるんだ。おまえが入っていくのは、死と苦悩と、それだけに無限の悲しみに毒された世界なのだから」" P.95
" 顔役たちは悪魔的でもなし、精神分裂でもない。何グラムかのヘロインのせいで父親や母親を殺したりはするまい。われわれと同じ人間なのだ。西側世界、とりわけヨーロッパは傾向として、悪というものを、見たところわれわれとは違う種族や行動のせいにして、責任転嫁をしがちだ。しかしマフィアを相手に有効に闘おうというのだったら、彼らを怪物に変えたり、吸血鬼や癌のように考えるべきではない。われわれにそっくりなのだと認識しなくてはいけない。" P.103
" 一般に考えられているのとは違って、スイスはけっこう協力してくれる国の一つだ。というのも、汚れた金を預かっていながら、マフィアを閉め出しておける、そんな都合のいい時代が終わったと理解したからだ。マフィアの金があれば、遅かれ早かれいやおうなしに、マフィアの人間と手法が持ちこまれる。" P.167
" 外国ではイタリアが国家として、なぜ、いまだにマフィアを倒せずにいるのかといぶかり、おどろいている。不思議に思い、われわれに尋ねてくる。
理由は数々ある。まずなによりも、マフィアの組織としての権力のほかに、特別な仕組みがあって、これが捜査の行く手をはばんでいる。コーサ・ノーストラには教会のような力があり、その活動はイデオロギーと文化水準の低さの産物だ。ボスの一人、ミケーレ・グレコが「法王」とあだ名されたのもむべなるかなである。" P.175
"「シチリアでは、今大戦後の政治制度はわが身を守ることも、マフィアから逃れることもできずにいたが、マフィアは現在の政党が生まれる以前から存在していて、いうまでもなく政党が考えだしたものではなく、まずはマフィアが政党を左右し、やがては政党を汚染する結果となった」
それだけに、用心深くコーサ・ノーストラと妥協することを受け入れた政治家たちのことが発覚しても、別に驚きを招くことはなかった。というのも、マフィア統治の典型的な手段である土地の支配は、政治権力を左右することを意味している。選挙結果がすべて予想されてしまう。シチリアではマフィアが票の大多数を支配していることは、有名な事実だ。" P.194
"ピンハネ(ぴんはね、ピン撥ね)とは、他人に取り次ぐ資金や代金の一部を、不正に掠め取ること。「上前を撥ねる」「中抜き」とも表現される。" Wikipediaより
"ピン‐はね【ピン×撥ね】
読み方:ぴんはね
[名](スル)取り次いで人に渡すべき金品から、その一部を取って自分のものとすること。上前をはねること。「売上金から—する」" weblio辞書より
「ぴんはね」を「みかじめ料」の意味で使っている。こういう語用は初見なり。
原文由来か翻訳由来か不明だが、非常に難読な箇所がいくつかある。
というようなケチはさておき。
アークナイツのイベント「シラクザーノ」を読むうえでオススメという口上に惹かれた。
シラクザーノには正直イマイチ感を抱いていたのだが、それは P.194 からの引用箇所を理解していないがゆえのことだった。ヤクザ、ギャング、民主主義国家内の左派活動家、アナーキストは基本的に寄生虫的な生態をしていて、宿主ではないという認識があった。ゆえに、自ら主体となって統治している、あるいは戦国武将のように統治のための覇権を争っている状態は、ギャング的ではないと覚えたからだ。
そうではなかった。根本から理解が間違っていたのだ。
本書は判事へのインタビューであるが、取材された判事はのちに爆殺されており、『GUNSLINGER GIRL』を想起させられた。