巨悪VS言論 田中ロッキードから自民党分裂まで

  • 文藝春秋 (1993年1月1日発売)
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  • 本 ・本 (640ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163478500

感想・レビュー・書評

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  • ・政界の腐敗が田中政権から脈々と形を変えながらも続いている事、それを見せつけられていた80〜90年代の若手(当時20代)が既に政治に無気力(どうせ変われない、変えられないという意識)だった事が読み取れた。

    ・そこから30〜40年経っても状況は変わっていないのだから、多くの人が政治に無関心なのが虚しくも納得出来てしまう。80年代に20代だった人はいま60代な訳で、だとすると60代以下の多くが政治に無気力・無関心であっても不思議はない。

    ・ロッキード事件こそあれ、田中角栄を「一時代を築いた」「日本の経済発展に貢献した」政治家だと思っていたし、勿論その一面もあるとは思うが、残した負の遺産が余りにも大きい(政界の腐敗、田中政権時代から続く政治とカネの因習、系譜を継ぐ政治家の当時の成功体験への固執)と感じた。

  • 今から四半世紀も前に出版された著作であるが、その内容が現在の政治状況とあまりに酷似していることに驚かされる。つまりは、自民党政権の体質というのは、四半世紀を経過しても何ら変わることはなかったということである。
    立花隆の怒りの矛先は、国民のために行うはずの政治が特定の個人や企業のため、党利党略のために行われ、そこに多額のカネが動き、汚職がはびこり、政治腐敗が蔓延していくことに向けられる。そして、そんな腐敗を見逃している検察にも向けられる。
    ジャーナリズムの低調が現政権の政治腐敗を増長させているようにも感じる昨今、そんな今こそ求められるのは、立花隆のように「巨悪」へ敢然と立ち向かう「言論」の力なのである。

  • 田中角栄元首相のロッキード事件を、その当時に立花氏が追いかけ、各刊行物で問題提起をしていた原稿を一冊にまとめた本です。
    かなりのボリュームでした。(1,000ページ越え、各ページ2段組み、フォント小さめ・・・)

    企画時には、まとめ本にする案もあったそうなのですが、立花氏が読み返してみるとその時の状況や熱量がありありと伝わるので、結局関連する原稿を一冊にまとめる形にしたそうです。

    読んでみると、確かにその通り。当時繰り広げられたであろう攻防が伝わってきます。
    如何にこの事件が『悪』であり、許してはならないものである、という氏の思いがひしひしと伝わってきます。

    『忖度』という言葉はこの時代には登場していませんでしたが、権力による支配、権力にすり寄る周囲の様相は、まさに現代の政治問題である「権力への忖度」と同じものだと思います。
    そして、そこで飛び交う金と権謀術策。最初は買収等に応じない議員であっても、最終的には絡め捕られ、糾弾や暴露ができなくなってしまい、より一層田中氏の権力が増していく構造は恐怖以外の何物でもなかったと思います。
    「数が正義である」という民主主義システムを曲解した政治闘争が、如何に本来の政治を腐らせてしまったのか、立花氏の強い憤りを感じることができます。

    この本の中で、氏がいかに状況に失望し、変えられない市民に憤りを感じ、何よりも巨悪を打ち倒せないジャーナリズムの無力感に苛まされているかを正直に吐露されているのですが、現代の政治も結局はその時代から何も変わらず続いているとしか思えず、そういった意味では読後感は虚しいものでした。

  • いかに日本の政治が腐敗してきたのか、
    田中角栄のもたらしたものは何だったのか
    がよく解る

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著者プロフィール

評論家、ジャーナリスト、立教大学21世紀社会デザイン研究科特任教授

「2012年 『「こころ」とのつきあい方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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