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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784163487809
感想・レビュー・書評
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単行本1993年発行、文庫本1997年発行。
音楽好き、昭和(平成)の時代好き、セレブ好き、そして『ピアニストという蛮族がいる』好き、に薦めるエッセイ集。
タイトルの後(—以下)のコメントは勝手に付けたもの。
全39編中オススメは、15編。
○印を付けたのは、前著『ピアニストという蛮族
がいる』の続編乃至補遺とみなしうるエッセイ。
◎印を付けたのは、中村紘子の思想の根っ子を示
すと思われる重要エッセイ。
ピアニストの靴
○田中希代子さんのこと
天才児の運命
—キーシン君
冬の歌
—ラフマニノフと亡命
○私の中の日本人の血がうずいた
—『ピアニストという蛮族がいる』自己解説
チャリティ•コンサート
—政治家たちの呉越同舟
お化け
—超常現象体験
三人の大統領夫人
—ブッシュ、ゴルバチョフ、レーガン
スマイル
—伊藤みどりとホロヴィッツ
モーツァルトの音楽もチカラ及ばなかったのでし
ょうか(山本七平の葬儀における弔辞)
—山本七平と丸山眞男
ショパンが大食漢だったら
—ロッシーニとショパン
「王様」と私
—ユル•ブリンナーとタイの王子
48人のモーツァルト
—時代の変転
◎日本はとってもツイている
—皇太子妃雅子様と皇太子浩宮様
「天に遊ぶわれ」
—梅原龍三郎画伯
雑感を少々。
<題名について>
「アルゼンチンまで」と題名に謳われているが、それは「日本の反対側」を意味している。
「ギャッ!」と叫びたいほどの恥ずかしさに襲われた時(これは中村紘子の旦那でである庄司薫の主人公薫君の口癖)、「穴があったら入りたい」と言うが、その穴をずっと深く掘っていったら、地球の反対側のアルゼンチンまで行ってしまう、という究極の羞恥の体験を描くという趣旨。
掘った先がブラジルではなく、アルゼンチンというのが意味深だ。
1965年のショパン•コンクールで中村紘子は4位入賞を果たして、世界中から注目される。
その時の優勝者は誰か?
「アルゼンチン」出身のマルタ•アルゲリッチだ。
当時既に世界的ピアニストだった24歳のアルゲリッチに敵う審査員など誰もいない。
ショパン•コンクールでは、ボロネーズはショパンのボロネーズ風に、ノクターンはショパンのノクターン風に演奏することが要請される。
だが、アルゲリッチは全てをアルゲリッチ風に演奏して、審査員も聴衆も圧倒して優勝してしまった。
そのアルゲリッチの存在無くしては、本書は『ブラジルまでもぐりたい』となったことだろう。
中村紘子(1944-2016)は9年前に72歳で亡くなってしまった。彼女よりも3つ年上のアルゲリッチは現在84歳だが、まだバリバリの現役だ。
中村紘子の弟子である清塚信也は、アルゲリッチと同時代人であったことが最大の幸運だ、アルゲリッチを聴け!と檄を飛ばしている。
アルゲリッチを聴こう。
<エッセイ>
ピアニストの中村紘子は、『チャイコフスキー•コンクール』(1988)でエッセイストとして颯爽とデビューする。
次の『ピアニストという蛮族がいる』(1992)で、エッセイの頂点を極めた(と思っていた)。
その次に出されたのが本書(1993)で、実は入手した当時(文庫なので1997年)、最初の部分だけを読んで投げ出していた。
全二著で書きたいことは書いてしまい、ここには「出がらし」しかないと思ってしまったのだ。
だが、文庫を手に入れてから30年近く経って全編を読み返しみて、「出がらし」などではなかったことを思い知った。
元々女性週刊誌「クレア」に連載された短いエッセイで、内容は玉石混交であることは確かだ。
だが、「玉石」のうち、「玉」が圧倒的に多い。そして、筆の冴は磨きかかっている。
文筆家として脂の乗り切っていたことを感じさせる。
エッセイのお手本と言っても良いほどの見事なエッセイの数々。
解説を書いている壇ふみが嫉妬して妬むのもムベなるかな。
(「玉」については、オススメでリストアップした通り)
<時代のタイムカプセル>
30年以上前のエッセイを読み通して、このエッセイ集には、1990年代初頭の時代の空気が生き生きと閉じ込められていることを知った。
その時代を生きた者にとっては、過去にタイムスリップしたような懐かしい気分にさせてくれる。
中村のユーモアある知的な文体は、時代の空気と、変動を生き生きと伝えてくれる。
本書は、1989年12月から1993年5月までに書かれたエッセイをまとめたものだ。
それは、どんな時代だったのか?
日本では丁度バブルが崩壊した頃。
だが、まだそれから30年に及ぶ長い不況(デフレ)に突入するとは思いもしない、人々が楽観的な時代だ。
世界では大変動が起こった時期に当たる。
何せベルリンの壁が崩壊してソ連が崩壊、冷戦が終結するとともに、東欧民主化が進む中で、ユーゴスラヴィア内乱、イラン•イラク戦争、イラクによるクェート侵攻を契機とした湾岸戦争が起こっている。
アメリカではレーガン、イギリスではサッチャーが新自由主義政策を進めていた。
激動の時代だが、冷戦の終焉は、世界に平和をもたらすに違いないという束の間のオプティミスティックな気分に満ち溢れた時代だ。
パソコンが普及して、インターネット時代に突入したのもこの頃だ。
そうした、時代の刻印をエッセイから読み取るのも楽しい。
<運動靴>
「時代のタイムカプセル」と言うことでは、「運動靴」と言う言葉の連呼がおかしい。
1990年代初期には、「スニーカー」ではなく、「運動靴」と言っていたのか。
調べてみると、チューリップの「虹とスニーカーの頃」が発売されたのは1979年7月。近藤真彦の「スニーカー•ブルース」が発売されたのは1980年12月。
だから、1980年代に、若者の間で「スニーカー」と言う言葉が日常語化していたことは間違いない。
1992年に書かれたこのエッセイで「運動靴」という表現が使われていたのは、「スニーカー」の語が普及しつつある過渡期だったと言うよりも、もう既に「スニーカー」と言う言葉は定着していたが、それは若者を中心としてのことで、当時40代後半の女性には、「スニーカー」という言葉がまだ浸透していなかったのか、ピアニストという特殊な職業故に、若者の流行に疎かったのか、どちらかだろう。
そうした意味で時代を感じさせる。
<日本人のピアニスト>
音楽がいかに時代の刻印から影響を受けるかを、短いエッセイを読みながら感じた。
日本が西洋音楽という、文化も宗教もまったく異なる音楽を導入して、それが現在に至るまでどれだけの人々の努力に支えられてきたことか。
『ピアニストという蛮族がいる』の主題とは、それを文章で考えることだった。
『ピアニストという』では、西洋と真正面からぶつかるピアニストのパイオニアである幸田延とその弟子久野久が取り上げられていたが、本書では中村紘子の前世代に当たる田中希代子が取り上げられている。
田中はショパン•コンクールで入選を逃したピアニストだが、今になって、もしかしたら優勝していたかもしれない、という事実が明らかになる。
田中の圧倒的な演奏にも関わらず、ポーランドとロシアの候補者が優遇される評価システム(といっても、ロシアの候補者はアシュケナージだから仕方ない)。
その評価に無効を突きつけた審査員がいたのだ。
田中を推した審査員とは、天才ピアニストのミケランジェリ。
彼は、評価に不満を表明するために、書名を拒否していた、というではないか。
現在であれば、その事件は世界を駆け巡り、田中は一躍有名になっていたはずだ。
それは、ショパン•コンクールでポゴレリッチを落選とした審査に異議を唱えて、審査員の一人であるアルゲリッチが席を立って帰ったことで、優勝者よりもポゴレリッチの方が有名になったことから確かなことだ。
2025年、五年ごとに開催されるショパン•コンクールの年だ。ワルシャワでは今でも、田中希代子の演奏について語る聴衆がいるという。
<西洋音楽の受容>
中村紘子の人生は、日本人でありながら西洋音楽をどのように受容するのかという永遠の問いに答えることだった、と言えるだろう。
このユーモア溢れるエッセイにも、彼女の苦悩と心の叫びを聞き取ることが出来る。
だが、彼女は自分の苦しみを直接語ることは少ない。
先人たちの苦闘を通して、日本人西洋音楽家という特異な存在の矛盾とそれを乗り越えようとする情熱を語る。
前著『ピアニストという蛮族がいる』では、幸田延と久野久という文字通りのパイオニアを描いた。
久野久は、日本と西洋の狭間で、若くして命を絶った。
日本人が西洋音楽をやるということは、命懸けの行為なのだ。
本書では、中村紘子の丁度前の世代に当たる田中希代子が取り上げられているが、誰も田中のことを知らない。
だが、おそらく現代であれば、世界的に有名になっていた筈の女流ピアニストだった。
そうした、日本と西洋の狭間で、命懸けで生きるクラシック音楽家の系譜に、中村紘子は自己を位置付けている。
こうしてみると、クラシック音楽家も、文学者も変わらないことが分かる。
文学における幸田延や久野久の戦友は夏目漱石だ。
漢文学を極め、それと同じ要領で英文学を極めようと企図してロンドンに留学した夏目漱石(金之助)は、日本と西洋の狭間で精神的に追い詰められる(「夏目狂セリ」と日本に打電されたという)。
クラシック音楽家も文学者も、西洋という、価値観も文化も全く異なる「他者」と出会い、その受容を迫られたのだ。
そうしてみると、その延長に政治もあったことが分かる。
明治維新の立役者西郷隆盛が明治10年に日本最大の内乱、西南戦争を起こしたのは、実は幸田延や久野久、夏目漱石と同じく、西洋という「他者」が強いる近代化という巨大な潮流に断固として「No!」を主張するためだった。
中村紘子は、きっと西郷隆盛に共感を持つ筈だ。
<猫派?犬派?>
中村紘子は猫派と思っていた。
旦那の庄司薫が『ぼくが猫語を話せるわけ』で、中村紘子との関係が進展したのは、海外公演に行く時に、中村の愛猫「タンク」を預かったからだ、と書いていたように思う。
ところが、本書では、中村は犬について書いている。あれ?猫派ではなかったのか?
まずこんな件が出てくる。
「どうして犬というのはみんな陽の当たらない勝手口の、なんだかじめじめしたような土にまみれた犬小屋に繋がれているのだろう。寒い季節にそんなところで身体を寒さに震わせながら、かつ孤独に耐えている淋しい犬の姿に出会うと、胸がつぶれる思いがする。できることなら、みんな解放して、あったかい陽だまりに連れ出してやりたいと思う。犬くらい人間を愛し、人間といるだけで幸せいっぱいの動物はいないのだから、その短い一生のなるべく多くの時間を共に過ごしてやるのが、私たち人間にできるせめてもの最大の愛情表現なのではあるまいか。」
中村紘子の小動物対する思いを感じて共感した。中村紘子はその容貌と、庄司薫のエピソードから「ネコ派」だと思っていたので、意外だった。
ところが、別のエッセイにこうある。
「お気に入りの安楽椅子にゆったりとくつろぐ。私の傍らには小犬がぴったりと身を寄せて寝息を立てており、」とある。
中村紘子は「イヌ派」に転向したのか、と思いきや、続きには「その半径およそ二メートルと言った範囲内に猫がいる」。
猫もいた!
イヌ派に転向したわけではなく、ネコ派、イヌ派といった無意味な区分を易々と乗り越えていたのだ。
そういえば、文庫の表紙写真をよくよく見ると、ネコのような顔をした中村紘子の右肩にはアトラスよろしく16-7世紀の地図を地球儀にして乗っかっている。
その地球儀の上には、ミニチュア•ダックスフンドが座っているではないか!
表紙に既に、ネコ派やイヌ派と言った狭量な区分は無効化しましたという、中村紘子のメッセージが込められていたのだ。
本書には中村紘子によるイラストが添えられている。
その中のひとつは、窓辺に仲良く並んで外を眺めるミニチュア•ダックスフンドとネコのシルエットが描かれている。
中村紘子は、ネコ派、イヌ派を超えて小動物だけでなく、弱きものに対する共感と愛情を持っていた人なのだろう。
そうした優しさは音楽にも現れるものなのだろう。
と、ここまで書いて先を読み進めると、彼女の『週刊文春』のインタビュー記事が掲載されていて、そこに「犬派、猫派」の顛末が彼女の口から解説されていた。
彼女は、アメリカ留学時代からシャム猫を19年飼い、完全な「猫派」となった。
ところが、その後、オーシー•キャットという野生的な猫を飼うと同時に、ミニチュア•ダックスフントのロングコートを飼っているのだ。
つまり<猫派>から、<猫•犬派>に転向(?)、止揚(?)していたということになる。
そして、<猫派>という視野の狭さから脱することで、<猫派>も<犬派>も相対化してみせる。
ついでに<タイガース派>、<ジャイアンツ派>まで相対化してみせる。
<お化け>
彼女が超常現象を体験したエピソードが面白い。
特にイギリス、ロンドンのホテルでの彼女の体験は、リアリストのピアニストの証言だけに、信憑性は高いが、驚いたのは、これと非常に似た話を実際に聞いたことがあったからだ。
それも、会社の上司。
麻雀とゴルフとタバコの好きな、超リアリストの恐ろしい上司。
バカな冗談を言うこともなく、「お化け」なんか向こうが逃げてしまいそうな人だった。
ある時、夜飲んでいて、海外出張の話になった。
すると、上司はフランスのナント近くの古城ホテルでの体験を語り出した。
それが、中村紘子の語る体験とそっくりなのだ。
だが、もっと細かいディーテイルが語られ、誰もが恐れるその上司が本当に怖がっていることが分かった。
それでも眉に唾を付けて、その上司をアテンドした元駐在員に確認したところ、駐在員本人は何も体験しなかったが、その上司が、朝ホテルのレストランで落ち合った時、チェックアウトまでたっぷり時間があるにも関わらず、もうチェックアウトしてスーツケースを横に置いていたという。
昨晩の超常現象の話をして、もう部屋には戻りたくないと言っていた、と言う。
中村紘子のエピソードと異なるのは、上司の体験には、「大きな地震」が伴っていたことだ。
上司が、レストランで駐在員に言った第一声は「昨晩の地震は大きかったね。フランスで地震を体験するとは思わなかったよ」だったという。
駐在員はキョトンとして「え?地震なんてなかったですよ」と答えたという。
そのエピソードが上司にとって嘘偽りないことは、上司の奥さんへのヒアリングを行ったからだ。
フランスからの電話で話をしていた奥さんは、突然「地震だ!」という叫びで驚いたと言う。「フランスでも地震があるのね」と返答した、という。
これから、上司本人としては「地震」らしきものを体験したことは間違いない。
同じような体験をするということは、ユングの言う「元型(アーキタイプ)」のようなものが機能しているのかも知らない。
しかし、中村紘子にしても、上司にしても極めて合理的で、スピリチュアルなものに惹かれるタイプの人ではない。
それでもそうした超常現象を経験するというのが興味深いのだ。
<交友関係の広さ>
中村紘子の交友圏の広さは、音楽家、学界、政治家、映画界、美術界、そして皇室にまで及び、まさにセレブリティのそれだ。
世界的ピアニストだから、音楽家との交友は当然広い。
エフゲニー•キーシン君(1971-)は、本書で登場した時、19歳。
衝撃的なデビューをしたのは15歳。
母親と恩師の二人に縛られるキーシン君の行く末(親離れ)を心配する。
「キャンセル魔」ミケランジェリが、コンサートをキャンセルせず、「ヒビ割れた骨董品」の演奏を披露していまったエピソードも面白い。
更に、その知的好奇心から、学界、政治の世界での交友圏もおそろしく広い。
それは、旦那である芥川賞作家庄司薫の交友圏を彼女の魅力で自分の交友圏と重ね合わせてしまったことによる大交友圏の誕生を意味する。
東大法学部で政治学を学んだ庄司薫が小説を書き始めたのは、恩師丸山眞男(1914-1996)に読んでもらいたいからだった。
その丸山眞男が庄司=中村家のディナーに招待された時、同席していたのは、何と山本七平(1921-1991)。
彼はイザヤ•ベンダサンの「代理人」(本人?)として『日本人とユダヤ人』(1970)というベストセラーを出した評論家だが、山本には他に『現人神の創造者たち』(1983)という江戸時代思想史の主著がある。
かねてから、丸山眞男の江戸思想史の研究『日本政治思想史研究』(1953)との関係が気になっていた。
その二人が、庄司=中村家で食事を囲み、盃を傾けながら談笑していたとは!
その会話は、途轍もなく深いものだったろう。
その会話の詳細を知りたいものだ。
そうした知的巨人たちの知的バトルをプライベートな会食でアレンジしてしまう、そんなことが出来る人はそういない。
中村紘子は、プロはだしの料理人だったという。そして、エスプリのきいた会話と、魅力的なスマイルを持っている。
きっと知の大御所たちも、口が軽くなったことだろう。
政治家の知り合いも多い。
当時社民党代表で後に大臣を歴任する江田五月(1941-2021)。ヴィターリのコンチェルトをヴァイオリンで弾きこなす才人。庄司薫のゼミの先輩に当たる。
外務省審議官(当時)の斉藤邦彦。
ピアノの名手として登場するが、このエッセイの大分後には外務省を支配する「外務省のドン」と呼ばれることになる。
1990年に開催されたポーランド支援コンサートは、柿澤弘治、羽田孜の企画。
挨拶は首相の海部俊樹。
政治家にとっても音楽会による支援活動は嚆矢と言えるコンサートだったと言う。
外交官では、駐日アメリカ大使のアマコスト大使。その夫人とも親しい。
レーガン夫人、ゴルバチョフ夫人、ブッシュ(父)夫人との会食にも呼ばれている。
バーバラ•ブッシュ夫人の温かい人柄が伝わるエッセイは心が和む。
ユル•ブリンナーを自宅のコーヒーに招くなんてそうできることではない。
料理家の辻静雄との交友も楽しい。
フランスのリヨンに駐在していた時、リヨンにある辻調理学校出身者の日本人シェフ何人かと知り合った。
ヌーベル•キュイジーヌの本番リヨンの古城を学校にして、本格フレンチを教え込む辻静雄の発想は先駆的だ。
和の味とサービスを織り込んだフレンチは、フレンチそのものを変えてしまった。
美術界では梅原龍三郎画伯へのインタビューが出色だ。
NKHの特集番組でインタビューの様子と、梅原が中村紘子をサッサと描くのを観たことがある。
その裏側の内輪話が面白い。
老齢の梅原画伯がいかにユーモアとウィットに富んだ、チャーミングな男だったことが分かる。
そして、極め付けは皇室。
高円宮は、中村家(庄司家)に食事に来る仲ときている。
演奏を通じては美智子妃殿下(当時)とのやりとりも微笑ましい。
白眉は、小和田夫妻と雅子さまとの交友だろう。
雅子さまの知的な「はにかみ」の魅力が十分に語られると共に、身近で見た皇太子浩宮様の稀有な人格が語られて、印象的だ。
その二人の婚約が日本にもたらす幸運を嬉しそうに語るのが微笑ましい。
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ピアニスト中村紘子のエッセイ集。
といっても、日本のピアニストのパイオニア的な存在であった著者のことを私はよく知らない。夫が庄司薫であると途中でわかってぎょっとしたくらいだ。
1990年頃に書かれたものが多いうえに若かりし頃の回想が挟まれるものだから、国際問題や音楽業界の話題に時代を感じる。
日本人がイエローモンキーと嘲られる中、いかに西洋音楽の世界に東洋人として切り込んでいくことが内外ともに難しかったかと感心する。
そんな厳しい状況をあっけらかんと振り返る明るさや、クラシックへの深い愛情がじんわりと伝わってきて、なんかいいなぁ、という気分になる。
著者プロフィール
中村紘子の作品
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