- Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163536903
感想・レビュー・書評
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1995年1月の阪神・淡路大震災、無風の神戸市で立ち上る火、結果的に延焼し、長田区と兵庫区の火災の映像。震災犠牲者全体の8.4%、529人と推定される焼死者。当時の村山総理が「ヘリから水を撒くとか手を尽くせないか」との発言は世論となり、自治省消防庁(当時)がたくさんのできない理由を挙げたことへの疑問から、回転翼航空機(ヘリコプター)を持つ消防、警察、自治体(都道府県、政令市)の運用体制、諸外国との乖離、日本での研究不足を指摘する。航空と自衛隊組織に明るい小川氏ならではの視点である。
阪神大震災後に起こった空中消火をめぐる議論は、大都市災害におけるダメージ・コントロールの切り札としてのヘリコプターの運用という方向に進まず、未整理かつ不毛のまま推移してきたとのこと。本書の執筆時からどれほどの改善ができただろうか。
本書で触れられているドイツ、フランス、米国でのドクターヘリ。
この事業化は進んでいると思える。平時でも一定の割合で起きる交通事故や郡部、離島での急患への対処は、空飛ぶドクターカーとして理解されてきているのだろう。
自衛隊の運用は、その後、災害のたびに迅速に行われているようで嬉しい限り。
議論がなされず、研究が進まない原因は、ほかでもない、どこにでもある公務員の事なかれ主義。専門知識を持ち、現場経験を持つ人の上に君臨する方々。
指摘を受けないように、訓練のための訓練を繰り返していた実態。
自衛隊組織を忌み嫌い、そのポテンシャルを知りもせず、事に当たった人たち。
自分の目で見て耳で聞き、部下から上がった「情報」のみで重要な判断を下し、結果はその範囲でしか受けたくない人たち。
ダメージコントロールは、諸外国のマネでいいので進めてほしい。
エピローグにある行政の「不作為」、国民の「未必の故意」、民主主義である以上、声を上げてよりよい社会を作っていくことが大切で、各分野の専門家の意見は取り上げられるべきと思った。
公共の利益のために宣誓した公務員の方々は、保身せず、こだわるべきものを見つけてたたかっていただきたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
(2001.05.22読了)(2001.04.23購入)
(「MARC」データベースより)amazon
阪神大震災後に起きた火災で、なぜ空中消火は行われなかったのか。「市街地火災に空中消火は不可能」「世界的に前例がない」とする消防当局の主張に論駁し、脆弱な危機管理体制を検証する。
☆関連図書(既読)
「災害救援」野田正彰著、岩波新書、1995.07.20
「わが街」野田正彰著、文芸春秋、1996.07.20
「神戸震災日記」田中康夫著、新潮文庫、1997.01.01