大正9(1920)年、熊本県人吉市に生まれる。熊本工業学校時代、投手として甲子園出場。昭和13(1938)年に巨人軍に入団、以後十八年間、「背番号16」として活躍。「赤バットの川上」、「弾丸ライナー」などの言葉が生まれた。最高殊勲選手三回、首位打者五回、ホームラン王二回、打点王三回、終身打率三割一分三厘、通算安打二三五一本。「打撃の神様」と呼ばれる。昭和33(1958)年現役を引退し、巨人軍の打撃コーチを経て昭和36(1961)年監督に就任。日本シリーズ九連覇を含む十一回の優勝。昭和四十年野球殿堂に入る
「2013年 『禅と日本野球』 で使われていた紹介文から引用しています。」