銭湯の女神

著者 :
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 130
感想 : 24
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  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163580302

作品紹介・あらすじ

『転がる香港に苔は生えない』が絶賛を浴びた気鋭による、銭湯とファミリーレストランから透視した「東京」をめぐる39の掌篇。

感想・レビュー・書評

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  • 『考えない人たちにとって、ファシズムは一番楽なのだから*』-『キレる若者より怖いもの』

    本の半ば、銭湯の女湯の観察が始まったところで、これですよ、と思った。星野博美のエッセイは割と気に入っており、共鳴するところも多いと感じているのだが、この本は何となく一歩引きながら読んでいたのだ。他人を拒絶するようなニュアンス。自分は違うと必死に訴えているような文章。ちょっと言葉は不適切になるかも知れないけれど、どこか病んでいるのだろうか、と勘ぐったりして読んでいたのだ。それが銭湯の話が始まった途端に霧散する。これは何を意味しているのだろうかと考えてみて、ふと思ったのが頭と体のバランスのことである。

    元々、星野博美のエッセイを読む切っ掛けになった本でも、その後読んできたものでも、香港や中国大陸を見て自分自身の中で湧き上がる感情や思いを語る口調の潔さに自分は惹かれていたように思う。それは言い換えると、彼女が自身の身体の訴えてくることに非常に敏感でかつ正直であるというところに惹かれたのだとも言える。一見すると、とても頭でっかちな人が書いているようでいて、逆に感覚的でもあり、変な話ではあるが、そんなところがむしろどこか信用できる風な文章なのである。それは言葉の裏側に身体の感覚が存在しているのを感じられるためだと思うのである。

    その感覚がこの本の始まりでは起こるように感じるられない。頭で考えた言葉だけが鋭く飛んでくる。許すまじ!というアジテートが聞こえる。ところが、銭湯の話になった途端、武装解除が起こる。それは、裸の身体を観察している内に起きた、書き手の中の身体の感覚の覚醒のような変化があったためだろうかと思うのだ。自分自身も身体一丁に戻ったような変化である。そう思うと人間の身体の発するものの力強さに改めて驚くのであるけれど。

    そこから先はもう大丈夫だった。多少の辛口にも安心して気を緩めておくことができた。身体の意見を聞き入れながら頭でっかちに考える星野博美は、やはり読んでいて信用ができる感じのする、自分にとってちょっと特別なもの書きである。

    *:本の内容とは関係ないけれど、2001年にこの本が出版された時よりも、世の中はますます不寛容になり、多様性が叫ばれている一方で画一的な価値観が押し付けられるようになり、考えているようで実は他人の言葉を鵜呑みにする人が増えてきたような気がしてしまう。ファッショに対する警戒感は今年の災害後のメディアの行動を見ていても、ますます高く持たなければならないように思えてならない。

  • 米原真理のおすすめ本だったと思う。タイトルが銭湯だったので銭湯のことばかりと思っていたら、自分の生活、執筆の場としてのファミリーレストラン、香港でのことなど様々な場所のエッセイであった。
     4の銭湯のことだけであれば、フィールドワークのテキストとして仕えたのであるが、他の部分を含むとやや複雑である。また、銭湯は今の学生はほとんど行かないので、それだけでもフィールドワークとして価値があるのかもしれない。
     面白いことは面白い。

  • 『戸越銀座でつかまえて』に次いで2冊目。だと思っていたら、『戸越~』の自身のレビューを見たら『銭湯の女神』に次ぐ2冊目と書いてあった…。読み終えても、読んだことに気づかなかったなんて、なんてこと。
    文体もかたく、ちょっとシンパシーを感じ得なかった。奥付を見て納得。『戸越~』のほうが10年以上もあとの作品。『戸越~』のちょっとこなれた感が好きなのかも。

  • 2001年。ギリギリの孤独感が突き刺さる。

  • 転がる香港から苔蒸す日本に帰ってきた著者の、ほぼ書き下ろしエッセイ集。内容は贔屓目に言っても多感に過ぎて、興醒めすることもしばしば。しかし、夜中に安酒でもチビリチビリとやりながら、時間を潰すにはもってこいの読み物。

    「転がる香港…」を読んで以来、ずっと読みたいと思っていた彼女の本なので、とりあえずは読めて満足。「コンニャク屋漂流記」もいつか読む。

  • 2015年12月5日読了

  • 日常のあれこれなのに、何かちょっと違う。明日はもう何処かに行ってしまいそう。そして、ざっくりしているのに、細やかにさまざま掬い上げている。

  • 914.6

  • 「どこががどうしようもなく満たされていて、必死になれないから、本物の何かになれない。
    私はそれを背負って生きていくしかない。」
    わかるーー。
    「その場所に流れる空気に鈍感であることが下品」
    「そうやって鬱憤は、どんどん社会に伝染していく。」
    心に残った文を抜粋すると、真面目で面白くないエッセイかと間違われそうですが、面白いですよ。
    読み終わったあと、誰か親しい人に連絡をとりたくなります。

  • 第3版2002.02.20読完2011.08図書館

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著者プロフィール

1966年、戸越銀座生まれ。ノンフィクション作家、写真家。著書に『転がる香港に苔は生えない』(2000年、第32回大宅壮一ノンフィクション賞)、『コンニャク屋漂流記』(2011年、第2回いける本大賞、第63回読売文学賞随筆・紀行賞)、『戸越銀座でつかまえて』(2013年)、『みんな彗星を見ていた』(2015年)、『今日はヒョウ柄を着る日』(2017年)、『旅ごころはリュートに乗って』(2020年)など多数。

「2022年 『世界は五反田から始まった』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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