だいぶ前の話で、中国ウォッチャーの中では時々言及されることのある同書をやっと読破。著者はフランスのジャーナリストで、当時北京に駐在していたようだ。(同書の前に、中国少女マー・イェンの日記という、貧困家庭に育つ少女に関する本を出版している)
内容は。。中国共産党の政府というものが、中央だろうが地方だろうが、如何に人々のこと、特に貧困層を虫螻のように扱うのかと大きな憤りを覚える。20年ほど前の話ではあるが、基本的な構造や、人々の考え方は今でもあまり変わっていないように思える。たまたまインターネット・スマートホンのおかげで、政府側もよりうまくやる必要があるようになってきただけ。
少数の、個人にとって何の特にもならない、だが義憤をモチベーションに社会悪を明らかにしようとする人々、それを政治問題化させて妨害する行政側、そしてそういった少数派を全く指示しない大半の一般の人々という構図。これは今でも変わらないかもしれない。また人々の監視技術が向上したからか、人々がより従順になったのか、2020年の今の方が社会悪にたいして戦おうとする人は少なくなっているのではないか。
中流階級が増えてきても、どこか社会がどうなるかわからないところがあり、競争も激しく、安定感がえられないからなのか(どうかはわからないが)、貧しい人々に対する都市部の人々の見方は、今でもあまり変わっていないかもしれない。そこに困っている人がいて、哀れみの気持ちと手を差し伸べたいと思う気持ちを持つ人が圧倒的にこの国に少ないのが、不思議でならない。それがあればある種の自浄作用となって、社会が良いものになっていけると思うのだが。。。
最後の章にて著者の想いが描かれているが、外国人が外部から関わってできることの限界もおそらく感じていたのではないか。そんなことをいろいろと考えてしまう本であった。
P.116
弁護士たちもまた、このスキャンダルの犠牲者たちを助けようと奔走したりしてはいけない。彼らの弁護をしても勝訴の可能性はほとんどなく、反対に反撃をうけるだけだからだ。中国では、国にとって不都合な人物を弁護する代償はとても高くつくのだ。(中略)となると、中国の農民たちの伝統的な手段、権力者に直接訴えかけるという方法しか残されていない。”王朝”の首都、北京に嘆願書を送りつけるのだ。(中略)だが、やっとの思いで告訴状を提出することができたとしても、賠償してもらえる確率はゼロに近い。中国の昔からの決まり文句のような伝統は、今なお続いているーー「皇帝は善良でも、官吏は腐敗しているものだ」。つまり、裁きは頂点に立つ者のやる気次第なのである。
P.153(活動家:李丹について)
優秀なエリートの中から未来の幹部を選出するための特権的な場である北京大学で、共産党が募集活動を始めると、彼は共産党への加入を勧められた。毛沢東主義の時代に何度も迫害を受けた家族の後押しを受け、李丹は立候補することを決めた。「私たちは共産党員でなかったかというそれだけで、ひどい目に遭ってきた。だから、がんばれ」祖父母も応援してくれた。まるで、彼の未来に生命保険でも描けるような言い方でもあった。
P.208
中国では、まず情報が厳しくコントロールされているので、国民に事実が十分に知らされることはない。テレビで河南省のエイズ患者といえば、衛生部長や主将の傍らで微笑んでいる姿しか映し出されない。秋に起こったある事故の後、炭鉱作業員の家族は怒り狂い、行く先々で暴れていたが、そうした写真は新聞や雑誌には載っておらず、その代わりに、しばらくすると、首相が炭鉱作業員たちと餃子を食べながら、巧みにアレンジされた政治的な会話をしている姿が掲載された。(中略)二〇〇四年だけを見ても、隠蔽された情報を挙げれば長いリストができるだろう。そうした情報には共通点がある。国を不安定にさせたり、国民を混乱させたり、社会集団や民族集団同士が望ましくない連帯感を引き起こしてしまうような、悪い情報という共通点だ。「社会の安定がすべてに勝るという原則を保ち、社会の構造改革、発展、そして安定の三つの関係を適切に取り扱うように」第十六回代表大会で江沢民はそう忠告した。
そのため、否定的な情報は絨毯の下に隠される。中国は常に前進しなくてはならないからだ。国家だけでなく個人も前進しなくてければならない。これは中国の決まり文句である。個人は、中国文化のなかには存在しない。すでに近代化を遂げたはずの毛沢東主義のものの見方のなかにも、中国文化のなかや儒教に基づいた伝統のなかにも・・・。重要なのは、集団、つまり国なのである。新しい中産階級では、以前は嫌悪されていた個人主義的な行動が次第に見られるようになっているとはいえ、実際にそのことから中国人の世界観、あるいは世界全体における中国という国についての見方がかわるわけではない。
ある日、私は揚子江で建設中の三峡ダムの取材を行い、北京に住む女性の友人にその話をした。ところが、一見したところ”西洋化されている”その女性は、驚くような発言をした。(ダムとなる地域に一軒だけ残されるあばら屋とそこに住む老夫婦と養子が途方に暮れている図)その光景について、私は記事を書いた。一方には、三万人の労働者によって見事なコンクリートブロックでつくられた世界最大のダム。そしてもう一方には、歴史によって追い払われてしまう無力な、まるで『レ・ミゼラブル』の少女コゼットと老夫婦のような中国人一家・・・。私の目には、その光景は、現在の中国の発展を象徴する童話のように見えたのだ。だが、その北京の女性は、私の話に対して当然という口調でこう言った。「そんな話に興味を持つこと自体驚きだわ。だって、私たちにとって大切なのは、ダムの方よ。ダムができて揚子江にどんな影響が出るかとか。ダムによる発電のこととか・・・」。それを聞き、いまだかつてないほど大きな”カルチャーショック”を覚えた。(中略)
毛沢東時代に粛清を受け、二十年以上も追放されていた、上海の近くの蘇州の有名な作家、陸文夫は、また別の光景を使って、ある男の夢のため犠牲となった自分の苦い人生について描いている。「革命を手に入れるためには払わなくてはならない代償があり、それを払ったのは私たちだった。私たちは、歴史が通れるように道路の穴を埋める砂利のようなものだった。代償を払うだけのことはあったのだろう。歴史はうまく通り過ぎたのだから」。陸文夫自身も、革命を通過させるために高い代償を払わされた。そして現在、この”砂利たち”は、九%の経済成長率や”小康”社会の目標、つまり中国共産党の新しい存在理由となる”小さな繁栄”のために犠牲になっているのである。