心にナイフをしのばせて

  • 文藝春秋 (2006年8月28日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784163683607

感想・レビュー・書評

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  • 昨年末から読み始め今日まで読み進めるのに勇気と時間が必要となった
    神戸の「少年事件」の28年も前に同じような事件が起きていたことも初めて知った
    神戸の事件が起きたとき、犯人の情報が流れたとき、体が震えたことを思い出した
    これが自分の家族の事だとしたら、想像もできない苦しみを与えられたと察するしかない
    なぜ、こんな事が起きるのか
    なぜ、こんなめに遭わなければならないのか
    少年法はどう考えればいいのか
    新年の静かな夜に考えています

  • 何ともキツイ。キツ過ぎる。
    高校生の息子を同級生に殺された両親、兄を殺された妹のその後を追ったルポタージュ。

    物語の中で凄惨な事件を扱ったものを読んでもキツいと感じますが、でもどこかで『つくりもの』だからと、心で思っていて安心しています。
    ノンフィクションはそうはいかない。
    残された遺族の悲惨なその後。もう何も言えない。

    『私たちに此んな苦しみを背負わせ、あなたは平気で正義の味方のふりをして…』
    殺された男の子の母親が犯人へ宛てた手紙です。

    あぁ、もう本当に私は何も言えない。

  • 図書館で借りてきた本。

    簡単に書くとこの本は、'97年に起こった「神戸児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件)」で少年犯罪が注目されるようになり、それがきっかけで'69年に起こった同級生による殺人事件(加害者、被害者とも高校に入学したばかり)についての今に至るまでを多くは被害者家族(少年の母、妹ら)に語らせたものである。

    そして加害少年は医療少年院に送られたあと、社会に出て、なんと弁護士になっている、という衝撃的な事実も明かされるのだが、わたしは先に結論を知っていたので、割と覚めた気持ちで読んだ。

    というか、確かに被害者家族のその後の生活はその加害少年によってめちゃくちゃにされた、というのはよく分かるし、殺された上にこれだけつらい中をよく生きてこられたなあ、とは思う。というか、こういう感想を持つことすら被害者遺族を苦しめるのではないかと思って正直書きづらい。

    ただ、、ここまで何冊も少年犯罪の本や、死刑の本を読んできてわたしが思うのは、この本はものすごく安易すぎるのだ。被害者家族は救われない、加害少年は謝る気すらなく、のうのうと生きている。「こんな不条理なことってあるか。加害少年に重罰化を」という感想は読んだほとんどの人が感じるに違いないし、著者もおそらくそのことを期待してこの本を書いたのだと思う。

    けど、それでいいのか?とも思うんだよね。。
    いろいろな本を読んできて思ったのは「第三者は被害者(遺族)の代弁をしてはいけない」ということ。それだけは確かだ。わたしは今のところ、加害に対しても被害に対しても「第三者」の立場しかなくて、安易に「被害者の気持ちを考えろ」などとは口が裂けても言えない。それだけ第三者と当事者の間は不連続なのだ。

    なのにこの本は、(あまり物事を考えない)第三者にとって「被害者はこんなにつらい思いをしている」という言葉を安易に発せさせる本だ。それはなぜかというと、著者がそういう風に仕向けているからだ。そして著者はこれで社会に対して警告を鳴らした、と思っているだろう。

    しかし、物事はそんなに単純じゃない。「少年法を重罰化しろ」「被害者遺族を救済せよ」ということは簡単だ。が、物事はそんなに簡単じゃない。もともと少年法は「保護主義」を主体として成り立っていて、少年法が数年前に改定されるまではずっとそういう認識だった。しかし一連の少年による殺人事件が起こり、少年法は一応改定された。が、内容は従来の「保護主義」に加え「重罰主義」が入り込んできて、とても複雑なものになってしまった。

    こうなった背景は「早く少年法を変えろ」という民意。それもほとんど何も考えていない、ただ「重罰化あるのみ」と思い込んでいる人たちの「民意」だ(もちろん、少年犯罪被害者遺族の声に応答している部分もあるが)。

    そういう安易な声を作るのは、このような本だ。

    今までいろいろな本をわたしは読んできた。しかし読めば読むほどなんと言っていいのか分からなくなるのだ。そして「安易な感情」は持ってはいけない、そのことを強く思うのだ。

    おそらく「少年犯罪もの」を読むのはこれで一旦終いだろうと思う。わたしももうそろそろ、今まで読んできたものを自分の中で熟成させ終わる時期だろう。

    なお、この事件が起こった場所やその後出てくる地名などが、わたしの出身地、それもわたしのモロ行動範囲にあったので「あそこの教会でそうだったんだ」とか「あれが起こった頃、この人たちも近くにいたんだ」と思うとすごく不思議な気持ちだった。尤もこの事件が起こったのは、わたしが生後1年くらいなので、もちろんその当時の記憶にはないし、その当時は違うところに住んでて、4年後くらいにその場に引っ越すことになるのだが。

  •  神戸連続児童殺傷事件を論じる際に度々引き合いに出される、高校生首切り殺人事件の後に、被害者が受けた心の傷に焦点を当てて執筆された本。

     インタビューの大半に答えて下さった妹さんは本当に辛い思いをしてこられたと思う。揺れ動く気持ちを汲みとってくれる大人が周りにもう少しいてくれたら、素行不良(といっても今の時代の視点から見ればそれほど悪いとも思えないが)になったりはしないだろう。
     他の方のレビューにもあるように、亡くなった息子と兄を失ったことで同じように傷ついている妹を比較したり、喫茶店の営業に夫と娘を半ば強引に付きあわせたり、息子の命日には友人が来てくれるのは当然だと暗に伝えてくる母親には少し苛立ちを覚えたが、これも加害者が被害者家族に遺した傷である事を考慮すれば仕方がなかったのではと思う。

     ところで、この事件を引き起こした少年Aは出所した後に弁護士になり地元の名士として活躍していたそうだが、この事件の事が明るみになってからはいろいろあって弁護士を廃業し連絡も取れなくなっているそうである(私はハードカバー版を読んだので、その後の事は分からなかった)。
     「少年Aの行方」の下りで「金さえ払えばいいんだろ」、という感情が伝わってきて大変憤りを覚えた自分は、不適切な言葉である事を理解しているが、少しばかり胸がスッとした。
     上で「金さえ払えばいいんだろ」と書いたが、その支払いすら満足に行わない彼は本当の意味で更生出来たのだろうか(「自らつけた黒いシミを少年院で漂白されたAは、遺族には脇目もふらず、新たな人生の第一歩を踏み出した」という筆者の文章にはAへのすさまじい毒が込められている。この一文を本書にいれてくれた事は被害者家族・読者にとっても救われるのではないだろうか)。

     「被害者たちの意見ばかりがこの本には綴られている。加害者にも言い分・人権があるはずだ」という意見もあるが、それには触れない。というか、殺人を犯しておいて言い訳を平然としてのけ、反省の意が見られない犯人の感情など誰が知りたいだろうか。

     「残酷な犯罪を犯しながら、犯人が十四歳の少年という理由だけで、お犯した罪に見合う罰をうけることもなく、医療少年院にしばらくの間いた後、前科がつくこともなく、また一般社会に平然と戻ってくるのです」ー神戸連続児童殺傷事件の被害者の父
    「加賀美の家族はみんな苦しんでいるのに、Aだけが許されちゃって、せっせと金儲けに励んでいるなんておかしいよ。国は莫大なカネをかけて殺人者を更生させ、世に送り出したんだろ。それなら最後まで国が責任をとるべきだよ」ー加賀美洋くんの友人、佐々木さん
     実現可能かどうかは別として、この気持ちは皆同じだと思う。
    大切な人が突如他人の手によって奪われ、「心にナイフをしのば」ざるを得なくさせられた被害者ばかりが辛い思いをするこの状態が改善されることを願うばかりです。

  • 文が読みにくくて最初の50ページくらいでやめてしまった。少年Aがどんな人物だったのか自筆の本には書いてなかったのでそこが知れたのはまぁ良かったと思う。

  • 1969年に起きた高校生が同級生をナイフで惨殺した少年事件。
    被害者家族は今なお苦しむ一方、加害者は少年法に守られて弁護士になり社会的に成功を収めていた・・・。

    これは当時単行本が発売された時点でかなりセンセーショナルな話題となり、ネットでも色々見たし、お昼にやっていたドキュメンタリーもたまたま見ていて、今更感はあったのだけど読んでよかった。
    正直、読み進めながら「被害者遺族よりも加害者のエピソードが読みたいのだけど・・・」と思った。
    それは単行本の読者も思ったようで相応の批判もあったようだが、そこは文庫版あとがきでフォローされている。
    またこの本が被害者遺族にスポットを当てたことで司法の現場にも変化が見られたようで、果たした役割の大きさも実感できた。

    自分が知っていたのは加害者が弁護士になっても鬼畜だった、というところまでだったのだけど、単行本発売後の反響の大きさから弁護士を廃業した顛末まで文庫版では加筆されている。
    それでも加害者が改心していないところにリアルな恐怖を感じる。

    読み物としてもノンフィクションとしても拙い部分が目立つのだけど、生々しい被害者遺族の感情を知れただけでも読んで良かったと思う。

  • 犯罪被害者の遺族・関係者へのインタビューからなる本書は、殺人が引き起こす甚大なる影響がまざまざと描かれている。
    被害者側が地獄のような日々を過ごし、今も苦しいんでいる一方、加害者は少年であった事から、少年法で守られ、弁護士となり裕福な生活を送っているという不条理さ。それのみならず加害者が吐いた被害者遺族への暴言は絶対に許せない。
    また被害者遺族はマスコミの無茶苦茶な取材によってトラウマを植え付けられてしまっており、そのような取材は自粛して然るべき。強引な取材をする人は想像してみてほしい、自分の大切な人が命を奪われ、そのことについて世間が知りたがっているので話を聞かせてください、自分がそう言われたらどう思うか。

  • 少年犯罪といえば、「神戸児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件)」が本当にセンセーショナルだった。しかしそれ以前にも同様の事件があった。同級生の殺人事件。主に被害者家族へ焦点を当てたルポタージュ。
    被害者遺族の苦しみは時間が解決するものではなく
    何十年とたったのちも、事件が起こる前には戻れない。
    乗り越えていくなんて到底できやしないことなのだと痛感してしまう。被害者の苦しみは癒えぬまま、
    加害者の少年は「少年法」に守られ、社会復帰を果し弁護士となっている事実。
    加害者の少年も同じような苦しみをというのは違うのかもしれない。
    でも、少年の中では事件のことをどのように受け止め今の道を歩んでいるのか。
    起きてしまった事実は変えられない。
    その中で刑罰とはなにかを考えさせられる。

  • 1969年に起った高校生による猟奇殺人。
    その被害者家族のインタビューをもとに綴られた被害者家族のその後と、加害者のその後。

    「天使のナイフ」を読んでから、この本を知り、手の取りました。

    少年犯罪、少年法、被害者とその家族のプライバシーとその後の壮絶な暮らし…
    毎回のことながら、考えさせられます。

    さらに言えば、加害者が更生して、弁護士になっていたという事実。
    事件に向き合い、遺族に向き合い、謝罪する気持ちを持ってのことだったら、それはありなのだと思いますが、このケースでは、謝罪の意思もなければ、反省すらされていない様子。
    許されないことと思わずにはいられません。

    しばらくは、少年犯罪関係の本は読まないつもり。
    昨今の事件だけでも、先が思いやられる気持ちです。

  • あの酒鬼薔薇事件より28年前、15才の少年が同級生を殺害した事件のその後の被害者家族のルポ。被害者の妹、みゆきさんの語りで明されるのは、事件後の過酷な毎日と、崩壊ギリギリの残された家族像。こんなことが現実に起きているのだなと、生々しくて、重たいです少年法で守られている加害者は、謝罪も償いもなく、社会的には厚生したとみなされ、過去の事件を過去のものとして生活している現実がある一方で、事件の傷が癒えることなく何十年も苦しんでいる被害者家族の心は、どうやったら救われるのだろう。

  • 40数年前にも「酒鬼薔薇」はいた。1969年、川崎のキリスト教系の高校で生徒が級友を殺害。首を切断するという残虐な事件だったそうだ。酒鬼薔薇と同じように「透明な存在だった」と語った加害者の少年Aは、医療少年院に送致され、その後の生活については少年法の重厚な壁に閉ざされ、長らく誰にも知られずにいた。本書では、周到な取材によって、いまも生き続ける少年Aの衝撃的な姿を暴き出すのに成功している。

    大半は被害者家族の証言がもとになっているので、視点はもっぱら被害者側に寄っているのは気になる。ただ、よく言われるように加害者側の人権に比べて、被害者側の人権が軽視される傾向があることを考えると、こういう形でまとめるやり方にも意味はあるのかもしれない。最愛の長男を失った事実が遺された家族を苛み、家庭崩壊の危機をまねく様子は無惨というしかない。とくに母親の人格にまで影響し、何かのきっかけで別の人格があらわることがあったというあたりは、その喪失感の大きさがしのばれる。

    また、長男の三回忌あたりの時期に小さな女の子を養女にしようとしたらしい。その娘がとんでもない人格の持ち主で、傷ついた家族をさんざんに引っ掻き回す様子は妙に印象に残っている。そんな一向に癒えることのない苦悩をかかえた途方もなく長い年月の末に、年老いた母親が直面した「少年A」の姿――。想像するだに重苦しく、なんともいえない読後感にしばし茫然自失するほかなかった。

  • たまたまTVに出ている著者を見て、「へぇ~・・・、あの事件のその後を取材したのか。」と思って読んでみたのだけど、「あの事件」と思った神戸の「酒鬼薔薇」事件ではなく、まったく似たような、今から39年前に起こった事件のその後のルポだった。
    もちろん取材のキッカケは1997年に起こった「酒鬼薔薇」事件だったみたいだが。
    「酒鬼薔薇」事件のあと、少年法の改正だとか、被害者フォローのことがさかんに言われるようになったのはよく耳にしていたが、私は正直、被害者フォローなど、そこまで腫れ物に触るようにしないといけないものなのか?などと想像力の欠如甚だしい他人事丸出しな無責任な感想を持っていた。
    (ほら、何かといえばすぐに「PTSD」をわめき散らすマスコミに実際ゲンナリしていたし。)
    憎むとか怒るというのは結構生きる力になったりするもんではないのだろうか?とかね。
    (もちろんそれで幸せかどうかは別問題として。)
    しかし、いやはや・・・、事実は想像を絶しました。・・・絶句。

    この39年前の犯人「少年A」は、出所してから「国費」で大学を2校出て、「弁護士」になって順風満帆な生活らしい。
    そして、あれだけのカルトな事件を己の手で犯しておきながら、加害者意識はなし。
    まぁ、彼の育った家庭環境から受けた歪みが加害者でありながら被害者意識でずっといさせるというのは、こういう事件を起こした犯人の大きな特徴っぽいけど。
    だからといって、その鬱憤を他人に向けた挙句の果てが、本人順風満帆な生活、被害者家族ボロボロって、なんかやりきれんよなぁ~・・・。
    たしかに、「少年法」おかしすぎますわ。

    それにしても、そういう憤懣をかろうじて他人に向けない良心(?)を持ってる子が、実際に親を家族を殺してしまうんやろうなぁ~・・、なんてことも思ったり。

  • 後味の悪さは他に類を見ない。
    だがそれは、昭和44年の事件の犯人に対するものではなく、有名な少年犯罪に便乗して37年前の事件を穿り返した行為に対して。
    誰のための正義感よ、これ。

  • 同級生に長男を刺殺された家族のその後を描くノンフィクション。

    ものすごく衝撃的な内容だった。殺人事件というものがここまで被害者遺族に暗い影を落としてしまうのかと痛ましかった。

    特に被害者の妹の「あのときわたしがお兄ちゃんのかわりに死んでいたら、家の中がこんなひどいことにならなかったはずだ」という独白は本当に痛ましい。
    傷を受けた家族に充分な精神的ケアもなかったようだ。特に妹に対して。
    殺人事件という不幸をきっかけに、内在していた家族の問題が顕在化してしまったような印象を受ける。
    妹視点で話が進むために、かたよった見方かもしれないが母親は少し弱すぎるようにも思う。母娘関係の問題もあぶりだされている。

    加害者が弁護士になっており、遺族に対してなんの賠償もしていないというのは衝撃の事実。こういう現実、なんとかならないだろうか?

    作者の取材姿勢にやや問題があるような気もするが、衝撃の本であった。

  • 「心にナイフをしのばせて」は2006年8月に出版され、同年10月の「週刊ブックレビュー」で藤原智美さんが紹介しました。
    その後、この本の書名は色々なところで見ました。
    2008年8月の「週刊ブックレビュー」では華恵さんが紹介しました。
    加害者が弁護士になっていた、加害者が開き直る理不尽さ、に衝撃を受けたということでした。

    素直に読むと胸を打つ作品です。
    優れたノンフィクションは文学的であると思いました。
    ミクシイレビューがたくさん書かれていました。
    たいていは肯定的なものですが、この本の内容を全否定するものも最近書かれていました。

    事件が1969年4月に起き、その後の被害者の家族の試練が1970年代の歴史を背景に描かれています。
    安田講堂の攻防戦、三島由紀夫の自決、浅間山荘事件、神戸の酒鬼薔薇事件などです。

    殺された高校に入学したばかりの息子は、登山が趣味と言うよりのめり込んでいて、「山と渓谷」という雑誌を購読しています。
    亡くなったあと、父は想い出のために「山と渓谷」を購読します。
    「せめて山で死んでくれたら」という切ない声が胸を打ちます。

    この本によると、2004年度で日本政府が犯罪加害者の更正にかける支出は年間466億円、被害者のための予算が11億円なのだそうです。

    弁護士になった加害者が何故こんな傲慢な態度を取るのかという理由が知りたいと思いますが、読む者を重い気持ちにさせるノンフィクションでした。

  • 1969年、高校一年生の加賀美洋君が、同級生の少年Aにめった刺しにして殺害されたうえ、首を切り落とされた。その後、犯人だとされる少年Aは犯行を偽証し、証言を二転三転させたのち、渋々犯行を認めた。被害者の家族はこの事件を機に、母は精神が崩壊し、妹は反抗に走り、関係が瓦解し始めた。事件後30年以上たっても事件からたちなおれない家族。しかしその一方、少年Aは少年院を出て、大学を二つも卒業し弁護士となり、地元の名士にまでなっていた!!事件後の家族崩壊から、少年Aの足取りまでを綴った衝撃のルポ。少年法とは?少年の更生とはなんなのか?を問う。

    よくできた作品。よくここまでの証言や、少年Aの足取が調べられたものだと思う。

    これには、少年法とは何かを真剣に考えさせられた。

    現在の少年法は、罪を犯しても、それは「前歴」にはなっても「前科」にはならない。犯罪者は少年院を出れば誰に後ろ指さされることもなく、人生のリスタートができるのだ。

    これを読む限り、少年法は「更正」の名のもとに、「免罪符」になっているように思う。少年院では、過去のことを忘れて社会復帰ができるように指導される。

    私はかねがね思っていた。少年法が制定されたときより時代はものすごい勢いでかわっており、犯罪の質が劇的にかわっている。それなのに抜本的改定がなされていないのはあまりにもおかしいのではないか。

    どんな残忍な罪を犯した者でも、少年というだけでプライバシーが異常なほど保護される。少年院を出れば、堂々と街を歩け、好きな仕事にも就ける。対して、被害者は全国に顔を知られ、マスコミに取材攻撃をされる。しかし犯人の顔を知ることもできず、裁判にも参加できない。そして、家族は事件後も街をあるけば指を指される。事件を忘れることは決してできず、生涯にわたって遺族や関係者に深い傷跡を残す。

    加害者の人権保護ばかりが厚い。被害者のアフターケアにはなか×2手が回っていないのが実情だ。実際、日本政府の加害者の更正にかける支出は年間466億円。これに対し、被害者のための予算が11億円。

    この差はなんだろう。死んだ人間より、これから生きていく人間の方が大事だということだろうか?

    私は思う。「社会復帰後少年の人生に差し支えるから」と加害者を異常なまで保護するのは、その理想は素晴らしいのだが、人を傷つけた人間に、はたして社会復帰の権利があるのだろうか?被害者は生きる権利を、不当に奪われているのに、それを奪った人間の権利が手厚く保護されるのか?甚だ疑問だ。

    また、本来ならば犯した罪を一生背負って、贖罪のために生きていかなければならないのに、少年というだけで、その義務を免除されるなんておかしい。したことの責任は少年であろうとなかろうと同じ重さであるし、果たすべきものだと思う。

    だいたい、少年のうちから人を殺せる人間に、社会復帰なんて不可能だろう。むしろ、そんな人間に社会復帰の権利はない。

    罪を犯した人間は一生その罪を背負っていかなければならないのに、少年院ではその罪を「忘れ」て、新しい人生を始める教育がなされ、その環境も法の下で整備されている。

    変。めちゃくちゃ変。そんなおそろしい人間を、数年で社会に出すなんて、その他の人間の安全さえ脅かす。個人法益と社会法益が主客転倒している。確かに、前科で人を判断するのはよくないが、そんな残忍なことをした人間が、もしかしたら、自分の近くをうろついてるかもという恐怖もある。

    近年、少年法の抜本的見直しが叫ばれる中、人権派とよばれる弁護士達の反対もあってか、なか×2見直しは進まない。

    そして、今も少年犯罪により、一生をむちゃくちゃにされた被害者家族は増え続けている。

    少年法について改めて考えさせられる本だった。

    ただ、一つ残念だったのは、本の後半で被害者の母親が、自分が経営する喫茶店の経営がたちゆかなくなった途端、加害者に(それまで未払いの)賠償金を支払うことを催促するかのような手紙を送っていることだ。(犯人の元少年Aは、これに対し、金を貸してやるから、実印と印鑑証明を用意しろと言っているが。)

    私は、被害者の母が、金の無心のために手紙を書いたとは思えない。だから、なぜ手紙を送る気になったのかという心の変化をもうちょっとつぶさに描いて欲しかったと思う。

  • 著者の言われるとおり「更生」とは何なのか、深く考えさせられた。少年Aの心からの謝罪がすべてのような気がした。

  • ジャーナリストの事件ルポというより、被害者の妹さんの話の書き起こしが8割ちゅー印象
    その妹さんが立派すぎてすごいとしか言えない

    人間は、自分が体験したことならなんでも記憶していられるほど強くない
    母は、生きていくためには記憶を消すしかなかった
    記憶がないのは幸せ

    「お母さん、泣けるほうが楽だよね」
    辛くて泣くのはわかるけど、泣かないでがんばっている父はもっと辛いんだよ、と
    わたしはそう思って、泣くことをやめた

    少年法いかれすぎ

  • 酒鬼薔薇の事件の28年前に起きた少年事件の被害者家族の話。
    大切な家族が殺されたら、だれでも一生引きづると思う。
    それに加害者は数年で少年院を出て社会的にも成功するなんて被害者からしたら絶対許せないと思う。

  • 神戸連続児童殺傷事件が起こる28年前にも横浜の高校で似たような事件が起こっていた。被害者家族の傷は永遠に癒される事がなく苦しみ続けている。それに比べ加害者は人権擁護という名目で守られる。横浜の事件の加害者も、国家の無償の教育を受け、自分が犯した罪を反省することなく、大きな事務所を経営する弁護士になっていた。もっと被害者遺族の人権に配慮し、ケアしていく体制が整うことを望みます。

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著者プロフィール

奥野 修司(おくの しゅうじ)
大阪府出身。立命館大学経済学部卒業。
1978年より移民史研究者で評論家の藤崎康夫に師事して南米で日系移民調査を行う。
帰国後、フリージャーナリストとして女性誌などに執筆。
1998年「28年前の『酒鬼薔薇』は今」(文藝春秋1997年12月号)で、第4回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞受賞。
2006年『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で、第27回講談社ノンフィクション賞・第37回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
同年発行の『心にナイフをしのばせて』は高校生首切り殺人事件を取り上げ、8万部を超えるベストセラーとなった。
「ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年」は25年、「ナツコ 沖縄密貿易の女王」は12年と、長期間取材を行った作品が多い。
2011年3月11日の東北太平洋沖地震の取材過程で、被災児童のメンタルケアの必要性を感じ取り、支援金を募って、児童達の学期休みに
沖縄のホームステイへ招くティーダキッズプロジェクトを推進している。
2014年度より大宅壮一ノンフィクション賞選考委員(雑誌部門)。

「2023年 『102歳の医師が教えてくれた満足な生と死』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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