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Amazon.co.jp ・本 (248ページ) / ISBN・EAN: 9784163695808
みんなの感想まとめ
走ることを通じて、著者が自身の経験や思いを深く掘り下げて語る本作は、人生の様々な局面を映し出します。ウルトラマラソンやトライアスロンといった挑戦を通じて出会った不思議な人々や奇妙な体験が、彼の成長を支...
感想・レビュー・書評
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私も走るから。そして、村上春樹が好きだから。だから読んだ。
ウルトラマラソンみたいな100kmを走り抜く、一流の小説家による心理描写は興味深い。私は挑戦したことのない距離。未知の世界だ。トライアスロンにも挑戦している。
ー おかげで数多くの不思議な人々に巡り合うことになったし、思いもよらぬ奇妙な体験もした。そういう生活の中で、僕はいろんなものごとを素直に、意欲的に吸収していった。おおむねのところ僕は新しい人生の展開と、それが与えてくれる新しい刺数を、前向きに楽しんでいたと思う。
これは走ることでの語りではなく、お店を経営していた時の話だ。とにかく真面目に直向きにルーチンをこなしていくことで、経営も走ることももちろん小説家としても、成功と言えるような場所まで辿り着いていく。
毎日の仕事も読書生活も人生そのものも、小さな円環としてのルーチンによって日々、駆動していくのだろう。私も走る。最近は特に何を目的とするわけでもなく、汗をかいてシャワーを浴びて一日を始めるのが気持ち良いからという理由だけが動機だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「走る」ということが、村上春樹さんの中でどのようなものなのか…苦しい経験、思い通りに行かなかったレース、視界が開けた瞬間…様々な過程とその時の思いが語られる。あぁほんとに文章が上手いなぁ、好きだなぁと再確認。
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みんなが小説家だとしたら
気が乗らない時もあるし、
生活のコンディションを整えるために走り始めたかもしれないし、
仲間と走りながら、中身のある仕事の話ができるかもしれないし
なーんて事があるんだなと思った。
普段はこういう本、この作家だから書けた文章と思って読むタイプだけど、
みんなほんとは小説家、村上春樹が普通の人だったらと思って読むのも面白い。 -
村上春樹さんの小説家として、ランナーとしての生き方が著者らしい表現で描かれていて、とてもいい本でした。
とても頭がよくて、センスのいい人だなーと感じます❗️ -
本書はマラソンとの向き合い方やマラソンを通して作家としての自身がどういったことを考えているかが綴られている。
健康的な生活を送っていたら、小説が書けなくなるんじゃないか、というような質問に対し
「小説を書こうとするとき、つまり文章を用いて物語を立ち上げようとするときには、人間存在の根本にある毒素のようなものが、否応なく抽出されて表に出てくる。」
と述べ、作家はその毒素を手際よく処理していかなければならない、長く小説を書こうとするなら毒素に対抗できる自前の免疫システム、すなわちエネルギーに対応できる体力が必要であると語る。実にユニークな考えである。
こういった独自の考えに多くの読者が著者に魅了されているのだろう。物事の捉え方に我々は無意識的に論理性は求めておらず、鮮やかな独自性、特異性を望んでいるのかもしれない。それが作家としての魅力になるのだろう。
もうひとつ、共感した記載を紹介する。
(トライアスロンに取組む自分も含めた人たちを客観視して)
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そんな人生がはたから見てーーあるいはずっと高いところから見下ろしてーーたいした意味も持たない、はかなく無益なものとして、あるいはひどく効率の悪いものと映ったとしても、それはそれで仕方ないじゃないかと僕は考える。たとえそれが実際、そこに小さな穴のあいた古鍋に水を注いでいるようなむなしい所業に過ぎなかったとしても、少なくとも努力をしたという事実は残る。効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。
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プライベートな時間を割いてトライアスロンに取組み、仕事とを両立している過酷な生活に対し、客観的に見ればその取組みが無意味や非効率として捉えられていることを自覚している。しかし、本当に大事なことはそういった無意味や非効率の中から生まれるということを主張している。
昨今のコスパ、タイパを重視する風潮に本当にそうかと首を傾げる。器用に生きれるかもしれないが、価値ある人生になっているのかと問いたい。
結局、実感として心に刻まれるのは、遠回りしたときに得る経験ではないか。
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村上春樹がどんな人物なのか少しでも知りたいと思い、この本を読みました。
●一人でいることが全く苦にならない
●勤勉で我慢強く体力がある
●何か物事に取り組む時、それに全面的にコミットしていなと落ち着かない性格
ということがわかりました。
早寝早起きし、週に60キロ走るということから、とてもストイックな印象を受けました。
少しでも人柄がわかって良かったです。
それにしても、野球観戦中に小説が書きたい!と思い立ち、結果、それが賞に選ばれるというのは驚きました。
その時に書いたのが
『風の歌を聴け』
だそうです。 -
身体的な感覚を
言葉に落とし込むのは難しい
と思うのだけど...
走っているような
爽快感を感じる文体と
哲学的な思考が楽しめた
さすがだなぁと思った
ブックオフにて取り寄せ-
2024/05/08
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村上春樹が50代の時に書いたもの。小説家になっていくまでのエピソードや走りはじめた時期のことが書かれている。村上春樹の人間らしさが垣間見られて嬉しい。事務に追われていたり、緊張して過呼吸になっていたり、スピーチの練習をきっちりしていたり…親近感が沸く。
村上春樹がなぜ、走るのか。それは小説を書き続けるため。
◯書くことと走ること
誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。
長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。黙って呑み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に呑み込み、それを(できるだけ姿かたちを大きく変えて)小説という容物の中に、物語の一部として放出するようにつとめてきた。
僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。どの程度、どこまで自分を追い込んでいけばいいのか?どれくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか?どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?どれくらい自分の能力を確し、どれくらい自分を疑えばいいのか?
小説を書くのが不健康な作業であるという主張には、基本的に賛成したい。我々が小説を書こうとするとき、つまり文章を用いて物語を立ち上げようとするときには、人間存在の根本にある毒素のようなものが、否応なく抽出されて表に出てくる。作家は多かれ少なかれその毒素と正面から向かい合い、危険を承知の上で手際よく処理していかなくてはならない。そのような毒素の介在なしには、真の意味での創造行為をおこなうことはできないからだ。それはどのように考えても「健康的」な作業とは言えないだろう。
要するに芸術行為とは、そもそもの成り立ちからして、不健全な、反社会的要素を内包したものなのだ。僕はそれを進んで認める。だからこそ作家(芸術家)の中には、実生活そのもののレベルから退廃的になり、あるいは反社会的な衣裳をまとう人々が少なくない。
それも理解できる。というか、そのような姿勢を決して否定するものではない。
しかし僕は思うのだが、息長く職業的に小説を書き続けていこうと望むなら、我々はそのような危険な(ある場合には命取りにもなる)体内の毒素に対抗できる、自前の免疫システムを作り上げなくてはならない。そうすることによって、我々はより強い毒素を正しく効率よく処理できるようになる。言い換えれば、よりパワフルな物語を立ち上げられるようになる。そしてこの自己免変システムを作り上げ、長期にわたって維持していくには、生半可ではないエネルギーが必要になる。どこかにそのエネルギーを求めなくてはならない。そして我々自身の基礎体力のほかに、そのエネルギーを求めるべき場所が存在するだろうか?
僕自身について言わせていただければ、「基礎体力」の強化は、より大柄な創造に向かうためには欠くことのできないものごとのひとつだと考えているし、それはやるだけの価値のあることだ(少なくともやらないよりはやった方がずっといい)と言じている。そして、ずいぶん平凡な見解ではあるけれど、よく言われるように、やるだけの価値のあることには、熱心にやるだけの(ある場合にはやりすぎるだけの)価値がある。
真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。それが僕のテーゼである。つまり不健全な魂もまた、健全な肉体を必要としているわけだ。逆説的に聞こえるかもしれない。しかしそれは、職業的小説家になってからこのかた、僕が身をもってひしひしと感じ続けてきたことだ。健康なるものと不健康なるものは決して対極に位置しているわけではない。対立しているわけでもない。それらはお互いを補完し、ある場合にはお互いを自然に含みあうことができるものなのだ。往々にして健康を指向する人々は健康のことだけを考え、不健康を指向する人々は不健康のことだけを考える。しかしそのような偏りは、人生を真に実りあるものにはしない。 -
「え、やっぱりド変態やん」って思った一冊
小説家?アスリート?! いや、マゾだ!!!ってなってくる
だって100キロ走るんだもん… …
あんまりヒーヒー言ってないところ(客観的なところ)がまた楽しい
春樹を読んでなくてもライトに読めます -
村上春樹さんの本を読んでみたくて、でも小説はどうもハードルが高いのでこちらを手に取ってみた。
特に、面白い!というところはないのだけれど、なんとなく全部読めてしまった本だった。
そして自分も走りたい、フルマラソン(まずはハーフ?)に出てみたい、と思ったり。
印象的なところは以下
・小説を書くのが不健康な作業であるという主張には、基本的に賛成したい。我々が小説を書こうとするとき、つまり文章を用いて物語を立ち上げようよするときには、人間存在の根本にある毒素のようなものが、否応なく抽出されて表に出てくる。作家は多かれ少なかれその毒素と正面から向かい合い、危険を承知の上で手際よく処理していかなくてはならない。そのような毒素の介在なしには、真の意味での創作行為を行うことはできないからだ。
・僕らは初秋の日曜日のささやかなレースを終え、それぞれの家に、それぞれの日常に帰っていく。そして次のレースに向けて、それぞれの場所でこれまでどおり黙々と練習を続けていく。そんな人生がはたから見てたいした意味を持たない、はかなく無益なものとして、あるいはひどく効率の悪いものと映ったとしても、それはそれで仕方ないじゃないかと僕は考える。たとえそれが実際、底に小さな穴のあいた古鍋に水を注いでいるようなむなしい所業に過ぎなかったとしても、少なくとも努力をしたという事実は残る。効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。
こうやって書き出してみると長い文章なんだけど、意外にさらっと読めてしまう不思議。 -
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もう20年以上前の本でしょうか。村上春樹氏が
40歳代の頃のエッセイです。
ランナーでもある村上氏が走ることについて書
いています。
フルマラソンは20回以上出ていて、基本はサブ
4です。
作家という職業でありながらアスリートである
のは真逆の様な気がしますが、そこは理由が明
確に書かれています。
「書く」には集中力が必要であり、その集中力
を生み出すのは「体力」なのだと。
体があってこその頭の働きというのは身体論に
通じます。
さらにフルマラソンの最中に考えていることと、
その後の気持ちの移り変わりにはランナーとし
て共感できる部分が多くありました。
「ああ、皆考えることは同じなのだな」と同じ
ランナーとして嬉しい瞬間でした。
ランナー必読の一冊です。 -
もちろん走ることについて書かれているのだが、実は職業小説家としての人生も多分に書かれており、興味深い内容だった。
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自分自身がジョギンを日課としていることで興味を持って読んだ。そして作家を本業としている著者のなんちゃってランニングエッセイだろうと思ったらとんでもない。トライアスロンにも挑戦するというかなりストイックなランナーであることに驚き、フルマラソンどころかハーフもそのまた半分も走れない身には大いなる畏怖の念をいだき、嫉妬しながら読んだ。
2020年1月、再読した。前回より内容に感銘しながら読んだ。というか、内容をほとんど覚えていなかった。不覚というか、だらしないといいうかそんな感想も持ちながら読んだ。
走りながら時々どうしてこんなしんどいことをしているのだろう?と思う。走らない日は物足りないし、朝走ると昼にはまた走りたくなるくせにだ。村上春樹氏は随所にこの問いに彼なりの走る哲学のようなものを与えてくれた。そこに共感をしながらそして自分なりの考えを当てはめていった。
走る目的は人それぞれ違うと思うけれど、それでも似たり寄ったりで同じところにあると思う。走ることになにがしかの疑問を持つときまたこの本を読んでみようと思うかもしれない。 -
文才のある人がランニングを語るとこうなるのか。ランナーズバイブルにはなり得ないが、同意できるフレーズがいくつもあって文章も綺麗。同じテーマで近代バージョンが出てくれれば是非読みたい。
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「僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた」というテーマはとても面白かった。走ることがどれだけ小説家村上春樹にとって大切な行為であるか知った。
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特に「走る」というテーマに則したエッセイ
「職業としての小説家」と結構かぶるとこがあったので、目新しさはなかったです。
読んでて楽しかったのはもちろんですけど -
ゆるっとしてると同時に
とてもストイックな村上春樹自身の走ることについて書かれた本
村上春樹がとても愛らしく
思わずファンになりそうだ
それくらいざっくばらんに心情が書かれている
また、
なによりも素晴らしいところは
誰もが経験してきた走ることやそのつらさについて、
どうしてここまで言葉巧みに表せるんだろう。
思わず唸る。
普通なら
「走って辛かった。でも有意義。」
それで終わる文章なのに。
自分のこと、他人のこと、
いっぱいいっぱい物事を考えることには、
損はないと改めて感じた。
物事をこれからも考え続けよう。
はて、
生きる確かな実感を浴びるためにも
私も走ろうか~
ともあれ
非常に楽しく幸せに読めた本でした! -
村上春樹は、皆が思っているとは思うけど、自己責任と自己完結という基本的なランナー的資質にめちゃくちゃ馴染む人だよな、って改めて再確認。イチローみたい。
常に客観的であることが、加齢と共に衰えていかざるを得ない自身の運動能力に楽しくむきあうスタイルを支えている。
アスリートと親和性の高いエッジの効いたライフスタイルはあまりにも庶民生活とかけ離れてるし、小説家という特殊性な職業でこそ成立する気もしますが。でも、そんなアスリート的思考こそ、村上春樹文学を成立させてるんだろうなと想いました。今はかつてない程にランナーが多い時代ですし、ランナー的観点からよりリアルかつポジティブな人生を謳歌する人にとっては本著は楽しめるのではないでしょうか?
という事で、村上春樹にあまり深入りしていないライト層にも十分楽しめるエッセイ集です。 -
自分も日課として走っているのでモチベーションが少し上がった。
走る事への向き合い方も学べるところがあった。
高橋選手の脈が1分間35回っていうのは本当にびっくりだった。
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