ひとりでは生きられないのも芸のうち

著者 :
  • 文藝春秋
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レビュー : 76
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163696904

作品紹介・あらすじ

社会のあらゆる場面で"孤立化"が進むいま、私たちはどう生きるべきか?「自己決定・自己責任」の呪縛を解く。

感想・レビュー・書評

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  • 自己責任や自己決定が出来てこそ「一人前」という風潮にウチダ先生はこういう。

    ”あなたなしでは私はこのゲームを続けることができない。キャッチボールをしている二人は際限なくそのようなメッセージをやりとりしているのである。このとき、ボールとともに行き来しているのは「I cannot live without you」という言葉なのである。
    これが根源的な意味での贈与である。
    私たちはそのようにして他者の存在を祝福し、同時に自分の存在の保証者に出会う。
    「私はここにいてもよいのだ。なぜなら、私の存在を必要としている人が現に目の前にいるからである。」という論理形式で交換は人間の人間的尊厳を基礎づける。交換の本義はそのような相互的な「存在の根拠づけ」に存するのであり、交換される記号や商品や財貨といった「コンテンツ」には副次的な意味しかない。
    一人で出来ることを二人がかりでやる。それによって「あなたなしでは私はこのことを完遂できない」というメッセージを相互に贈りあうこと。それがもっとも純粋な交換のかたちである。

    I cannot live without you.

    これは私たちが発することのできるもっとも純度の高い愛の言葉である。”(P281)


    僕に出来ることならどんどん頼っていいよ、僕もいろんな人の力で生かされているから。

  • 信者による教典紹介。以下、引用。

    「I cannot live without you.

     これは私たちが発することのできる最も純度の高い愛の言葉である。
     私はこのyouの数をどれだけ増やすことができるか,それが共同的に生きる人間の社会的成熟の指標であると思っている。

     (中略)

     「あなたがいなければ生きてゆけない」という言葉は「私」の無能や欠乏についての事実認知的言明ではない。そうではなくて,「だからこそ,あなたにはこれからもずっと元気で生きていて欲しい」という,「あなた」の健康と幸福を願う予祝の言葉なのである。

    自分のまわりにその健康と幸福を願わずにはいられない多くの人々を有している人は,そうでない人よりも健康と幸福に恵まれる可能性が高い。それは,祝福とは本質的に相互的なものだからである。」


    (引用おわり)

    ごちそうさまでした。愛しています。

  •  内田樹著『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(文藝春秋/1470円)読了。

     内田さんにインタビューするため、取材テーマに即した著作ということで読んだもの。
     台風真っ只中を、都内某所へ取材に赴く。雨男を通り越して「台風男」なのかどうか、私は台風の日の取材というのも少なからず経験している。

     内田さんへの取材は、2年ぶりくらいで3回目。私の取材以外に、同じ日にあと3件取材と対談が入っているとか。
     そのようにメディアに引っぱりだこであるのも、よくわかる。取材する側の印象として、「何をテーマにお話をうかがっても、打てば響くように卓見が返ってくる。しかも、記事の見出しになるような“決めのフレーズ”を随所に織り込んで」という感じなのだ。談話やコメントを求める側としては、これほどありがたい論者もいない。

     ここ数年、怒濤のように著作を出されている内田さんなので、私もそのすべては読めていないが、おおよそ3分の2は読んでいるはずで、物事のとらえ方・考え方の面でかなり影響も受けていると思う。ブログもいつも読んでいるし。

     この『ひとりでは生きられないのも芸のうち』もブログ・コンピ本なので、ブログで一度は読んでいるはずだが、それでもすごく面白かった。

     書名のとおり、“社会のあらゆる面で「孤立化」が進むいま、人はどう生きるべきか?”をテーマに掲げた文章を中心にしたもの。
     「人はひとりでは生きられないし、ひとりでは幸せになれない」ということをくり返し訴えている本なのだが、そのことをモラルや精神論からではなく、合理性の面から諄々と説いて目からウロコ。

     私がたくさん赤線を引いたうちから、任意の一ヶ所を引用しよう。

    《ほとんどの時代、人間たちは恒常的に飢えており、集団的に行動しない限り生き延びられなかった。だから、人間の身体組成は「飢餓ベース」であり、精神は「集団ベース」に作られている。
     現代日本は「飽食ベース」「孤立ベース」での生存が可能になった人類史上希有の社会である。だから、飢餓ベース、集団ベースで構築された身体運用技法や儀礼や習慣との間でフリクションが起こるのは当然なのである。
     私はそのフリクションは日本の繁栄と平和のコストだと思っている。》

  • いいことたくさん書いてある。やっぱり面白い。

    [more]<blockquote>P11 「公的な者」は盤石であるから、いくら批判しても構わないし、むしろ無慈悲な批判にさらされることで、「公的なもの」はますます強固で効率的なものに改善されるであろうという楽観です。私は正直言ってこの「楽観」の根拠がわからないのです。(中略)「公的なもの」を支えてくれる専門家がどこかにいて、その人に宛てて改善要求をしているつもりでいるのかもしれません。申し上げておきますけれど、そんな人、どこにもいませんよ。

    P17 五人に一人がまっとうな大人であれば、あとは子どもでも何とか動かせるように私たちの社会は設計されています。五人に二人が大人でないと動かないようなシステムは制度設計自体が間違っているのです。

    P54 国際関係論では、このラットレースで負けることを「リスク」レースの行われるアリーナそのものが消失するような規模の破局に際会することを「デインジャー」と呼ぶ。

    P57 この「ちょっと戦争でも」という気楽なマインドこそ「平和ボケ」の最も重篤な病態なのであるが、このようなことを言い募っている人々は、この世には「デインジャー」というものがあるということを多分もう忘れている。戦争はコントロール可能で、愛国心の発露と市場のにぎわいと税収の増大をもたらす「イベント」くらいにしか彼らは考えていない。

    P75 労働というのは本質的にオーバーアチーブである。オーバーアチーブという言葉には、単に「賃金に対する過剰な労働」のみならず、個人にとっては「その能力を越えた成果を達成すること」を意味している。

    P92 愛し合う人々が官能的に志向しているのはそれぞれの相手の官能であり、その相手の官能を賦活しているのはおのれ自身の官能だからである。

    P98 しかし残念ながら、労働は自己表現でもないし、芸術的創造でもない。とりあえず労働は義務である。(中略)「とにかく、いいから黙って働け」というのが世の中の決まりなのである。なぜなら、人間はなぜ労働するのかということの意味は労働を通じてしか理解されないからである。

    P102 しかし今、労働は創造となった。そのせいで仕事をする人々はその定義上、仕事を通じて絶えず自己実現の愉悦と満足にうちふるえていなければならなくなった。苛酷な条件である。絶えず創造し続け、絶えず快楽にうちふるえていなければならないという重圧に耐えかねた創造的労働者たちのなかから「自分らしい作品ができないくらいなら・・」と沈黙と無為の道を選ぶようになる者が出てきても怪しむに足りない。ニートやフリーターはこの「創造的労働者」の末路だと私は考えている。

    P108 「やりがい」を求める若者たちが最後に行き着く「やりがいのある仕事」はミュージシャンとかアーティストとか作家とかいう「個人営業のクリエーター」系にかたまってしまうのである(中略)とりわけこの「自分の仕事」と「他人の仕事」の境界線をきっちり決めて欲しい(そうしてもらわないと適正な成果評価ができないから)という要請は、彼らの労働条件の不可逆的な劣化をもたらしている。そのことに本人たちは気づいていない。(中略)経堂でごちゃごちゃやっていた作業を切り分けて、境界線をはっきりさせてユニット化すると、その仕事は当然ながら「単純労働の繰り返し」にならざるを得ない。

    P129 現代におけるメディアリテラシーとは、メディアが報道することの真偽を吟味する能力ではなく、メディアが「何を報道しないのか」を推察する能力のことなのである。

    P176 そのようにして階層差は「システムについての知」という文化資本差を経由して、拡大再生産されているのである。(中略)階層を上昇するために一番有効な言葉は「ごめんね」と「知りません」である。(少なくとも文化資本を習得するためにはこの言葉以外に通路はない)

    P185 帰属すべき集団を選ぶときの大切な基準のひとつは「サイズ」である。(中略)それが何を目的とする組織なのかによって集団の「最適サイズ」は変化する。(中略)だが集団の「オプティマル・サイズ」については汎通的な基準は存在しない。こればかりは自分で判断するしかない。

    P192 人々が集まって車座になり、一つの食べ物を分け合う儀礼を持たない共同体は地球上に存在しない。(中略)「杯」というのは構造的に不安定なものである。ジェームス・ギブソン的にいえば、「酒杯はそれをテーブルから持ち上げ続ける動作をアフォードする。」

    P209 今でも商品の売買以外の場面で、人に現金を渡すときは必ず封に納めて、剥き出しでは渡さない。手元に封筒がないときには「裸で申し訳ありません」と詫びるくらいの気配りは誰でもする。(中略)とりあえず私の子ども時代までは「子供の前では金の話はしない」ということは日本の家庭の常識であったし「子供が人前で金の話をする」ことは即座にゲンコツを食らうくらいの禁忌であった。(中略)子どもがお金を扱えるほどに成熟しているという判断にも、子供でも扱えるほどにお金は衛生的なものになったのだという判断にも、私は与しない(中略)変わったのは「人々が幼児的であればあるほどそのことから多くの利益を得られる」と思っている人間の頭数である。子どもが成熟することよりむしろ未熟のままでいることからより多くの利益を得られると信じている人間の数がどこかで限界を越えたということである。だが、子どもたちが「穢れる」ことで社会に利益をもたらすということは、人類学的にはあり得ない。「穢れた」子どもたち、成熟のための推力を失った子供たちはやがて私たちの社会のもっとも「弱い環」となり、私たちの社会はそこから壊れてゆくことになるだろう。

    P245 メディアは「無時間で一般解を提示すること」を商売の基本にしているから、当然ながら時間と未知性には興味を示さない。「子どもの自殺について二百字以内でコメントを」というような仕事を出すことも引き受けることも怪しまない大人たちのせいで子どもの自殺が止まらないということにどうして人々は気づかずにいられるのだろうか。
    子どもたちが自殺するのは「自分の人生の意味を二百字以内で言い切ることは可能であり、それができるのは自分が知的であり、自己の生を主体的に統御できていることの証拠である」と彼らが信じているからであり、そのような自己評価のあり方が私たちの社会では公的に認知されているからである。

    P252 自我というのは他者との関わりの中で、環境の変化を変数として取り込みつつ、その都度解体しては再構築されるある種の「流れのよどみ」のようなものであるという「常識」が私たちの時代には欠落している。

    P270 私たちは全員が「潜在的死者である」(中略)死の淵を覗き込んでいる人間に必要なのは、おそらく「死んでもコミュニケーションは継続する」ということへの確信であろう。</blockquote>

  • 内田さんの考え方は好きだ。

  • 社会的課題を自分ごととして考えることの大切さを説く人から薦められて読んだ本。なるほど〜と思いながら読みました。
    内田たつるさんが正しい読み方。

    ・当事者意識の欠如が楽観をもたらし、システムの構造的な破綻を呼び寄せる。
    ・労働の意味は、わたしたちの労働成果を享受している他者が存在するという事実からしか引き出すことができない。
    ・労働は自己表現でもないし、芸術的創造でもない。とりあえず労働は義務である。なぜ労働するのかということの意味は労働を通じてしか理解されない。
    ・労働集団をともにする人の笑顔を見てわがことのように喜ぶというマインドセットができない人間には労働はできない。
    ・帰属すべき集団を選ぶときの大切な基準の一つはサイズ。どのような集団も、あるサイズを超えると集団の維持が自己目的化する。
    ・隣人を愛することで隣人は生きながらえ、隣人があなたを愛するおかげで生きることができる。
    ・強者とは何度でも負けることができる余力を備えたもの。人間の強弱は勝率ではなく負けしろで決まる。
    ・得手については人のぶんまでやってあげて、代わりに不得手なことはそれが得意な人にやってもらう。この相互扶助こそが共同体の基礎となるべき。
    ・その人がいなくては生きてゆけない人間の数の多さこそが成熟の指標なのである。
    2017.05

  • 大分前に読んだので、忘れてしまったけれど、でも内田さんの話は相変わらず面白いなぁと思いながら読んだと思います。

  • イラク戦争の頃から、アメリカの胡散臭さが気になり、今ではすっかり反米にシンパシーを感じていた。そのため、本書に書かれてあるアメリカ論に深く頷けた。
    移民が新世界を見て、広大な森林に興奮して、木を伐採しまくって西に進み、西の果てまで来ると海を渡り、アジアへと進んだ。だから難癖つけてイラクまで侵攻する必要があったわけだ、とか。
    雑誌CanCamのコンセプト、めちゃモテ戦略は日本人のメンタリティに親和する、つまり九条。といった肩の力が抜けた話を立憲主義を蔑ろにする時の首相に聞かせたい、とも。

  • 文体とか言ってることとか全てがグッとくる。再読しよう。

  • 面白すぎてしにそう

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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