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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784163715605
みんなの感想まとめ
文学史に名を刻む小説家たちの多彩な休日を描いた本作は、昭和文壇の魅力を余すところなく伝えています。樋口進の写真と川本三郎の文章が織りなすこの作品では、65人の作家が誕生日順に登場し、それぞれの個性やエ...
感想・レビュー・書評
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写真とコメントが樋口進、作家にまつわる文章が川本三郎の担当。副題にあるとおり、文学史的な意味合いが強いが、えらばれた一葉にも短い文章にも味があり、読み応えのある内容だった。
知っていることも知らないこともあり、飽きることなく読み通すことができた。かつては一世を風靡したのだろうに、今では聞かなくなった何人かの作家もいた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
楽しく読了しました。川本三郎 著(樋口進 写真)「小説家たちの休日 昭和文壇実録」、2010.8発行。65人の小説家たちが誕生日順に登場します。なぜか、芥川龍之介と太宰治が入ってないのですが。私の好きな作家は、志賀直哉、佐藤春夫、幸田文、石川達三、源氏鶏太、新田次郎、遠藤周作、三島由紀夫の8人、そして芥川龍之介、太宰治を加えた10人です。志賀直哉は大車輪や棒高跳びなど、そのスポーツ万能性もすごいですね。佐藤春夫と三島由紀夫の猫好き、嬉しくなりますw。自殺に関しては、派手な三島、太宰より芥川に教養を感じます
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荷風の話題がやたら出ているけど、どうやらこの本の作者は、荷風に関して一家言あるお方なのか……?
写真とエピソードを見ているうちに「ああ、かつては皆血肉が通った人間だったのか……」と思わされる。
文章も簡潔にまとまっていて、なかなかの良著だと思いました。 -
飯食いながら新聞読んでる野村胡堂。
浜辺でおっちんしてる久保田万太郎。
失礼かもしらんが、何かかわいい…。
読み応えたっぷり、そして妙に重い本です。
仰向けでは読めない…! -
写真家・樋口進さんのコメントが面白い。
硬い話を書く人も、こんな顔やエピソードをもってたんだなあ。
【熊本学園大学:P.N.モルト好き】 -
山形の中心街に八文字屋と書いて「はちもんじや」という老舗書店がある。そこの随筆コーナーが見たくなって帰省の折りに立ち寄った。遠藤周作の『ぐうたら○○学』のシリーズや団伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズを立ち読みしまくったり時には買ったりしたのは高校生の時分だから30年以上前だ。相変わらず「随筆・エッセイ」コーナーは小さかった。幅1メートル余りの棚一段のみだ。今はそこには須賀敦子や白洲正子の著作が数冊づつ並んでいる。
ふと隣の「文芸評論」の棚を見て、目を見張った。
見事な表紙写真であった。三島が「素」の顔で佇んでいる。隣の、これまた初々しすぎる刈り上げの青年は一体誰だ。まさか、無理やりオリンピックを東京に持ってこようとしたあの人、息子たちが議員や気象予報士の立派なおじさんになってる、あのお爺さん!?
65人にのぼる昭和の文豪の人となりが簡潔に適切なエピソードの紹介で語られる。谷崎潤一郎は単なる猫好きのオジサンとして紹介される。川端康成の鋭い目のことは「人を射すくめるような大きな目、猛禽の目を思わせる鋭さ」と表されている。
こう記した著者の川本三郎は、川端の目以上に鋭いジャーナリストとしての眼の持ち主であり的確過ぎるほどの鋭い舌鋒の持ち主だと私は初めて知った。40年ばかり前のある事件をきっかけに(事件の事は今しも『マイ・ペーパー・バックス』として映画化され公開中だ)、この人物は鋭さを内に秘めあいまいで優しい評論文書きを装っていたのだと思う。つまりは猫を被っていたのだ。
一篇一篇のオチの一文の見事さも、各篇の多くが荷風とのつながりという一本線で貫かれているという構成にしても見事である。
それらの見事な手法でもって、文豪一人ひとりの世上語られる固定的イメージとは異なる真の顔に一歩近づいて鋭く抉っている。まさしくそれはジャーナリストの眼と舌鋒である。まさしく40年間隠していたこの男の鋭い「本性」だ。その本性が65人の文豪を丸裸にしている。
話は変わるが、先日若い人ばかりの読書会に参加して驚いた。彼らの大半は書物を所有することやブックカバーに何を用いるかなどの、「モノ」に全く頓着しないのだ。さらに驚いたのは、文学作品は作品そのものは味わいはするが、作品を生み出した作家の人なりや作家論には一切関心がないという参加者が多かったことだ。若い彼らにとっては、文学作品も一個の独立した文字コンテンツにすぎないということであろうか。
そういうデジタル志向の読者にとって65人分の作家論がまとまっているからと言っても全く意味はないのであろう。それぞれが、真の作家の人となりに肉迫した名評論だったとしても、「それがどうした」なのかもしれない。
しかし私は、そういうデジタル派の読者達に与することは到底できない。
工芸品のような文字通りの「モノ」であってさえも、この茶碗を手びねりした陶芸家の思いはどうだったのか、それがココの凹みに現れているのではないか。この漆を根気強く塗り続けた職人の心情はどうだったのか、ソレがここのかすれた部分に滲んでいるのでは。私はそういう作り手の「思い」を考えないで美しさだけを愛でることなどできない。
ましてや文学作品を、書き手の作家人生や作品を生み出すまでの苦悩を抜きにして味わうことなどできるのだろうかと思う。文学作品を味わうとは、作品を通じて作り手の人となりに触れることだとまで思う。
どうしてもそう思ってしまうのは、私が中年過ぎで、人生と生活を懊悩の記憶と共にしか回想できない年代だからなのかもしれない。
ストリッパーの肌を撫でまくるお定まりのイメージ通りの荷風の写真から始まり、実は荷風は彼女たちの女としての人生に想いを馳せていたのだということを示すエピソードをオチにした一文から65人分の評論は始まる。
文豪の誉れ高い谷崎も、三田文学で荷風が彼の『刺青』を激賞した号を手にとりぶるぶる震えた。谷崎も若く初々しかったのだ。
65人の最後に登場するのは評論の大家江藤淳。『荷風散策』の冒頭部分では「荷風は」と呼び捨てであったものが、後半の荷風の絶望を語る部分で「先生は」と呼び方が変わることを川本は紹介する。
荷風の絶望を我がものとして捉えた江藤が素晴らしい。そしてそれを鋭いジャーナリスト眼で発掘した川本が素晴らしい。
作品を通じて「人」を読もうとする読書人にとって、必読の一冊である。 -
本文の内容と取り上げられている写真が必ずしも合致していないところがあった。雑誌連載のときは複数の写真があったのだろうか?
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