- Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163715704
作品紹介・あらすじ
戦争という惨禍と変化の時代に日本人であるとはどういうことか。永井荷風、伊藤整、高見順、山田風太郎、吉田健一らの戦時の日記から日本人の精神をすくい取る傑作評論。
感想・レビュー・書評
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アメリカ海軍の情報士官として太平洋戦線で日本語の通訳官を務めたドナルド・キーン氏が、戦争(大東亜戦争)への想いを日記にしるした日本人作家の思想と心理の変化を追ったドキュメンタリー。警察の監視の眼を逃れながら、開戦当時から軍部に反感を抱き続けた作家(永井荷風)、戦争遂行の強硬論を唱え戦意高揚を掲げた作家(伊藤整、山田風太郎、海野十三、徳富蘇峰・・)、無条件降伏後の表現の自由により呪縛から解放された作家(高見順、德川夢声)など、戦争という狂気の沙汰で揺れ動く人間心理の脆弱性が垣間見える不幸な時代の記録。
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歴史
文学
社会 -
軍国主義の狂気が吹き荒れた数年をいかに耐えたのかが痛いほどに伝わってくる。
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日本文学研究者のドナルド・キーンが戦争中と敗戦直後の様々な文学者達の日記を時系列と共に読み解いていく。
先日、残りの人生を日本に永住するとしたキーン。その決意を押したのは疎開先へと向かう人々であふれた上野駅を見た作家の高見順の言葉だった。高見は空襲で家を焼かれた人々ががまん強く節度を守って電車を待っている姿に感動し、その日の日記にこう記した。
「私の眼にいつしか涙が湧いていた。いとしさ、愛情で胸がいっぱいだった。私はこうした人々と共に生き、共に死にたいと思った...」
キーンがこの言葉を語り、震災後の日本人と共に生き共に死ぬ為に日本に住んでくれると聞いた時の感動を私は生涯忘れないだろう。
しかし、この本はそんな美しい面だけではない。高見や永井荷風は敗戦直後の日本の無責任さへの苛立ちを隠さないし、忍法帖シリーズの山田風太郎は太平洋戦争の理想を疑わず、敗戦後しばらくは復讐の念を強く持っていた。
悲しみや愛おしさだけでなく恥や混乱、憎悪、自己矛盾... 様々な感情が生々しく伝わってくる日記という媒体。彼らが作品としてではなく純粋に後世の為に日記を残そうとしてくれたこと、それを一遍の本にしてくれた人がいたことはこれからの日本を考える上でとてもありがたいことだと思う。 -
太平洋戦争開始から敗戦一年後までの作家の日記を読む,という本。著者は大戦当時米軍の情報将校で日本語通訳をしており,押収した日本兵の日記を読んでいた。それが日本人の日記との出会いという。本書では公刊された作家の日記を,開戦→進撃→後退→空襲→敗戦→占領と変転する情勢にそって取り上げていく。
取り上げられているのは,永井荷風,高見順,伊藤整,山田風太郎など。作家によって,戦争の受け取り方もさまざまだ。永井荷風や高見順,清沢洌は当初から軍部に批判的で戦争の行方を危ぶんでいたが,伊藤整や山田風太郎は日本の勝利を熱望し,そのような日記を書いている。著者は英文学の翻訳家である伊藤や,ヨーロッパ文学を読み漁っていた山田が,国粋的な内容の日記を書いていたことに軽い衝撃を受けている。人は読んだ本によって信念を形成する,という彼の持論が覆されたというのだ。アイデンティティのウェイトはやはり大きいのだろう。
おそらく平均的日本人は,空襲がひどくなる前までは日本の勝利を信じて戦争に進んで協力してきたんだろう。日本本土にまで直接の脅威が及ぶようになって,疑問を感じ始めたに違いない。しかし知識人である作家ともなると,なかなかそういう軌道修正が効かなかった面もあるのではないだろうか。山田は一貫して日本は降伏すべきでないとし,最後の一人まで戦うことを呼びかけている。敗戦後には復讐を訴えたが,聞く耳をもつ者はほとんどいなかった。文学者だけにそういうロマンに走りやすいのかもしれない。国民はよほど現実的だ。
戦争に批判的な作家も,戦時中の言論統制の中では思うような表現ができなかった。日記が憲兵に見つかろうものなら大変なので,隠し場所には神経を使う。空襲が始まってからは,焼けて失われる可能性も高く,そんな中で日記をつけつづけるのは容易なことではなかった。
彼らは自分の日記を後世に伝えて,自分の生きた時代がどのようなものだったかを記録しようとしていた。そのおかげで今こうして読むことができるのはとても有難い。 -
荷風と風太郎を比較しながら戦争を考える【赤松正雄の読書録ブログ】
「日本という国が生まれてから今日までの歴史の中で、もっとも劇的な五年間」―「大東亜戦争が始まった昭和16年後半から、連合軍の日本占領の最初の一年が終わる昭和21年後半まで」に、永井荷風、山田風太郎、高見順、伊藤整ら作家が書いた日記を読むことが出来た。ドナルド・キーン『日本人の戦争』によってである。著者はあとがきで「引用部分も多く、書きやすい一冊だった」と告白しているが、決して軽い中身ではなく、実に重い。昨今、司馬遼太郎の『坂の上の雲』が話題を呼び、日清、日露の戦争に向かっていった頃の日本と日本人に改めて関心が集まっている。先の大戦はこの二つの戦争の延長線上にあるだけに双方同時に捉えて行く必要があることは言うまでもない。
戦争を全く知らない世代が60歳の半ばを超えてしまった今、特に若い人々に読まれるといいだろう。戦時中20歳代前半だった山田風太郎と老境期に入っていた永井荷風の二人が何かにつけて対比されて書かれているのは興味深い。
ヒットラーの死を知って「彼や実に英雄なりき!当分の歴史が何と断ずるにせよ、彼はまさしく、(中略)人類史上の超人なりき」と絶賛し、対米復讐を誓っている風太郎。一方、荷風は終始一貫戦争に憎悪を抱いており、その態度は当時の文化人の中で群を抜いている。風太郎で強く印象付けられたのは、「ひっきりなしに本を読んでいた」こと。とくに荷風のものが好きだったというから面白い。勿論、荷風の日記など当時の風太郎は知る由もないが・・・。
荷風はその後、昭和34年まで戦後を生き抜いた。戦争中と同様に「孤立」を貫いた姿は目を瞠るばかりだ。そのあたり半藤一利『荷風さんの戦後』にくわしい。「断腸亭日乗」なる全集を書棚に並べてはいるものの、手を伸ばす機会は全くない私にとって、キーンさんや半藤さんの手引きで荷風の一端を知ってすっかり分かった気になっている。 -
作家たちの複雑な感情や、日本人の国民性を強く考えさせられた。
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読んでいるとなんか はぁーーーーーっていう感じにはなる。それは 本当に女の人の地位が低いのでああ今の世の中に産まれてよかった
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「文學界」2009年2月号 文藝春秋掲載