マンガホニャララ

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163722603

作品紹介・あらすじ

『美味しんぼ』の山岡さんと栗田ゆう子の結婚をなげき、『デトロイト・メタル・シティ』をデーモン閣下目線で語り、『ぼのぼの』の激やせを心配、『臨死!江古田ちゃん』Tシャツを着て、「少年ジャンプ」主人公たちの草食男子化を考え、骨川スネ夫の自慢を分類・統計化する。最強のスーダラ・コラムニストが入魂の書き下ろしを加えて贈る、マンガをマンガとしてもっと楽しむためのアイデア68本。

感想・レビュー・書評

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  • 2位

    世の中には二種類の人間がいる。藤子不二雄に快楽を感じる人と、感じない人だ。
    これはいい悪いの問題ではない。感じなければどうしようもないのである。

    たとえば夏目房之介はドラえもんの「目の位置の高さ」に目をつけて
    その保護者性を見事に指摘してみせた具眼の士だが、
    ドラを読んで快楽などは感じていない。
    たとえば呉智英は『劇画 毛沢東伝』にすばらしい解説を書き、『ドラえもん』を
    「少年マンガの最高傑作であり、これを超えるものは当分出ないであろう」
    と評したが、彼も感じていない。
    たとえば米沢嘉博は『藤子不二雄論』という大部の長編評論を書いたが、これまた感じていない。

    なぜ「感じていない」などと勝手に決めつけるのか、と言われると、
    なんとなく伝わってくるから、としか答えられない。
    (ごめんね、理不尽で)

    もちろん、感じないからその藤子不二雄論が駄目なのではない。
    しかし、感じる人の藤子論だったらうれしくなる。
    それだけでひいきしたくなる。
    ブルボン小林『マンガホニャララ』はそういう本だ。

    それは表紙がハットリくんだからというだけではない。
    第一章のエピグラフがもうすでに「わかっている」のだ!

    「きみ、れいせいにおちつきなさい。
     ドイツというのは外国だよ。
     外国というのは新宿より遠いんだよ」

    『ドラえもん』てんとう虫コミックス12巻のトリを飾る大作
    「ゆうれい城へひっこし」の一節。

    そう、そう、この感じ!
    この台詞回しこそ藤子漫画ならではの魅力なのだ。

    れいせいにおちつく、という「馬から落ちて落馬して」系のおかしみ(ギャグというほどではない)、
    間違ってはいないけどどこかまぬけな三段論法
    (私は福岡県民なので、新宿に行くより韓国に行く方が近いなあ、なんて思ったりした)、
    そして相手を「きみ」と呼ぶ独特の距離感。

    これは藤子・F・不二雄らしさを凝縮したセリフなのだ。
    この引用だけでもう私は同志を発見した気分になる。

    この人はまちがいなく藤子不二雄に快楽を感じているのだ。
    これを発見と言わずしてなんと言おう?

    スネ夫の数々の自慢を集積・分類した上で、
    連載が進むにつれてただの物欲が「余裕」自慢へと
    変化してゆくことを指摘した論考などまことに鋭いし、
    藤子・F・不二雄が「死ぬ」ことよりも「消える」ことにこだわった点をとりあげて、
    それを「モダンな寓意」と呼ぶセンスには脱帽してしまう。

    とはいっても全てに同意できるわけではなく、
    『モジャ公』をほめるあまり『21エモン』より『モジャ公』の方がおもしろいとか
    『21エモン』は物語が停滞しているだとか言うのには、口をとがらせて反論したい。
    エモン君は停滞なんかしてない!いつだって光り輝いているんだ!

    しかし「ぐっとくる『ドラえもん』の題名」には
    「やられた!」と思ってしまった。私も同じことを考えていたのだ。
    『ドラえもん』のサブタイトルはいろんな意味で面白いのだけど、
    特に「ためしにさようなら」という、このあまりにもドライな題名!
    強烈な印象を受けたのは私だけじゃなかったんだなあ、としみじみする。

    著者はほんわかと脱力してみせているけど、実際はそうとう頑固な人なのだろうと思う。
    評判になったマンガは何年かたつまで読まないようにしていると言っているし、
    「このマンガがすごい!」で一票も入らなかった
    マニアックな(しかしおもしろい)マンガを毎年選定している。

    この本はマンガエッセイと銘打たれているが、そのあたりにも意地を感じる。
    真面目ぶって評論を目指したりなんかしないもんね、という意地だ。
    たとえばオノ・ナツメを語る際に、自分の部屋に女友達が訪ねてくるエピソードを持ち出す。
    ブルボンはもっと俗っぽいマンガを薦めていたのに、
    彼女は結局オノ・ナツメのお洒落なコミックを読みふけってしまう。
    こんな風にして、彼はマンガを読む時間(それはぐうたらと過ごす時間だったり、
    しょぼい時間だったり、なんだか抜けてる時間だったりする)を共有してゆく。
    人間のせせこましさを決して忘れないところも、
    ああ、藤子不二雄の徒だなあ、と感じる。

    それにしても裏表紙の「読書するハットリくん」はほのぼのとかわいい。
    中表紙の、本屋のじいさんもいい味出してる。
    そして、ブルボン小林像(もちろん藤子不二雄A作!)の
    抜け作具合のすばらしさといったら!

    さあ、私もマンガを読もう。もちろん、藤子不二雄のマンガを!

  • 本当にマンガを読みたくなるいい本だと思う。

  •  ブルボン小林とは、芥川賞作家・長嶋有の別ペンネームである。もちろん長嶋のファンなら知っていることだが、本書には長嶋有の名はどこにも使われていない。長嶋もいまでは映画化作品も複数ある人気作家なのだから、長嶋名義で出したほうが少しは本の売れ行きも上がると思うのだが……。

     ブルボン小林名義の著書には、『ゲームホニャララ』というゲームネタのコラム集もある(私はゲームをやらない人間なので、未読)。本書はそのマンガ版。『週刊文春』にいまも隔週連載中の同名コラムを中心に、さまざまなメディアに寄せたマンガネタのコラムを集めたものなのだ。

     マンガ評論と言わずに「マンガネタのコラム」と呼ぶ理由は、読んでみればわかるはず。古いものから新しいものまで、メジャーからマイナーまで、さまざまなマンガを取り上げた文章が並んでいるのだが、その大部分は作家論とも作品論とも言いにくい、ユニークな角度からマンガを語った内容なのである。

     たとえばあるコラムでは、「刊行に時間がかかることでも有名」な『ヒストリエ』のコミックスに、なぜか「これまでのあらすじ」がないことに着目。誰も思いつかない角度から、『ヒストリエ』の魅力に迫っている。

     別のあるコラムでは、人気マンガのタイトルロゴについて語るという、これまたほかの誰も思いつかないようなテーマを選んでいる。しかも、そんなトリヴィアルなネタで十分面白いコラムになっているのだから、スゴイ。

     また、別のコラムでは、マンガの中に顔が描かれないキャラクター(『めぞん一刻』の響子さんの前夫とか、『美味しんぼ』の山岡士郎の母親など)を比較して、顔が描かれないことの意味を考察している。

     些末なテーマばかり選んでいるようでいて、その内容は意外にも、取り上げた作家・作品の本質を射抜いている。
     たとえば、1990年代とゼロ年代の人気女性マンガ家の質の違いを、著者はなんと「床」の描き方の違いから論じてみせる(!)。

    《九○年代、女性作家の漫画には、やたらと「床」が描かれていた。比喩ではない。(憧れも含め)若者がフローリングとベッドで暮らすようになった時代の反映だろうか。(中略)岡崎京子の漫画が特にそうで、人物はしばしば床にいたし、読者の視野にも板の線がやたら目に入る。
     ゼロ年代にデビューした渡辺ペコの『にこたま』にはほとんど「床」が出てこない(強調がない)。》

     そうした違いが何を意味するのかを、著者は謎解きしていく。訳知り顔の評論調ではなく、軽快なコラム芸の中で……。

     前半を占める『週刊文春』連載分が、総じてコラムとしての質が高い。それ以外のメディアに寄せた原稿を集めた後半は、玉石混淆。
     ただ、全編をつらぬく飄々とした味わいは、長嶋有の小説世界そのものだ。長嶋ファンで、しかもマンガ好きなら十分楽しめる内容である。

     何より好ましいのは、マンガを読むこと、マンガについて語ることの楽しさが、全編から熱く伝わってくる点。

     長嶋有名義のエッセイ集『いろんな気持ちが本当の気持ち』の一編に、CDを買って電車で帰るとき、電車の中でCDの包装を開けてライナーを読み、音を想像するのが楽しい、という一節があった(本が手元にないのでうろ覚えだが)。
     私はその一節を読んだとき、音楽好きの「気持ち」をじつにうまくすくい上げるものだ、と感心した。

     同様に本書も、トリヴィアルなネタのコラムを通じて、マンガ好きの「気持ち」が巧みに表現されている。

  • ちょっと変わったまんが評が読める本。浦沢直樹を結構痛烈に批判していたり、誰も認めない漫画を大々的に推薦したりしていて面白い。が、だからといってこの漫画を買おう!と思わなくなっている自分がさみしい。小学館にはドラエモン専門の部署があって、そこに所属する社員の名刺はドラエモンブルーだそうだ。さすがである。

  • 2014/2/24購入
    2014/4/23読了

  • 微妙なところひろってて面白かった

  • エッセイというか批評か
    正直読んだことがある漫画は少ないけど
    ブルボンの評論自体が面白くて
    読んでしまった

    いかにそのマンガが独特か
    をうまく表現するのがポイントか
    だからおもしろいんだと

  • そろそろ2巻でそうなので慌てて読む。近年の浦沢作品への違和感など禿同。もっともっといっぱいのマンガを、やさしく冷静なそのマンガ愛で、語りまくってほしい。

  • 面白い。その一言につきる。いずれもが深い考察、客観的な言葉で説明されていて心地よい。
    「漫画とゲームは親和性が高い」、「藤子作品では死ぬではなく消える」など読んでいて納得する。

    ぐっとくる題名でも取り上げられていた「ザ・先生ション」が載ってるけど、買ったのか?

  • マンガ(なんかというレベルで)の評論をまとめた本などそうはないと思います。
    ブルボン小林(長嶋有)の軽妙な文章で読みたい!と思わせるレビューを集めた本です。
    面白かった。

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著者プロフィール

ブルボン小林(ぶるぼん・こばやし)
1972年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。2000年「めるまがWebつくろー」の「ブルボン小林の末端通信」でデビュー。現在は「朝日新聞」夕刊(関東、九州、北海道)、「週刊文春」、「女性自身」などで連載。小学館漫画賞選考委員。著書に『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』(ちくま文庫)、『増補版ぐっとくる題名』(中公文庫)、『ゲームホニャララ』(エンターブレイン)、『マンガホニャララ』(文春文庫)、『マンガホニャララ ロワイヤル』(文藝春秋)など。

「2018年 『ザ・マンガホニャララ 21世紀の漫画論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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