樺美智子 聖少女伝説

  • 文藝春秋 (2010年5月28日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784163726700

感想・レビュー・書評

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  • 樺美智子聖少女伝説 江刺昭子 文芸春秋

    60年安保の時に高校だった私も
    何度かデモに参加していたし
    「学者文化人安保批判の会」の
    お手伝いをしていたこともあり
    樺美智子さんの事件は印象深い
    改めて樺さんの人となりを知ってみると
    事故ではなく事件であっただろうと
    思わずにはいられない圧死にしろ
    絞殺にしろ意図があってのことと
    思えてならない
    それにしても
    これだけ思慮分別がありながら
    盲目的にのめり込んでしまうものなのかと
    人生とは不思議なものである

  • <邯鄲の枕>  -2013.02.27記-

    つい先頃のことだが「樺美智子-聖少女伝説」を読んだ。
    一九六〇年六月一五日、安保闘争の全学連デモ隊が国会へ突入、機動隊と激しく衝突した騒擾のなかで、たった一人犠牲となった、いや、より正確を期すならば、殺されたというべき、樺美智子――
    なればこそ、美化され、聖化され、伝説の人として偶像化されてきたのは、ある意味、必然でもあったろう。
    彼女の死から半世紀を経て、著者の江刺昭子は周到な取材によって、虚構化され、聖少女と化してしまった彼女を、リアルな存在としての、生身の彼女へと解き放つ。
    幼な児から、少女時代、そして東大時代と、彼女の来し方が、彼女の為人(ひととなり)が、平易な語り口で綴られ、此方の胸に違和もなくすんなりと入ってきた。

    そして六月一九日、放課後、御堂筋デモへ繰り出そうという二〇〇人にも及ぶ生徒たちが、気勢をあげながら校庭のグランドをジグザグ行進していた。
    やがてドッと勢いよく校門を出て行く――
    時間にすれば十数分ほどの光景か、その始終を、間近に迫る演劇部新人公演の稽古のため三階の講堂にいた私は、高い窓越しから覗き込むように見下ろしていた。
    一瞬、私は小さく息を呑んだ。
    私の眼に飛び込んできた、同じクラスの馴染みの、TMの顔がぐっとクロ-ズアップされる。他にも五、六名か、男子も女子もいた。
    互いに腕を組みあい「アンポ、ハンタイ!」と唱和しながら駆け足で行進するどの顔も、押さえられない昂ぶりを見せていたようだった。
    私は少なからず動揺した。
    なにやら昂ぶりつつも、ちょっぴり疎外感も覚えたのではなかったか。
    言いようのない心の揺れを感じながら、彼らが見えなくなるまで追っていた。

    彼方と此方、二者を隔てているものは、なんだろう。
    決して他人事だなどと考えていたわけではない、が、結果として傍観者の位置にある私。
    この距離、この違いは、ひょっとして決定的なものになるのか、ならないのか‥。
    私には明瞭な答えを見出すことはできなかった。不明なままだった。
    ただ、この時、私は、何かからはぐれたような、何かを逸してしまったような、そんな感触だけが、残された気がする。
    このときの感触、心の揺れは、小さな瘡となって、私の背にそっと貼りついたまま、少年期から青年期を過ごしていく。

    高二の冬-、
    二月だったかの寒い夜、神澤師の処女公演「山羊の歌」を観たことは、まったく未知の世界の扉を開くものとなった。
    後年ふりかえれば、洗練、高度からはほど遠い舞台ではあったが、その機械的ともいえる抽象的な動きの反復やヴァリエ-ションによる空間の造形は、私に解釈不可能性と感覚的拒絶を一方的に迫るような難解且つ脅迫的な世界であった。
    私はこの夜、嘔吐こそしなかったものの一晩中偏頭痛に悩まされ、明け方まで眠れぬ夜を過ごした。
    身近にあるはずの一国語教師と私との間に絶対的ともいえる距離が存在し、その彼が超越的な者として迫りくるのであった。

    二つの出来事は、卒業してから後、決定的な二つの出会いとなっていく――

    前者のTMとは辻正宏、二歳年長である。
    彼は結核を病み、長期の療養を繰り返し、一年生を三度経験、卒業までに七年を費やした。在校時ずっと美術部に属し、具象や抽象を描いていた。
    私が入学した時、二度目の一年生として復帰、偶々同じクラスとなった。洞察力にすぐれ、明晰なリベラリストであった。クラスの委員長となった彼は、合唱コンク-ルや体育祭あるいは文化祭と、先頭に立ってよく動いたのが災いしたか、一年の秋、またも再発に見舞われ療養生活に入り、再度の復帰は私が三年生になった時である。
    その彼との交わりは、むしろ卒業してから強く太いものとなる。
    私が神澤師の主導する「状況芸術の会」や創作舞踊に参入するようになるのと軌を一にしていたろう。
    彼は相手と対等に向き合いながら、自ら気づかせ育てていくこと、そんな芸当のできる達意の人であった。
    彼の絵画への姿勢や、美術史などにおける理論分析、或いは療養生活時に凝った俳句のことなど、知的に感性的に刺激しつづける僚友であり、私にとっては先達の人であった。
    とりわけ卒業してからの十五年余、神澤師とともに彼の存在もまた、見遣るべき道、往くべき道の水先案内人であった。つねに両者の対照的なありようを念頭に置きながら、我が道を探り、手繰り寄せていった学生期(がくしょうき)であった。

    今はすでに二人ともに不在となって歳月だけが過ぎゆく。
    辻正宏は一九九七年の晩秋に、神澤師は二〇〇三年の初秋に不帰の人となった。
    それぞれの生きざまがかなりの対照を示していたように、その追悼の会もまた対照的な集いとなったが、どちらにも私は深く関わった。

    昨年の秋、私は六八歳にもなって、あらためて拠点となる小さなスペースを持った。
    この先、なお十年を生きるなら、やはり現役の心で生きたい、と思ったからだ。
    ほぼ手づくりに近いから、牛歩はおろか、蟻の歩みにも似て、出来上がるまでに一年かかった。
    「座・九条」――、些か人を喰ったような名づけだが、遊び心も手伝って敢えてそうした。荒削りの粗末で小さな小舎だが、工夫ひとつでさまざまなことが出来ようか、と思っている。

    邯鄲の枕――
    五〇年の来し方も一炊の夢、
    なれば、いまもなお、夢の内にあるようなものか‥。

  • 作者 江刺昭子さんは自身もあの6.15に国会を取り囲むデモ隊の中にいたとのこと。
    決して一般学生ではなかった樺美智子さんの実像(と言っても私たちにとっては十分に想像ができる範囲ではある)に迫って、あの時代の記録として貴重な一冊。

    十代後半から二十代前半、『人知れず微笑まん』『友へ 樺美智子の手紙』はもちろん、樺さんのように夭折した、反権力闘争の中で倒れた人々のアンソロジー、ドキュメントはいろいろと読んできたので、とりたてて新しい発見はなかった。

    しかし、あらためて、7社共同宣言に象徴される新聞社の体質、党利党略を優先し運動を分裂させ自ら弱体化するしかない反自民、私たちの側のふがいなさ、を思い知らされる。
    いまのこの状況もさもありなんと、自責の念とともに、これからを考えさせられた。

    なお、この書籍は中古で購入したが、
    河出文庫(2020/6/5)から出ている同著者の『樺美智子、安保闘争に斃れた東大生』は、おそらくこの本を文庫化したものと思われる。Amazonの試し読みで読める著者のプロローグはまったく同じ。だが、河出書房の書籍紹介などにも改題しての文庫化との記述はない。

  • 小倉図書館で読む。

  • この時代に女性で東大にはいったのはすごいことなんだろうな。

  • KL 2010.8.22-2010.9.5
    「人知れず微笑まん」も読んだけど、ほとんど内容は覚えていない。
    この時代の大学生たちのなんと純粋でまじめなことか。
    美智子死後の両親の行動がなんとも・・・・

  • 60年安保闘争の悲劇のヒロイン樺美智子は、1937年の生まれ。ぼくより一回り上である。そして彼女が亡くなったときぼくはまだ11歳。しかし、「安保反対」のスローガンとともに彼女の名はよく知っていた。樺美智子というと、ふつうの女子大生というイメージを持つ人と、革命に命をささげた活動家というイメージをもつ人がいるが、本書はその彼女の実像に迫ろうとしたものである。ぼくより10年早いといえば、まだ貧しい世の中だったが、彼女は父親が大学教授ということで、比較的恵まれた生活を送っている。そういうミドルアッパーの子女というのは、革命に走りがちなもので、彼女は本当に純粋に、日本人民を救おうと革命に志した。20歳のときに日本共産党に入ったぐらいだから、とてもふつうのお嬢さんとは言えないだろう。彼女が読んだマルクス、エンゲルス、レーニンの本は10年あとの大学生の必読書でもあった。だから、その一つ一つはなつかしい。同時に、これで人間が幸せになるだろうかと今は思う。彼女は本当に人生にひたむきで、ある意味まじめすぎたほどではないだろうか。最後の国会突入でも、デモ隊の安全な場所におらず、むしろ危険な場所にいたからこそ悲劇の死を迎えることになったのだから。革命家を子にもった親の態度、美智子の死後どのような人生を送ったかも考えさせられる。本書は、彼女の死の原因についてもかなりの紙数を費やしているが、それでもやはり真の原因は不明だ。

  • 当時の歴史をさかのぼるとあまりにもヒロイックに描かれてる気がしたので裏づけを探りたくて買った本。
    戦中戦後の話は祖父母に尋ねて当時の世相をなんとなくイメージ出来たけど、戦後から自分が誕生するまでの情報量は意外と乏しいもの。その一部を補填することは出来たかな。

  • 日本にも政治の季節があった。政府の決定を変えようと、一般市民が
    国に立ち向かった時代があった。

    その時代に大学生であった樺美智子は、女性の進学率が遥かに低かった
    頃に男子生徒の多い進学高校に通い、1年の浪人期間を経て東京大学へ
    入学する。

    父が社会学者であった影響もあるのだろう。中学生の頃から社会問題に
    関心を持ち、高校時代には自治会長選挙に立候補した女子生徒の応援演
    説で「なぜ、女子は自治会長になれないのか?」と疑問を投げかける。

    そんな彼女が、大学入学と同時に学生運動に情熱を傾けて行ったのは
    必然だったんだろう。あの時代を生で知らぬ身にとっては、それがいい
    ことなのか、悪いことなのか、判断を下す立場にはない。

    60年安保闘争、国会突入の6月15日の夜。彼女はデモ隊と警官隊の衝突の
    なかで命を落とした。のちに彼女の死は、学生運動の象徴して扱われる。

    「死んだ彼女の年齢は二二歳と六カ月。十分に成熟した大人の女であって、
    「可憐な少女」というのはあたらない。(中略)他にも「処女」や「少女」
    を鎮魂する歌や詩があふれている。それが活字メディアや電波を通じて流布さ
    れ、聖少女樺美智子像ができあがっていった。葬儀で「日本のジャンヌ・
    ダーク」、「キリスト」と呼びかけた弔辞さえある。これらの文言は、美化
    しようとして、反対に死者を弄んでいることになるのではないか。」

    著者がいうように、本書に記されている樺美智子像は熱烈な革命戦士など
    ではなく、生真面目に、一途に、運動に向き合ったひとりの女性に過ぎない。
    なのに、その死は仲間だけではなく娘を喪った両親によってさえ、変質され
    ていく。それは、彼女の本望だったのだろうか…と考えてしまう。

    学生運動に熱心に取り組み、家に帰ることも少なくなった娘は、死して家族の
    元へ帰ったのではないのだろうか。歪められた死を、彼女はどう思うのだろう。

    学生運動に距離を置き、いい意味で醒めた目線で書かれた良書である。尚、
    今でも疑問の残る樺美智子の死因についても若干取り上げられている。これ
    もまた、興味深い。

  • あれからすでに50年が経とうとしています。

    1960年6月15日の安保反対闘争で、国会突入の際に機動隊によって虐殺された22歳の東大生ですが、恥ずかしながら、「全世界にその名を知られる日本の民族的英雄」と毛沢東に言わしめた樺美智子のことを、私はほとんど知りませんでした。

    いわゆるシンパで、なんとなく回りの学友たちに誘われるがまま重い腰を挙げてデモに参加した一般学生だとばかり勝手に早合点していましたが、とんでもない、あのブント(共産主義者同盟)の一員として、そして東大文学部学友会副委員長として安保反対闘争をリードしたバリバリの活動家だったなんて。

    たぶん、あの純真無垢な清純な感じの遺影に印象付けられての私の早とちりです。

    ところで、もし樺美智子が生きていれば今年73歳ですが、同じ1937年生まれといえば、順不同で、山本學、柳生博、ジャック・ニコルソン、アンソニー・ホプキンス、笑福亭仁鶴、コシノヒロコ、山藤章二、ワダエミ、赤瀬川原平、加山雄三、モンキー・パンチ、伊東四郎、つげ義春、養老孟司、佐木隆三、雪村いづみ、亡くなった人で江利チエミ、松下竜一、美空ひばり、沢たまき、などがいます。

    生きていれば、そういう疾風怒濤の波瀾万丈な50年の人生があったはずですが、樺美智子はたった22歳で途絶えさせられてしまいました。

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著者プロフィール

1942年生まれ. 早稲田大学教育学部国語国文科卒. 64年から70年まで, 文化出版局にて『ミセス』ほかの雑誌編集に携わり, のちノンフィクションライター, 女性史研究者に. 72年, 『草饐──評伝大田洋子』で第12回田村俊子賞受賞. 著書に, 『女のくせに──草分けの女性新聞記者たち』(85), 『透谷の妻──石阪美那子の生涯』(95), 『『ミセス』の時代──おしゃれと(教養)と今井田勲』(2014)ほかがある.

「2015年 『この女を見よ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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