震災下の地元紙 河北新報のいちばん長い日

  • 文藝春秋 (2011年10月28日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784163744704

みんなの感想まとめ

震災の日々を描いたこの作品は、地元新聞・河北新報の取材を通じて、被災者に寄り添いながら現実を伝える重要性を浮き彫りにしています。震災直後の取材活動や新聞発行の意義について考察し、被災者の声や心情を重視...

感想・レビュー・書評

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  • 前から気になっていた一冊、図書館にて。
    何かに急き立てられるように、読了しました。

    東北に根差した地元新聞・河北新報の、
    震災の日々を綴ったルポルタージュになります。

    徹頭徹尾、「被災者に寄り添う新聞」であることを貫きながら、
    様々な視点での多重的な現地ルポの積み重ねは、重く心に響いてきました。

    焼け跡のない焼野原、そこから立ち上る「生の臭気」、
    空撮カメラマンの後悔、福島配属の記者の懊悩、、

    それらが圧倒的な「現実」として、迫ってきます。
    決して正解を一つに集約できない、現実として。

    情報を伝えるという事、事実を伝えるという事は、
    ジャーナリズムの本質なのだと、感じます。

     「われわれは皆被災者だ。誰かを責めることはするな。」

    そして、記事を書くだけが新聞の仕事ではない、
    情報を可能な限りに正確に伝えることが公益なのだ、とも。

    そして、30年前の教訓を伝えきれなかったのではないかとの忸怩たる思いと、
    次の30年後に備えるために伝えていくとの、との覚悟の模索をも。

    その責任は報道機関だけに背負わせていいものではないのだろうと、
    「自助、共助、公助」との言葉を思い出しながら、考えさせられました。

  • 被災直後の取材や新聞発行に意味はあるのか。

    取材用のヘリで上空から津波に襲われた被災者をカメラ撮影しながら自問する。救済ヘリと間違われ、助けもしない自分に価値はあるのか。号外を届ける。号外そのものは無料であり、新聞社の矜持とも言える。被災者からの声。テレビやインターネットが繋がらない中、何が起こっていたかわからなかった。新聞配達により、社会との繋がりが確認できて救われた。

    河北新報。白河以北という意味らしい。東日本大震災。私はその時日本にいなかったから、外国のニュースでその被害状況を知った。国際電話だと通じるからと、日本から知人が私経由で安否を探った。東京で起こった事は聞いたが、東北の話は、テレビやネットでしか知らない。映像が無いのに、本の方がリアルなのは、心理描写や詳述の長さ、いや、何より、読書と感情のスピードが合わせられるため、シンクロし易いからだろう。映像だと、コマ送りより感情が先に行ったり、置いてきぼりになる。

    自らも被災者である河北新報社員。寄り添って、皆んなで食料を工面しながらも、街は水も電気も止まり、仕事場の予備電源、または、集団の方が安全だからと、職場に集まり、助け合い、仕事を続ける。非日常の雰囲気、連帯感。死を乗り越え、ドラマがあったのだ。

    死亡一万人超すと表現するべきか悩み、死亡を犠牲と改める。リアルだ。新聞社に限らず、世の仕事の多くは、適切な言葉を選ぶ事。外交、販促、交渉、プレゼン、説明、PR、契約。事実を伝える使命感と、被災者の心理を気遣う葛藤。死亡とは書きたくない。事実よりも配慮を選ぶ。それが正しかったのかは分からないと回顧する。言葉の背後にある心を考えさせられる内容だ。

  • 病院・自衛隊・学生ボランティア・大川小学校・原発とここまで読んできて、今回は地元の新聞社。
    私自身は義援金以外に何もさせていただいていなくて本当に申し訳ない。
    ただ、忘れるなんてことだけは決してない。

  • 3月11日に東日本大震災が起きて以来、新聞記事や書籍、映像や写真など震災に関わる情報に接してきました。

    『河北新報のいちばん長い日』は、そのなかのどの情報とも比べものにならないほどの、現地の悲惨な様子を生々しく伝える一冊でした。
    それは、読み進めるほどに心に重い石がのせられていくようでした。

    自らが被災しながらも、被災した人たちに必要な情報を伝えようとする記者を始めとする社員たちの懸命な姿や、地方紙ならではの被災者の視点で見出しの語句や一枚の写真にさえこだわる姿勢に、紙というアナログメディアの重要性を再認識させられました。

    ヘリコプターの下に救助を求める人たちがいるのに何もできないもどかしさと葛藤、津波と原発のどちらの報道を優先すべきなのかという迷い、仙台市街住民と被災地の人々、そして幹部と記者との間にも存在した立場による温度差。

    現場にいなけらばわからなかったことがたくさんあることを改めて知り、ため息をついて読み終えました。

  • 本文にも読者からの手紙として書かれているけど、新聞はただニュースを伝えるためだけのものではないと思いました。
    ラジオもネットをつながらなくなったあの日から、新聞は大きな役割を果たしていたこと、その新聞の記事を作り上げるのに多くの人の労力や心遣いがあったことを知ることができました。
    あの状況下での記者としての使命感、また、地元紙として地域と共に歩む姿勢に感銘を受けました。
    これから社会に出るものとして、「地域密着」の大切さを実感した本でもあります。
    あの日からの河北新報をもう1度読み直し、河北新報社の方々に敬意を表すると共に、被災地と呼ばれる場所に滞在するものとして、あの日からの出来事をしっかり再認識しようと思います。

  • 3月12日の朝、新聞が届いて本当に驚いた。
    停電してるのに、こんな時にも新聞を作ってくれていたんだ…って涙が出た。感謝の気持ちでいっぱいでした。
    新聞もテレビも、全国と地方では温度差があります。それは地震だけじゃなくて、台風のときにもよく感じていました。
    欲しい情報はそれじゃない…ってがっかりすることもよくあったし。
    河北新報は東北のことを考えて、ずっとこちらに寄り添って新聞を作ってくれていたんだと知ることができた。
    地元紙はやっぱり良いです!

  • 読んでいると、あの日に引き戻される気がする。いい意味でも、切ない意味でも。大切な意味でも。

  • 東北の有力地域紙「河北新報」。発災後、記者達の直面した状況、思いを記録したノンフィクション。

     13日朝刊、編集委員が逡巡の末に書いた社説は「生きてほしい」と語りかけるような書き出しで始まっていた…。避難所で、食い入るように新聞を読む被災者達の姿…。壊滅的な被災地で、それでもなお朝刊を配達し続けた販売店主達の意地…。
     幾度か、涙がこぼれた。

     ひたむきな思いで走り続けた記者達の美談。その一方で、走り切れなかった者もいた。
     福島総局の女性記者は、福島から退避してしまったことを悔い、「記者失格だ」と悩む。彼女は、記者の仕事にひと区切りつけたという(辞職したのか)。 そのことについては、詳しく書かれていない。記者として向き合うにはあまりにも巨大で過酷な出来事であった3.11、そして「福島」。
     その女性記者の思いや悩みを詳しく聞きたいと思った。

  • 避難所に河北新報が届いた時、皆むさぼるように読んだ。
    本当に欲しい情報が沢山載っていて有り難かった。
    その陰には、こんな苦労があったのだということを知った。
    本当にあの時はありがとうございました!!

  • 被災地の新聞社でなければ、できないこと、やれること、そして考えたこと。あの日のことを忘れてはいけない。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「あの日のことを忘れてはいけない。 」
      自分達のしたコトに、もっと自信を持って良いと思うのですが、、、悩む新聞人に共感を覚えています。
      「あの日のことを忘れてはいけない。 」
      自分達のしたコトに、もっと自信を持って良いと思うのですが、、、悩む新聞人に共感を覚えています。
      2013/04/25
  • どのような物事でも 見る人の立場によって見え方は異なるものである。

    東日本大震災も被災したのか 被災した親戚がいるのか

    全くそういうことがなかったのか という立場で全く異なる。

    この本は河北新報という 被災地域の新聞の記者、関係者が被災地のために

    新聞報道を通じで、何をしたが どう考えたかを 記録したものである。

    東京を中心とする 報道と異なり 被災者によりそった報道とは何かを
    繰り返し 繰り返し 問いかけ紙面を作っていった 経緯がよくわかる。

    私は幸い 被災しなかったが、この本は被災者のその当時に様子がよくわかり、とても追体験として貴重なものであった。

    新聞がもととなっているのかもしれないが、一つ一つのトピックスが
    短い。

    地震のあった昨年より今年はこのような本を読む意欲を持ち続けることが
    困難になってきたが、この本はそのなってきた私を 掴む力を持っていた。

  • 私はあの時期、仙台の予備校に通っていて、ただ、あの日は偶然大学の後期試験で関西に来ていたので、地震があったことはテレビのニュース番組で知った。何もわからず家とも連絡が取れないままパニック状態で試験を受けて、それに奇跡的に合格して、何とか東北に戻るとほぼ間を空けないで関西に居住を移した。進学という理由があったにせよ、東北の人間でありながら東北の痛みを知らず、あの場所に寄り添うことを放棄してしまったことに、仕方が無いしそうしたところで自己満足でしかないことはわかっているけれど、未だに罪悪感という言葉では言い表せない負い目のようなものを感じている。結果的に家の方の被害はかなり少なかったけれど、亡くなった知人もいる。それなのに安穏の中で楽しく大学に通っている自分は一体何なのだろうと自問自答してきたし、これからも気持ちに折り合いは付けられないと思う。原発事故が起きて、会社の指示で福島を離れ、その場にいられなかったことを悩み続けて最終的に社を辞した女性記者の話がとても印象に残っている。白川以北、という言葉が何度も登場していたが、実質河北新報は『宮城新聞』なので、隣県に住んでいた私は実のところ一度も手に取ったことがなかったのだけれど、彼らの思いの強さに泣きそうになった。12日の朝刊に心を救われた人が一体どれほどいただろうか。私に言う権利はないことかもしれないけれど、河北新報のみなさんにありがとうと言いたい。感想と言うより完全に私情の吐露ですみません。

  • 納得。

    地方紙の心意気に感銘する。

  •  わたしは福島出身京都在住者だ。
     第6章「福島原発のトラウマ」にて、福島総局の記者をほぼ全員県外へ避難させたという記述に愕然とした。まるで、河北新報社員だけではなく、福島市から人がまったくいなくなってしまったかのような書き方。
     誇張だ、ウソじゃん、と怒りながら読み進めたが、頁を繰るにつれ、もしかしてわたしの認識のほうが間違っているのかもと思った。わたしが知っている福島市の様子は、地元の家族から聞いた福島やネットで知った福島でしかない。
     それとも、県内に基盤のある企業とそうでない企業とでは、それほどまでに意識が違ったのだろうか。わたしの知っている範囲内ではたまたま避難が多くなかっただけなのだろうか?
     わたしにとって、この章は、河北新報社が報道の在り方を自問自答するものではなく、わたし自身は知識やものの見方や考え方をどこからどう受け取ってどう咀嚼するのか、そう問われている内容に感じられた。

     176頁、「1面などは原発の記事が多いが社会面や生活情報面では足元の情報を重視」という記述には憤慨した。福島も河北の一部であると言いつつ、「(福島県以外の)津波関連情報」を「足元の情報」と言うダブルスタンダード。
     また、当然じゃないの、女川原発に事故があったのならともかく、地元紙なら第一にその姿勢でいいんじゃないの、とも思う。わざわざ美化して書く言葉ではない。宣言の体を取った、単なる言い訳じゃないか。
     思い切ってそのダブルスタンダードを捨てていいと思う。信念の上では白河以北でも、残念ながら、現実的には福島県内に河北新報読者はほとんどいないのだから。

     批判が先に立ったが、読んでよかったと思える一冊だった。特に第5章「窮乏するロジスティクス」。記者・編集者・配達員といった、いわば新聞の前線を担うメンバーの活躍だけではなく、後方支援部が何を考えどう動いたのか、興味深い内容だった。

  • 2011年3月11日東日本大震災の地元「河北新報」の当日からその後のドキュメント。

    どうやって翌日の朝刊も落とさず発行できたのか、その後も毎日発行し続ける新聞社の奮闘。私など知恵の浅いものは新聞発行といったら”記者”が頑張ったのか、くらいしか想像が及ばなかったが、実際は紙の手配、運搬の手配、販売所の手配、配達の手配と物凄く多くの人の使命感と努力と頑張りが必要だったということに今さらながらに気付く。

    当時を振り返った時、私は震災のたった4~5日後にテレビのスイッチをonにするのが怖くなっていた。もう怖い映像も怖いニュースも聞きたくない、今この瞬間も戦っている人々にどうしようもない後ろめたさを感じながらもそう思わずにいられなかった。

    私たちはそうして情報の受信を自分で選択できた。しかし現場で取材する記者やカメラマンは辛くても目を閉じ、耳をふさぐことはできない。さまざまな葛藤と戦いながら記事を作っていたのだ。改めて頭の下がる思いがした。

  • ページをめくると、早くも冒頭からこみ上げてくるものがあって、鼻をすすり涙流れるままに読む。

    誰も経験したことのない、過酷な、あまりにも過酷な現実。
    つい今の今まで、普通の暮しを営み、普通の明日が来ることを何一つ疑っていなかった人々を襲った災害。
    直接被害を受けた人はもちろんのこと、遠方で、直接ではなかった人にとっても、衝撃的で、俄には信じられない光景だった。

    新聞記者として、地元紙として、何が出来るのかを問い続け、現実に向い続けた、河北新報の記録。
    「われわれはみな被災者だ。今は誰かを責めることは絶対にするな」と戒める報道部長。自分たちも被災しながら、時には無力感と自責に駆られながら、伝え続ける。

    「死者『万単位に』」の見出しをどうしても打つことが出来ず「犠牲『万単位に』」とした時、津波が人々の命を奪った瞬間を捉えたスクープ写真を被災地の人々が目にすることを苦慮しボツにした時、河北新報は、被災者に寄り添い、被災者と共にあることを選んだのだ。

    中程からは、冷静に読む。感情的な部分を極力押さえ、記録として淡々と綴っていこうとしている姿勢がわかってくるので。

    1年がたとうとしているが、復興への道程はまだまだ続く。時間の経過とともに、状況も人々の要求することも思うことも変化していく。
    新聞の、河北新報の果たす役割は、変化しながら続いていくだろう。

  • 読むプロジェクトX。
    読んでる間じゅう、目じりに涙が滲みっぱなしでした。
    地元に密着する地方紙の役割を果たすためのご苦労に頭が下がりました。同じ新聞を取ってることでのつながりがあり心強い。これからはローカルでゆるく長くつながっていくという関係も必要だと感じました。
    震災後1か月、疲れ、いらだちが見えたころの社員アンケートにも心打たれました。
    まもなく震災から1年。次の大きな地震も予測される中、この本を読んだことで生きようと強く思った。生きて何かの役にたとうと。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「疲れ、いらだちが見えたころの社員アンケート」
      アンケートの実施は、とっても的確な判断だったと思いました。社員の方も、それにちゃんと応(答)...
      「疲れ、いらだちが見えたころの社員アンケート」
      アンケートの実施は、とっても的確な判断だったと思いました。社員の方も、それにちゃんと応(答)えているのも素晴しかった!
      2013/08/06
  • とりあえず思ったのは、電話機をアナログに戻そうかなーということ。
    という冗談はさておき、ガソリン入手に奔走するくだりを読んで、こういうことをいろんな報道機関がやっていたんだろうな、もういっそのことこういう非常事態には代表1社、ていうか共同通信でいいじゃん、と思った。
    おなじ事象を異なる切り口で、視点で報道することは意義があるのだろうけれど、あらゆる物資の節約が必須の状況では必要最低限を目指すべきでは?
    落ち着いたら各社しのぎを削ればいいよ。
    ヘリも1台でいいじゃん。
    何台もとばさなくったって。
    震災とか、非常時においては報道機関の大儀なんて鼻くそみたいなもんだと思うんだけど。
    この本に再三書かれているように、確かに情報は必要だし、きっと被災者はむさぼるように新聞を読んだんだろう、皆心待ちにしていたんだろう。
    こういうの(被災者に必要な情報)だけでいいよ、特に最初は。
    被災していない我々は、こういうところの記事を読ませてもらえばいいじゃない。
    ネットだって何だって使えるんだから。

    ここしばらくは、正直震災のことを考えないようになっている自分がいる。
    たまにはこういう本や、ニュースも読まないとと思って手に取りました。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「報道機関の大儀なんて鼻くそみたいなもん」
      仰言る通りでしょうね、、、でも報道には意義はあるでしょう。地元密着の生活情報とけね、、、
      「報道機関の大儀なんて鼻くそみたいなもん」
      仰言る通りでしょうね、、、でも報道には意義はあるでしょう。地元密着の生活情報とけね、、、
      2014/04/07
  • 被災者とともに歩む。地方紙の気概と決意。

    河北新報社は、仙台を本拠地とし東北6県をカバーするブロック紙である。創刊は1897年であり、社名は明治維新の際、薩長が東北を蔑視して「白河以北一山百文」と称したことに発憤してつけられたものという。
    地方に密着した筋金入りの地方紙である。

    3月11日に被災した後の河北新報社の奮闘の日々を振り返る。
    混乱の中、河北新報は、何とか新聞を出そうと奮闘し、休刊することなく、震災当日の号外も翌日の新聞も発行する。他紙への協力要請、被害が軽かった支社からの全面支援、社員の空腹を満たす「おにぎり」隊の活動等、全社体制で事にあたり、ライフラインが整わぬ中、何とか紙齢をつないでいく。その顛末を描く前半は、連帯感と達成感に満ちており、ある種、希望と勢いを感じさせる。

    しかし、後半には、社員各人の心の傷も描き出されていく。
    原発事故直後、社の指令で福島から避難したことをどうしても乗り越えられず、記者の仕事を辞めた社員がいた。震災当日、ヘリコプターから助けを求める人々の写真を撮ったものの、それが速やかな救助にはつながらなかったことを知って苦しむカメラマンがいた。

    購読地域内の震災に対する温度差も徐々に明らかになっていく。
    震災の話はもう見たくない、テレビ欄を元に戻して欲しいという読者もいる。一方で、いまだ不自由な生活を強いられる被災者も多い。

    震災による困難はなお続く。
    河北新報は息の長い検証記事を載せ続けているという。
    誠実に真摯に、「被災者とともに歩む報道」とは何かを問い続ける姿勢に敬意を表したい。


    *「白河以北一山百文」--ひどいことを言うもんだ(誰が言い始めたのか、あまりはっきりした記録は残っていないようだが)。
    でもこんな蔑称があったなんて知らなかったな。東北の歴史にあまり思いを致すこともなかった自分にも反省。

    *同じ地方紙である石巻日日新聞の『6枚の壁新聞』が思い浮かぶ。石巻日日は、宮城県東部をカバーし、社員30人弱というから、東北地方をカバーし社員550人余の河北新報よりは一回り小さい。河北が休刊しなかったのを知って石巻日日の記者が忸怩たる想いを抱く場面が確かあったが、これだけ規模に差があると、致し方なかったことだろうと思う。

  • 2011.3.11東日本大震災から早1年。多くの人の心になにかしら刻まれた。大なり小なりの違いはあるだろうけどわたしの中にも震災の前と後では漠然としているが大きく変わるものがある。人生の半ばが過ぎあらためて後半生を思う日々である。

    この本は自ら被災しながら被災地を駆け巡って取材し3月11日当日号外を発行し地元紙ならではの記事を掲載しつづける河北新報新聞の記録である。取材した記者が自社アンケートで回想する文章編は心が痛む。仕事として割り切る気持ちやそれに伴う後悔や事実の詳細などがわかっていく過程での苦悩など、現場の当事者でしかはかり知れないものであろう。そんな中でこれからも河北新報が一丸となって「再生へ 心ひとつに」を社告にし自社記者一人ひとりのケアや多くの被災者に寄り添う情報誌として向かう決意が伝わってくる。一日も欠かさず地元の復興に向けて情報発信する姿がここにある。

    この本は震災そのものとその後のことを知り、考えることをうながした。決して忘れてはいけない痛みを共有していきたいと思う気持ちを持ち続けたい。

    新聞の持つ力は情報網が急速に発達していっても多くの人にとってその存在の価値は高いと認識した。

    P65
    津波の怖さはわかったつもりになっていた、だが、それは間違っていた。

    P212
    住民の心をつなぐのは、変わらぬ古里の姿だ。三日月の形をした細浦の湾はいつも朝日に輝き、夜は月光が一筋の道のように美しく浮かび上がる。「住民は離れ離れになっても、古里を愛する思いは一緒です」

    P230
    (震災後は、人間のちっぽけさや、生きている地球のごく一部にすぎないことを痛感・・・)

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「被災者に寄り添う情報誌として向かう決意」
      ローカル紙だから、日頃から地域密着型だと思いますが、未曽有の出来事の前にして、記者魂が揺さぶられ...
      「被災者に寄り添う情報誌として向かう決意」
      ローカル紙だから、日頃から地域密着型だと思いますが、未曽有の出来事の前にして、記者魂が揺さぶられたのでしょう。
      (読みたいと思いつつ、積読中)
      2012/12/05
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