これでおしまい

著者 :
  • 文藝春秋
3.39
  • (1)
  • (8)
  • (7)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 49
レビュー : 13
  • Amazon.co.jp ・本 (289ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163746104

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 愛子センセイの「我が老後」シリーズも20年目になっちゃったんですね。 「オール讀物」に連載が始まったのは、愛子センセイが67歳のころだったのか・・・。


    “現役”から一歩引いた目線やお孫さんとのお話が面白く、その意味ではお年を召されたなぁ、と思ってたのに、87歳となられた今から見れば、全然お若かったんじゃん!と、一緒に20年分年をとってきた私のあれこれも考えてたりして。(*^_^*)
    とはいえ、老後は老後で意気軒昂なセンセイを楽しませてもらってたんですが、これで本当におしまいにされるんでしょうか。

    “怒りの愛子”の逆鱗に触れた数々の事象や人物たち。うんうん、そうなの、私も変だと思ってた!と嬉しくなったり、うふふ・・そんなことにも全力で怒る??と笑ってしまったり。
    でも、ここのところ、自分でもモノ分かりがよくなってしまった、と言われるのは、怒りも可笑しみも今の時代に生きる者たちとは共有できない歯がゆさを感じておられるから?
    怒りのベクトルもさることながら、「おかしみ」を共感できないのは寂しいなぁ、と、これはホントにわかります。お孫さんに川柳の「本復の元のごとくに吝くなり」を解説して、「ふーん」と言われた愛子さん。そりゃ、無理ないよ、と思いつつも、センセイのお気持ちはよくわかります。

    ただ、愛子さんはただ嘆いているだけではないし、昔はよかった、なんて決して言わないところがさすがだぁ~~!
    ご自身、花粉症に毎年悩まされて(でも、このごろは年をとりすぎて!花粉症もやってこない、と言われてますが)、よく言われる「今の時代は清潔すぎるから」という論説に、だったら昔はどうだったのか、という話を。回虫がお腹にいるのは当たり前で、学校の廊下には“口から”吐き出された大きな回虫がうごめいていた、なんて時代がよかったのか、と冷静な目で語られるところが私は好きなんだなぁ、と思います。(主人にその話をしたら、途中からやめてくれ~~、と嫌がられたけど。)

    愛子センセイの怒りのエッセイが読めなくなるのは寂しいけど、ずっと走り続けてこられた方だから、のんびり日々を送られるのも悪くないかな、と思います。

    どうか、センセイ、お元気で!
    もしかしてまた新作にお目にかかれたら嬉しいですが。(*^_^*)

    • シンさん
      ものすごくおそくなりましたが、あけましておめでとうございます(笑)。

      >87歳となられた今から見れば、全然お若かったんじゃん!

      ...
      ものすごくおそくなりましたが、あけましておめでとうございます(笑)。

      >87歳となられた今から見れば、全然お若かったんじゃん!

      そうですよねー、『娘と私の部屋』のときなんてまだまだ小娘じゃん! と今思えばおかしくなります。でもあのころから「なにを言っとるかあ!」の佐藤愛子だったんですよね。
      「わが老後」シリーズはタイトルが好き。なんでこうなるの、だからこうなるの、そして、こうなった、それからどうなる、まだ生きている……。
      ほんと「おかしみ」ですよね。身を切るようなおかしみ。長生きすれば誰もが経験しなければならないおかしみ。
      愛子さんよりは若輩者ですが、すこしはそれを共有できたかな、と思います。
      2012/01/16
    • じゅんさん
      >たまもひ様
      そうなんですよ!きちんとした複眼を持っておられて、そこがとっても素敵だなぁ、と思います。私も愛子センセイのように年取りたいで...
      >たまもひ様
      そうなんですよ!きちんとした複眼を持っておられて、そこがとっても素敵だなぁ、と思います。私も愛子センセイのように年取りたいです。(*^_^*)
      2012/01/17
    • じゅんさん
      >シン様
      明けましておめでとうございます!
      今年も楽しくおしゃべりできるといいですね。(*^_^*)

      あんなに小さかった響子さんが...
      >シン様
      明けましておめでとうございます!
      今年も楽しくおしゃべりできるといいですね。(*^_^*)

      あんなに小さかった響子さんがお母さんになられて、そのまたお子さんの桃子ちゃんも随分と大きくなられた、なんて、年月の経つのは早いなぁ、と思わせられます。
      身を切るようなおかしみ・・・。お互い、年を重ねると、またいろんな経験ができそうですね。なんとか前向きに生きていきたいものです。(*^_^*)
      2012/01/17
  • 初めて読んだのが「娘と私の」シリーズのどれかで、
    愛子先生と響子さんがキッスのジーン・シモンズの
    長い舌をペラペラさせるのを真似しあう箇所を読んで
    腹筋がひきつるほど笑った思い出がある。
    その頃はいろいろなことに怒り抗議する愛子先生だったが
    最近は「言うだけアホらし」と諦め気味のご様子。
    でも読んでいるといろいろなところで共感できる。
    数学の問題を母親に「なぜ分からない」と問い詰められて
    頭が真っ白になるくだりはまるで我がことのように思え、
    ああ、先生とお茶を飲みながらお話したいと思うのだが、
    教養のない私は先生の元にやってくる他のお客様同様
    けったいな人でひとくくりにされてしまうだろう。
    まだまだお元気でいて頂きたい。

  • 大好きな愛子先生、本当に「これでおしまい」なんだろうか。とても寂しいけれどきっとそうなんだろうな。

    さしもの「怒りの愛子」も御年八十八歳、ここのところ、情けない世の中に対して怒りよりあきらめの言葉が目立つようになっていて、そこがまた長年のファンには面白かったのだけど。

    最後の方にこうある。「気の弱りの出た佐藤愛子なんぞ、何の値打ちもないのである」-いやいやそんなことはありませんよ。でもその潔さが愛子先生の真骨頂なんでしょうね。

  • 201702

  • 図書館で。
    このシリーズも最後かと思うとさみしいけど…まだ確かご存命なハズなのでそのうち番外編とか出るといいな(笑)

    というわけで今度は血脈を読んでみようと思います。私も最初血族だと思ってた…。思い込みって恐ろしい(笑)

  • ブログに掲載しました。
    http://boketen.seesaa.net/article/394360865.html
    「怒りの愛子」の「最後のエッセイ」だったはずのエッセイ集 67歳の時に「わが老後」と題してはじまった文藝春秋の連載エッセイ。延々と続いてついに20年、2010年87歳で「これでおしまい」と連載に終止符をうった。その最後の1年半分のエッセイを集めたもの。これが最後のエッセイ集になるはずだった。

  • 1990年の夏、作者の佐藤愛子さんが満67歳の時に始まったこの「我が老後」シリーズ。
    それから丁度20年経った現在、『老後はなかなか終わらない。無為のままだらだらとつづいている。それで「これでおしまい」とケリをつけたくなってきた。』と出されたシリーズ最新作。

    佐藤愛子さんの中には「思い出袋」なるものがあるらしい。
    時々そこから昔のふとした情景が浮き出てくる。
    そんなとりとめもない出来事を綴ったエッセイ。
    作家として駆け出しの頃、新大久保駅近くの安い連れ込み宿の「穴の部屋」(覗き穴のある部屋)を探訪した時のこと。
    50歳頃、白昼堂々、強盗が自宅に入ってきたことがあったという話。
    女学生の頃、同じ汽車に居合わせた青年兵士にナイフを借りた話。
    そんな思い出話や今の世の中を見て思うあれこれ。

    特にその中で、「意味づけ病」という話が一番印象的だった。
    一時靴をピカピカに光らせることに凝っていた仲のよい作家さんの靴を葬儀の際に見て笑いをこらえるのに苦労したという話。
    それを高校三年生のお孫さんに話した所、何がおかしいのか分からないと、笑う意味を問われたらしい。
    それに兼ね合わせて、ある中学一年生が井伏鱒二の小説「山椒魚」について、素晴らしい解釈をしたと感心した人々の話に続き、
    『小学高学年から中、高生までは意味づけ病にかかっても、はしかのようなものだと思ってすませればいい。だがこの頃はいいおとなも意味づけ病にかかっているらしい。
    「小説というものは意味を考えるよりも味わうものではないんですか。文章を味わって、そして感じとる。それでいいのでは?」
    そういおうとしたがいうのをやめた。
    「文章を味わうって、どうすればいいんですか?」
    多分そう訊かれるだろう。今は意味を考えるよりも、味わい感じとることの方がむつかしくなっているらしいのである。』
    ホント、そうだよな~と思った。

    他の世の中のあれこれにも、怒りというよりもあきらめ、諦観に近いものをこの本からはつくづくと感じた。
    今40代の私ですらそうなりつつあるんだから、80代ともなると無理もないと思う。
    ただこういった感性の人がどんどん少なくなっていくのが淋しい。
    これでオシマイと言わず、別の形ででもこれからもずっと、エッセイを書いて欲しいと思う。

  • オール読物で連載されたエッセイを一冊にまとめたもの。

    80ウン歳とはいいつつも、感性は以前のまま。佐藤さんのような江戸っ子ぶりというか、そういうのに惹かれる自分は草食中年か。

    ピタゴラスイッチの佐藤雅彦さん(こちらも佐藤さんであった)もそうであったが、一つの事を素通りせず、物の本質や「そでれいいのか?」を考える癖は、見習いたいです。

  • 佐藤愛子さん大好き!
    「院長の恋」が初見で、まさか80歳を超えてる作家さんだとは思いもせず…
    佐藤さんって感性がすごく今風(若い、というのとはちょっと違う)で、現代の感覚にもすんなり合わせられる人だと思う。
    このエッセイも軽快で新鮮。
    気に入った一節「饒舌はいけない。饒舌はユーモアを損なう。悲しみも損なう」

  • 佐藤愛子さんが御歳八十七歳になられたとは、感慨深い。
    そうすると、コバルト文庫で『こまったなあ』などの青春小説を書かれていたころは、もう五十代を過ぎていらしたわけだ。
    そう考えると、やはりバイタリタリティにあふれ、いつまでも若々しい。
    自信が最後とされておられるこのエッセイも、お歳を考えると、若々しい力にあふれている。
    とにかくずっと怒っておられる。
    政治に怒り、世相に怒り、現代人に怒りと、すこぶるお元気。
    しかもあっちの小話が満載で、色艶も失っておられぬ。
    見習うべき女性の生き様である。
    もう少し、続けて書いていただきたいが、そう望むのは、申し訳ないというものだろうか。

全13件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

佐藤愛子

1923年大阪生まれ。甲南高等女学校卒業。69年『戦いすんで日が暮れて』で第61回直木賞、79年『幸福の絵』で第18回女流文学賞、2000年『血脈』の完成により第48回菊池寛賞、15年『晩鐘』で第25回紫式部文学賞を受賞。17年旭日小綬章を受章。エッセイの名手としても知られ、近著に『九十歳。何がめでたい』『冥界からの電話』など。

「2019年 『気がつけば、終着駅』 で使われていた紹介文から引用しています。」

佐藤愛子の作品

ツイートする