中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163746906

作品紹介・あらすじ

日本の「進歩」は終わったのか-ポスト「3・11」の衝撃の中で、これまで使われてきた「西洋化」・「近代化」・「民主化」の枠組みを放棄し、「中国化」「再江戸時代化」という概念をキーワードに、新しいストーリーを描きなおす。ポップにして真摯、大胆にして正統的、ライブ感あふれる、「役に立つ日本史」の誕生。

感想・レビュー・書評

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  • 新自由主義を「中国化」と置き換えている部分があるので、言葉は刺激的だが、中国との関係性で歴史を見てみるという視点が新鮮。面白い。護送船団方式VS個人主義、どの軸で社会を組み立てるのかという話。これだけで解決する話ではないが、軸にはなると思う。この著者のほかの本も読んでみようと思う。

    • piccolo33さん
      私も同じ本を読みました。かなり以前ですが。
      この著者の本音のところがどうも捉えどころが難しい感じがしました。
      私も同じ本を読みました。かなり以前ですが。
      この著者の本音のところがどうも捉えどころが難しい感じがしました。
      2021/04/25
  • 「中国化」という単語とそれの対立概念である日本的な社会(特に江戸期の社会)という概念を軸にわが国の歴史を振り返った本。現代の歴史学における最先端の議論を平易な文体で読めることと、歴史を振り返り現代の様々な問題のヒントを得ようとしている点で有意義。加えて詳細に主張の出典を示しているので、興味が出た所を読み進めることが可能。
    ただ難点をいうと、筆者は根っからの学者なのか皮肉的な記述が多く、場合によっては気分を害する。さらに「中国化」の概念の定義が曖昧でよくわからない。ただ、言おうとしていることは何となくだがつかめるとは思う。
    個人的に触れたことが無い議論が多かったので、面白かった。

  • 日本史・アジア史についてOSをアップデートするみたいな本。右にも左にも振り回されない重石になる知識が得られる。最近の歴史学の常識に則ってのことなのでこのアップデートをしておいて全く損はない。

    まず、近世と近代について。

    「近世」とは現在の歴史学ではEarly Modern=初期近代と言い、「全世界に共通する近代の前半期」として考えるようになったとのこと。一方で、これまで「近代」と呼ばれてきたものは「近世の後半期」。

    世界で最初に近世に入ったのは「宋朝の中国」で、そこで導入された社会の仕組み、

     ・貴族制度を全廃して皇帝独裁政治を始めた
      (科挙、身分制廃止)
     ・経済や社会を徹底的に自由化(貨幣の使用)
     ・政治の秩序は一極支配で維持
     ・皇帝の権力を抑え込むための全世界的な理念
      (朱子学)

    が、今でも中国や日本以外の全世界で続いていると言える、という。

    この本のタイトルにある「中国化」の中国とはこの宋朝のこと。

    そして、日本は平安後期以降、何度も中国化を試みる人々(平家、後醍醐天皇、足利義満)が現れるも領地・イエ・家職の官僚的な社会を維持したい貴族や武家に阻まれ、独自の「近世」である江戸時代を迎える。

    この「江戸時代」が大日本帝国と戦後の「社会主義国家」にしっかり受け継がれていく。

    明治維新は中国化のついでに同じタイミングで西洋化もしただけで、近代化でもなんでもなく、とっくに近世を迎えていた大陸に中国化は不要だった、とか。

    中国化による明治の自由な競争社会への反動で「再江戸時代化」が望まれ、庄屋=議員と代官所=政府のような関係が復活したり、昭和に入ってからは会社が「村社会化」した、とか。

    「江戸時代」は藩、ムラ、イエの共同体の一員でなければ(長男以外、会社員、夫のいる専業主婦)セーフティネットが効かないけど、それは今も同じじゃないか、とか。

    ※例えば、地域に保育所ができることに反対する高齢住民とかまさに「自分の家族やもとからいる住民以外の未来なんか知ったことか」なわけで。http://dot.asahi.com/aera/2014041400034.html

    「おわりに」で「私たちが生きていかねばならないのは、おそらくは1000年も前に「歴史の終わり」を迎えて変化の止まった社会」と書いている。

    つまりもう、イエや会社という共同体は助けにならず、「江戸時代の職分制と同様の「公共事業や規制政策による雇用維持を通じて生活保障を代替する」やり方が、通用しない」(P296)。

    「「雇用に依存しない福祉」を一から作っていかねばならない」という。

    私見だけど「非正規の被雇用者を(同じ職場、同じ仕事で)正規に」(つまり「江戸時代」的雇用を)と主張したところで、その「正規」はかなり限られた福祉、社会保障しか与えられないだろう。であれば、非正規、流動的であることを前提としたセーフティネットを厚くすることを求める方が機能としては有効なんじゃないかと思う。

  • 中国化する日本
    面白い!

    これぞ読書の醍醐味と言えるような本。
    頭をつかまれてグラングラン揺らされているような感覚で一気に読み終えた。これまでの既成の何か、脳みその一箇所を破壊してくれる。

    著者も前書きで触れ、書中で何度も語っているが、「先の大戦をどう捉えるか」ということや「中国との関係をどうするか」といった類の本ではない。
    それらの議論とは一線を画している。

    これまでの歴史を「中国化」という観点から新たにとらえ直し、やさしい文体で語りかける。(言っていることは常に過激だが)

    この本の主張が歴史学では一般的なものなのか、(筆者はそう主張し、多くの参考本をつけている。)僕にはわからない。
    しかし、自分の中の何かを変えてくれることは間違いない。

    オススメ!

  • これまで当たり前だと思われてきた歴史観がずいぶんと覆されつつある。こうした傾向は以前からあったともいえるが、近年、特にその傾向が著しいようにみえる。本書は、こうした新しい歴史観、著者によれば、歴史研究者の間ではすでに通説となりつつあるという視点に基づき、日本の歴史を問い直している。その試みは大変興味深く、また面白い。今後日本が何をなすべきかという点についても、新しい視座を提供している。続きはブログ→http://hiderot.blogspot.jp/2012/06/blog-post_21.html

  • 遅れていた日本が中国を追いかけるとの説の最もらしさ《赤松正雄の読書録ブログ》

     後世畏るべしとはこういう人を言うのだろう。與那覇潤『中国化する日本』を読んで、いたく刺激を受けた。この人、未だ32歳の愛知県立大准教授。もとはといえば、2月初めの朝日新聞を見て、びっくり。オピニオンの「異議あり」とのページに、日本史の新しい常識を説く歴史学者としてのインタビュー記事があり、それを読んだことがきっかけ。後に、この本を読み、そして前作『帝国の残影』をも一気に読んだ。たまげた。小津安二郎の監督した映画全てを丹念に見た上で、縦横無尽に自分の得意の土俵で料理している。前者は「日中『文明の衝突』一千年史」、後者は「兵士・小津安二郎の昭和史」とのサブタイトルがつく。(『帝国の残影』については次号で)

     彼が言う中国化とは、日本社会のあり方が中国社会のあり方に似てくることを意味する。その中国社会のあり方とは、唐のあとに出来た宋王朝で導入されたしくみをさす。その特徴は、経済の自由化と政治の集権化の同時進行に。科挙制度による官僚登用の全面化で、貴族制度を全廃し、皇帝が権力を独占。一方で農民にまで貨幣使用を行き渡らせ、市場で自由に競わせる体制だというもの。要するに、サッチャー、レーガン、小泉改革のような新自由主義に似て、トップダウンで競争原理を導入し、結果の平等を犠牲にしても成長を追求する、と。これって共産中国の今のあり方と二重写しであり、その原型が実は宋の時代に作られたというのだ。

     日本は宋の影響を受けきれず、規制(身分)と共同体(ムラ)で生活を保障する江戸時代の体制をとり、ようやく明治維新で、身分制の廃止、試験による官吏の登用、廃藩置県による中央集権、職業の自由化などの中国化が行われた、と。明治維新は西洋化も議会政治を中心に行われ、両方同時に取り入れられたが、中国化がよりその本質だと言う。その後、日本は昭和初期に再び江戸化したというからややこしい。更にバブル期までそれは続き、今再び中国化が始まっているとして、その例を小泉、橋下に求める。つまり、既得権益という「悪」を設定し、それと闘う自分を「徳治者」に見せることで支持を得るという手法はそっくり中国式だとするのだ。

     何だか、牽強付会の典型のような気もする。しかし、この人に言わせると、中国化という表現は自分のオリジナルだが、内容は歴史学の常識であり、元を正せば、東洋史学者の内藤湖南にあるとする。言われてみると、そんな感じがしないではないのも、現在の中国と日本の国勢の逆転現象にあるのかも。つまりは、遅れていた中国が日本を追い抜いたのではなく、もともと日本が遅れていたので、今必死で中国を追いかけているとの見たてだ。残念ながら実に穿(うが)っているように見えてならない。

  • 教科書的な日本史理解はもう古い、「中国化」と「江戸時代化(反中国化)」という二つの対立軸の往還を基調にしたら、まるで違う歴史像が見えてくる!...という趣旨の本。話題になっている新刊だが、筆者の広範な勉強量に支えられており、非常に面白い。

    この本では「源平合戦での平氏の立場」から始まり「戦国時代の意味付け」「近代化=西洋化?」など、様々なトピックを上述の観点から一つのストーリーにまとめていく。ただ総じて、筆者は「日本が中国化してきた」とは語ってなくて、むしろその力点は「なぜ日本は中国化に失敗し続けたか」という「江戸時代」的構造を語る点にある。ただ、いよいよその構造が維持できなくなっていそうな現在、このまま中国化するの?どうするの?という所でこのストーリーは終わる。中世から現在までを一つの観点でまとめていくその手際は見事。歴史学の新しい成果だけでなく、それ以外のジャンルの本や映画なども駆使する博捜ぶりにも、誰しも感心する所だろう。

    あと、この本は歴史の本でもあると同時に政治論でもある。権威(道徳)と権力が一致した儒教的体制っていうのは、エリートが人民の幸福を考えて統治するという功利主義的な統治モデルとも親和性が高いはず。この本の「中国化」をめぐる議論は、いわゆる西洋近代の議会制民主主義や、それとはやや異なる「江戸時代的」な小単位を基礎にした日本型民主主義も含めた統治モデルの中から、どういう統治モデルを僕たちが選択するのかという問題でもあるなあと考えさせられた。

    ただ一方で、「誤解」をわざと招こうとするタイトルや、「これが真説!」的断言調をはじめ、「その筋の人々」を茶化しながら書き進める筆致は、好みが分かれると思う。正直言って、僕自身はあまり好みではない。これがこの本に限って意識的にとっている文体だということはわかるんだけど、マーケティング意識がちょっとあからさまかなあ。あとどうせ茶化すんなら、「その筋の人々」や「高校の歴史の先生」じゃなくて、同業者を茶化しながら進んだらどう?みたいなことも、ちょっと気になったかも。

    でも全体としては色々と刺激を受ける面白い一冊。もちろんこれだけ大風呂敷を広げたらそりゃ細かい所を専門家がつついたら色々と穴が出てくるだろうと思う。まあ、それは「そういうもの」で、そのチェックのためにこその厖大な参考文献一覧。その意味でこれは「この本をサカナにあれこれ言ったり考えたりするための本」という位置づけだし、そういう使い方をされることにこそ意味があるんじゃないかな。ぜひどうぞ。

  • これまで使われてきた「西洋化」「近代化」「民主化」の枠組みを放棄し、「中国化」「再江戸時代化」という概念をキーワードに、源平合戦からポスト「3・11」まで、新しいストーリーを描きなおす。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40162598

  • 宋代中国の政治・経済システムを軸に、日本史(主に近現代)や時に世界史を見つめ直す。
    読みやすさを意識した軽い文体や皮肉たっぷりの言いまわしに好き嫌いが分かれそうだけど、「中国化」を軸にした日本史の見方は斬新で刺激的。
    筆者も何度も強調しているけど、「中国化」というのは「日本が中国に侵略される」とか、そういう内容ではないよ。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。専門は日本近現代史。2007年から15年にかけて地方公立大学准教授として教鞭をとり、重度のうつによる休職をへて17年離職。歴史学者としての業績に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)。在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫)。共著多数。
2018年に病気の体験を踏まえて現代の反知性主義に新たな光をあてた『知性は死なない』(文藝春秋)を発表し、執筆活動を再開。本書の姉妹編として、学者時代の研究論文を集めた『荒れ野の六十年』(勉誠出版)が近刊予定。

「2019年 『歴史がおわるまえに』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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