カウントダウン・メルトダウン 下

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163761602

作品紹介・あらすじ

3月15日四号機の爆発した朝、米軍横須賀基地の放射線量が急上昇した。放射能汚染を恐れる空母ジョージ・ワシントンは出港準備に入る。米政府内では、東京・横須賀基地からの撤退を主張する海軍と、日米同盟の観点から踏みとどまることを主張する国務省が激しく対立。「日本は東日本を失うかもしれない」一号機から六号機すべてが暴走する連鎖的危機が現実にせまっていた。「もうだめか」。日本政府内でも、最悪シナリオの策定が始まる。私たちはこのような危機を通りすぎたのだ福島、東京、ワシントン、横須賀基地、人間の尊厳と叡知をかけた戦い、その全貌 。

感想・レビュー・書評

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  • ・「災害用ロボットは消防庁が絶対持っていると思っていた。それがなかったと知って、愕然とした」という。防衛省・自衛隊はなぜ、開発してこなかったのか。なぜ、原発事故対応のロボットを開発しようという発想がなかったのか。防衛省、自衛隊の担当者は一様に、2つの理由を挙げている。
    一つは、日本は核攻撃を想定していないことである。非核国日本の自衛隊は核に係わることには―軍事利用も平和利用も―できるだけ触れないようにしてきたし、政府も触れさせないようにしてきた。
    もう一つは、自衛隊の中に需要がないことである。陸上自衛隊は人減らしにつながるロボットの導入には警戒的である。

    ・細野は、「菅直人という政治家の生存本能というか生命力ってすさまじいものがある」という。「この局面で我が国の生き残るためには何をしなければならないのかという判断は、これはもう本当にすさまじい嗅覚のある人だと思っているんです…撤退はありえないし、東電に乗り込んで…そこでやるしかないんだという判断は、日本を救ったといまでも思っています」

    →これには、本能という言葉を使うのは失礼なんだろうな、と思う。ナポレオン曰く、’予想できない状況で何をすべきか、突然、密かに自分に教えてくれるものは天賦の才ではない。それは思索と瞑想だ。’
    平時から政治家とは、日本とは、と考えていたのであろうと思う。

    ・チェルノブイリの事故はソ連社会の病巣を浮き彫りにさせたが、福島第一原発事故は日本の組織社会の問題点をあぶり出した。

  • とても複雑な読後感。著書も指摘しているように、この事故で問われたのは、戦後の日本そのものであると同時に、日本人の生き方であったように思えてならない。固有名詞と時制を変えるだけで、自分が身を置く組織にも共通する日本人としての「業」が見えるような感覚を覚えた。

  • 登場人物が多いので、読んでいるうちに誰がどの役職かが分からなくなって困った。命がけで奮闘した方々には、いくら感謝しても足りない。原子力災害に対する備えは、日本のどこにもなかった。菅直人首相の判断や行動に不適切なところはあったが、見せかけでしかなかった原子力発電所の安全規制体制は、長く続いた自民党政権にも責任があると思うので、菅直人首相ばかりを責める気にはならない。例えば自民党にもっとうまく対応できる人がいたかというと、どうだろう。反対に、あの時に首相でなくてよかったと思う人なら、すぐに一人挙げられる。今から40年近く前には既に、原子力の利用を推進する部署と安全確保のためにそれを規制する部署とが同じ通商産業省にあるのは危ないという指摘があった。当然、その指摘は当たらないと通商産業省は回答していたと記憶しているが、2006年に原子力安全委員会と原子力安全・保安院との間で起きた事件の顛末(第20章「計画的避難区域」、355ページ)を読むと、それはつまり、省内には安全確保のための部署がないから指摘は当たらないという意味だったのだろうか。日本は科学的シミュレーションを危機対応に使えない国だと嘆いたという東京大学の山形俊夫理学部長が、猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』に描かれた東條英機陸相の応答に強い印象を受けたという話(同章、380ページ)は、なんだか情けない。それから70年も経っているのに。岩橋理彦原子力安全委員会事務局長の解説による〝原子力ムラ〟における安全規制の難しさが、「原子力安全規制は霞が関の〝端パイ〟たちの終着駅だったというのである。」(同章、390ページ)とまとめられていたことに衝撃を受けた。2013年3月10日付け読売新聞書評欄。

  • 先日出向いた福島県いわき市の山々を眺めた後で、改めて読む、フクシマの記録。あのとき、何が起きていたのか等、官邸(首相、官房長官等)、監督官庁(通産省、保安院、文部科学省等)、東電(本社、福島第一、福島第二等)、事故に翻弄される現場の方々(含む東芝等の協力会社)、地元の自治体(含む小中学校の子供たちへの対応等)、避難を余儀なく強いられる住民たちの苦悩等、詳細な取材に基づく記録であります。いわゆる第二の敗戦の象徴としてのフクシマの物語の奥行き、そして今も燻り続ける様々な出来事等を理解するには、必読の書では、と思う次第。(新しく大臣等になられる方々には、是非、ご一読頂きたいものです) 終章にある`神の御加護`は、関係者並びに著者の実感のようです。

  • 2012年刊。上下巻中の下巻。

     著者ならこれくらい書けるはず、書くはずというほど、著者らしい渾身の一著。そして私の読後感は脱力感のみ。

     下巻の重要項目は米軍対応と初動時における民間の活躍、そしてあのSPEEDIの情報隠蔽の3点だ。

     細かく言うと色々あるが、やはり官僚体質を第1に上げざるを得ない。
     本書下巻の中で個人的にザ・霞が関を感じたのは以下の件。すなわち日本で未承認のヨウ化カリウムの使用にあたり、薬事法を盾に問題提起する厚労省職員と、これに対し経産省職員が場を弁えろという主旨の慨嘆を漏らすところ。
     確かに、この部分だけなら、著者が肯定的に見る経産省担当の批判は的を射ているし、確かに厚労省担当の杓子定規も考えものだ。

     しかし、原子力被害シュミレーションを懈怠してきた経産省。その職員が何の衒いもなく厚労省担当を批判できるかという感情も湧く。
     つまり他省庁の批判から入る官僚の視野の狭さ、批判がブーメランの如く返ってくることの自覚のなさだ。
     経産省と厚労省とがどれほど人材を交流し、相互情報を共有してきたかという具体的事情は知らない。が、少なくとも人的信頼関係が構築できるほど情報や人間関係を形成した形跡は見受けられない。

     現に、本書において、総務省・消防庁への支援要請に対し、片山善博総務相が消防庁幹部と共に、経産省幹部への事前準備懈怠への批判を展開する様が叙述されるが、これは省庁間の情報交流=人材交流の欠如を露呈した感がある。ここから生まれる脱力感は何とも言い難い。

     さらに言うと、住基ネットに始まり、マイナンバー制度など、国民には情報の一元化を制度面において強く強要する、これが霞が関の基本スタンスだ。
     しかし、国民・住民の利益を守るには、霞が関の情報管理・共有化の方が遥かに喫緊の課題ではないか。先ず隗より始めよではないのか。


     第二は東電に関して。
     正直、彼らは原子力発電を扱ってはいけないのではとの意識を強くした。
     彼らが専門家であることはそうかもしれない。危機的状況の中で専門家の判断や情勢分析は有益である。
     しかし、それは情報を開示しないで良いという理由にはならない。殊に、民主的責任を負うべき事態に対して、民主的責任を負うべき立場にある者に対して情報を秘匿するという行動は、故意・過失の如何に関わらずそれだけで悪であり、愚なのだ。

     そして当然に生まれる疑問が、他の八電力会社が、最悪のケースを慮って行動計画・対応計画を立案しているかだ。
     安全性云々を議論するも、それに尽きるなら、それは原子力発電の無謬性の復活、安全神話を祝詞の如く信じなさいという科学性の欠如を維持していることに他ならない。

     安全性レベルの向上と共に、それを上回る事態に如何に対処するかの方法論が重要だが、結局その対応準備は原発維持の経済的合理性を奪い、原子力発電の社会的意味や有用性を消滅させるのではないか。
     これは原発へのテロやミサイル攻撃への対応の必要性とも関わるのだが…。


     なお、関係者の多くの共通認識が、菅氏の決断により東電に乗り込んで初めて、東電からの情報が上がり出したとのこと。こういうのはなかなか表に出ないなぁと。

  • 米国政府内の待避地域を巡る争いもあったらしいことが記載されている。

  • 日米同盟。あの危機の際、「トモダチ作戦」でアメリカには多大な
    支援を受けたことは忘れていない。しかし、そのアメリカもすべて
    が同じ方向を見ていただけではなかった。

    アメリカ海軍横須賀基地では原発事故後の早い時期に日本からの
    撤退が検討され、アメリカ大使館は軍人が撤退を検討しているのに
    日本にいるアメリカ人の退避をどうするかで右往左往している。

    運命共同体なんて幻想である。支援はしてくれるが、アメリカが日本
    と運命を共にすることはない。アメリカの支援には感謝するが、米軍
    がいるから大丈夫なんて発想は捨てなきゃね。

    そのアメリカは9.11同時多発テロの後に原発テロを想定した防災
    計画を立てていた。原発列島である日本も本来であれば想定して
    おくべきことであったが、当然のようにやっていない。

    だって、原発は安全だから。深刻な事故なんておこらないから。そう
    言って過疎地にボコボコを原発を建設して来たのだ。想定し、訓練
    することさえ原子力ムラは許さなかった。

    そして120億円もかけて開発したSPEEDも実際に原発事故が起きて
    も役立たずで終わった。何故、SPEEDの公表が遅れたのかの章が
    興味深い。

    結局は責任を取りたくない霞が関の責任の押し付け合いだったのか。
    それでツケを払うのは国民なんだよな。SPEEDの開発・維持費、
    返せよ。

    政治家も、東京電力も、お役所のグダグダ。そのなかにあって、まとも
    に機能していた自衛隊、消防、海上保安庁が脚光を浴びるのは当然
    だろうな。

    加えて、福島第一原発に吉田所長がいたこと。本店の広報なんて
    本当に酷いもの。あの危機の最中にテレビの報道がどうのこうの
    とやっている。阿呆か。

    本書の最終章でほんの少し触れられているが、福島第二原発も
    深刻な状況だった。しかし、第一に吉田所長がいたように第二には
    増田所長がいた。

    電源喪失はしたものの、電源車をかき集め、9mのケーブルを2~
    3時間の間に200人の人間とヘリを使って敷設している。

    ふむ。誰か第二原発についての調査報道をしてくれないだろうか。

    本書は登場する人物が多岐に渡っているので時々、誰がどこの
    所属なのか混乱する部分もあるが、福島第一原発事故の最悪の
    期間を綴った作品として貴重な資料となるんじゃないかな。

  • 良書である。自分の原発観を変えるほどの力があった。しかしこの事故を通して本当に日本は反省したのだろうか。

  • 著者はジャーナリストにして、福島原発事故独立検証委員会の調査を指揮した。この本はあの事故のドキュメンタリーでこの上巻は3月11日から15日までを記してある。この本を読んで強く感じるのは人間の行動は不確かだということだ。福島第一原発が津波により全交流電源を喪失し、東電・官僚・政府は必死で電源車の確保を行う。一日がかりで集めた60台は大渋滞の中なんとか福島に到着する(自衛隊や米軍のヘリでも重すぎて運べず)。ところが現地に集まった電源車はケーブルがない為使えず、再び全国から電源ケーブルを集め自衛隊のヘリで福島に運びようやく電源車につないだ。しかし、国の総力を挙げて一日半かけて手配した電源車は、現地の配電盤が水没し使えなくなっていた為に何の役にも立たなかったのである。まさに時間との勝負であったあの場面でそれだけの時間を空費したことは致命的であろう。また、2号機だったかに水を入れる機械が動かず、東電技術陣が半日全力で対応にあたったが、結局動かなかった原因はタンクに燃料が入っていなかった為であった。私はそのことを責めるつもりは全く無い。東大を出ていようが、人生経験が豊富だろうが、度重なる訓練を受けていようが、このような事態にはかくなるものである。そんな人類が原子力技術を安全に運営するなど100年早いのである。そのことを今回の事故は伝えているのだ。

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著者プロフィール

一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長。1944年北京生まれ。法学博士。東京大学教養学部卒業後、朝日新聞社入社。同社北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長等を経て、2007年から2010年12月まで朝日新聞社主筆。2011年9月に独立系シンクタンク「日本再建イニシアティブ」(RJIF)設立。福島第一原発事故を独自に検証する「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」を設立。『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)では大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

「2021年 『こども地政学 なぜ地政学が必要なのかがわかる本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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