アマン伝説 創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命

  • 文藝春秋 (2013年4月12日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784163762807

作品紹介・あらすじ

始まりはアジアに誕生した一軒のリゾートからでした。モダンデザインに卓越したホテピタリティ、四十室なのに高級ホテル並みの料金。ホテルの概念を一変したアマンリゾーツは瞬く間に世界中のセレブを魅了しました。

アマンを創業し、二十五年にわたって率いてきたエイドリアン・ゼッカは、公の場には姿を見せない謎の人物です。それゆえか、アマンにはある噂が囁かれてきました。曰く「アマンのルーツには日本の旅館がある」。

本書では、インドネシアの名家に生まれ、ジャーナリストからホテリエに転身し、伝説のホテル・リージェントの設立に参画し、さらにアマンを創業するまでのゼッカの軌跡を徹底取材。若き日のゼッカが一九五〇年代に日本に滞在し、そこで体験した「ライフスタイル」が、後のアマンのコンセプトに決定的な影響を与えたことを突き止めます。

著者の山口由美さんは二〇一二年に小学館ノンフィクション大賞を受賞した気鋭の作家で、本作が受賞第一作。取材はインドネシアからスリランカ、タイ、香港、シンガポールまで広範囲に及び、リゾートホテルの変遷を通じて、アジアの戦後史を捉え直す画期的なノンフィクション作品となりました。

おりしも、本邦初のアマン東京の開業が二〇一四年に予定されています。本書では、日本にアマンを誕生させようと画策した人々の知られざるドラマも描かれています。伝説のリゾートホテルの真実の姿が浮かび上がる、まさにタイムリーな作品です。

感想・レビュー・書評

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  • アジアのアマンに行く。絶対行く。
    美しい自然環境の中に身をおいて裸足で生活することこそ、新しい時代のラグジュアリー。しかし、上等のシャンパンやワインを飲み美味しい料理、必要な快適性の享受は譲歩しない。

  • どちらかと言えば、アジアンリゾートのキーマン、建築家ジェフリー・バワへの興味が先にあり、手掛けたアマンと、その創設者エイドリアン・ゼッカへ行き着いた一冊。 植民地時代の良き?主人として現地と接した経験
    を基とした、地元のリクルーティング力と採用者のモチベーションコントロール。 魅力ある土地を見出す感性。リゾート開発経営はアート領域である。

  • いつかは行きたいアマンリゾート、いくつかの系譜がからまり今のアマンを作り出したのだがその中の1つの大きな源流は三浦半島の油壷のはずれの誰も知らない別荘にあった。アマンの創業者エイドリアン・ゼッカはジャカルタでタイムに勤務している際にスカルノ大統領と子持ちの人妻だった第二夫人との結婚がイスラム法で認められていない時期だったと言うスクープを流し国外追放になった。ちなみに第三夫人がデヴィ夫人だ。ジャカルタの南プンチャック峠を越えた先にスカブミと言う小さな街がありそこがエイドリアンが生まれた土地で、何度か車で通ったことがあるが今でも馬車が走っているのどかな街だ。

    エイドリアンはその後東京勤務になる。そのころ活躍した写真家のホレイス・ブリストル(ジョン・スタインベックとともに雑誌ライフの記事としてカリフォルニア移民の取材をしこれが後に「怒りの葡萄」となる)もまた東京勤務をしており彼の別荘が三浦半島にあった。正面に富士山を挑み日本の木造造りなのにテーブルやいすなどはあか抜けている。(Horace Bristol Misaki Houseで検索すれば見つかる)油壷の別荘は東京で暮らす外国人記者達の隠れ家的な理想郷だった様だ。

    エイドリアンが住んだ麻布の家はホレイスの通訳をしていた後のライシャワー大使夫人、松方ハルの祖父松方正義の家でもあった。エイドリアンと日本、そして著者の山口由美を結びつける縁はまだある。エイドリアンの次兄アレンの妻、名倉延子と作家の曾野綾子が仲のいい友人であり、曽野と山口の母がいとこに当たる。この縁でアレンの娘を紹介してもらったこともエイドリアンへのインタビューがスムースにできた一因らしい。山口はまた日光金谷ホテル〜箱根富士屋ホテルにつながるホテリエの家系に生まれておりこちらでもゼッカ家とのつながりがあった。アレンと延子が留学したスタンフォードには金谷ホテルを継いだ金谷太郎も居り夫妻は太郎を覚えていた。太郎の祖父金谷眞一の弟山口正造が婿入りして継いだのが日本最古の富士屋ホテルで山口の祖父の義兄が正造という関係で偶然とは言え著者もアマンの物語につながっていたようだ。その山口正三は1928年に「南洋旅記」を残しておりスカブミを訪問している。そこに書かれている日本人散髪屋のことはゼッカ兄弟も覚えていた。エイドリアンはこの話に感じ入り何度もアメイジングとつぶやいたという。

    エイドリアンとホテル業界との関わりは香港で出版業をしている時にマリオットのアドバイザーとなったのが走りで、次にザ・リージェントに出資しファイナンスを担当しここからホテル業界へと踏み出していく。しかしあくまで実業家、デヴェロッパーとしてでありホテルの運営よりも作るまでに情熱を注いでいる。沖縄のリゾート誘致に関しては自ら海に入り、流れが速いとか景色に入ってくる鉄橋が気に入らないとか場所に対するこだわりは妥協がなく、油壷の別荘の再現を求めて居心地の良い空間を、できれば安く手に入れると言うのがスタイルだ。アマングループの最初のホテル、プーケットのアマンプリも最初はエイドリアンの別荘候補地から始まっていた。また現地従業員のワン・トゥ・ワンのサービスなど植民地の別荘とプンバントウ(お手伝い)の関係を思わせる。ひたすらゲストに尽くすアマンのスタイルでは基本的にノーという返事はない。日本の旅館のおもてなしの文化の影響があると言う説もあるが日本の旅館に訪れたのはもっと後のことの様だ。

    ザ・リージェントはハワイの老舗ヒルトングループのザ・カハラとハレクラニを手がけた天才的なホテリエ、ロバート・バーンズと東急の五島昇との出会いから始まった。五島はバーンズを日本の旅行に誘い日本びいきにさせた。あるときバーンズは世界で最も素晴らしいホテルは教徒の旅館「俵屋」だと答えている。俵屋には後にエイドリアンも止まり京都に旅館テイストのアマンリゾートを作ると言う計画は発表後中断しているがエイドリアンは諦めていない様だ。場所は金閣寺の北、左大文字の麓のあたりらしい。日本へのスカウトは断わったバーンズだったが香港でのプロジェクトには乗った。これがザ・リージェント誕生でアジアンリゾートはここからスタートした。五島がザ・リージェントから手を引いたときにエイドリアンが出資している。

    アマンのもう一つの系譜はバリの別荘にある。世界初の熱帯ブティックリゾート、タンジュンサリの創業者ウィヤ・ウォルントゥがバリ島のサヌールでこれまたウィヤの個人用の別荘として建てたタンジュンサリに続き現在もバリの最高級の別荘地としてバトゥジンガを開発する際に呼んだ建築家がスリランカ出身の建築家ジェフリー・バワやオーストラリア人のピーター・ミュラー(アマンダリを設計)で後のアマンリゾートのデザイナーだ。バワ自身はアマンの設計はしていないがアマンダリに採用されたインフィニティプールー水面とプールの周囲の高さを揃え景色の一部とする手法で最新作はシンガポールのマリーナ・ベイサンズの屋上プールに受け継がれているーを生み後のアマンの設計者はビヨンド・バワと呼ばれ影響を大きく受けている。ウィヤはアレンの同級生でもありこの辺りのホテル人脈は濃く絡み合っている。

    日本とアマンリゾートとの関係も深い。東急だけでなく破綻したイ・アイ・イやアーバンリゾートなど複数でつながっている。しかし今年開業予定のAman Tokyo(大手町)はこれまでのアマンリゾートとは少し様子が違う。アマンリゾートの開発コンセプトにはニューデリーの例を除けば都心の一等地はない。それもインドの他のアマンの玄関口との扱いだった。Aman Tokyo単独ではグループの開発思想にあってないのだ。2015年に京都のアマン旅館が開業すると言う噂や、苫小牧に新しいプロジェクトの話もあるのでそちらに期待だが都心で他のホテルとの差別化は難しい様な気もする。またこれまでに流れたプロジェクトとしては、熱海の伊豆山にある星野リゾートの界 熱海の少し山側(なんだかものすごくよく知ってる場所なのだが)や岡山の鬼の城ゴルフクラブ付随のホテル、そして千葉夷隅の崖に立つホテルなどもある。大手町には泊まる気がしないがオリンピック前に日本各地にアマンリゾートができればそれもいいだろう。

    この本にでてくるホテルはどれも魅力的だけど時間も金もないよなあ。それでもどれか行くとしたらインドネシア、ロンボクとフローレスの間のモヨ島のアマンワナ、1泊1000ドルほどのテントハウスで周りはジャングルと海。いいなぁ。

    フィリピンのアマンプロ開業をアマンジャンキーと呼ばれるリピーターへ知らせるダイレクトメールも見事だ。
    「もう四週間で、このビーチでおくつろぎいただけます」写真は見事なまでの白砂のビーチ。
    「あと三週間後には、この海で泳いでいただけます」白と赤の珊瑚がまじったピンクの砂浜。
    「あと二週間後には、この部屋で皆様におくつろぎいただけます」コテージの部屋。
    「あと一週間で、このハンモックを皆さまにお楽しみいただけます」浜辺のマングローブにハンモック。
    「オープンします」居室内からの写真、真っ白な砂浜とすぐそこにある青いラグーン。
    場所も値段もそれ以外の情報は一切なし。わくわくするじゃないか。

  • おもしろそうと思って手に取ったものの、著者の「あたしこの人と知り合い!」「あたしの親戚有名なのー」的な自慢が入り、だんだん「で?」とイライラしてきた。単なる「私調べました。その中でこんな有名人と会いました」を並べた本。このタイトルを見て読む側にとってみれば、著者が何をしてどんな人かは興味がない。

  • 興味深いテーマなのだが、内容が実に残念。表題を「私とアマン」に変更することをお薦めしたい。

  • アマンの創業者エイドリアン・ゼッカの生い立ちやアマン誕生の秘話などが語られている。ゼッカの親族も含めた生い立ちなどはあまり関心がなかったのに加えて、やや構成が散らかっており頭に入りにくかったので飛ばし気味。お客様の記憶に残るサービス、期待感を高めるマーケティング手法、ラグジュアリーの考え方などが参考になった。以下興味深いエピソード、フレーズだけ。

    ・アマンプリの宿泊予約をすると1カ月前から毎週絵葉書が届く。ビーチの写真と共にあと4週間でこのビーチでくつろげます、など旅の期待感を高める内容でマーケティングの妙が光る。
    ・1to1のサービス。いかなるゲストに対してもNOと言わず、ゲストがビーチで食事したいといえばテーブルを用意する。だが何でもかんでも顧客の言いなりになるというわけではない。気づきや目を覚まさせるようなサービスを心がける。顧客が海の見えるところでご飯が食べたいといえば、島民だからこそ知っている場所を紹介する。
    ・人がいらないという土地を探してリゾートにする。ゼッカ自らが地元の島民をリクルートしていた。島民はとにかく笑顔のいい奴を採用し、相場の5-10倍出す。アマンで働くことが名誉になるような仕掛けを作りモチベーションを高める。
    ・ある利用客が髪が切りたいというが、小さな島なので床屋はない。スタッフの髪を切っていた青年に切ってもらったが、彼は普段ルームサービスだがいつかメインダイニングのサービスをしたいと語っていた。最終日にダイニングでディナーを楽しんでいると、緊張で手が震えながらメインのロブスターを運ぶ青年が現れたのでその利用客は感動したという。恐らくその利用客はその青年を応援したいと思い、アマンに通い詰めただろう。
    ・ワイルドラグジュアリー(美しい自然環境の中で裸足で生活することこそ、新しいラグジュアリーという考え方。しかし美味しい料理やシャンパンを楽しむことは妥協しない)の走りは、ソネバフシというリゾート。後にシックスセンシズというホテルブランドに。

  • エイドリアン・ゼッカは、公の場には姿を見せない謎の人物。どういう人なのか知りたくて読んだ。

    キャリアは記者から。日本の旅館を愛し、三浦半島を愛したのか。

  • 2度チャレンジしたが途中で疲れてしまった…
    全体で読んでもなにを言おうとしてるのか
    よく分からなかった…

  • 誰も思いついたことのない遊びを考えつく人はやっぱりぶっ飛んだ育ちしてんな〜貴族〜って感じです。

  • 読書は格闘技から

  • 【リゾート革命を起こした男の足跡を徹底取材】世界中のセレブを虜にするアマンリゾーツのルーツは日本にあった!? 創業者ゼッカの軌跡を辿りアジアンリゾート誕生の秘密に迫る。

  • アマンリゾートの創業者エイドリアン ゼッカのリゾートに対する熱意、生い立ち、日本との関わりについてノンフィクションとしてまとめたもの。ドラマとしてはファイナンスから人間関係、親戚まで広げて過ぎな感はある。
    若い頃日本で遊んでいて、油壺の別荘での甘い体験、旅館のもてなしがアマンリゾートの原点とする説を展開する。
    アマンリゾートは立地が命、海とインフィニティプール。バンヤンツリーは、場所は悪いが部屋付きプライベートプールとスパで勝負。この辺は面白い。

  • GWにアマンジオでハマったあとに、読んだのでまた思いを馳せてしまいました。エイドリアン・ゼッカ氏が元気なうちに是非京都のアマンニワのプロジェクトを実現して欲しいです。読み終わったらまたアマンリゾーツに行きたくなっちゃいました。

  • アマンダリに代表される、アジア文化とスモールラグジュアリーホテルの源流であるアマングループにまつわる歴史や文化などのエピソードに満ち溢れたアジアンリゾートの成り立ちを楽しめる内容。

    アマングループのルーツであり、創業者オーナーは、オランダ人や中国人の混血である、インドネシア出身の創業者エイドリアン・ゼッカ氏。植民地における、欧米人のアジアンステイの桃源郷を忠実に再現したかのような、数々のアマングループのリゾートは、彼なくしては、成立し得なかったコンセプトであろう。

    リゾートの生業に興味のある方には必読の書ではと思います。

  • 「アマンにいつか行きたいなー」というところから買ってみたのですが、うーん・・・・   確かに日本人がどのように関わってたのか?とか「あっ、そうなんだ」って気付きは多いのですが、ホントに悪くいうとそれだけ・・・ ビジネス書ってよりも本当に「伝説」を語って想像しているって感じ。。 
    取材量も半端ないと思うし、そういう意味ですごいな・・と思いますが、山崎豊子さんのような面白いわけではない。※まあもちろん小説ではないのでですがwww

    あと、やっぱりセレブな人ですよねwwww

  • 少ない部屋数でゆったりとした空間とゆき届いたサービス、プーケットやバリに代表されるアジアンリゾートの創始者ゼッカ氏のリゾートビジネスへの視点や戦略などがわかる。アジアンリゾートは異国なのに親近感を覚えるのは、そのサービス哲学が日本の名門旅館と共通なものが多いという。なるほど。

  • 創業者もあまりマスコミに出ずあえてミステリアスにしている。やはりプライバシーのない有名人客が多い

  • 長年、アマンに憧れ、この本にも登場するアマンから派生したリゾートには何カ所か行ってみた。(アマンには行けてないのだが)。同じデザイナであったり、実はゼッカの息がかかっているとは知らなかったところもあるが、目指すものはつねにこじんまりしたホスピタリティあふれる場所で、ある意味、アマンを目指していた。この本が出版されたのはHONZで知っていて、欲しいものリストにはいれていたのだが、すぐに、日経、朝日の書評に取り上げられることになる。朝日の書評(隈研吾)と日経のものではずいぶんトーンが違うのだが、まさにこの本は、読む人によって評価の分かれる所だとおもう。この本をオーダーする前は、この本にも取り上げられているクレアトラベラーな感じかと思ったが、さにあらず。先祖の生い立ちから、日本との、著者との関わり、日本のバブルとの関わり、実現されていない日本でのアマンまで、詳細に書物にあたり、インタビューしている。アマンを、東南アジアリゾートを考える人には、きっと喜んでいただけると思うが、夏休みにどこにいこうかとか単純に考えている人には重い一冊。

  • 富に憧れるものは良いホテルに憧れ、富を得たものはいいホテルの顧客となり、さらにホテルそのものさえも掌中に収めたがる。
    ホテル事業は土地、建築家、従業員、ファイナンス、資本の論理の家集である。植民地の論理。
    アマンには日本の智慧が入ったのであろうか。

  • アマン自体の歴史だけでなく、その前史としてアジアン・リゾートがどのように生まれたのかということにも詳しく触れられている。

    アジアン・リゾートが、アジアという地域の文化・気候風土だけでなく、植民地時代から続くヨーロッパ人の流入によって深い人的交流があったことも大きな要因であるということがとても興味深かった。

    アマンについては、創業者のゼッカ氏をホテリエというよりビジネスマンと評している点や、アマンのコンセプトと日本の旅館とのつながりを過度に強調していないといった点は、一般的にいわれているイメージとは異なった捉え方のように思い印象に残った。

    ただ、アマンはこの本を読んでもまだミステリアスなことが多い。アマン伝説がこの本で解明されるというより、この本も1つのアマン伝説のように感じられるところがアマンのすごさなのかもしれない。

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著者プロフィール

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶応義塾大学法学部法律学科卒。旅とホテルを主なテーマにノンフィクション、紀行、エッセイ、評論など幅広い分野で執筆している。2012年『ユージン・スミス 水俣に捧げた写真家の100日』で小学館ノンフィクション大賞受賞。著書に『箱根富士屋ホテル物語』(小学館文庫)『帝国ホテル・ライト館の謎』(集英社新書)『百年に品格 クラッシックホテルの歩き方』(新潮社)など多数。富士屋ホテル創業者・山口仙之助は曾祖父にあたる。

「2019年 『考える旅人 世界のホテルをめぐって』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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