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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784163763002
作品紹介・あらすじ
「あなたの病気に医療は何もできません」。44歳の妻が告げられた病気は、脊髄小脳変性症。小脳の委縮により歩行困難や言語障害を引き起こし、一般的に5年以内に歩けなくなり、いずれは死に至る。根本的な治療法は見つかっていない。映画やドラマにもなった『1リットルの涙』の木藤亜矢さんと同じ病気である(木藤さんは15歳で発病し、25歳で死亡)。 妻の発症当時、47歳の夫(著者)は、不規則な毎日を送る新聞記者、しかも単身赴任中だった。自宅に戻り、仕事と両立させながら、介護と慣れない家事に取り組む日々が始まった。だが反抗期まっ盛りの二人の娘は、突然の母親の病気に動揺し、生活は荒れていく。そんな家庭を必死に守らなければならない父親として、著者ははじめて他人のことではなく、自分自身の家庭について新聞記事に書くことを決意した。書くことで、自分自身と家族の気持ちを奮い立たせたい。〈そうだ。これは闘いなのだ〉〈災害や疾病と隣り合わせの生。いつ悲惨に見舞われるか分からないが、倒れても希望はある〉 東日本大震災を挟みながら、2000日に及んだ闘病生活をあまさず綴った「魂の記録」。毎日新聞連載中から大きな話題を呼んだ手記は、難病に苦しむ患者とその家族ばかりでなく、すべての父親・母親に大きな感動を呼び起こさずにはおれないだろう。
みんなの感想まとめ
テーマは、難病を抱える妻と思春期の娘たちとの向き合いを通じて、家族の絆や父親としての奮闘を描いた感動的な手記です。著者は新聞記者として働きながら、妻の脊髄小脳変性症という厳しい現実に直面し、日々の生活...
感想・レビュー・書評
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☆毎日新聞記者が綴る妻の病気のこと
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【よしもとばななさん推薦! 魂の記録】働き盛りの新聞記者が、妻の難病と思春期の二人の娘に向き合った激動の日々を綴る。毎日新聞連載中から話題を呼んだ感動の手記。
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『難病カルテ』の参考文献リストにあがっていた中で読んでみたいと思った本が図書館にあったので、早速借りてきて読んでみる。著者の妻・サーちゃんは、40代半ばで自身の異変を察知した。新聞記者である夫が、妻の病気、その介護と、思春期の娘たちのことを書いた。
もとは、毎日新聞の福岡都市圏版などに連載されたものが、加筆されて本になっている。闘病記の類は自費出版されるものも多く、正直なところ読むに堪えないことがある。著者が新聞記者で、もとが新聞連載なのだからあたりまえといえばそうだが、読む人を意識した文章で、そこが個人的なことを書きながらも読んだ人に通じるものになっていると思った。
著者の妻・サーちゃんは脊髄小脳変性症と診断された。著者も引いているが、『1リットルの涙』の木藤亜也さんも同じ病気だった。私の母も同病で、それだけに、身体の異変に気づいたサーちゃんが、否応なく進行していく病気によって暮らしを変えていかざるをえない状況は、母もこんなふうに感じていたのかもしれへんなーと思いながら読んだ。
母が発症したとき、私は近所とはいえ既に実家を出ていて、もう車椅子になっていた母が死ぬまでの2年は広島の職場にいた。妹のひとりも私に続いて実家を出て、いちばん長く実家にいたもうひとりの妹も母が死ぬ前には出ていた。だから、病気がだんだん進行していき、「できないこと」が増えていった母と、最後まで一緒に暮らしていたのは父だった。
父の介護疲れを重々感じて、介護休暇を取ることを具体的に考えようとしていた矢先に、母は急死した。父が介護日誌のようなものをつけていたことは、母が死んだあとに聞いた。父は読んでもいいというが、私はまだ読んだことがない。著者はこの本を書くにあたって、妻の具合が悪くなってからつけはじめた日記が役立ったという。私は、読んだことのない父の日誌はこんなふうかもしれへんと想像しながら読んだ。
サーちゃんは病気で弱気になり、何度言っても聞かないムスメたちの生活態度にいらいらし、自分がいくら教えても要領の悪い夫の家事に大きな声が出てしまう。そういうのが積もり積もった頃、サーちゃんの呪文のような言葉が止まらなくなる。ためこんだ黒々としたものを胸の内から吐きだす「ダムの放水」である。
著者自身も年に二、三回、大泣きして目が覚めるという「ダムの放水」があった。嗚咽を抑えつつ、妻やムスメに知られないよう、布団をかんで泣いた、と書く。「泣くだけ泣くと、放水完了。その後は憑き物が落ちたように熟睡するのである。」(p.38)
著者のふたりの娘は、疾風怒濤の年ごろの中学生と高校生。40代半ばで難病にかかった母親と、その介護と仕事に苦労する父親は、家庭を切り盛りするために10代半ばのふたりをやはり「頼る」。頼られる張り合いも少しはあっただろうと思うけれど、それでも重かっただろうし、「なんでうちはこんな…」と考えることもあっただろうと思う。
著者が、ムスメたちについての愚痴を、手伝ってくれないいらだちのあまり洗濯かごを蹴とばして穴を開けた経緯を、70代の第三者に聞いてもらったとき、その人は大変だなと同情するのではなく、こう言ったという。
▼「娘さんたちは相当悩んでいるようだ。お母さんの体が動かなくなることが、現実として受け止められないんだよ。だれかを追及したり、怒ったり、恨んだりできない。不条理に向き合うしかない。携帯電話やゲームに走るのは、一時的にでも、つらい状況を忘れていたれるからではないのか。娘として、女同士としての悩み悲しみは、男の理解を超えるかもしれない」(p.73)
これを聞いた著者は、ムスメたちも苦しんでいることを薄々知りながら、頭ごなしに声を張り上げてきた自分を振り返っている。母が具合が悪いと言いだした頃、それから病気が進むなかで、私はどんなことを思っていたかなーと考えてみるが、あまりよく思い出せない。
おぼえているのは、医学部の図書館で母の病気が載っている本をいくつも見て、たぶん母に長命はのぞめないのだと思ったこと。いつだったか、診察についていったのか或いはその後の話を聞いたのか、医者が「この病気では死にません」と言ったというのもおぼえている。誤嚥による肺炎のような感染症が命取りだと医者は言うのだった。
サーちゃんの病状やら医者の発言を読んでいて、そんなこともあるのかと思ったのは「追いかけられる夢」の話。サーちゃんは主治医から「追いかけられる夢を見ることはありませんか」と以前から聞かれていて、実際サーちゃんはそういう夢を見るようになった。
月に一度の診察時に主治医にそのことを尋ねると、医師は「この病気の場合、追いかけられる夢を見る人が多いのですよ。脳のサーキット(回路)機能が落ちている」(p.149)と言ったそうだ。
▼サーちゃんに聞いてみると、追いかけられる、といっても状況はその都度違う。しかし、追いかけられたことだけは、現実体験であったかのように生々しく覚えている。(p.149)
医師によると、健康な人は夢を見るとき体を動かさないし、言葉を発しないのだが、脊髄小脳変性症の患者の場合、盛んに寝言を発することが多く、寝床をごろごろ転がる人もいるのだという。
サーちゃんが介護タクシーのお迎えでリハビリへ通うあいだ、そのしばしの時間について著者が感慨を書いているところは強く印象に残った。こんなふうに思いながら、在宅で家族をみている人はきっとたくさんいるのだ。
▼目を離すことのできない妻から一時的にでも離れるのは、煮詰まった頭の中をジャブジャブ水洗いし、脳のひだを天日に干すような爽快さがあるのだった。毎週のリハビリがなかったら、私も疲弊して、生活のリズムは崩れたであろう。(p.172)
母はどうだったかと思い、父はどうだったかと思い、そして自分は、妹はどうだったかと思い出してみる、私にはそんな本だった。本文の最後のページ、主治医の診察日の風景を描いたところが、とてもよかった。治らない、医療が何もできないという病気に、医者が何をできるのかの一つの例だろうと思う。
(6/14了)
*著者は米本さんだが、奥付にあるコピーライト表記は「毎日新聞社」で、そこがちょっとフシギだった。『難病カルテ』のコピーライトは著者の「蒔田備憲」さんだったと思うのだが、同じように新聞連載を本にしても、なにか違うのだろうか。 -
著者 米本浩二さん1961年生まれ 毎日新聞の記者
著者の妻 米元佐恵香さん1963年生まれ 2008年1月に症状が出て2009年6月に医師から脊髄小脳変性症と確定診断される。脊髄小脳変性症は特定疾患として認められている難病で発症原因や治療法はまだ見つかっていない。小脳が委縮し運動機能低下、筋力低下、歩行困難、言語障害・・・
佐恵香さんは病の進行を少しでも遅らせる為に不自由な足で歩く。健常者にとって日常のなにげない家事も気力と僅かな体力で時間をかけてこなす。辛くても投げ出さない強さ。 この状況下での当人の辛さや内に秘めた感情は本を読んでも理解できるはずが無い。
それにしても強い。
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