太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで (上)

  • 文藝春秋 (2013年6月14日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (392ページ) / ISBN・EAN: 9784163764207

作品紹介・あらすじ

山本五十六は言った。

「あれで、真珠湾をやれないかな」



戦争の勝敗は、

戦艦を中心とする艦隊が一気に敵を殲滅する海戦で決する 。

古今東西の海戦を研究したアナポリスの教官が書いた一冊の本が

日米両海軍の理論的支柱となった。

ところが、日本海軍に生まれた一人の異端児が、

その教義に根本的な疑問を抱き

空母の艦隊による航空一斉攻撃という革命的手法を発案する



米主要紙絶賛、米国の若き海軍史家が描く

「日本が戦争に勝っていた一八〇日間」

感想・レビュー・書評

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  • 2023.10.20 社内読書部で紹介を受ける。アメリカ目線の太平洋戦争。

  • 図書館で借りた。三部作に及ぶ本シリーズを一言で言えば「米国人から見た太平洋戦争」である。第一部の上巻である本書では「真珠湾攻撃」から「マーシャル・ギルバート諸島機動空襲」までが語られる。日本側の書籍ではなかなか語られない真珠湾攻撃後の米英間であった外交交渉や米国側の戦闘被害の実態なども詳しく語られていて、非常に興味深かった。下巻以降の展開も楽しみである。なお、一部で酷評の多かった訳文についてだが、特に読みづらさなどは感じなかった。

  • 日米両軍の視点で太平洋戦争の最初の半年を描く。両軍の提督、政治家の考えや決断が比較できて興味深い。そして両軍ともグダグダだったんだなと分かる。やはり戦争はまともには推移しない。
    それにしても、こうした戦闘は二度と行われないのだろうなぁ。広い海原で相手を探しながら戦うなんて、現在の軍事技術からすれば想像もできない。でも実際にそうなったら、どんな展開になるのかね。まずは衛星を落とし合うのかな。それとも衛星が使えなくなるのも織り込み済みの技術があるんだろうか。

  • 真珠湾攻撃直後のアメリカの周章狼狽ぶり。本土まで日本軍の攻撃に怯え,果てはミシシッピ川が防衛線という噂まであらわれた。実際、スパイに対する警戒は結構なものであった。

    真珠湾の惨状についての生々しい証言。日本が第三波の攻撃をおこなわなかったことについても

    万世一系の云々とか,あらためて外人の目を通してみるとなんともオカルト的なノリである。なぜかアーリア人至上主義のヒトラーとの相性が良いのも、現代のAlt-right的な人々同士の親和性を考えると合点がいく。

    日本の海軍航空隊は日中戦争で大きな戦果を挙げたが、マハン・ドクトリンからの転換までは果たせなかった。情報統制下での大和・武蔵の建造。

    太平洋艦隊司令官着任によりハワイ赴任を前にして、金曜日の午前は娘の学校のクリスマスを見に行くニミッツ。西への旅は休息を取るために鉄道で、安全のため偽名を使っていた。

    <blockquote>あのタンクは50口径の焼夷機銃弾で機銃掃射すれば破壊できただろう。・・・もしわれわれの燃料油の貯蔵が破壊されていたら、ヨーロッパ全体で燃料とガソリンがひどく不足していたことを考えれば、その貯蔵を回復するのに何年もかかっただろうし、われわれの太平洋の戦いもそれに応じて延期することになったことだろう ー ニミッツ 真珠湾の損害を確認して</blockquote>

    日本軍はアメリカの速力の遅い戦艦を沈めることにより、アメリカ艦隊を17ノット艦隊から25ノット艦隊に変えた。アメリカ海軍上層部は航空部隊と潜水艦の優勢を認めざるを得なかったが、威風堂々たる戦艦群が無傷だった日本海軍では同様の適応が遅れた。

    キング提督の戦時中の政策は、参謀と海上勤務でたえまなく将校を入れ替えることだった。こうして行き渡った経験と視点が海軍全体の能力を向上させるとした。
    →ローテーション制度でも同じですな。現場と中央の行き来

    真珠湾攻撃によりアメリカが対日戦に参戦したことはチャーチルを喜ばせたが、両国の間では太平洋とヨーロッパとのあいだでの資源分配や、統合指揮の問題などせめぎ合いがあった。ローズヴェルトとチャーチルの個人的信頼関係もあり真の連合国を作り上げたが、これは最後まで名目的な同盟に過ぎなかった枢軸国と好対照だった。

    真珠湾以前は米軍艦の内部はペンキで塗られていたが燃えやすいことが判明。スクレーパーで塗装を剥がしていった。

    ハルゼーのマーシャル諸島攻撃はささやかな戦術的勝利だったが、それ以上に貴重な実戦経験を米機動部隊にもたらした。高速航行中の陣形維持、航行中の燃料補給、空母上空の戦闘機を管制するレーダーや通信などなど改善点が洗い出された。

    ハルゼーの空襲は日本海軍に東京の脆弱性を意識させた。宇垣は東京への空襲があることをその時点で正しく予期していた。

  • 『太平洋の試練

  • 米国側から見た太平洋戦争海戦史。ニミッツやハルゼーがどう動いたかなど、ある程度戦史を知ってるとなるほどと面白い。米国戦史だけど、様々な評価が日本側のものと大差無いのをみると、何だかんだで戦史というのは冷徹な評価がなされているのだなと感心する次第。

  • 内容はともかく、訳しました候! な日本語でつらい。もう少し自然な言い回しにならんかな…。

  • 【日本がアメリカに戦争で勝っていた六カ月】日本は戦争に勝っていた。アメリカの戦艦をほとんど沈め英国の主要艦も撃沈。連合軍は壊滅状態だった。日米海軍から見た最初の半年。

  • 日本軍部隊の正確な位置がわかっていなかったのは事実だが、先頭ではかけにでることがしばしば必要であり、「敵があらゆる方向に優勢な兵力をもっているということはありえない」

    「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」

    聯合艦隊司令長官は戦争最初の一手を決断したが、もっと懸命な道はそもそも戦わないことであるという信念は変わらなかった。

    ローズヴェルトのことを公表している”かれが全国民をこれほど完璧に代表していたことは二度となかったと思う”

  • 米国は戦艦を失い、そして空母だけが残った。

  • 太平洋戦争の内容をあまり知らない人にはとてもいい資料になります。
    また、米国側から見た太平洋戦争がどういうものであったかに興味がある人も楽しめるでしょう。
    内容的には、日米に公平な形で事実を記述する、というスタンスで書かれているように感じました。

  • 上下巻とも読み終わっての感想。
    真珠湾攻撃の日本軍には日本のよいところがてんこ盛りだったけど、ミッドウェー海戦ではアメリカ軍のよいところがてんこ盛りだったということがよくわかった。

    ゼロ戦はほんとうによい戦闘機だったし、乗っていた人たちも優秀だったということは日本人としてうれしい。

    第2次大戦でとことん負けた日本はそれから一度も戦争をしていない(戦争をしてもよい権利?がない)けれど、勝ったアメリカはそのあとも戦争を続けていて、しかもあまり華々しい結果になっていないで国が疲弊していったことを考えると、戦争ってどっちにしても、膨大な浪費だとつくづく思いました。

  • アメリカ側から見た太平洋戦争。真珠湾からミッドウェイまで。
    太平洋戦争の最初の6ヶ月は、アメリカにとって試練の連続だった。真珠湾攻撃で太平洋艦隊は痛手を受け、その後は質、量共に劣る航空戦力で日本軍と対峙していくことになる。この本ではミッドウェイまでの日米の戦歴と、それに関わる人達を中心に、この戦争がどのようなものであったのかを考察している。
    日本人の戦記ものでは、何故日本軍は真珠湾で勝ち、ミッドウェーで負けたのかを後の情報に基いて、大所高所的な視点で戦略や戦術を考察するものが多いが、この本ではもう少し視点を下げて、日米の指揮官や兵士など個々の当事者の観点で書かれている。
    例えばミッドウェーの航空艦隊の指揮官・南雲中将の戦術は、後の人達から厳しく批判されたが、彼は彼なりに過去の教訓を基に行動しており、決して責められるような指揮官ではなかったと言う。戦場では無線の使用は控えなくてはならず、判断に必要な正確な情報を入手するのは難しかった。作戦遂行にあたり集めた数少ない情報に基いて慎重に行動しており、彼の判断は間違っていなかった。むしろ大きな戦力を投入しながら、その戦力を拡散させたために、リカバリーできなかった山本元帥の戦略に問題があり、ミッドウェイは状況や運が米軍に有利に働いただけというのが、著者の見解である。
    また何度も書かれているのは、両軍の兵士の状態。指揮官の健康状態、兵士達の疲労や精神的なプレッシャーなど、単に軍事的な面からこの戦争を語るのではなく、戦場の生の姿や現場で戦う兵士の視点で書かれているのも興味深かった。
    戦争は武器や戦力だけで決まるものではなく、知力の戦いでもある。真珠湾は戦術で日本が圧倒したが、ミッドウェイでは情報戦でアメリカが圧倒した。その流れがそのまま後の戦いに繫がっていく。この本では、アメリカの観点から双方の状況を分析していて興味深く、大変読み応えがあった。今年刊行予定の続編にも期待したいと思います。

  • 太平洋戦争を「日本が」勝っていた期間 ー実質的にはミッドウェーまでの会戦半年までー を米国側から見たノンフィクション。上は米国がほとんど負けっぱなしであったマーシャル諸島戦までが描かれている。

    前編だけで300ページを超える話なのだが、テンポの良いかきっぷりであっという間に話が進んで行く(たぶんこれは翻訳が良いということもあるのだろう)。筆者は太平洋戦争前から筆を起こすのだが、その部分で昭和天皇について記述があるのが、日本人にはややドキッとする場面かもしれない。

    自分にとって新鮮だったのは、真珠湾奇襲の詳細な記述の部分。太平洋戦争に関する話というのは、「失敗の本質」のような分析モノか、敗色濃厚後の日本側の話を読むのが普通だったので、奇襲がどのように進んでいったか・・というのを読むのは始めてだった。ああ、あたり前だったが戦争だったんだな・・と思わずにはいられない。

    前編はまだ「起承転結」でいうところの、「承」までで、物語は後編にむけて静かにうねりだすところで終了する。

  • 艦これの影響で零戦などの軍事モノを読んだが、本書は真珠湾からミッドウェーという日本軍が快進撃を続けていた時期を、その時、苦しい立場だった米軍見線で書かれている点がユニーク。

    真珠湾攻撃のとき、日本目線だと零戦が大活躍してスゴイって感じたけど、これがアメリカ目線だと戦闘後の後始末で死体はゴロゴロしてるし、湾内の海は重油まみれだし、悪臭が何週間も続いたりと地獄絵図そのもの。日本も後半は負け戦でずーと地獄絵図だったけど、世の東西を問わずやっぱり戦争は悲惨だなーと実感。

  • アメリカ側の視点で書かれた本だが、「アメリカが負け犬」だった期間の戦いについてなのが、珍しい。
    アメリカ側の将校の性格などが詳述されているのも目新しかった。
    日本側についても詳しく、堀越二郎の名前もちらりと出たり、試験飛行の戦闘機を牛で引いていった記述もある。
    アメリカ側が石油を断って、日本が戦争せざるを得ない状況に陥れたことについては、日本の被害妄想である的な書かれ方をしている。



    珠湾攻撃を受けたときのキンメル提督は名前は知っていても、どんな性格である等知らなかった。
    太平洋艦隊司令長官キンメル大将
    キンメルから交代した司令長官ニミッツ(抑制がきいておだやか。部下を怒鳴らない)
    合衆国司令長官兼海軍作戦部長キング提督(ローズヴェルトの信頼を受け、彼の軍事的決断に必ずといっていいほど助言を求められた。気難し屋で癇癪持ち。有能だけど、部下が自分についてこられないと言って咎める。大酒飲みの女好きギャンブル好き。米英の海軍を束ねる立場にを作るべきだと主張したマーシャルを支持)
    ローズヴェルト(汚名の日、の演説を自分で書いたそうな)
    チャーチル(丸ぽちゃで禿頭。朝寝坊で宵っ張りで、大酒飲み。演説の名手。真珠湾攻撃後、ローズヴェルトを籠絡するために、結果的にホワイトハウスに三週間近く滞在。米国の戦力を日米戦に集中させず、欧州優先を確認するため)
    山本五十六(長門が乗艦。海外をあちこち訪問したので、アメリカと戦ったら日本が負けるのはわかっていた。だから、戦争を止めたかったけれど出来ず、それならと短期決戦を望んだ。ギャンブル好きで、母性本能を刺激して女にもてた。女房は丈夫な女だから結婚したというくらいで家にはあまり帰らず、営業時間外の芸者屋で昼寝した。芸者たちは彼の靴下をつくろったり、下着を洗濯するなど尽くした)
    彼らの振る舞いについても詳しい。


    p10
    産業革命が、19世紀後半の50年間で、海戦のハードウェアとテクノロジーを完全に作り変えたことに言及。

     タービン機関は性能不足のレシプロ機関に取って代わり、燃料油が石炭に取って代わることになる。方位盤(射撃指揮装置)のおかげで一人の人間が艦のすべての砲を一つの標的に向けられるようになる。

    →燃料油が石炭に……燃料油って、石油とか重油だよね。鯨油じゃないよね。
    →一人の人間が……以前の話は、伝令が艦の砲台端から砲台端へ走ったのか、間間の将校が叫んでいたのか、伝声管なのか。
    適当な例が浮かばないのでアニメだけれど、「LAST EXILE」で、艦の砲門やら射撃手の銃砲が順々に向きを変えるのは統制が取れていてとても美しく見えた。あれは、間間で命令が復唱されて伝わったからこその動きなんだろうか。
    (ところで、向きを変える際に「雪崩を打って」、美しく見えたことを「総毛立ち」と書いて、急ぎ辞書を引いた。「雪崩を打つ」のは人間の動きであり、「総毛立つ」は身の毛もよだつ、だったので修正。後者は鳥肌が立つの現代用法と同じだった。まあ、過渡期)

    p145
    1875 北海道の千島列島を吸収
    1876 南の小笠原諸島を吸収
    1879 沖縄を含む琉球諸島を吸収
    1894~95 清と戦い、勝つ
    1904~05 ロシアと戦って勝つ(が、ギリギリで勝った日本には余力乏しく賠償もあまり取れなかったのに、国民はそんなこと知らずに怒った)
    1910 台湾を併合。朝鮮半島の支配権
    第一次世界大戦で連合国側につき、ミクロネシアの旧ドイツ植民地を与えられた。カロリン諸島、マーシャル諸島、マリアナ諸島
    1925 日本の治安維持法成立
    1929 田中義一将軍が軍を抑えられないことに激高した裕仁天皇の支持で、浜口雄幸首相に。
    1930 浜口雄幸、暗殺さる
    1930 ロンドン軍縮会議 五:五:三の戦艦総トン数の上限を決められる(日本が米英の60%)
    1931 柳条湖事件。満鉄の線路爆破。これが満州事変につながる。
    1931 日本の関東軍が「満州事変」 奉天を占領。
     ここらから軍部暴走
    1932 海軍士団、76歳の犬養毅首相の自宅に押し入り、射殺。(五・一五事件)
     首相などの閣僚が、国会からではなく、軍部や宮廷貴族の中から選出されるようになる
     日本は人口が過密になっていたので、台湾や満州、朝鮮半島に移住させたかった。しかしこれを阻む外国は、日本を飢餓と危機的な人口過密に閉じ込めようとすると思えた
    1932 満州国→国際連盟の非難。日本が脱退
    1936 2/26 陸軍第一師団の青年将校たちのクーデター。(陸軍の皇道派)東京市中心部の主要な政府の建物を占領、包囲。大蔵大臣、内大臣らを暗殺。「昭和維新」。が、天皇の支持が得られると思っていたのに、裕仁天皇は激昂。将兵に兵営に戻るよう下達。
     しかしこれで完全に政党は骨抜き。新政府は内閣の被任命者全員が陸海軍大臣の承認を受けるべしという要求を飲む。
    1936にはロンドン海軍軍縮条約が期限切れで、日本が脱退することを予期して、日本海軍は大和、武蔵の建造に着手
    1937 盧溝橋事件。日本と中国の部隊が銃撃戦。日本軍は中国北部になだれ込み、勝利する。しかし中国国民党軍は戦いつづけ、毛沢東の共産ゲリラは抵抗。東京の許可なく日本軍は戦い続け、南京市を陥落させる。支那事変は陸軍の統制派。
    1938 国家総動員法。食料等、配給制へ
    1940 戦艦大和、進水。3ヶ月後、武蔵進水。
     アメリカの制裁措置によって、日本は追い込まれる。
     海軍は英米とは戦えないと思っていたが、陸軍にそれを言えば、国力と経済力をすべて陸軍に取られることを恐れていた。
     嶋田繁太郎海軍大臣は東條に面会し、「戦争の決意」を表明。1942年度の海軍の鉄の割り当てを増やすよう求める。杉山元陸軍参謀総長が「海軍が鉄を貰えば、嶋田さん、決意しますか」とたずねる。三十万トンの鉄で、海軍の支持を取り付ける。
     大本営の『機密戦争日誌』に「哀レムベキ海軍ノ姿カナ」と、陸軍参謀が書き残す。
    1941 ワシントンで鉱床。ハル国務長官は日本に中国から撤退を要求。東條陸軍大臣はそれを不可能と断言。
     9/6の御前会議で、ワシントンの交渉が予期せぬ結果をもたらさない限り、戦争は10月に開始と決定
     10月 東條はこの回向を辞職させ、自分が陸軍大臣と、首相を兼務する
     11/5 山本の真珠湾攻撃計画が艦隊の指揮官たちに配られる。同日、ハル・ノート。「インドシナと中国からすべての日本軍が撤退したら制裁は解除されるだろう」
     →これに対して、脅迫は書かれていなかった、と記述があるが、これが脅しでなくて何だ。


    p39
    五従弟
    いついとこ
    って、どんな関係?
    wikiより
    「N兄弟姉妹」はのNは、自分から数えて何代前の祖先が兄弟姉妹となるかを表す。親等はいとこの前に付く数を2倍して2を加える。



    p47あたり

    ここらは真珠湾攻撃を受けた際の、被害の様子。
    広島の原爆の話を聞いていたり、映画を見ていたり、資料館に行ったりもしているので、「原爆のおかげで戦争が早く終わったんだ」というアメリカ国民の多数が喜ばしげに語るという話には、率直に「ふざけるな」という言葉が出る。けれども、それを彼らがしたからといって、被害と被害、報復と報復は帳消しにならない。読んでいて、今まで「真珠湾攻撃」としか知らなかった事実の、実際の惨さに、気持ち悪くなる。

    山本五十六が、会戦の最低でも一時間前には宣戦布告しろと散々言ったのに、外務省がきちんと手続きを出来なかったせいで、日本は奇襲攻撃をしたとアメリカの恨みを向けられるようになった。(p126から引用するなら、「彼(山本五十六)は「十四部からなるメッセージ」を攻撃前にアメリカ国務省に渡すという確証を何度も外務省に求め、そうした確約を得ていた。ワシントンの日本大使館でメッセージの暗号解読が遅れたことが遅延の原因だったが、ほとんどのアメリカ国民は戦後までそのごたごたについてなにも知らなかった」)
    ただでさえ仕組まれていたというのに……ここらは、別の読書記録で書いたので、後にちょっと再録。

    爆弾と魚雷が真珠湾に停泊中の艦艇に命中し、「戦艦通り」と呼ばれたフォード島東岸の泊地は戦艦が並んでいたため、被害が大きくなる。
    重油がこぼれ、船員らは艦から飛び降りても重油の厚い層に飛び込むことになり、目鼻も効かない。(のち、生存者の中には、こびりついた重油を落とすために、ガソリンの風呂に入るものまで出る)
    爆風と、火事で、戦艦アリゾナだけでも乗組員千人以上が即死。生存者も大火傷。

    p47
    「あの連中は生きた死体と変わらなかった」
    「真っ白になるまで焼かれていた。彼らの皮膚は白い水性ペンキのバケツを持ってきて、白く塗ったみたいに白かった。髪の毛は焼け落ちていた。眉毛も焼け落ちていた……。彼らはロボットみたいに動いていた。腕をつきだし、体から離したまま、甲板をよろよろと歩いていった」

    →原爆投下後の人々もそうだけれど、ひどい熱傷を負うと、人は手を突き出して歩くんだろうか……いわゆるキョンシーのような、腕のかかげ方で。そうしないとバランスが取れないんだろうか。


    p49
     多くの場合、記憶にもっとも長続きする印象を与えたのは視覚以外の感覚だった――艦内に閉じこめられた兵たちのおびえた叫び声、炎上する艦艇のラッタルの鉄の横木が脱出する水兵の掌に貼りついた様子、口のなかの燃料油の苦い味、焼ける肉の鼻につくひどい悪臭。記憶はごたまぜになり、脈絡がなかった。しかし同時に、長い年月がすぎさったあとでさえも鮮烈で、消すことができなかった。」


    p54
     ほとんど形容できないような鼻をつくさまざまな悪臭がただよっていた――燃料油の重苦しい煙、もうもうと立ち上る酸性の黒煙の雲、炭化した肉のむかつくような甘い臭い。何百万ガロンもの重油が雷撃が受けた戦艦から港内にあふれだしていた。「これを海で見たことがない人間は、重油が冷たい海水にさらされるとどうなるか想像できない」とコーリー海兵隊二等兵は言っている。「厚さ一.五センチほどのゼラチン状の滴のようなカーペットになる」…略…「ねばつく黒い油が鼻と耳をふさぎ、目蓋の裏を焼いた。その物質の甘くいやな味のせいで吐きたくなった」



    p66要約
    イギリスの首相チャーチルは、BBCニュースで太平洋の米英の目標にたいする日本軍の攻撃の報告を聞いた。ホワイトハウスに電話をかける。

    チャーチル「大統領閣下、日本はどうしたというのですか?」
    ローズヴェルト「まったくの事実です」「彼らは真珠湾を攻撃しました。われわれはいまや同じ船に乗っているというわけです」
     チャーチルは日本軍がマレー半島に上陸したことをつたえ、翌日、下院に出席して、宣戦布告を求めると約束した。「これでまちがいなく事態は簡単になりますな」とチャーチルは大統領にいい…略…。

    チャーチルの回顧録より
    「それゆえわれわれは、結局はすでに戦争に勝っていたのである!」
    「イングランドは生き残るだろう。イギリスは生き残るだろう。イギリス連邦と帝国は生き残るだろう……。ヒトラーの運命は決まったのだ。ムッソリーニの運命は決まったのだ。日本人についていうならば、彼らは粉々に打ち砕かれることだろう。あとはただ圧倒的な力をしかるべく行使することだった」
    この時点は、ヒトラーがフランスを降伏させてから18ヶ月か経過。
    1941年6月にはソ連国境を超えて、12月までにモスクワを砲撃出来るところまで進撃。
    イギリスは二年以上も戦争をつづけ、一年間、単独でドイツに対抗していた。


    p84
    ローズヴェルトは国民に向けて演説。
    日本は平和を希求すると声明しながら、アメリカを欺いて攻撃した。「汚名に生きつづけるであろう日」と、真珠湾攻撃の日のことを語る。(リメンバー・パールハーバーより、「汚辱の日」として当時は語られていた)
    アメリカの宣戦布告は、下院反対票一、上院反対票なしで、両院を通過。


    p88
    真珠湾では以外の回収が続くが、多くの遺体やその一部は身元がわからない。
    棺を運ぶトラックから、箱が一つ落ちた。

    「箱はコンクリートにぶつかって、ばらばらになった。その箱には男の胴体と、腕三本、脚一本が入っていた」


     …略…基地全体に、歓喜と悲痛の場面が交互に訪れた。…略…太平洋艦隊司令長官の管理棟シャワー…略…そこではたくさんの水兵たちが体から重油をこすり落としていた。「高揚した気分がわたしに取りついていた」と彼は回想した。「わたしは生きている! シャワーを浴びていたほかの者たちは叫んだり笑ったり歌ったりしていた。わたしも彼らにくわわった」その奇妙な幸福感の直後に圧倒的な罪悪感と恥ずかしさが襲ってきた。「何人の乗組員仲間が死んだり負傷したりひどい火傷を負ったのだろう?」メイスンは自問した。「なぜ自分は歌っている? 自分を許すには、長い年月と、さらなる戦闘経験が必要だった」


    p106
    1940年、真珠湾攻撃のほぼ18ヶ月前に実践倍美された零戦は、性能のよさで恐れられていたらしい。
    このころ、蒋介石の国民党空軍と零戦は戦っていた。
    中国空軍のために戦うアメリカ人義勇兵集団のひとりは、「ぜったいに零戦と空中戦に入ろうとするな」と書き留めている。
    西洋は、太平洋戦争の初期、日本の技術を侮っていた。


    p101~
    12/7(日付変更線の西側では12/8) フィリピンの米軍航空基地を日本が攻撃
    ミンダナオ島のアメリカ海軍基地を叩く
    マレー半島のイギリス軍の防空部隊を攻撃

    開戦の全集、チャーチル首相は海軍戦隊<Z部隊>をシンガポールに派遣。植民地に対する日本の侵略を抑止する目的。戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦レパルス中心の編成
    1941年12/10 両艦、沈む。
    これによって、マハン主義者の「大艦巨砲クラブ」(マハンが唱え、当時大人気となった大艦巨砲主義。ローズヴェルトも絶賛し、日本も彼を招こうとした。彼の本が海軍教科書となった)的な用兵思想が修正される。戦艦は空母を中心に編成される機動部隊の支援任務に格下げされる。対空並走が最終的に四倍に増加、高角砲、高射機銃で武装。十四インチ主砲、十六インチ主砲は上陸部隊の支援で艦砲射撃に用いられる。
    アメリカ海軍ですぐに採用され、英国海軍でもいくらか採用される。しかし日本帝国海軍の上層部は、ほとんど終戦まで戦艦同士の洋上決戦の望みを抱き続ける。


    p115
    日本分の攻撃から四日後の木曜日、ヒトラーも枢軸国の義務を果たして、アメリカに宣戦布告。
    ヒトラーは日本の真珠湾攻撃に対して、同盟国を得たと喜ぶ。アメリカを太平洋に縛りつけ、ドイツの敵に対するアメリカの援助が与えられなくなりそうに思えたので。
    ヒトラーは演説で遠回しにアメリカに宣戦布告。
    アメリカ、これに対して両院満場一致で、対抗して議論抜きで宣戦布告。
    真珠湾攻撃の二ヶ月ほど前に行われた「ギャラップ」の世論調査では、アメリカ人の17%しかドイツとの戦争に賛成ではなかった。
    (世論調査の常として、誰、あるいはどのような層を対象にしたか、母数はどれくらいかという問題はあるが、孤立主義のアメリカだから、戦争には賛成していなかったのは合っているだろう。国民の反対をひるがえして戦争に参加するために、ローズヴェルトは日本の真珠湾攻撃をあえて受けたんだから)


    p127
    山本五十六は真珠湾攻撃を提唱したけれど、すぐに終わらせなければ日本が負けると思っていた。
    「敵の寝首をかきたりとて武士の自慢には不相成(あいならず)」
    東京が空襲に見舞われるとも警告していた。


    p146 要約
     日本の民族主義者のあいだでは、米英、それ以外の西洋の帝国諸国がひそかに日本にたいして結束しているというのが信条だった。不平の長いくり返しを、アジアを支配する大カガリな陰謀にまとめあげた。
    ここに書かれた全部とは言わないが、ABCD包囲網が陰謀でなくて何さ……
    ・外国の治外法権を日本国内に拡大する「不平等条約」
    ・第一次世界大戦後、パリ講和会議では西洋諸国が国際連盟規約に「人種平等」条項を含める提案を拒絶した。
    (日本が? この条項がわからないので、意味がわからなかった)

    アメリカが
    ・1924にアメリカが移民法を制定して日系移民を制限し、日系人を中国系などのもっと劣る国と同じ階級に落とした
    ・アメリカのモンロー主義は、アジアを搾取する。アメリカが隣接する大陸全域を勢力圏と主張しながら、中国の「門戸開放」を主張。アメリカとイギリスの同類が中国の富を搾取する権利を主張し、一方で他国がそうすることをさまたげようとする二枚舌だと言う
    ・1902の日英同盟を解消させようと舞台裏で働きかけ
    ・軍縮外交をりようして日本の海軍力の増強を阻んだり
    →五:五:三の比率のおかげで、1921の日本の国家予算の31%にまでふくれあがっていた海軍の支出をおさえられた。1923には21%に減少した。財政上の救済をもたらした。……そうかも知れないけれど、それは結果論だ。



    真珠湾攻撃
     ↓
    キンメル解任。ニミッツが交代
     ↓
    ローズヴェルトの宣戦布告
     ↓
    ニミッツがハルゼーに、マーシャル諸島の日本軍航空基地を叩けと命令。空母からの艦載機攻撃。エンタープライズ出動。日本が不意を打たれる。
     ↓
    p348
    ハルゼーの空襲のもっとも深く及んだ影響は、日本の提督たちに彼らの首都の脆弱さを通関させたことだろう。…略…宇垣はアメリカ軍がじきに東京に直接パンチをお見舞いしようとするだろうと正しく予見した。「今後と雖(いえど)も彼として最もやりよく且効果的なる本法を執るべし」と彼は二月二日に書いている。「其の最大なるものを帝都空襲なりとす。……彼にして直接帝都を窺はず、此の時機南東方にかすり傷を與へ、且つ充分なる教訓を齎せるは幸ひなりし哉」
    …略…空母の空襲にたいするぜったい確実な防衛策はないため、アメリカの空母を厄介払いする方法を見つけなければならないという確信が彼らの心のなかで強まっていった。こうして帝国海軍の全兵力をミッドウェイにたいして投入し、アメリカ軍の全空母を真珠湾から引きずりだして、この戦争の決戦で打ち負かすことを願った山本の計画の種がまかれたのである。


    こちら、資料に基づいたアメリカの陰謀説の詳細。

    真珠湾の真実-ルーズベルト欺瞞の日々-
    ロバート・B.スティネット

    日本は無線封鎖をしていたから、アメリカ海軍は日本の奇襲を察知出来ず、真珠湾は大打撃を受けたそうですが?
    →無線は封鎖されていたけれど実質は守られていなかったし、アメリカは日本のパープル暗号も津暗号も解読していたので、何処に日本の艦隊が集結して、何処から攻めてくるか知っていました。真珠湾攻撃時の無線を傍受した記録が残っています。
    アメリカは、その当時、欧州でナチスに攻められていたイギリスを救うために戦争に参加したかったのですが、アメリカは孤立主義であり、国民が戦争参加を許しませんでした。
    戦争に参加するためには、どうしたらいいでしょう?
    当時、ナチスは日独伊三国同盟を結んでいました。ナチスはパリも侵略するほどの勢いがありました。三国同盟と地勢上の問題からすると、独伊が大変な目に遭ったときに日本は援助参戦することになりますが、独伊は日本に何かあっても見捨てるでしょう。ここで日本を潰しておけば、欧州の平和につながりますが、日本に戦争を挑むための理由がありません。
    考えました。
    マッカラムと言う人が八箇条を提案しました。ルーズベルト大統領も承認します。
    大雑把にまとめると
    ・日本からアメリカを攻撃させれば、国民は戦争にyesと言うでしょう。
    ・日本を窮状に追い込んで、先に手を出させましょう。
    ・蒋介石政権を援助しましょう(日本は盧溝橋事件に始まる支那事変で、中国で蒋介石軍と戦っています。四年にも及んでいます)
    ・兵糧攻めです。鉄くずは日本へ輸出禁止にします。石油も禁止します。一年と少し分だけ備蓄させましょう。そうすれば、戦争は開始出来るけど続けられません。そのころにちょうど、こちらで建設中の軍艦が完成します(日本は短期決戦で、この軍艦何隻かが完成する前に決めたかった模様。サンフランシスコ講和条約で米:英:日=5:5:3の軍艦保有数にさせられ、日英同盟も破棄させられています。日本は国際連盟を脱退してから、大和などの戦艦建造に邁進します。『昭和史』)
    ・オランダに、日本の石油要請が来ても拒否するよう言いましょう
    ・日本は資源がないから、東南アジアに侵出せざるを得ません
    ・どんどん追い詰めれば、日本は戦争を始めざるを得ません。何をされても、先に手出しさせるのです

    このために、ハワイ基地のキンメル提督は傍受した無線の内容を知らされず、日本軍に「攻撃されやすいように」様々な命令を受けます。
    日本の暗号を解読出来ていることがバレると日本に警戒されるので、公にしませんでした。真珠湾を防衛したら、暗号がバレてるってわかっちゃいますからね、変えられちゃいます。
    真珠湾は餌です、犠牲です。
    しかし被害は減らすために、新造の戦艦二隻は攻撃される前に真珠湾から避難させ、老朽艦ばかりを残しました。
    そして真珠湾の海兵たちには、警戒態勢を取らせないも同然の命令を下しました。

    そのころ日本では、宣戦布告の手続きをしていましたが、方々の思惑によって、実際の宣戦布告は、真珠湾攻撃のあとになりました。日本が奇襲を行ったとして、世界中から非難されたのは、当時の政府と軍と宮城の間で意見と立場が皆異なったからです。(『昭和史』)

    そして、日本は真珠湾攻撃を行いました。
    アメリカは、日本を卑怯と罵って、国を戦時体制に移行しました。

    と、陰謀説説明してもらったときにわかりやすかった口調で書いてみた。
    陰謀説でも何でもなく。アメリカで、情報公開法に則って著者が様々な資料閲覧を申請し、拒否され、閲覧出来、関係者に取材し、それらを積み重ねて証したものだ。
    実際に無線が傍受出来ていた資料が出てきたら、無線封鎖を日米両方で都合よく言い立ててたって、そんなの嘘だとわかる。まだ閲覧許可されない資料が出たら、もっとくわしくわかるだろうし、別の思惑だってわかるかも知れない。
    けれど、日本を追い詰めて戦争に踏み切らせるためだったことは、変わらないだろう。

    戦死だけではなく、餓死も含め(兵隊と一般国民どちらも)、日本の死者は約三百十万人ですって。

  • 日米海軍の発足から太平洋戦争中盤ミッドウェイ海戦までの戦史を、アメリカの視点、日本の視点の両側から記述している。後半の展開を期待。

  • 帯には日本が戦争に勝っていた180日間と有るが、ウォールストリート・ジャーナルの紹介文は我々が負け犬だったときだそうだ。日米戦争を両海軍からの視点で書いた三部作の1作目は真珠湾からミッドウェイまで、上巻は負け続けた米海軍がマーシャル諸島で初めて一矢を報いるところで終わる。

    アルフレッド・マハン。本人にその気が有ったかどうかは知らないが地政学のシーパワー理論の創始者になっている。マハンは歴史家で海洋戦略の大家であった。その思想は大艦巨砲主義と集中の鉄則、そして一度の決定的な海戦による敵艦隊の殲滅で有る。米海軍も日本海軍もマハンの信奉者であったのだが真珠湾攻撃により主力戦艦部隊を失った米海軍はやむなく空母機動部隊が太平洋艦隊の主力となる。

    日本海軍がマハンに傾倒した理由はよく分かる。あまりにも成功した日露戦争でバルチック艦隊を破った日本海海戦がこのマハンの教義にぴったり当てはまるからだ。しかしポーツマス条約では賠償金は無く、樺太の併合も半分だけと知った国民は激怒する。日本政府が借金をして戦争をしており資金的には戦争継続能力は無かった事は知らされてなかったのだ。新聞に煽られた国民は戦争継続を支持しており、この空気は第二次大戦まで続く。軍部の独走とばかりは言えなさそうだ。一方のアメリカは流入の続く日本移民に対し反日感情が増していた。カルフォルニアで拡がる日本移民差別にも拘らず海軍の増強に反対する態度はローズヴェルト大統領をいらだたせた。そして開戦前夜太平洋艦隊は皮肉にもマハンの教義に従い、真珠湾に二列にきちんと並んで停泊していた。

    連合艦隊司令長官山本五十六は軍縮交渉で海軍の代表をしばしば務めた事も有り、ハーヴァード留学中はアメリカを見て回りその経済基盤と軍事的潜在力に敬意を抱いていた。彼はかつてこう言っている。「デトロイトの自動車工場とテキサスの油田を見ただけでも、日本の国力で、アメリカ相手の戦争も、建艦競争も、やり抜けるものではない。」山本は軍縮条約を支持しナチス・ドイツとの同盟放棄と和平を政府に訴え続けていた。太平洋の戦争はマハン流の決戦ではなく消耗戦になることを見越していたのだ。日本の勝機について近衛から直に聞かれた彼はこう答えている。「やれといわれれば、最初の六ヶ月か一年はアメリカさんを相手に大暴れしてみせますが、二年、三年となると、どうなるかまったく自信は持てません。」

    真珠湾攻撃は大艦巨砲主義の決戦思想から外れる所から生まれた。戦術的には奇襲を成功させる事と浅い湾内で使える魚雷の開発が鍵になっていた。山本は攻撃前の宣戦布告に拘っており攻撃前に文書を国務省に渡すとの確約を得ていたのだが、ワシントンの大使館が暗号解読に手間取り宣戦布告が無いままの奇襲攻撃となったと言う資料が残っている。

    真珠湾奇襲についてはアメリカ側もいくつかの兆候は掴んでいたらしい。ただこの後もしばしば現れるように艦隊発見の報告は玉石混淆で正確な情報とは言えず、何よりアメリカは日本海軍をなめていた。奇襲攻撃そのものは史上最大の成果を上げたと言っていいだろう。海軍は1999名の戦死者と710名の負傷者をだし、戦艦8隻を含む約30万tの艦船が戦闘不能になった。188機の航空機がほとんど地上で撃破された。しかし日本軍は修理工場をたたき忘れ戦艦6隻は修理され戦列に復帰することになる。そして450万バレルの燃料はそのまま残った。また空母エンタープライズは帰投中で攻撃を避ける事ができた。

    アメリカと同じくイギリスも日本軍をなめていた。すぐに撃退できると考えたチャーチルはアメリカを対独戦に引き込めると喜んだのもつかの間マレー半島から引き上げることになる。イギリスの最新鋭の旗艦プリンス・オブ・ウェールズが完全な戦闘態勢で航行中に日本の航空機部隊に沈められたことはマハンの教義を書き換え戦艦の役割は決戦ではなく陸上攻撃用の艦砲射撃と空母を守るためのハリネズミとなる。チャーチルはアメリカ議会を籠絡し先ずドイツをたたく方針を確認させる。一方アメリカの合衆国艦隊司令長官キングは太平洋の最終防衛戦をハワイとオーストラリアにおく。ミッドウエイからハワイと本土の海上交通路の防衛はそれにつぐ優先事項だった。ワシントンではまだ認められてなかったがフィリピン、マレー半島と東インドの陥落、太平洋に残る米英欄の連合艦隊の崩壊とアメリカのアジア艦隊の全滅までキングは受け入れていた。ヨーロッパ優先の方針の元でアメリカーブリティッシューダッチーオーストラリア連合軍は発足しイギリスの指揮下に入ることになる。この試みは後に国連の多国籍軍に発展するのだがこの時は機能しなかった。それでも日独伊が同盟と言いながらバラバラだったのに対し戦時生産での意思統一は果たした。

    マーシャル諸島の日本の航空基地に対する攻撃に対しては当時も反対意見も多かったらしく後の歴史家からも軽視されていた。2隻の輸送船と1隻の小型艦艇を撃沈しある程度の損害は与えたが戦局を変えるものではなかった。しかし、ようやく勝ったことはアメリカに士気をもたらし、日本に対しては空襲の有用性、いつ東京が空襲されてもおかしくないと脆弱さを痛感させた。そしてミッドウエイにおける空母艦隊決戦を願う山本五十六に計画の種がまかれた。

    禍福はあざなえる縄のごとし。そして、奢れる平家は久しからず・・・。

  • アメリカの視点から見た太平洋戦争前半の戦史レビュー。開戦以来、日本がアメリカを圧倒していた間のアメリカ側からの戦史です。「日本にはまともな飛行機などない」等、事実をそのまま受け入れずに曲解し、自分達の信じたい妄想によって判断を誤ると手痛い目にあうというのは世の常ですね。
    真珠湾攻撃で日本がアメリカの戦艦の大半を撃沈したため、アメリカには航空母艦と巡洋艦、駆逐艦などの高速な艦船しか残らず、結果としてそれらを運用せざるを得ない状況に追い込こまれたが故に大艦巨砲主義に決別できたというのは皮肉でもあり、失敗から正しく学んだアメリカの柔軟な思考の賜物なのかも。

  • 8/20やっと読了。
    訳がしんどかった。
    下巻悩み中。

    新たな発見もあったのはあったので。

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