- Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163807409
感想・レビュー・書評
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赤染さんの小説は相当、変わっています。
まず登場人物が変わっています。
フツウの人は、まず出てきません。
普通なら笑うところで怒ったり、悲しむところで笑ったりしています。
お話も変わっています。
変わっているというか、あまり進みません。
進まないなと思っていたら、急にギアがトップに入ったりするから油断ならない。
文章も変わっています。
ぶつぶつ切ります。
主語と述語だけの文章がしばしば連続します。
でも、それが独特のリズムを生み、読み手を幻惑します。
はっきり云いましょう。
赤染さんの小説は、ついていけません。
ついていけないのは分かっているのに、必死に食らいつきます。
何故なら、すっかり中毒しているから。
ところが、スルリと身をかわされます。
赤染さんの著作を読んでいると、そんな感覚に陥ります。
本書の表題作「WANTED!!かい人21面相」だって相当、変わっています。
まず、タイトルからして変わっています。
最近の純文学作品のタイトルは変わったものが多いですが、その中でも筆頭格ではないでしょうか。
主人公の「わたし」は高校2年生。
親友の楓といつも一緒です。
2人がまだ小学生だったころ、グリコ・森永事件が起きます。
犯人グループ「かい人21面相」のキツネ目の男を探すのに夢中になったりします。
高校2年生になっても、キツネ目の男は2人の心を捉えます。
2人はバトン部でした。
負けん気の滅法強い楓は、闘争心剥き出しで「センター」を取りに行きます。
センターを努める響子先輩にも強気で接します。
たとえばこんな感じ。
□□□
「あほの楓、おはよう」
響子先輩は根性が悪い。
「あほの響子先輩、おはよう」
楓も負けてはいない。二人とも同じレベルだ。
□□□
もう、この4行を読むだけでも笑える、おかしい。
そこへバトン部の顧問、鬼頭先生(キツネ目の男に似ている)がやって来ます。
「あほの諸君、おはよう」
鬼頭先生は横暴で、常に竹刀を持って部員を怒鳴り散らします。
ところが、楓は鬼頭先生にまで食ってかかります。
□□□
「くそじじぃ!!」
突然、楓は鬼頭に暴言を吐く。
「だ、誰がじゃ!」
鬼頭も一瞬たじろぐ。楓が鬼頭に「くそじじぃ」と言うのは入部以来これで十一回目だ。わたしはずっと数えている。
□□□
楓に限らず、赤染さんの小説に出て来る人物たちは、まず空気を読まない。
空気を読むことを頑なに拒否する気配があります。
現代社会にあって、大変に新鮮なことです。
物語は、バトン部での出来事がコミカルに描かれ、進行していきます。
特に、練習でミスをした「わたし」が罰としてグラウンドでマズルカステップを繰り返す様は滑稽で、笑えます、笑います。
終盤には、「かい人21面相」から終結宣言が出されたことに触れ、楓が部活を辞めて、物語は割と唐突に終わります。
かい人21面相にとらわれた彼女たちの青春が終わったのです。
じゅうたん工場で働く女工たちを描いた「恋もみじ」、家を出た綾小路夫人に成り代わった家政婦の純愛を描いた「少女煙草」も収録。
今回も「赤染ワールド」に真っ赤に染められました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
赤染晶子、追悼で読む。
この人が描く少女(女の子と女の間にある時期)は、本当にすごい。自己顕示欲と、それを見つめる冷静さと、大人にならなければならないという世界からの圧力と、そんな力なんていてこましたる!という反骨心と。それらが入り混じる乙女の青春、といってしまえばそれまでだけど、そう簡単には言わせないよ、という。
WANTED!怪人二十面相
この中身に、このタイトル。バランスが良すぎる。
怪人二十面相にはいくつかの姿がある。2人だけが共有している秘密の二十面相。知らない人々と大勢で見た二十面相。過去に二十面相だと思っていたものと、今、二十面相だと思うもの。私が二十面相だと信じるもの、人々が忘れてゆく二十面相。
流れていく時間と、それとともに変化していく自分の記憶と信念と周囲の意識。そういうものが未解決事件・怪人二十面相に重ねて描かれるけど、あくまで怪人二十面相は関西弁の謎のおっちゃんなわけで。 -
こういった書き方をする作家さんは最近では珍しいのではないでしょうか。
夢野久作的な?
面白いと思います。どんどん書いて欲しい。