ある男

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163816401

作品紹介・あらすじ

岩倉具視暗殺未遂事件の処理に暗躍した警察官、会津の民のために奔走した元京都見廻組の男、国会開設を檄文で訴える岡山の隠れた俊才-日本近代の産声にかき消された叫びと祈り。中央政府の大義に屈せず、彼らはそのときたしかに生きた。

感想・レビュー・書評

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  • 明治維新の頃を生きた様々な立場の男達の話。時代に翻弄されつつも今と変わらぬ人生の苦悩や笑いがミックスされ、近代史に疎くても楽しめた。

  • 「漂砂のうたう」を読んで木内昇さんを大好きになったきっかけでもある「時代の波から取り残されてしまった人たち」の視点がこの作品でも根幹を成していた。日本近代の産声にかき消された叫びと祈りを拾い上げてくれる、このまなざし、好きだなあ~としみじみ。

  • 『「うちの爺さんが昔、よーう言いよったがじゃ。暴挙をしでかす輩と、そつないだけの者は、同じっちゃ」まるきり逆に思えるがのう、と武市は無精髭を揺らして笑う。「つまりはどちらも、一刻も早う思い通りに事を運ぶだけに囚われて、物の芯なるところを見ちょらんのじゃと」』

    木内昇の短篇は、これまでの連作短篇でもそうだったように、いつも密度が高いという印象が残る。時代背景、人物の生まれ育ち、暮らしている場所などの細々とした説明がある訳ではないのに、頁の上にその気配がいつの間にか満ちている。視覚以外の感覚が刺激される。そんな雰囲気の中、どこかでかすかに聞いたことのある歴史上の出来事が、急に二次元世界から飛び出してきて立体的になる。単に年表の中で時系列に並んでいた無味乾燥な短い言葉の列が、物語となる。当たり前のことなど一つもない中で偶然に選び取られていく様をみる。

    そんな感想は、もちろん歴史小説と呼ばれるものを読んでも同じように湧くかもしれないけれど、そこには答えの解っている話を面白く仕立てるような、あるいは面白がるような構図があるように感じてしまう。例えば、毎回印籠が出てきて問題が全て解決したり、投げ銭で危機を脱したりすると解っているのに、問題が大きくなるのを敢えてはらはらしてみたり。歴史小説を読んだりするとそんな風に思ってしまうことが多いのだけれど、木内昇の描く短篇には、これといった解決編は用意されていないし、大上段に皆の知っている歴史の中の人物を動かしたりもしない。ひたすら淡々と時が流れる。そこに思わず頁を見入ってしまうような何かを感じる。

    ある男、と呼ばれる主人公は、歴史の中では生まれた時も場所も育ちも異なる男たちだけれど、彼らはまるで一人の男の生まれ変わりのように揃いもそろって顔のない人物だ。比喩で、歴史上に埋もれた人物、などと言えば言い当てたような気にもなるけれど、実はそれは物理的な重さを持ち血も通った存在を、ただ単に無視して抹殺するだけのことに過ぎない。そんな人物を拾い上げる為には、大仰な起承転結のある物語をこしらえてそこにはめ込むというやり方はそぐわない。むしろ木内昇がやってみせるように、ただ淡々と日々を追いかけて見せるようなやり方しかない気がする。すると顔のない人物は急に生き生きとした人間となる。それでも顔のないことには変わりはないけれど。

    それは必ずしも歴史上の人物にだけ当て嵌まることではなく、現代を生きる一人ひとりの物語についても同じこと。自分たちもしょせんは顔のない人物に過ぎないのだから。木内昇の一つ一つの短篇が妙に今の自分の小さな悩みと共鳴し、描いている物語があたかも現在の日本の混乱を準えているようにも見えてしまう。それは木内昇の物語がものごとの芯を間違いなく捉えているからであり、語られる言葉を身近に起こっていることにすうっと引き寄せてしまうからだと思う。いくら木内昇が描く幕末から明治の混乱の中の物語が、今の日本の混乱と二重写しに見えてしまうとしても、そんな預言者めいた力が木内昇にあるということでは、決してないのだ。それは読む側に勝手に起こる現象。そして木内昇の言葉にその現象を起こさせる力があるというだけのこと。

  • それほど多く時代小説を読んでいるわけではないので、言い切ってしまうのもどうかと思うが、多くの時代小説はエンターテインメント作品であり、時にはファンタジーですらあると思っている。
    もともと時代小説家じゃない作家が時代小説を執筆したりするのをその「正」の部分とすると、ベストセラーになって、TVドラマや映画化までされても、いわゆる文壇からは評価されにくい(?)のが「負」の部分じゃあないかと……異論は認める(笑)

    「歴史」はエンターテインメントとして広く受け入れられるコンテンツであるからして、新たな書き手が参入してきても不思議でもなんでもない。だって「歴史」には、ロマンがあるのですもの——。

    ただ、質の高い歴史小説・時代小説を求めるとなると、これがなかなか難しい。そして、木内昇は間違いなく、質の高い時代小説家の一人だ(賞がすべてじゃないけど、受賞わりと早かったし)。

    前々作「漂砂のうたう」では、幕府瓦解後の侍の果てを薄悲しく描いていたけれど、今回は登場人物の幅が広がって、ご一新の外側にいた人々——名もなき貧しい金工だったり、名もなき細工職人だったり、名もなき地方の小役人だったり、名もなきかつての見回り組の隊士だったり……皆うちに何かを秘めつつ、激変の世と折り合いをつけようと必死に生きている、と「ある男」たちが主人公だ。
    中には到底共感できない男もいる。しかし、それもひとつの生き方。この人の人物描写はいつもどこか薄暗いのだが、本書でもそれは健在だ。
    彼らは彼らなりの「信」をもって世と対峙しているが、魔物でも棲んでいるかのごとくうねるそれは、個人をいとも容易く翻弄し歪めてしまう。なんとも救いのない話ばかりである。

    「女の面」「猿芝居」「道理」「フレーヘードル」が気に入っているが、やはり「道理」がベスト。題材的には従来作品に近いけど。

  • 明治維新後の混乱した日本のあちこちにいる「ある男」。ただその場しのぎでやりすごそうとする者、己の保身しか頭にない者、様々な男たちの姿。政治や権力などにどのように関わるのか。明治時代の人々の様子も鮮やかに感じられて面白かった。

  • 御一新があったけれど、自由だ平等だっていうけれど、何も変わらないじゃないか。くにの昔からのやり方を全く無視して無理難題を押し付けてくる、中央政府ってなんなんだ。
    そんな不満、不安、期待、諦め、の渦巻く明治初頭の日本列島。そのあちこちに生きる、名も無き男たちを描いた短編集。

    と言うとなんだか、英雄にはなれなかったが正義を貫いて生きた男たち、みたいなパターン化に陥りそうですが、戦う者、流される者、置いてかれる者、敢えて生き方を変えない者、いろんな立場のいろんな男を描いているところがさすがです。
    そしてその周りの名も無き女たちも、いい味だしてます。

    幕末の英雄といえば龍馬や歳三が人気者ですが、彼らが死んでしまったあとも現実は続き、現代へと繋がっているものね。
    明治新政府への失望、やりきれなさが、どこか今の政治と重なって見えるところがまた、やりきれない。

    以下、備忘録。
    ■蝉
    南部。山で銅を掘る男。東京に、井上馨に談判しに行く。山に生きる男の暮らし。
    ■喰違坂
    岩倉具視襲撃事件の尋問をする男。市民の暮らしに深く踏み入ってくる「行政警察」の生まれる頃。凶悪事件をでっちあげて防いで、警察サマサマとでもしないと面目が立たん。
    ■一両札
    贋物造り職人の江戸の男が、元米沢藩士(と偽って実は上野の百姓)に贋札作りを頼まれる。色々ごまかしているが本当は新政府をぶっつぶすのが目的らしい。彼らは全てにおいて杜撰、浅はか。てめえらの大層なご計画が破綻するのは勝手だが、仕事として請け負った贋物造りの矜持まで傷つけられちゃあたまんねえ。
    ■女の面
    飛騨の地役人。中央から派遣された県令と地元民との板挟み。方々にわかった顔をして丸く収める自分こそができた役人だと思っていたが、あれあれなんかみんな怒ってる。そして予言者めいた妻。
    ■猿芝居
    大阪船場生まれの男。長州出身で蛤御門でも戦った経験のある兵庫の知事に、如才なさを買われて重用されている。ノルマントン号事件の処理と条約改正という外交問題を都合よく切り抜けようとしている中央政府から、あれこれ無茶ぶりされて振り回される。結局、男の機転で「外国人からみた日本人の美点」をうまくからめた美談をでっちあげて新聞にも載せさせうまくおさめてしまう。
    ■道理
    元見廻組の男。亡霊に悩まされている。もう人を死なすのはごめんだ。最後に戦った会津にそのまま居着き、先生と慕われて暮らしている。自由党の人たちから知恵を請われるたび、暴力でなく交渉をするよう説いてきたがついに衝突、村の青年が死んでしまう。痛む胸を抑えながらも、非暴力を説くが、「こんなよそ者に頼ってちゃだめだ」という村人の思いを感じるようになった。
    ■フレーヘードル
    岡山の男。他の人よりちょっと高い次元で物事を見る力がある。まわりは馬鹿ばっか、というわけだがもうそんななかで生きていくのも慣れた。遠い千葉県で、国会設立を訴えている男がいると知り突如国事に奔走しだす。密かな理解者だった姑は温かく見守るが、男のやることは、なんだか…。ショートショートのような一篇。

  • 明治初期の短編。名もない男たちの物語。
    激動の時代に流されながらその場で懸命に生きている人達。
    今の平和で秩序で守られた世の中は過去の人達の努力と血のもとに出来ているのだとしみじみと思えた。

  • 渋い。7編のお話すべてが物語の「終わり」に媚びていない。
    ヒーローになりそうで、ならなかった「ある男」たち。
    だから幕末の混乱がひしひしと伝わってくるのだろうか。
    読後はちょっとしんみり。
    時代が、自分がコントロール出来るはずもないところで変わっていくことに対しての「無力感」。
    この感じ、すごくよく分ってしまった自分にしんみり。

  • 相変わらず木内さんの本はガツンときます。地味なようで、急に心の中にズカズカ侵入されて、読み終わった後ざわざわする。
    何と言っても終わり方がいい。若干Sっ気があるんじゃなかろうか、木内さん(笑) クセになります。
    あらすじだけ聞くとあんまり興味を持てない人も、この人の言葉のキレイさ、人物の心情の説得力、立ち込める気配、などなどぜひ味わってほしい。

    明治初期、地方の「男」たちを描いた短編集。
    蝉、喰違坂、一両札、女の面、猿芝居、道理、フレーヘードル
    喰違坂、道理、フレーヘードルが特に心に残った。

    どの主人公も名前は出てこない。「男」と書かれているだけ。
    幕府を倒して新しい世を作ったはずの政府が、地方を押さえつけて民衆の恨みをかっている。いい世の中にするための戦だったはずなのに。
    現代の国や地方の仕組みができる前の、生みの苦しみ、というものなのかもしれない。
    自分の身を振り返って、いろいろ反省してしまいます。

  • 明治初期、政府も人民もまだまだ未熟で、右往左往しながら近代国家への道を歩み始めたばかりの頃を舞台に、史実を絡めつつ、翻弄されながらもその時代を生きる「ある男」たちを主人公にした「蝉」「喰違坂」「一両札」「女の面」「猿芝居」「道理」「フレーヘードル」の7編の短編集。

    決して読みやすいとは言えないだろう。
    各編とも、すっきりとした結末が用意されているわけでもない。
    だけれども、ざわざわと動いていた当時の日本という国で、こんな風にとまどい、悩み、苦しみ、また考え、貫き、働きかけ、世を動かす小さいけれども何かの一助をなした、市井の人々がきっといたのに違いない、そう確かに思わせてくれる。
    「女の面」「道理」「フレーヘードル」が特に印象的。

    読み進むにつれどんどん木内女史の世界に引き込まれた、なかなかの名著であった。

    ところで…なんだか、このご時世、なんとなく現在の政治のあり方、それを許している私たちを揶揄したものにも見えてしまうのだが、よもやそれを意図されたのではあるまいか…???

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著者プロフィール

1967年生まれ。出版社勤務を経て、2004年『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。08年『茗荷谷の猫』が話題となり、09年回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。他の小説作品に『浮世女房洒落日記』『笑い三年、泣き三月。』『ある男』『よこまち余話』、エッセイに『みちくさ道中』などがある。

「2019年 『光炎の人 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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