- Amazon.co.jp ・本 (668ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163817408
作品紹介・あらすじ
外交官モラエスが発見した日本の美と誇り。妻・およねへの愛に彩られた激動の生涯-。新田次郎未完の絶筆を、息子・藤原正彦が書き継いだ。
感想・レビュー・書評
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人間モラエス像が細かく描かれている。
圧倒的に誠実で善人ではる。でも癖もある。そして若い女性が大好きなモラエス。真面目だけど女性関係に関してやる事はちゃんとやっているが報われなかったりもする。
晩年愛する女性達に先立たれ(愛しているのか晩年面倒を見てもらいたいだけなのかはグレー)寂しさと孤独と不安の中に生き、迎えた最後の死は悲しいけれど死は誰にでも起こりうる限り他人事ではない。
亡くなった後に遺書の通り事が済んだ様でよかったなと思う。
モラエスが上梓した『おヨネとコハル』も読んでみたい詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
久々に続きが楽しみに読める1冊でした。
新田次郎・藤原正彦親子がリレーで書き綴ったのはお見事。
後半も違和感無く読めました。
モラエスさんの日本での滞在は非常に面白く、明治期のポルトガルから見た日本がうまく描写された1冊だと思います。
読み応え特大でした♪ -
長編だった。久しぶりに、どっしりとした読み応えを感じた。
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ポルトガルの軍人・外交官・作家である
ヴェンセスラウ・デ・モラエス(1854-1929)の生涯を描いた力作です。
新田次郎氏(1912-1980)の突然の逝去によって、
惜しくも絶筆となっていました。
「美しい国」という章から「日露開戦」までを
新田次郎氏が書いています。ここで新田氏絶命したため中断。
「祖国愛」から最後の「森羅万象」までを
新田次郎氏没30年たって、正彦氏が書き上げたそうです。
親子二代にわたって書き上げられた
ポルトガル人モラエスの物語は、
明治時代の日本の姿をリアルに反映していました。
外交官として日本に移り住み、日本の文化と自然の美しさ、
日本人の風習などに魅かれたモラエスは、
20歳以上年の離れた日本人の妻およねをこよなく愛していました。
妻が病死すると、そのまま故郷のポルトガルへ帰ることもせずに、
その命が尽きるまでおよねの故郷徳島で過ごしました。
外国人の目から見た日本というものを
祖国のポルト商報へ書き送り、
外国へ日本を紹介する役目をしていたモラエスは、
いたって温厚でまじめな人柄であったため、
多くの人に慕われました。
モラエスは、日本に永住することになったものの、
「カステラ」や「たんと」など、鉄砲伝来以来日本に伝わり、
日本文化とともに浸透しているポルトガル語を知って、
はるかな故郷へ望郷の念、サウダーデを感じていたようです。
ここまで日本を愛した外国人がいたのは知らなかったので、
それだけでも勉強になりました。
でも一番この作品を読んでよかったのは、
この作品が
新田次郎氏と次男の藤原正彦氏の2名で書き上げた作品だったことです。
「あとがき」に藤原正彦氏は
父親の絶筆を完成させるという偉業の苦悩を書いていました。
作風ももちろん違うので、途中から作者が変わったことはわかります。
新田次郎氏は、自信をもって、
自分の書きたいようにぐいぐい書いていますが、
藤原正彦氏は、父はこんな風に書きたかったのかなと、
思案しながら書いていたのでしょうから・・・。
そして、やっと完成したこの作品は、
藤原正彦氏にとって満足のいくものだったのでしょう。
藤原正彦氏は、「あとがき」の最後を
「一つだけ確かなことは、父との約束を
32年間かけて果たした安堵感である。」としています。
新田次郎ファンとしては
絶筆で置いておかれた力作を完成させた藤原正彦氏に
ありがとう、と言いたいです。
きっと、新田次郎氏もこんな風に書きたかったのに違いありません。
読者にもサウダーデを感じさせる美しい文章は、
まぎれもない親子の絆だと思いました。
ストーリーもさることながら、
藤原正彦氏の父を思う心にうたれる作品でした。 -
知らずに使ってる自分達の中にあるボルトガル。
・capa → 合羽(カッパ)
・confeito → 金平糖
・jarro → 如雨露(じょうろ)
・ombro → おんぶ
・sabão → シャボン(石けん・シャボン)
・tabaco → 煙草(タバコ)
・tempêro → 天麩羅(天ぷら)
・vidro → ビードロ(ガラス玉)
・carta → 歌留多(カルタ)
・croquete → コロッケ
これらをポルトガルの外交官モラエスは日本の中に発見する。そして題名の「孤愁サウダーデ」と言う感情もと新田次郎氏もその息子藤原正彦氏も語り継ぐ。およねを愛したモラエスはおよねの死後
およねが育った徳島をも愛し死ぬまで暮らす。サウダーデを感じながら。やはり後半3分の一の藤原正彦氏パートになると父親の年齢まで書くのを待ちポルトガルに行き同じ酒を飲み同じ料理を食べ同じHotelに泊まった意気込みからもわかるように渾身の力で書いているのがわかった。 -
過剰な日本礼賛に辟易する。
文学を期待してもダメ。
綿密な調査と研究による伝記ということでしょう。
特に、息子の正彦は時系列過ぎて、おもしろくない。 -
読み応えがありました。面白かった!
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日本を愛し、日本の女性を愛し、日本に骨を埋めた明治時代のポルトガル人モラエスを描いた小説。日本に渡ってきたところから、マカオ所属の軍人としての武器売買・情報収集、領事としての外交活動、日本女性およねさんとの結婚、およねさん死後の徳島での隠棲、その死までが描かれる。/(孤愁を押さえこむために言ったのではない。自分はポルトガルより日本を愛しているのだ。ほんとうに日本で生涯を暮らそうと思っているのだ)p.221/「別れた恋人を思うことも、死んだ人のことを思うことも、過去に訪れた景色を思い出すことも、十年前に大儲けをした日のことを懐しく思い出すのもすべてサウダーデです。そうではありませんか」「そのとおりですが少々付け加えるとすれば、過去を思い出すだけではなく、そうすることによって甘く、悲しい、せつない感情に浸りこむことです」p.243(モラエスと妙国寺の老人)/「僕の心と身体は今、お金より安らかさと穏やかさを欲しているんだ。栄転や昇進がいらないばかりか、何もかも返上して一切の煩わしさから解放され、一人の人間となって田舎に隠棲したいんだ」モラエスは落ち着いた声でそう言った。この頃、モラエスは「方丈記」を繰り返し読んでは鴨長明の思想に慰藉を見出し、それに心酔していた。p.559/コハルへの思いは痛ましいというか、コハル側の断りきれない事情とそれを割り切れないコハル自身とがひきさかれていて、見ていてつらかった。亜珍の思いは、中国の地から一歩も離れたくないと言っていた亜珍が、どうして日本に一生懸命来たがるようになったのか、よくわからなかった。人の気持ちは変わるもの、で片付けられるものなのか。永原デンがその後どうなったのかも気になるところ。