孤愁〈サウダーデ〉

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  • Amazon.co.jp ・本 (668ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163817408

作品紹介・あらすじ

外交官モラエスが発見した日本の美と誇り。妻・およねへの愛に彩られた激動の生涯-。新田次郎未完の絶筆を、息子・藤原正彦が書き継いだ。

感想・レビュー・書評

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  • 人間モラエス像が細かく描かれている。
    圧倒的に誠実で善人ではる。でも癖もある。そして若い女性が大好きなモラエス。真面目だけど女性関係に関してやる事はちゃんとやっているが報われなかったりもする。
    晩年愛する女性達に先立たれ(愛しているのか晩年面倒を見てもらいたいだけなのかはグレー)寂しさと孤独と不安の中に生き、迎えた最後の死は悲しいけれど死は誰にでも起こりうる限り他人事ではない。
    亡くなった後に遺書の通り事が済んだ様でよかったなと思う。

    モラエスが上梓した『おヨネとコハル』も読んでみたい

  • 新田次郎の遺作である作品を、子息である藤原正彦氏が書き継いで完成させた作品。
    20年前に出版された藤原氏のエッセイ「数学者の休憩時間」で本作品に触れていて、私自身もずっと気になっていたのだが、必ず書き継ぐと宣言していたのを遂に実現したものである。
    しかも新田氏が本作を書くのに読んだ文献、行った場所、会った人々、飲んだお酒、食べた食事をすべてなぞり、亡くなった年齢になったところから書きだしたという話を知って藤原氏の執念を感じた。

    ポルトガルからマカオ経由で来日し、神戸でポルトガル領事を努め、日本人を妻に娶った実在の人物モラエスが日本で生活した日清戦争の少し前から亡くなる昭和四年の間、彼の眼から見た日本の姿、文化、思想、人々の生活を題材としている。
    題名でもあるサウダーデ(孤愁)とは、モラエスは「わかれた恋人、死んだ人のこと、下記の訪れた景色を思い出すこと、十年前に大儲けをした日のことを懐かしく思い出すこと、そしてそういった過去を思い出すことによっって、甘く悲しい切ない感情に浸りこみ、その感情の中に生きることを発見する」事なのだと言う。
    ポルトガル人特有に使われるこの言葉が本書の底辺を貫いて流れるテーマであり、帰ることを止めた故国ポルトガル、別れてきた中国人との間に生まれた子供たち、そして最愛の妻およね、などとモラエスの言うサウダーデがそこかしこに顔を出す。
    読み終えてみればサウダーデは決してポルトガルの人たちだけのものではなく、間違いなく日本人の心のなかにもあるものだとも実感する。

    そしてポルトガル人であるモラエスの描写は、武士道の精神を備えた古き日本人そのものであり、藤原氏は父上の遺恨を果たしたく書き綴っただけではなく、昨今の著作でも言及している日本人が失いつつあるものを確かに持っていた外国人を描きたかったのではないのだろうか。
    後半の藤原氏が書いた部分を読むに連れて、そんな思いがひしひしと伝わってくるのだ。
    サウダーデという感情、父の遺志に寄せる息子の想い、失いつつある古き良き日本人の心、を感じさせてくれる類まれな小説ではないだろうか。

  • 久々に続きが楽しみに読める1冊でした。
    新田次郎・藤原正彦親子がリレーで書き綴ったのはお見事。
    後半も違和感無く読めました。
    モラエスさんの日本での滞在は非常に面白く、明治期のポルトガルから見た日本がうまく描写された1冊だと思います。
    読み応え特大でした♪

  • 長編だった。久しぶりに、どっしりとした読み応えを感じた。

  • ポルトガルの軍人・外交官・作家である
    ヴェンセスラウ・デ・モラエス(1854-1929)の生涯を描いた力作です。

    新田次郎氏(1912-1980)の突然の逝去によって、
    惜しくも絶筆となっていました。
    「美しい国」という章から「日露開戦」までを
    新田次郎氏が書いています。ここで新田氏絶命したため中断。
    「祖国愛」から最後の「森羅万象」までを
    新田次郎氏没30年たって、正彦氏が書き上げたそうです。
    親子二代にわたって書き上げられた
    ポルトガル人モラエスの物語は、
    明治時代の日本の姿をリアルに反映していました。

    外交官として日本に移り住み、日本の文化と自然の美しさ、
    日本人の風習などに魅かれたモラエスは、
    20歳以上年の離れた日本人の妻およねをこよなく愛していました。
    妻が病死すると、そのまま故郷のポルトガルへ帰ることもせずに、
    その命が尽きるまでおよねの故郷徳島で過ごしました。
    外国人の目から見た日本というものを
    祖国のポルト商報へ書き送り、
    外国へ日本を紹介する役目をしていたモラエスは、
    いたって温厚でまじめな人柄であったため、
    多くの人に慕われました。

    モラエスは、日本に永住することになったものの、
    「カステラ」や「たんと」など、鉄砲伝来以来日本に伝わり、
    日本文化とともに浸透しているポルトガル語を知って、
    はるかな故郷へ望郷の念、サウダーデを感じていたようです。
    ここまで日本を愛した外国人がいたのは知らなかったので、
    それだけでも勉強になりました。

    でも一番この作品を読んでよかったのは、
    この作品が
    新田次郎氏と次男の藤原正彦氏の2名で書き上げた作品だったことです。

    「あとがき」に藤原正彦氏は
    父親の絶筆を完成させるという偉業の苦悩を書いていました。
    作風ももちろん違うので、途中から作者が変わったことはわかります。
    新田次郎氏は、自信をもって、
    自分の書きたいようにぐいぐい書いていますが、
    藤原正彦氏は、父はこんな風に書きたかったのかなと、
    思案しながら書いていたのでしょうから・・・。
    そして、やっと完成したこの作品は、
    藤原正彦氏にとって満足のいくものだったのでしょう。

    藤原正彦氏は、「あとがき」の最後を
    「一つだけ確かなことは、父との約束を
    32年間かけて果たした安堵感である。」としています。
    新田次郎ファンとしては
    絶筆で置いておかれた力作を完成させた藤原正彦氏に
    ありがとう、と言いたいです。
    きっと、新田次郎氏もこんな風に書きたかったのに違いありません。
    読者にもサウダーデを感じさせる美しい文章は、
    まぎれもない親子の絆だと思いました。
    ストーリーもさることながら、
    藤原正彦氏の父を思う心にうたれる作品でした。

  • 知らずに使ってる自分達の中にあるボルトガル。
    ・capa → 合羽(カッパ)
    ・confeito → 金平糖
    ・jarro → 如雨露(じょうろ)
    ・ombro → おんぶ
    ・sabão → シャボン(石けん・シャボン)
    ・tabaco → 煙草(タバコ)
    ・tempêro → 天麩羅(天ぷら)
    ・vidro → ビードロ(ガラス玉)
    ・carta → 歌留多(カルタ)
    ・croquete → コロッケ
    これらをポルトガルの外交官モラエスは日本の中に発見する。そして題名の「孤愁サウダーデ」と言う感情もと新田次郎氏もその息子藤原正彦氏も語り継ぐ。およねを愛したモラエスはおよねの死後
    およねが育った徳島をも愛し死ぬまで暮らす。サウダーデを感じながら。やはり後半3分の一の藤原正彦氏パートになると父親の年齢まで書くのを待ちポルトガルに行き同じ酒を飲み同じ料理を食べ同じHotelに泊まった意気込みからもわかるように渾身の力で書いているのがわかった。

  • 過剰な日本礼賛に辟易する。
    文学を期待してもダメ。
    綿密な調査と研究による伝記ということでしょう。
    特に、息子の正彦は時系列過ぎて、おもしろくない。

  • 20140324読了
    日本を愛して移住し、日本人女性と結婚し、徳島に骨をうずめたポルトガル人、モラエスを描いた小説。ポルトガル領事として神戸に住み、外国人の目で明治から大正にかけての日本を見つめ、日本に関する書籍を母国に発表した作家としての側面も持つ人物。●16世紀にポルトガルが種子島へたどり着いたのだから、日本にとってポルトガルは関係性の深い国。さらに、食べ物にも共通点があって驚く。味噌汁に似た料理がポルトガルにある。いわしを焼いて食べるのも海洋国ならでは。カステラも金平糖も、南蛮渡来のお菓子はポルトガルのものだ。食生活が似通った国が初めに日本に辿り着いてくれてよかった。●前半三分の二が新田次郎(父)、残る三分の一が藤原正彦(子)の筆によるもの。文章が違いすぎる。藤原氏のエッセイは好きで楽しく読むのだが、やはりエッセイと小説は別ものだと思った。文章のうまい下手ではない。登場人物と筆者の距離が近すぎて、人物のキャラクターまでもが変わってしまったとさえ感じられ、読みにくくて何度か休憩を入れた。父が亡くなるときに打ち込んでいた未完成の作品を完成させたいという子としての情愛から、この作品への思い入れが強いのはひしひしと伝わる。●実在した人物を描くのだから、小説家はその人物に関するあらゆる情報を集めるだけ集め、綿密な取材のもとに作品が生み出されるのだろう。しかしこれだけ調べましたと全部見せてしまったら、それは小説ではなく記録である。新田氏の簡潔で読みやすい文章は、多量な情報から精製された結晶。削ぎ落とされるから読ませる作品になるのだと思う。

  • 読み応えがありました。面白かった!

  • 日本を愛し、日本の女性を愛し、日本に骨を埋めた明治時代のポルトガル人モラエスを描いた小説。日本に渡ってきたところから、マカオ所属の軍人としての武器売買・情報収集、領事としての外交活動、日本女性およねさんとの結婚、およねさん死後の徳島での隠棲、その死までが描かれる。/(孤愁を押さえこむために言ったのではない。自分はポルトガルより日本を愛しているのだ。ほんとうに日本で生涯を暮らそうと思っているのだ)p.221/「別れた恋人を思うことも、死んだ人のことを思うことも、過去に訪れた景色を思い出すことも、十年前に大儲けをした日のことを懐しく思い出すのもすべてサウダーデです。そうではありませんか」「そのとおりですが少々付け加えるとすれば、過去を思い出すだけではなく、そうすることによって甘く、悲しい、せつない感情に浸りこむことです」p.243(モラエスと妙国寺の老人)/「僕の心と身体は今、お金より安らかさと穏やかさを欲しているんだ。栄転や昇進がいらないばかりか、何もかも返上して一切の煩わしさから解放され、一人の人間となって田舎に隠棲したいんだ」モラエスは落ち着いた声でそう言った。この頃、モラエスは「方丈記」を繰り返し読んでは鴨長明の思想に慰藉を見出し、それに心酔していた。p.559/コハルへの思いは痛ましいというか、コハル側の断りきれない事情とそれを割り切れないコハル自身とがひきさかれていて、見ていてつらかった。亜珍の思いは、中国の地から一歩も離れたくないと言っていた亜珍が、どうして日本に一生懸命来たがるようになったのか、よくわからなかった。人の気持ちは変わるもの、で片付けられるものなのか。永原デンがその後どうなったのかも気になるところ。

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著者プロフィール

新田次郎
一九一二年、長野県上諏訪生まれ。無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等を経験する。五六年『強力伝』で直木賞を受賞。『縦走路』『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』など山岳小説の分野を拓く。次いで歴史小説にも力を注ぎ、七四年『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受ける。八〇年、死去。その遺志により新田次郎文学賞が設けられた。

「2022年 『まぼろしの軍師 新田次郎歴史短篇選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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